置賜地区高等学校演劇合同発表会、つまり地区大会、今日が初日だった。米東、置農、九里の順で三校が上演した。感想?う~ん弱った。
置農以外の2校を見て、つくづく感じたことは、僕には絶対高校演劇の審査員は務まらないなってこどたった。だれも頼みゃしないってーの!そりゃそうたげど、まっ、それはそれとして、だって、わからないんだから。米東はインターネットのから取った台本、九里は北村想さんのザ・シェルターだった。どちらも事務局の特権で事前に台本を読ませてもらっていた。その時に感じたのも、戸惑いだった。えっ?どうして、これって面白いの?分からない!ああ、こりゃどうしたもんか?でも、現実に舞台になってみれば、なんか感じるところはあるんだろうって期待しながら上演を見たんだ。
で、やっぱり、わからない!
わざわざ取り上げるくらいなんだから、やってる人たちはきっと惹かれるところがあってやってるんだと思う。つまらないと思ってやる人なんていないからね。だとすると、彼らと僕との隔たりの大きさってことなんだ。置農の生徒からも言われたもの。先生の面白いと私たちの面白いって違うからって。まあ、そうなのかもしれない。きっとそういうことなんだよ。だとすると、僕はもう、高校演劇にはついていけない過去の人になったってことなんだろう。仕方のないことだ。今年で高校演劇とのお付き合いもお終い人だからね。
さて、置農の上演はどうかって言うと、相変わらずのミス連発ではらはらのし通しだった。照明のトップは狂ってる、音響はフライングする、歌は支離滅裂、バンドはリズムが外れてる。ただ、そんなミスが積み重なっても、大崩しないところが、力が付いてきたってところかな。なんせ、今のメンバーは子どもミュージカルだけですでに11回も公演してるし、その他、定期公演、校内公演、ダンスや獅子舞と場数だけは、相当に踏んでるからね。
だから、僕の採点は70点。ただ、装置がきっちり作り込まれてるとことか、衣装の手の込んでるところとか、障子の後ろにバンドが浮き出る外連とか、生バンドとか、爺婆トリオとか、作曲とか、こういった諸要素に配点してくれれば、まあ、そう悪くはないかな。でも、こればっかりは結果が出てみないとわからない。
ただ、部員達が感激してたことはたしかだ。凄い緊張感に打ち勝って、やり遂げた舞台だからね。で、それがきっと一番大切なことなんだと思う。自分が積み上げてきた行いで、素直に感動できることなんて、そうそうはないから。今日のこの感激、大切にしろよな!っていうところが、第一日の感想だ。
県大会の会場は狭いですが、置農らしさを十二分に出せるように頑張ってください。
上演、とても良かったです。
先生は、高校生と大人の理解の隔たりをおっしゃっていますが、
そこまで気にする必要も、ないのでは。
・・・・・・
審査員の方々に「理解し難い」を連発された高校の生徒から言われても説得力が無いかもしれませんが。
とにかく、そんな河原先生の書いたものでも、今回の脚本、とても分かりやすく、伝わってくるものでした。
父が都合で連れてきた保育園児三人のうち、一歳児の子が五月蝿くしてしまい、途中で抜けようとしたときに、一番年長の四歳児の子が「もっと観ていたい」と渋ったそうです。
素晴らしいことです。
何はともあれお疲れ様でございます。
・・・休息の時はまだまだ訪れないでしょうが。
三日間本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
まず、けが人も出さず終わらせることができ、ほっとしております。
お話したい事はたくさんありますが、私のような若輩ものが先生に対して生意気なことを言ってしまうのではないかと思い、いつもなるべく先生とは核心をつかないよう、お話をしていたような気がします。が、今回の置農演劇部さんの演劇を拝見し、ようやくなんとなくわかりかけてきたので、、、
とにかく素晴らしい舞台装置でした。本当にお手上げです。
いつか自分達もああいう舞台を組んでやってみたいです。
私自身もっと装置について勉強しなければならないなあ、と深く反省しました。うちの装置さんが、「置農さんのように、部屋に柱をいれたいなあ」と今日話していましたが、、、柱入れればいいってものでもないよな~と考えています。いろいろと教えてください。
本当に素晴らしい老け役っぷり、うらやましい限りです。
これからまた、初心にもどって台本を読み直して、また一からしつこいほど組み立てなおしをしたいと思います。
また、よろしくお願いいたします。
お疲れ様でした。熱演でしたね。
3位になったこと、当然だと思います。
3位も4位も優良ならみな同じ?
