周囲の人とは少し違う、あまり普通とはいえない部分を持つ自分
* * * * * * * * * *
良いニュースと悪いニュースがある。
多崎つくるにとって駅をつくることは、
心を世界につなぎとめておくための営みだった。
あるポイントまでは…。
* * * * * * * * * *
言わずと知れた大ベストセラー。
ちょっと天邪鬼の私はそういうのは避けたい気持ちもありながら、
でもやっぱり村上春樹作品は気になってしまいます。
とはいえ今どきでは「やっと」ですが、
このたび手に取りまして・・・そして、堪能しました。
まず、「色彩を持たない多崎つくる」とは・・・。
彼は高校の頃、4人の友人がいました。
男3人女2人のこのグループは、
まるで正五角形のように乱れなく調和した関係に思われた。
ところが、ある日突然、他の4人から絶好を申し渡されたのです。
どう考えても自分に何か非があったとは思えないにも関わらず。
その四人の名前にはアカ、アオ、クロ、シロというように
何かしら「色」の文字が入っていた。
だから、「色」の文字を持たないつくるは思うのです。
皆それぞれ個性があって魅力的だ。
しかし、自分は何の色も持たないつまらない人間なのだ。
自分は空っぽの人間だ。
だから、人は一旦親しくなっても自分の魅力のなさに気付いて
そのうち去っていってしまうのではないか・・・。
理由もわからず、友に見放されたつくるは、
まるで夜に船から突き落とされたように感じます。
夜の海をたった一人で泳がなければならなくなった・・・。
そのことが彼に影を落としたまま、年月が過ぎ・・・。
36歳になったつくるは、
付き合い始めた女性・沙羅に初めてこのことを打ち明けるのです。
彼女は言う。
いま、友人達に会ってその時の理由を確かめるべきだ、と。
そのことをきっかけに、つくるは友人達を訪ね歩くことになるのですが、
そのことが「巡礼」ということになるのでしょう。
でも「巡礼の年」にはもう一つ意味があって、
それは本作で重要なモチーフ、フランツ・リストのピアノ曲の題名。
それは「1Q84」の中の「シンフォニエッタ」と同様、
作中のいたるところで流れる象徴的な曲なのです。
もちろん、私はその曲を知るよしもありませんが、
やはり聞いてみたくなりますね・・・。
つくるの巡礼は遠くフィンランドヘまでも足を運ぶことになりますが、
そこでのクロとの邂逅が終着点でもあります。
密やかにハグをする二人に、私は
五角形の均衡が崩れた結果、一つの点となって収束したように思われました。
つくるは4人の友人達と別れる以前の少年期から
自分のことをこんな風に感じていたという記述があります。
「目立った個性や特質を持ち合わせないにもかかわらず、
そして常に中庸を思考する傾向があるにもかかわらず、
周囲の人々とは少し違う、
あまり普通とはいえない部分が自分にはある(らしい)。」
それこそが彼の、そしてこのストーリーの魅力といっていいかもしれません。
そして実はどんな人の中にもこんな気持が実はあるのではないかなあ・・・と。
だからつくるは特別であって特別ではない。
私達が彼を好きに思えるのは、それだからこそなのかもしれません。
さて本作、誰もが、えっ!!ここで終わってしまうの?と思うはずです。
もちろん私もその一人。
でも本作でわかってきたのは、つくるは「駅」の役割ということでした。
人々が大勢集まるけれども、やがて去っていってしまう場所。
それを考えると結論は見えているのかもしれません。
いやしかし、だからといって、それに固執する必要もないですよね。
もちろん。
想像の余地がありすぎて悩んでしまうラスト。
おそらくどちらにしても不満が残ってしまうのでしょうし、
これはこれでヨシとしましょう。
勝手な想像ついでに・・・、
本作では学生時代につくると親しくしていたけれど
突然彼の元を去ってしまった灰田についての真相も語られないままです。
私は灰田は既に亡くなっているのではないか思うのです。
人はそれぞれある種の色を持っているが、
ごくごくまれに「ある種の色と、ある種の光の濃さを持っている」人間がいるという。
灰田は自分の命と引き換えに、それを見る能力を身につけたのではないか。
その能力で、つくるこそがその特殊な色と光を持っていることを確かめたかったから・・・・。
たぶんこれが正解だと思うのですが・・・。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹 文藝春秋
満足度★★★★★
![]() | 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 |
