G2演出の『地獄八景・浮世百景』を見た。
東京で夜の部の芝居を見るときは、必ず一杯ひっかけてから入る。いつもは軽く一杯程度なのに、この日は、昼、ブロードウェイミュージカル『シカゴ』を見て、もう、幸せ絶頂だったので、ついつい、飲み過ぎてしまった。気付いた時にはもう遅い。開演直前、かなりいい気分。ヤバイ!こりゃ寝るゾ!いかんいかん!せめて鼾だけはかくなよってしっかり自分に言い聞かせた。
幕が上がって30分、眠い。でも、酒のせいぱかりじゃない。役者が下手なんだよ。特に主役。このお芝居の背景・落語の世界に馴染んでいない。それと、親衛隊だかなんだか、客席の中央に陣取って、のっけから、詰まらぬギャグにも大笑い。白けるよね、アイドルのコンサートじゃねえっての。ふん、ジジイのおまえなんかにわかるかっていわれそうだけど、私の隣のお姉さんも、しっかり熟睡モードだったからね。お陰で、こっちは、危ういところで快眠の誘惑から逃れることができた。隣が寝ると、何故か眠れないものなんだよね。
のらない理由は他にあった。舞台回し役になった若い落語家(だと思う)、の声がキンキンしていて、聞きづらいのなんのって。それと、出演者の皆さん、前ばかり向いて台詞しゃべってるから、声がこちらまで届かない。えっ、前向いて話すって当たり前でしょ?って。おっと、こっちは、最低料金三階席最後列だ。ホールの天辺から見下ろしてるからね。いくら料金安いからって、ここにも客がいるってこと、たまには、ほんと、たまでいいから、思い出してほしいんだよね。それと、移動舞台を上下センターに設置して、やたら、出たり入ったりって演出も気になった。まっ、落語の自由自在な場面転換を、再現しようとしたんだろうけどね。そうそう、舞台の使い方で言えば、二階をしつらえて、上下交互でいろんな場面を作り出していた。あれは良かった。あの高さ(タッパ)の高い、世田谷パブリックシアターの舞台を上手く使いこなしてるって思った。
幸い、途中から面白くなってきて、いやぁ、助かった。役者も徐々に調子が上がってきたし、見る側も、当初の構えがほぐれてきたからだと思う。やっぱり、世田谷パブリックシアターとG2って微妙な組み合わせだからね。観客の多くも、距離を測りかねてたんじゃないだろうか。って、言うほどG2の芝居見ているわけではないんだけれど、何年か前の『ダブリンの鐘つきかび男』は面白かった。あのビデオ、演劇初体験の高校生を、、まったく眠らず三時間釘付けさせるから、凄い!(あの作者の後藤ひろひとは山形の出身だ。彼には抱腹絶倒の体験をさせてもらったことがある。いつか書こう。)G2の手練手管が、次第に功を奏してきたってことだ。
それと、『ダブリンの鐘つきかび男』でも怪演した山内圭哉が、この舞台では、【僧正】(彼のニックネームです。)ならぬ、救世主だったね。喜劇を自分の力で演じきっていたのは彼だけだったもの。他の役者は、台本の面白さや演出の冴えに助けられて笑いをとってるだけ。彼の場合、台本も演出も自分のテリトリーに引きずりこんじまうんだから。きっと、演出も山内だけは勝手にやれよって感じだったんじゃないか。スキンヘッドに弁髪っていうあの異形で舞台にあがってるからね。
それで、彼の笑いのセンスなんだが、それは、《外す違和感》なんじゃないかって思ったりする。外すと言っても、呆けなんかじゃなくて、逆にやけに明晰に外すんだな。芝居の流れに客観的で冷徹な視線を投げ込むみたいな外し方だ。これをやられると、突然、フィクションの流れがプツリと切れる。相手役は、困るよなあ、で、戸惑う。いや、当人も時々戸惑う。その瞬間の奇妙な間と重層化した時間が、笑いにつながっていく。こんな構造なんじゃないだろうか。いずれにしても、彼が突き出してくる笑いだけが、新鮮だったし、刺激的だった。
ストーリーは、落語の定番ダメ若旦那ものに、いろんな落語ネタや落ちをつなぎ合わせた落語オムニバスって感じだ。次から次へと話しが展開して、この作りに馴染んでしまえば、心おきなく笑わえた。終わってみれば、若旦那と御女郎小糸との一途な愛にもホロリとさせられ、さすがに、うまいよなぁ。食後のデザートとしては、極上の一品でした。ごちそうさま!