違いますね。次点校には、生徒講評委員会への参加権が与えられるからです。他地区の次点校の代表と混じって県大会の舞台をああだこうだ言える権利ですよ。きっと素晴らしい経験になると思います。もっとも、あなたはもう受験生でしょうから、2年生が出ることになるのかな。いずれにしても、高畠高校演劇愛好会にとって、大きな飛躍の一歩だと思います。おめでとう!
さて、高校生の作品がわからない、という話しの続きです。
高畠高校の作品も、ごめん、やっぱり<わからない!
で、このわからないには二つの面があるように思います。
一つは、話しの筋立てが飲み込めないという、わからない。も一つは、こういう話しに共感できないと言う意味の、わからないです。
米沢東の作品も高畠の作品も、僕にとってはこの両面で、わからない、のです。
前者については、イマジネーションの不足という僕の大きな欠陥があります。と同時に、表現する側にも、わかりやすく伝えようとの努力が、あるいは、伝える力量が足りなかったのではないかとも思うのです。もう少し表現が練られていたら、仮に題材がよそよそしいものでも、もうダメ!お手上げなどとは降参したりはしなかったと思うのです。
例えば米沢中央のパレード旅団です。あの台本は実に素晴らしい。何度読んでも、鴻上さんの理解力の鋭さと卓越した表現力に舌を巻きます。でも、僕はあの作品は好きではないのです。いじめに対する対し方あるいは理解が、根本的に違うのです。ベクトルが別方向だなって感じるのです。
でも、素晴らしさは素晴らしさなのです。だから、今回の中央の舞台を見ても引きつけられました。その疾走感に引きずられました。心の底で台本への違和感はあったとしても。
そういうものではないかと思うのです。
愛花さんの脚本には、ところどころ、はっとする表現がありました。ちょっと待って、もっとじっくり考えさせて、という場面が幾度かありました。でも、君たちはおじさんたちのために立ち止まってくれなかった。目一杯突っ走って、残像だけを残して走り去った。暴走族のバイクのように。それが、意図したものだったのか、どうか、そこが問題だと思うのです。
いやいや、初めて(ではないのかな?)脚本を書いた人に、無理難題なのかもしれません。僕自身、いつも、よくわからないものばかり書いて、10年ですから。
それにしても、たいしたものです、これだけ書いたのですから、これだけ舞台作ったのですから。この意気込み大切にしてください。この一作で止めないで、書き続け、創り続けてください。そのうち、自分の思いを伝える方法も徐々に身に付いてくると思います。などと、僕なんかが言ってしまっていいのだろうか?
置農も県大会突破に向けて、明日からフルスロットルです。
あっ、そうそう、今度の日曜(23日)、また、菜の花座の公演『おもかげチャンチキ』ですから。君たちの先輩の渡部絵美、さらに磨きがかかっています。彼女の演技を見るだけでも、見に来る価値はあると思います。もし、来られるなら、チケットは準備しておきます(無料)。枚数を教えてください。
お疲れ様でした。
中央の舞台、疾走感のある見事な舞台でした。改めて、中央の生徒達のエネルギーに感心しました。こういう芝居は、ほんと、中央の独壇場ですね。
あえて2、3気になったことを言えば、
①役者の多くが、心底いじめられっ子になれていなかったかな?みんな堂々としていて。群馬(?)から出てきた二人なんて、もうはつらつとしていて。それから、飲み物を矢継ぎ早に勧める子、あのセリフは、他者との距離が掴めない韜晦なんだとおもうけど、ただのオタクにしか見えなかった。どの子も苛立ちは十分表現できていたけど、付きまとうびくびくとした不安がもっとあっても良かったかと思いました。
