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『帝国の慰安婦』著者の勇気に驚き!

2025-02-19 10:48:51 | 本と雑誌
凄いなぁ、こんな本書いたなんて、勇気あるなぁ!

『帝国の慰安婦』朴・裕河、朝日文庫



そりゃ韓国でつるし上げくうよな。元慰安婦の名誉を棄損したって裁判所に訴えられた。ってことは、韓国内の多くの人たちから指弾されて来たってことだぜ。

元慰安婦やその支援団体からは激しく叩かれたけど、決して日本の慰安婦否定派に阿る内容じゅない。
学者としての信念のもと冷静かつ丁寧に、慰安婦の実態を解き明かして行った本なんだ。

実態はどうだったのか?

日本軍による関与は当然あったが、韓国側支援者や世論に広まっているような、強権的な拉致、強姦、監禁、ではなかった。女性たちの徴集に大きな役割を果たしたのは、民間の仲介業者で、貧しくふるさと以外に生きる道を求めた女性たちを仕事、給与待遇などを騙して連れ去り、強引に売春に従事させた場合が多かった。
その女衒とも言うべき業者にはら日本人もいたし朝鮮人もいた。その営業形態も、旅館の一室から戸外の掘っ建て小屋、時には日本軍が準備した施設など多様であった。時には、部隊とともに移動し、その兵士たちの性処理を担わされたことから、近年従軍慰安婦と呼ばれることにもなったが、あくまで、女性たちのとりまとめ、慰安所の運営は民間の仲介者が勤めたものだった。
暴力を伴う性加害もあったが、多くは、その雇い主によるもので、慰安婦たちの怒りの対象もこれら搾取するものたちに向かっていた、と。

兵士たちの性欲を受け止め続ける苦しみは心身ともにかなりのものだったが、場所によっては、のどかな時を過ごしたり、小金をためるゆとりもあったりもした。
兵士たちが慰安婦に求めたものは当然性欲の処理であったが、遠く離れたふるさとや家族への思いの代償、癒しという部分も少なからずあって、時には、恋愛関係も含め、人間としての心の交流が生まれることもあった。

慰安婦たちにも日本人としての愛国意識も生まれ、時には看護婦の役割を果たしたり、国防婦人会的支援者として働いたり、戦闘訓練さえ行われたということだ。

彼女たちはまさしく帝国の慰安婦だった。

このような、半ば強制的ではあっても、日本軍に協力的な慰安婦像を、韓国民に提示することは、とても勇気を必要とする行為であった。何故なら、韓国民にとって植民地化の過去は、犠牲と反逆の時代と認識されていて、それが被害者歴史観として、通説であり、アイデンティティになっているからだ。日本の被爆、空襲被害者意識と同じだ。都合の悪い加害や協力の事実からは目を背ける。

韓国の人々にとって、挺身隊の少女たちが日本軍に強権的に拉致され性奴隷とされたという歴史認識こそが大切だった。実際の慰安婦は20代がほとんどで、挺身隊の少女たちとは階層の違う貧困層の娘たちだったのだが。

ただし、日本の否定論者たちの慰安婦は売春婦だったとの立場も厳しく反論している。結果的に些少の代金を受け取った場合もあったとしても、もともと仕事として性を売る者たちではなかった。

日本の植民地化とその後の大陸、東南アジアへの侵略進軍が必然的に求めた性処理システムとして女性たちは役割を押し付けられて行った。
ただし、あくまで二級ながらも日本人として。差別と同化のないまぜの中で。

その点、侵略した先、中国、インドネシア、オランダの女性たちとは扱いは違っていて、強姦、輪姦、果ては殺害といった残虐な行動は稀であった。もちろん、日に十数人、時には数十人の男たちの相手をすること自体、性的暴行であることは違いないのだが。

『帝国の慰安婦』は後半に続く。そこではこじれた慰安婦問題の経過と原因が丁寧にたどられている。韓国の元慰安婦やその支援者についても責任を追及し、翻って、日本側の支援者に対しても、問題解決を妨げる役割を果たしたことをも糾弾している。

慰安婦問題は、韓日それぞれの思い込みの激しさから、不幸なデッドラインに乗り上げてしまっている。双方の誤解を解きほぐしていく道は、限りなく険しいと感じた。

日本人として、忘れてならない出発点は、当時の日本が西欧の真似をして帝国主義的侵略を敢行し、多くの人々に耐えがたい苦難を強いたという事実の認識だ。過去の過ちを正しく理解し、償いの気持ちを持ち続けつつ、新しい友好の絆を築いて行くしかないだろう。

ちなみに、韓国の最高裁は、この著者に対する告発に対して、無罪の判決を下した。韓国も少しづつ、思い込みから事実に向けて心を開きつつあるということだろうか。





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