来て、見て、元気・置農!の稽古が始まった。5本のコントと創作ダンス一本を一週間で仕上げる。つい、一昨日、校内公演が終わったばかりだ。土曜も日曜もない。休み無しのハードスケジュールが1月4日から続いている。この公演!これが済めば、ゆっくり休養だからと、部員達も自分自身もなだめすかして、今日も稽古だ。
新しいコントの台本を部員達に渡した。創作の台本を渡すときは、いつも緊張の一瞬だ。観客以前に、まずは演じる当人達が認めるか。面白いと感じるか。これが怖い。何故か?私の書くものは、高校生向きじゃないからだ。だいたい等身大の演劇って奴が何より嫌いだ。身の回りのありきたりの出来事や情感をなぞって何が面白いのか、というのが、私の演劇観なので、いわゆる高校生ものは書かない。いや、正直言えば書けない。さらに、笑いについても、今どきの笑いにはまったくついて行けないから(ついて行く気もないけれど)、高校生からは、これ、何が面白いの?っていうギャグばかりになってしまう。(いえいえ、駄洒落中心のおやじギャグではありませんよ。)
今回は、直前の校内公演で高校生ギャグものを出して、笑いを取った部員達だけに、私のコントとのギャップがどう受け止められるか、かなりの心配だった。なので、言わずもがなの弁解などしながら台本を渡した。高校生には受けないかも知れないよ、なんて、弱いよなあ、もっとしゃっきりせい!って思うんだが、あるいは、多かれ少なかれ、物書きなんてものは、自信と不安がない交ぜになった状態で、自作を押し出すもんじゃないか、と自らをなぐさめた。
さて、その評価だが、これが殊の外の良さだった。自分が死んだのも忘れて、入れ歯や眼鏡を探す婆さんのコントも、自己中の占い師の話も、クイズを装って同級生を口説く男の子のコントも、配役のおもしろさもあって、爆笑のうちに本読みが進んだ。残り2本が問題だったが、落とし物を通りかかりの人たちが一緒に探すうちに探し物が次々に誤り伝えられていく、という連想ゲームのような一本も、徹底的に駄洒落で貫いた作品(金を探している人に、友達が次々かねの音に近い別物を持ってくるというコント)も出し物がかけそばあり、屋根ありで、結構シュールな仕上がりだったのに、楽しんでくれた。やれやれだ。あとは、もう部員達の頑張りに待つしかない。残り5日、どこまで仕上げてくれるか、楽しみだ。
ダンスの方は、もう一人の顧問Nが振り付けを担当した。約束の昨日までに仕上がった振り付けに、私はダメを出した。前日まで三日間もの出張で、しかも、様々な仕事が押しつけられていて(そのうち幾つかは私からのものだが)、しかも、ダンスが得意というわけでもなくて、もう、いくつもの『しかも』が重なる悪条件なのはわかっていた、が、ダメを出した。たとえ、わずか十数分の舞台でも、与えられた機会には全力で答えなくてはいけない。これが、アマチュアといえども、舞台を志す者の基本姿勢だと思う。また、顧問が部員に演じさせる創作は、部員達がその価値を認めるものでなくてはならない。彼らがその作品を好きでなくても良い、うん!さすが!と思わせねばダメなのだ。残念ながら、彼女の振り付けはどちらもクリアできていなかった。
そして、今日、彼女が作ってきたものは、生徒も私も満足のいくものに変わっていた。昨日のだめ出しから一昼夜、悔しい思いを抱えながら、夜を徹して仕上げてきたのだろう。何度も何度も、踊っては考え踊っては知恵を絞って作り上げたのだろう。素人だから、素晴らしいとは決して言えぬが、彼女なりの新しい試みに満ちた作品になっていた。
ダメを出されるのは、私も嫌いだ。できれば称賛の心地よさの中で安らいでいたい。でも、より高い地点をめざすなら、ダメ出しから逃げてはだめだ。ダメ出しに真剣に立ち向かった彼女の意欲と誠実さ、心に残った。