②ラストシーン、袖から見ていただけなので、簡単に言い切れないかも知れませんが、ちょっと、格好良すぎるかな。あのシーンの中学生たちは、もっと破れかぶれなんじゃないかって感じました。その意味からは、前回の客席に走りだす演出の方が、僕としては納得できました。もちろん、敢然と立ち向かういじめられっ子たちという終わり方もあるとは思いますが。
③赤いTシャツの子の呼吸が、完全に胸式なのが気になりました。大切な役回りなだけに、あの呼吸法では、力のあるセリフは出てこないと思います。セリフが短く切れてしまうのも、そのせいかもしれません。
④スカートめくりのシーンはサービス過剰で、本来の面白さを逃していたと思います。
などと、勝手なことを書きました。
これで、あなたも言いたいことが言えるんじゃないでしょうか。置農の芝居で何を直したらいいのか、言いたいことありそうでしたものね。どうぞ、あらいざらい言ってください。手厳しいアドバイス、期待しています。
さて、装置の件ですが、
高校演劇の不満の一つが装置なんです。セリフや演技に引きずられ過ぎて、空間がないがしろにされてると感じています。高校演劇だから仕方ない、というような、ある種、なれ合いのようなものも感じてしまいます。わずか数人の役者、それも、未熟な役者が、何もないようなすけすけの舞台で、その空間を支配しきれるはずがないのです。すべてとは言いませんが。
具象的であれ、抽象的であれ、もっともっと、装置=空間への意識を鋭敏にすべきではないでしょうか。衣装についても同様です。
もっとも、置農の場合、大勢いる部員に仕事を与えるという公共工事みたいな側面もないわけじゃありませんけど。
難しい話しはともかく、装置や衣装工夫するのって楽しいじゃないですか。照明や音楽に凝るのと同じことてすよ。
で、最後のお節介。中央の装置、もっともっと工夫の余地があると思います。それが柱なのかどうかわかりませんが。なにか、もっと象徴的なものが装置で表現できないでしょうかね。壁の色とかも、クリーム一色って、ありきたりじゃないでしょうか。例えばムンクが壁画になってたりしたら、インパクトあるでしょうね。あまりに、意味あり過ぎかな。
舞台の上で演技をしながら、常に河原先生の視線を意識していました。どんなことを考えながら観てくれているのだろう、と頭の隅で思っていましたが、とても深い考察、有難うございます。
本当は、もっとズバズバッと切り込みたいところでしょうが、やんわりとしたご指摘をしていただきました。
確かに、父や川合先生からの評判は、当初はあまりよく無かったのです。自分たちがそんなに違和感を感じていないことを、あまり重要なことだと認識しないままでした。
一部の大人が理解できなくても、あくまで高校演劇だから、同年代が分かれば良い、と、
独りよがりなものになっていたかもしれません。「演じるから観ろ!」「分かる奴だけ分かれ!」という、自己中心的な作品に、なりがちだったかも。
正直なところ、講評の先生方と、河原先生に指摘されて、初めて気付きました。
大会は終わりました。
でも、決して遅すぎた訳ではないと思います。きっと、今後に繋げていくことができるでしょう。
先生、やっぱり私は、どうも演劇が好きみたいです。先生のように、命を懸けるほどまでにはいかないかもしれません。まだ、私の世界は狭いままです。
今回の大会を観て、その想いはいっそう強くなりました。
自己満足だけは嫌です。
県大会の、生徒講評委員会、ですか?
