ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

風刺は”偉いさん”へのつっこみだ!

2007-02-04 11:42:28 | 演劇

 ダンス&コント『さがしものは何ですか?』が終わった。感想は、満足も中ぐらいなりギャグ不発、ってとこか。

 受けなかったわけじゃないんだ。置農演劇部の喜劇役者トオルは今日も大受けだったしね。駄洒落・ナンセンスコントも思いがけず笑いが起きて、こっちが驚いた。心配したプルタブ探しも、役者達が必死で探し回る仕草に暖かい空気が客席に流れたから。

 でも、『棺桶』と『帽子』は予想外だったなあ。自分が死んでるのも忘れて、嫁の悪口を言いながら入れ歯や眼鏡を探し回る老婆、演じたミドリは、いやあ、実にうまかった。どこか、古典落語の雰囲気あって、最後は考え落ちで、私など唸ってしまうほどよかったと思ったんだけど。上手すぎて笑いを超えてしまったのかも知れない。あるいは、心の中でにんまりしてくれてたのかも。でも、どっちにしても高校生向きではなかったな、やっぱり。

 『帽子』の妖しい占い師も、役者は好演だった。異様にテンション高い自己陶酔型のキャラクターをしっかり作り出していた。お見事!水晶玉の代わりにサッカーボールで占ったり、トランプでなく、花札出したり、こういうナンセンスはダメなんだね。

 あと、世相風刺もまったく受けないってことがわかった。不二家の賞味期限切れや安部首相の美しい国をからかってみたけど、これまるで通じない。うちの生徒には、世の中の動きなんて、あんまり興味ないってことか、あるいは、風刺という笑いのパターンそのものに不慣れなのかも知れない。テレビでタレントたちが、性懲りもなく繰り返してる、いじめ的つっこみの笑いは大好きだけどね。

 これって、今、直感で書いてみたけど、意外と今どきの世相を突いているかもしれない。最近の笑いって自分より弱い者や劣った者に向けるものが中心で、権力者とか、力のある者に向かってないんじゃないか。批判や反発も、社会の頂点ではなく、自分よりちょい上止まり。公務員叩きはその典型。つまり、風刺ってもんが、文化として廃れちまったってことだ。どうもこりゃいかんのじゃないかな。だから、小泉人気なんて、気持ちの悪い現象が起きるんだ。

 風刺って奴は、まず、世の中の支配構造が直感的にわかってなきゃ成り立たない。それから、お上や偉いさんを嫌う健全な庶民感覚、こいつも生きてなきゃいかん。この二つは、風刺を支える背骨だし、何より世の中をまっとうにしていく、エネルギーの根源なんじゃないか。歴史は、この庶民の権力へのつっこみで、少しずつ、ましな方向に変わってきていたのじゃなかったか。

 高校生が、風刺を笑えなくなっているってことは、実に、時代の危機なんだ、って、すっごい結論に飛躍したところで今日はお終い。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする