映画と本の『たんぽぽ館』

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「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳

2009年11月16日 | 本(その他)
グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
スコット フィッツジェラルド,村上春樹
中央公論新社

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この本は、村上春樹が最も大切にしている小説で、
何度も何度も読んでいるので、暗記しているくらい・・・といいます。
翻訳のいきさつは、この本のあとがきに相当量を費やし書かれていますが、
つまり、これまでの訳で出ている本は、
どうも村上氏が感じているギャツビーとは印象が違う。
その思いがずっとあって、結局自身で訳することになったもののようです。

私自身、以前訳文があまりにもひどくて、
読むのを断念した本があったりするので、
翻訳は非常に重要だと思っています。

ところで私は、このストーリーは、
ロバート・レッドフォード主演の「華麗なるギャツビー」で知っていまして。
ストーリーは、こちら「華麗なるギャツビー」を参照してください。
全くそのままです。


この映画の感想を今改めてみても、
私自身さして感動したようには思えないのですが・・・。
でも、この本のほうは、ずっと胸に迫るものがありました。
特に、このギャツビーのデイジーへの一途な愛。
彼の人生は、デイジーに再会し、デイジーを取り戻すためにあった。
でもその情熱は、燃え上がるようなものではなくて、
なにやら物悲しさに裏打ちされている。
滅びの美。
全体にはそんな印象でしょうか。
これはやはり、村上春樹の筆力に負うところが大きいのではないかと思います。
あくどいことにも手を染めて、必死の思いで財を築き上げた。
その彼が、湾を隔てた昔の恋人の家をただ見つめるだけで、
ひたすら偶然の出会いを待ちわびるほか何もできない。
再会のときの彼の様子は、まるで少年のようです。
こういう一つ一つの描写に、村上氏の「愛」が感じられます。

私の好きだった、
ギャツビーが自分の無数のシャツを引っ張り出して、
部屋を埋めるシーンもありました!


でも、あの映画は、この本を読んだ時に、
当時の屋敷や車や服装をイメージするのに、非常に有益でした。
思うに、ロバート・レッドフォードはギャツビーを演じるには輝かしすぎ。
彼ではまったくそのまま、大富豪の坊ちゃんに見えてしまう。
ギャツビーには、もう少しほの暗くて、成り上がり者っぽいところがほしい。

野心がありつつ、ピュアで少年のよう。
とてつもなく、明るく賑やかに日々繰り広げられるパーティー。
その中の絶望的孤独。
ここに語り手のニックがいてよかった・・・と思います。
ニックだけがこの滅びの美を見て取り、
ギャツビーを"グレート"と認めたのですものね。
村上春樹氏が伝えたかった物語のイメージを、
私は確かに受け取ったと思います。


後書きにも少し触れられているフィッツジェラルドの紹介も、
興味深く読みました。
時代の先端を行く人気作家。
若者に人気のある手軽に読める短篇を多々出して、一躍有名に。
でも、この「グレート・ギャツビー」は、
彼の渾身の長編にもかかわらず、さっぱり人気が出なかった。
その後も振るわず、失意と困窮のうちに亡くなったという。
結局正しく評価されたのは、彼の死後だそうで・・・。
彼の一時の華やかな生活は、まさにこのギャツビーを思わせます。

何にしても、奥深い本であります。

満足度★★★★★