出たいですねー是非。川合先生からは何も聞いてませんでした・・・。
もっと世界を知りたいのですが。
どうやらまた一人地獄の亡者が生まれてしまったようですね。
フレンドリープラザ演劇学校を卒業するとき、校長の井上ひさしさんに言われました。
「今日卒業を迎えたあなた達は、よい観客となって演劇を支えるのか、それとも、創る側に立って地獄をはいずり回ることになるのか、どちらかを選択しなくてはなりません。」ってね。
今、僕がいるのが地獄なのか極楽なのか、よくわかりませんが、まあ、まっとうな暮らしでないことは確かです。だって、大会終わっ次の日から毎日、夜10時過ぎまで稽古ですからね。
いやはやです。
高畠のお芝居で、も一つ気になったことは、照明や装置などの手練手管を知らなすぎるってことでした。日常生活をリアルに描く芝居なら、あの照明でもなんとかなりますが、あのような思念が錯綜する舞台では、装置や照明の扱いが決定的です。例えば、上下においた布のオブジェにトップで色や陰を付けていたら、数段浮き立つ舞台になったことでしょう。明かりのない舞台での長セリフは観客を苛立たせるってことも知っておくべきでしょう。たしか、去年もありましたよね。
照明で空間を仕切ることも、時間を左右することもできるのです。
そんなこともわかり出すと、もっともっと芝居の毒にむしばまれていくことになります。それが幸せなことなのかどうか、わかりません。
知ってしまった愉悦はとことん味わいつくすしかないってことなのでしょう。
生徒講評委員会はともかく、県大会はぜひ、参加して他地区の代表の芝居を見てください。と同時に、大人の芝居もぜひぜひたくさん見てください。あなたの歳で、こんな凄い経験を持てるってこと、とっても羨ましく思います。
そうですね、、、先生のおっしゃるとおりだと思います。呼吸の問題も、ラストシーンも。難しいですよね。ラストがその演劇の大きな部分を占めるのは事実ですから。検討事項の一つにしたいと思います。
最近はどの大会も創作が多くなり、たくさんの人が不登校や引きこもりになり、自殺や殺人や幽霊やら、えらい大変なことになってます。殺人も自殺も幽霊も出てこない台本をしたくて、一回だけ書いたことがあります。が、、、生徒に不評、というよりも、書いた私自身に押し通すだけの熱意が足りず、どこかに流れていきました。
そうですね。今回の高畠さんや東さんのはなかなか難しいものでしたね。はっきり言ってしまうと、私が顧問だったらあえて、挑戦を避けるタイプですね。すみません。はっきりで。2校の台本は、きっちり見ている人に理解してもらう演技をするには、かなりの工夫がいりますね。何も、県大会に行きたいからとか、理解できないから選ばないわけではありません。もっと分かりやすくて、もっと単純で、演じやすいものが好きだからです。
思春期は混沌としたものです。やたら傷つきやすく、やたら感傷的でめんどうくさいことこの上ない年代です。(もちろん私や河原先生の年代になったって混沌としたものはありますし、悩みだってつきません。)人間の心は複雑だ、とかぐやぐやしたそういう状態を表現するにしても、そういう事柄をもっと単純化して、もっと真正面から表現してみたいと常に思っています。
あとは、今回はかなり審査員の方々には「深刻かつ重いテーマだ」といわれてしまいましたが、基本は「あ~おもしろかった!!」だけで終わる芝居が好きです。
というわけで、明日から本校演劇部はテスト前休み、、というか休憩に入ります。
今後ともよろしくお願いいたします。
装置ですね。学校さんや作品によってがっちり組んでくるところはけっこうありますよ。悲しいかな、予算や部員の数、そして顧問の熱意(!?)に多分に左右される部分です。私も時間があったら、どこかに装置の修行にでたいぐらいです。
もうずいぶん昔になりますが、東北大会に出場させていただいたときは、足場をステージに組み、体育館ギャラリーを表現し、ステージ一面に発泡スチロールをござでまいて作った畳を敷き詰め、柔道場を。そしてパネル前面に一箇所引き戸をつけ部室を。ということをやりました。
時間内にこれだけのものを安全かつ適切に組み立てるためにもかなり頭を使いました。
いつか、置農さんのようながっちり舞台を組んで、シェークスピアとか戦争ものとかやってみたいですねえ。
駐車場でパネルたてて練習ですから、、、そんなのはあくまでも夢でしょうねえ。(しょぼん)
県大会にどれぐらいのレベルの装置がくるか楽しみですね。
それでは、何度も登場、すみませんでした。
現在、22日の23:57。ようやく明日の本番の仕込みを終えて帰ってきたところです。他の団体のリハーサルと本番があって、結局仕込みに入ったのは夜8時から、まあ、よくぞ、今日のうちに終わったな、というところです。
それもこれも装置が原因なんです。
『おもかげチャンチキ』、なんとパネルの枚数だけで20枚というわれわれレベルとしてはとんでもない芝居なのです。
つまり、三つの各シーンごとにまったく別のパネルが出るというわけで、もう、場転はてんてこ舞いです。
もちろん、照明の当たりも微妙なのですが、
今日はもうとてもそんなこと言っていられない。当たらないところは、ピン!ですっ飛ばしました。
明日の本番心配です。なんかぽかが出そうで。
ただ、唯一の慰めは、菜の花座が本番に強いこと。
おっと、もう一つ、7月の公演より着実に演技が上達したことでしょうか。あとはもう、一人一人の力と強運を信じ酒飲みながらお祈りしましょう。