芝居作るときいつも感じること。配役どうするか、これが決め手なんだよね、その舞台が成功するもしないも。もちろん、いい台本があっての話しだけど。特に、アマチュア劇団では、鉄則って言ってもいいじゃないかな。だって、どんな役でもこなすなんて役者なんて、ほんと少ないからね。何やっても、何処まで行っても、その役者そのものなんだよな。だから、持ち味を引き出せる役だと、ぐーんと生きるし、外せば目も当てられない。これがアマチュア役者使う時の、使用マニュアルその一だと思う。プロだって細かいところでは、同じことなのかも知れないけど、プロは、幾つも引き出し持ってるからね。
だから、既成の脚本選ぶ時は、本当に苦労する。こんな内面的に深い役、あいつにできっか?この上品さ、うちの奴らにねえものなあ!ラブシーンなあ!だれさせる?・・・持ち味以前に男女の比率、年齢の壁など、もうハードルが何十本も立ち並んでいて、ゴールは、はるか彼方に霞んでるって状態だ。年に2回の公演のうち一本は創作で行く、ってのも実は書く方が楽ってことでもある。創作なら当て書きできるからね。
それと、菜の花座の場合、団員構成が極端に偏ってるって大問題がある。二十歳前後の娘達がぞろっと一揃い、これに熟年のおじさん、おばさん数名、それに、スタッフのあんちゃん達。どこにこんなアンバランスなお芝居あるって言うの?ほんと!台本選びは地獄の責め苦だ。
そこいくと、今日見てきた劇団ぬーぼーは、実に羨ましい。若手から中堅まで、男女偏りなくいるからね。伝統の差って言っちまえばそれまでだけど。で、今日の舞台はキャラメルボックスの『TRUTH』。生きの良い男達の芝居に、ばっちりはまった役者が集まった。脚本の要求するキャラクターにかなり近いからね、これは驚くよ。そして何より、みんな、チャンバラ好きなんだもの!時代劇、待ってましたの連中なんだもの出来が悪いわけがない。みんな、ノリノリで楽しんでたからね。はまり役のキャスティングが出来た芝居は、かくも天下無敵なのですよ。それと、キャラメルボックスの時代劇ってことも、ドンピシャだった。ギャグあり、殺陣あり、激論あり、恋有り、あっ、恋の方は、ちょっと苦手だったみたい。でも、間違いなくこのメンバーのための芝居のようだった。
細かいあれれ?は幾つかあった。例えば、内外での草履の扱いとか、四六時中大小差してることとか、人を切ってもいないのに血のりを切るしぐさがやたら多かったこととか、せめて、刀が触れ合うちゃりんの音が欲しかったとか、あっ、そうそう、やたら慎重に刃合わせてたけど、あれって刀の持ち主からの貸し出し条件だよね。あと、前後する時間の扱いも、ピンとこなかったかな。
でも、一番の難点は、舞台が狭かったってことじゃないかな。あのエネルギー充満男達5人に、いかんせん、あの舞台は狭い。もっと、広い舞台で思う存分飛び跳ねさせてあげたかった。そうすれば、あんな風にこわごわ立ち回りやってることもなかったし、もっと動きのある疾風怒濤の舞台になったと思う。まっ、これは予算とかなんとかいろんな制約の中の話しなんで、言ったところで無い者ものねだりなのかもしれないけどね。
動きが小さくて残念だったもっと大きな理由は、キャラメルボックスの芝居って、スピードが命だって思うからなんだ。じっくり見せる、しっかり聞かせるって芝居じゃないと思うんだな。あんまり見てもいないし、読んでもいないで、こんなこと言うのもどうかと思うけど、じゃあ、止めろ!って言われても書くんだけど、成井豊さんの本って、読むとほんと、つまらないんだ。いいのか?そんなこと言って?待て待て!でも、キャラメルボックスの舞台になるとこれが、結構面白いし、引きつけられるんだ。
で、以前から考えてたんだけど、これは、あの劇団の、ぐんぐん突っ走るかっ飛び感に秘密があるんじゃないか、ってこと。セリフ回しも早いし、大声だし、動きも大きく素早いし、場面の転換も瞬間勝負だ。観客をバイクの後ろに乗せて疾走してるってところかな。観客もああだこうだ考えてなんかいられない。必死で役者にしがみついて芝居のスピード感に身を任す。こういう芝居だから、台本をじっくり読むと、あらが見えてくるし、底の浅さが気になってくる。上演して生きる本ってことなんだよな。だから、上演に当たっては、動きの早さと激しさは、欠かせないんだと思う。それと転換を素早く感じさせる照明効果と音楽・音響もね。もっともっと華やかに賑やかに切々と男達の青春の痛みを一気に疾走させて欲しかったって、最後にぴりっと厳しいことを。でも、何人かの男達には、男の色気、感じたよ。誰とは言わないけどね。