ステージおきたま

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凄い本と出会った!石光真清の手記全4冊

2015-01-29 09:21:46 | 本と雑誌
 凄い本と出会ってしまったよ。



 もう圧倒されっぱなしだ!

 石光真清の手記。中公文庫で4冊って、とても僕の貧弱な読書力じゃ歯がたたない大作だけど、もう一気読みだった。いやいや、通して読み終わるのがもったいなくて、一冊読み終わるたびに別の作者の本を入れながら読み通した。

 石光真清は江戸末期熊本に生まれ、陸軍幼年学校を経て対ロシアの諜報活動に従事した人物だ。そう、スパイなんだよ。4分冊それぞれに引き込まれる面白さなんだけど、第1冊「城下の人」では、たかだか10歳の少年真清が薩軍の砲兵陣地に日々通う一方官軍の将軍とも親交を結ぶ有様を通して、リアル西南戦争が浮かび上がるところかな。第2冊「曠野の花」、これはもう手に汗握るスパイ実録だ。中でも満州馬賊の親分たちとの固い契りや、意外や意外、大陸に売られた日本の女たちの度胸ときっぷが、かつて流行った大陸浪人小説をはるかに凌駕するスリルとサスペンスで展開する。わくわくして読むならこの分冊だろうな。

 最後の「誰のために」は歴史や人間について深く考えさせられる内容だ。時代は第1次大戦末期、ロシア革命に大揺れするシベリアはアムール州。ボルシェビキと赤軍の包囲が迫る州都ブラゴベシチェンスク。諜報と謀略を命じられた石光がボルシェビキと民主主義派のせめぎ合いの中、居住する日本人の生命と財産を守るために悪銭苦闘する姿が胸を打つ。石光の最優先課題は日本人同胞の安全だが、彼の面目躍如たるは、ボルシェビキの指導者ムーヒンとも、民主主義派市長のアレクセーフスキーとも等しく親愛の関わりを保ち続けていることだ。居留民保護を名目に出兵した日本軍兵士が戦勝者意識丸出しで横暴、略奪を繰り返す中、彼はどこまでも人間として日本人にもロシア人にも等しく救いの手をさしのべようとした。無益に人たちの血が流されないよう無我夢中で両陣営を飛び回った。ただ、ぎりぎりの攻防に戦略を誤り日本人義勇軍8名の命を失わせる結果にはなってしまうのだが。

 革命-反革命さらには侵略軍に近しい日本軍のせめぎ合いの中で、彼がどうして、すべては同じ人間との視点を保ち行動を貫き得たのか、考えないわけにはいかない。上級士官の「君はロシア人のために戦っているのか」との叱責に対して、「辞めさせていただきます」と軍令を無視して言い切る彼の背骨はどのように形成されたのだろうか。幼少時薩軍と官軍の双方に出入りして良質な人々との交わりを得たことや、対ロシア諜報活動の中で満州馬賊やロシア人労働者と偏見なく関わったことが大きい。どの陣営に与する者でも、誠実に真摯に戦う者であれば尊敬に値する、これこそ彼の人生を貫いた人間観だったのだと思う。敵対関係などどれほどのものでもない。どちらの側にも敬愛すべき人間はいる。彼の人間への深いいたわりの思いは、朝鮮人大虐殺を生んだ関東大震災後のどさくさ、速くも朝鮮人協会設立に向けた必死の努力にもつながっていく。

 時代と日本は、良き意味でのコスモポリタン、正しき意味での愛国者石光真清を裏切り続け、失意の晩年へと引きずっていった。時代にもてあそばれながらも誠実に情け深く生きたもっとも良質の明治人の鈍く輝く見事な一生を見た。
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