死ぬことを願った母が遺したもの
* * * * * * * * * *
家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、
生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、
もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。
若い女と同棲している夫がいて、
その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。
ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?
親の介護、姉妹の確執…離婚を迷う女は一人旅へ。
『本格小説』『日本語が亡びるとき』の著者が、
自身の体験を交えて描く待望の最新長篇。
* * * * * * * * * *
本作、大きく内容は2つに分かれています。
前半、折り合いの悪かった母の体が衰え、長い介護生活が続き、
ジリジリと自身の心も体も蝕まれていくような美津紀。
・・・そんな日々が過去の様々なできごとを折りはさみながら綴られます。
そして後半。
その母がやっと亡くなり、
以前からもやもやとしていた夫の浮気の問題とじっくり向き合うために、
一人箱根のホテルに長期逗留をする美津紀。
何と言っても前半が強烈な印象を残します。
本の紹介にもありますが・・・
「死なない。
母は死なない。
家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、
生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、
もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。
若い女と同棲している夫がいて、
その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。
ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」
ずいぶんひどい言葉に思えるかもしれないけれど、
奔放で身勝手な母に、いつも振り回されてきた美津紀です。
特に、父が病んだ時には、さっさと低料金の病院に放り込んでしまった。
そしてろくに見舞いにも行かず、なんと他の男を作って浮かれていた母・・・。
父は6人部屋のベッドで7年も身動きならず、亡くなった・・・。
このことで、美津紀は母を許せず、憎んでさえいたのです。
けれど、いざ母が寝たきりになれば放ってもおけず、
姉と交代しながらわがままな母の介護に通います。
しかし、母の死を願うのは必ずしも自分が楽になりたいからだけではありません。
あんなにオシャレで花と夢のような暮らしに憧れていた母が、
自分では歩くこともできず病み衰えて寝たきりになり、
頭も朦朧としている・・・
そんな状態がいつまでもつづくことが
母にとっても最大の苦痛であることがわかってもいるからなのです。
以前から、こんな場合に延命措置はするなと言っていた母。
けれど、医者は当然のように胃瘻や高カロリーの点滴で命だけを長引かせようとする。
この措置は「延命措置」ではないのか・・・?
このような極めて現実的な話に、
同様の体験をした私も、胸が苦しくなってきます。
ほとんど読むのも辛くなってしまいました・・・。
そして後半。
この母の残した財産がいくばくかあり、
皮肉ではありますがそのことで美津紀は新たな人生へ踏み切る決心がつく。
もし離婚したら、その後の収入はどうなるか。
夫との財産分与は?
年金は?
結構シビアな計算の記述まであります。
けれど現実はそうしたもので、先立つものがなければ生活は成り立ちません。
あまりにも切り詰めたギリギリの生活となるのも惨めです。
だから気持ちがすっかり離れてしまった夫であっても、
そう簡単に離婚などできないというのが現実。
母の遺産で救われる・・・
結局はそうした物語だったのですねえ・・・。
ところで、本作の副題「新聞小説」というのは、
本作が実際、読売新聞の新聞小説として発表されたものだからですが、
作中にこんな話もあります。
あの熱海の海岸の貫一・お宮のシーンで有名な「金色夜叉」は、
新聞小説であったということ。
これが日本初の新聞小説で、
作中では美津紀の祖母に当たる人物が金色夜叉にすっかりハマって、
新聞のその部分を切り抜いてとっていたというエピソードがあります。
文体は漢文調で結構難しかったそうですが、
当時本を読む習慣などなかった人(特に女性)が、
この愛だの恋だのの物語で、物語を読むことの面白さを知ったということのようです。
なるほど~。
※「物語の向こうに時代が見える」掲載作品
図書館蔵書にて(単行本)
「母の遺産 新聞小説」水村美笛 中央公論新社
満足度★★★★☆
![]() | 母の遺産―新聞小説 |
水村 美苗 | |
中央公論新社 |
* * * * * * * * * *
家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、
生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、
もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。
若い女と同棲している夫がいて、
その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。
ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?
