ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

髪の毛、うるさい!

2012-09-29 22:52:09 | 暮らし
 気になるんだ、女子高生の髪の毛。やたら小顔ブームで、顔の面積全体の1/3しか見せないなんて子がざらだ。上は前髪が目まで覆い、横は横髪(て、言うのか?)が目尻ぎりぎりまで垂れ下がる。真正面から覗き込まない限り顔は窺えないって有様だ。眼鏡のフレームの中にまで髪が進入していて、そういうのを見ると、これはもう別の種ではないかとさえ感じてしまう。

 高校演劇でもご多分にもれない。県大会レベルの学校でも、目が完全に隠れていたり、横向くと表情がまったく見えなくなったりてな学校もあるくらいだ。舞台に立つ人間がこれで良いのか?!顔の見えない役者の芝居が面白いわけがない。心ある顧問は常に苦々しく思っている、と思いたい。

 置農演劇部でも、残念ながら、この闘いが日夜進行中である。さすがに目が隠れるほどの前髪はいないが、眉にはかかっているし、横の髪は常にゆらゆらと顔の側面を行き来している。日常ならば、なんとか我慢はする。でも、舞台に上がったら、これは絶対許せない。表情が見えない芝居や踊りが観客に届くはずがないじゃないか。

 今日も演歌ショーの公演で、かなり熱く戦った。着物姿の女たちがほんどん前髪を垂らし、横髪をなびかせて舞台に出ようとしたんだ。僕としてはこれは許せない。お客さんの前だ。しかも和服姿なんだ。着物には着物にふさわしい着こなしもあれば、髪型ってものだってあるんだ。後ろ髪を束ねることなく奧衿の上にかぶせていたり、なんという見苦しさか!

 厳しく直させて舞台に送ったが、それでも、中途半端の感はぬぐえなかった。終演後、みっちりと事の道理を諭した。要するに、美の基準は一つではないってこと。文化の違いによって美しさってものも変わるんだってことを話した。ヤングなでしこの猶本は素晴らしい美人だけど、それは日本人の我々から見ての話しで、対戦したナイジェリアの人たちは母国選手たちの黒光りした顔に美を見るに違いないんだってことを話した。

 和服美人についても同様だ。ジーパンにTシャツの美しさとはまた別の美の規格があるってことなんだ。その基準は以前の日本人には語るまでもない常識だったが、今の若者たちには、なに?それ、ってものでしかない。前髪はすべて上げて顔は完全に見せる、後ろ髪はアップする、襟元ははだけない、私ら旧日本人から見れば、当ったり前のことだけとも、彼らには、ダッサイ年寄りのたわごとに聞こえるのだろう。

 だが、演歌ショーはまさしく、その年寄りが観客だ。高校生とは別人類の爺さん婆さんたちに楽しんでもらうプログラムだ。とすれば、観客の価値に合わせるのが筋ってものだろう。お年寄りが見て、違和感や奇異な感じを持たない着こなし身ごなしで臨むべきなんだ。ってそんな話しをした。はてさて、わかってくれたのかどうか。

 それにしても、今時の女子高生の髪型、どういう理由からなんだろう。どこまでもどこまでも顔を収縮して行こうというあの執念!そこには何か、自らを恥じ入る感覚、自信喪失に縮こまる姿を感じてとってしまうのだが、どうだろう。女は全顔で勝負だよ!

コメント
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