村上 春樹 | |
文藝春秋 |
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良いニュースと悪いニュースがある。
多崎つくるにとって駅をつくることは、
心を世界につなぎとめておくための営みだった。
あるポイントまでは…。
* * * * * * * * * *
言わずと知れた大ベストセラー。
ちょっと天邪鬼の私はそういうのは避けたい気持ちもありながら、
でもやっぱり村上春樹作品は気になってしまいます。
とはいえ今どきでは「やっと」ですが、
このたび手に取りまして・・・そして、堪能しました。
まず、「色彩を持たない多崎つくる」とは・・・。
彼は高校の頃、4人の友人がいました。
男3人女2人のこのグループは、
まるで正五角形のように乱れなく調和した関係に思われた。
ところが、ある日突然、他の4人から絶好を申し渡されたのです。
どう考えても自分に何か非があったとは思えないにも関わらず。
その四人の名前にはアカ、アオ、クロ、シロというように
何かしら「色」の文字が入っていた。
だから、「色」の文字を持たないつくるは思うのです。
皆それぞれ個性があって魅力的だ。
しかし、自分は何の色も持たないつまらない人間なのだ。
自分は空っぽの人間だ。
だから、人は一旦親しくなっても自分の魅力のなさに気付いて
そのうち去っていってしまうのではないか・・・。
理由もわからず、友に見放されたつくるは、
まるで夜に船から突き落とされたように感じます。
夜の海をたった一人で泳がなければならなくなった・・・。
そのことが彼に影を落としたまま、年月が過ぎ・・・。
36歳になったつくるは、
付き合い始めた女性・沙羅に初めてこのことを打ち明けるのです。
彼女は言う。
いま、友人達に会ってその時の理由を確かめるべきだ、と。
そのことをきっかけに、つくるは友人達を訪ね歩くことになるのですが、
そのことが「巡礼」ということになるのでしょう。
でも「巡礼の年」にはもう一つ意味があって、
それは本作で重要なモチーフ、フランツ・リストのピアノ曲の題名。
それは「1Q84」の中の「シンフォニエッタ」と同様、
作中のいたるところで流れる象徴的な曲なのです。
もちろん、私はその曲を知るよしもありませんが、
やはり聞いてみたくなりますね・・・。
つくるの巡礼は遠くフィンランドヘまでも足を運ぶことになりますが、
そこでのクロとの邂逅が終着点でもあります。
密やかにハグをする二人に、私は
五角形の均衡が崩れた結果、一つの点となって収束したように思われました。
つくるは4人の友人達と別れる以前の少年期から
自分のことをこんな風に感じていたという記述があります。
「目立った個性や特質を持ち合わせないにもかかわらず、
そして常に中庸を思考する傾向があるにもかかわらず、
周囲の人々とは少し違う、
あまり普通とはいえない部分が自分にはある(らしい)。」
それこそが彼の、そしてこのストーリーの魅力といっていいかもしれません。
そして実はどんな人の中にもこんな気持が実はあるのではないかなあ・・・と。
だからつくるは特別であって特別ではない。
私達が彼を好きに思えるのは、それだからこそなのかもしれません。
さて本作、誰もが、えっ!!ここで終わってしまうの?と思うはずです。
もちろん私もその一人。
でも本作でわかってきたのは、つくるは「駅」の役割ということでした。
人々が大勢集まるけれども、やがて去っていってしまう場所。
それを考えると結論は見えているのかもしれません。
いやしかし、だからといって、それに固執する必要もないですよね。
もちろん。
想像の余地がありすぎて悩んでしまうラスト。
おそらくどちらにしても不満が残ってしまうのでしょうし、
これはこれでヨシとしましょう。
勝手な想像ついでに・・・、
本作では学生時代につくると親しくしていたけれど
突然彼の元を去ってしまった灰田についての真相も語られないままです。
私は灰田は既に亡くなっているのではないか思うのです。
人はそれぞれある種の色を持っているが、
ごくごくまれに「ある種の色と、ある種の光の濃さを持っている」人間がいるという。
灰田は自分の命と引き換えに、それを見る能力を身につけたのではないか。
その能力で、つくるこそがその特殊な色と光を持っていることを確かめたかったから・・・・。
たぶんこれが正解だと思うのですが・・・。
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」村上春樹 文藝春秋
満足度★★★★★