親の介護、姉妹の確執…離婚を迷う女は一人旅へ。
『本格小説』『日本語が亡びるとき』の著者が、
自身の体験を交えて描く待望の最新長篇。
* * * * * * * * * *
本作、大きく内容は2つに分かれています。
前半、折り合いの悪かった母の体が衰え、長い介護生活が続き、
ジリジリと自身の心も体も蝕まれていくような美津紀。
・・・そんな日々が過去の様々なできごとを折りはさみながら綴られます。
そして後半。
その母がやっと亡くなり、
以前からもやもやとしていた夫の浮気の問題とじっくり向き合うために、
一人箱根のホテルに長期逗留をする美津紀。
何と言っても前半が強烈な印象を残します。
本の紹介にもありますが・・・
「死なない。
母は死なない。
家の中は綿埃だらけで、洗濯物も溜まりに溜まり、
生え際に出てきた白髪をヘナで染める時間もなく、
もう疲労で朦朧として生きているのに母は死なない。
若い女と同棲している夫がいて、
その夫とのことを考えねばならないのに、母は死なない。
ママ、いったいいつになったら死んでくれるの?」
ずいぶんひどい言葉に思えるかもしれないけれど、
奔放で身勝手な母に、いつも振り回されてきた美津紀です。
特に、父が病んだ時には、さっさと低料金の病院に放り込んでしまった。
そしてろくに見舞いにも行かず、なんと他の男を作って浮かれていた母・・・。
父は6人部屋のベッドで7年も身動きならず、亡くなった・・・。
このことで、美津紀は母を許せず、憎んでさえいたのです。
けれど、いざ母が寝たきりになれば放ってもおけず、
姉と交代しながらわがままな母の介護に通います。
しかし、母の死を願うのは必ずしも自分が楽になりたいからだけではありません。
あんなにオシャレで花と夢のような暮らしに憧れていた母が、
自分では歩くこともできず病み衰えて寝たきりになり、
頭も朦朧としている・・・
そんな状態がいつまでもつづくことが
母にとっても最大の苦痛であることがわかってもいるからなのです。
以前から、こんな場合に延命措置はするなと言っていた母。
けれど、医者は当然のように胃瘻や高カロリーの点滴で命だけを長引かせようとする。
この措置は「延命措置」ではないのか・・・?
このような極めて現実的な話に、
同様の体験をした私も、胸が苦しくなってきます。
ほとんど読むのも辛くなってしまいました・・・。
そして後半。
この母の残した財産がいくばくかあり、
皮肉ではありますがそのことで美津紀は新たな人生へ踏み切る決心がつく。
もし離婚したら、その後の収入はどうなるか。
夫との財産分与は?
年金は?
結構シビアな計算の記述まであります。
けれど現実はそうしたもので、先立つものがなければ生活は成り立ちません。
あまりにも切り詰めたギリギリの生活となるのも惨めです。
だから気持ちがすっかり離れてしまった夫であっても、
そう簡単に離婚などできないというのが現実。
母の遺産で救われる・・・
結局はそうした物語だったのですねえ・・・。
ところで、本作の副題「新聞小説」というのは、
本作が実際、読売新聞の新聞小説として発表されたものだからですが、
作中にこんな話もあります。
あの熱海の海岸の貫一・お宮のシーンで有名な「金色夜叉」は、
新聞小説であったということ。
これが日本初の新聞小説で、
作中では美津紀の祖母に当たる人物が金色夜叉にすっかりハマって、
新聞のその部分を切り抜いてとっていたというエピソードがあります。
文体は漢文調で結構難しかったそうですが、
当時本を読む習慣などなかった人(特に女性)が、
この愛だの恋だのの物語で、物語を読むことの面白さを知ったということのようです。
なるほど~。
※「物語の向こうに時代が見える」掲載作品
図書館蔵書にて(単行本)
「母の遺産 新聞小説」水村美笛 中央公論新社
満足度★★★★☆