ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

柄にもなく笑いの質について考えた。

2007-02-17 11:25:39 | 演劇

 G2演出の『地獄八景・浮世百景』を見た。

 東京で夜の部の芝居を見るときは、必ず一杯ひっかけてから入る。いつもは軽く一杯程度なのに、この日は、昼、ブロードウェイミュージカル『シカゴ』を見て、もう、幸せ絶頂だったので、ついつい、飲み過ぎてしまった。気付いた時にはもう遅い。開演直前、かなりいい気分。ヤバイ!こりゃ寝るゾ!いかんいかん!せめて鼾だけはかくなよってしっかり自分に言い聞かせた。

 幕が上がって30分、眠い。でも、酒のせいぱかりじゃない。役者が下手なんだよ。特に主役。このお芝居の背景・落語の世界に馴染んでいない。それと、親衛隊だかなんだか、客席の中央に陣取って、のっけから、詰まらぬギャグにも大笑い。白けるよね、アイドルのコンサートじゃねえっての。ふん、ジジイのおまえなんかにわかるかっていわれそうだけど、私の隣のお姉さんも、しっかり熟睡モードだったからね。お陰で、こっちは、危ういところで快眠の誘惑から逃れることができた。隣が寝ると、何故か眠れないものなんだよね。

 のらない理由は他にあった。舞台回し役になった若い落語家(だと思う)、の声がキンキンしていて、聞きづらいのなんのって。それと、出演者の皆さん、前ばかり向いて台詞しゃべってるから、声がこちらまで届かない。えっ、前向いて話すって当たり前でしょ?って。おっと、こっちは、最低料金三階席最後列だ。ホールの天辺から見下ろしてるからね。いくら料金安いからって、ここにも客がいるってこと、たまには、ほんと、たまでいいから、思い出してほしいんだよね。それと、移動舞台を上下センターに設置して、やたら、出たり入ったりって演出も気になった。まっ、落語の自由自在な場面転換を、再現しようとしたんだろうけどね。そうそう、舞台の使い方で言えば、二階をしつらえて、上下交互でいろんな場面を作り出していた。あれは良かった。あの高さ(タッパ)の高い、世田谷パブリックシアターの舞台を上手く使いこなしてるって思った。

 幸い、途中から面白くなってきて、いやぁ、助かった。役者も徐々に調子が上がってきたし、見る側も、当初の構えがほぐれてきたからだと思う。やっぱり、世田谷パブリックシアターとG2って微妙な組み合わせだからね。観客の多くも、距離を測りかねてたんじゃないだろうか。って、言うほどG2の芝居見ているわけではないんだけれど、何年か前の『ダブリンの鐘つきかび男』は面白かった。あのビデオ、演劇初体験の高校生を、、まったく眠らず三時間釘付けさせるから、凄い!(あの作者の後藤ひろひとは山形の出身だ。彼には抱腹絶倒の体験をさせてもらったことがある。いつか書こう。)G2の手練手管が、次第に功を奏してきたってことだ。

 それと、『ダブリンの鐘つきかび男』でも怪演した山内圭哉が、この舞台では、【僧正】(彼のニックネームです。)ならぬ、救世主だったね。喜劇を自分の力で演じきっていたのは彼だけだったもの。他の役者は、台本の面白さや演出の冴えに助けられて笑いをとってるだけ。彼の場合、台本も演出も自分のテリトリーに引きずりこんじまうんだから。きっと、演出も山内だけは勝手にやれよって感じだったんじゃないか。スキンヘッドに弁髪っていうあの異形で舞台にあがってるからね。

 それで、彼の笑いのセンスなんだが、それは、《外す違和感》なんじゃないかって思ったりする。外すと言っても、呆けなんかじゃなくて、逆にやけに明晰に外すんだな。芝居の流れに客観的で冷徹な視線を投げ込むみたいな外し方だ。これをやられると、突然、フィクションの流れがプツリと切れる。相手役は、困るよなあ、で、戸惑う。いや、当人も時々戸惑う。その瞬間の奇妙な間と重層化した時間が、笑いにつながっていく。こんな構造なんじゃないだろうか。いずれにしても、彼が突き出してくる笑いだけが、新鮮だったし、刺激的だった。

 ストーリーは、落語の定番ダメ若旦那ものに、いろんな落語ネタや落ちをつなぎ合わせた落語オムニバスって感じだ。次から次へと話しが展開して、この作りに馴染んでしまえば、心おきなく笑わえた。終わってみれば、若旦那と御女郎小糸との一途な愛にもホロリとさせられ、さすがに、うまいよなぁ。食後のデザートとしては、極上の一品でした。ごちそうさま! 

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演劇の力だ!本編①

2007-02-15 20:37:38 | 教育

で、って何の続きなんだ?

前回の記事で、私の発表が、ほとんど注目されなかったって言った。その続きだ。

で、おそらく、あの分科会で私のレポートをすべて読んだ人は、ほとんどいなかったと思う。演劇に興味なきゃ、仕方ない話しだ。でもね、あんだけ一所懸命書いたんだもの、もう少し読んでもらいたいじゃないか。このまま、私のパソコンのハードディスクにお蔵入りってのはいかにも寂しい。で、よおーし!このブログに載せちゃおじゃないか。ってことで、今回は、

レポート『地域に飛び出せ演劇部』の第一部大公開と行こう

                  

地域に飛び出せ演劇部

演劇の教育的価値について

Ⅰはじめに

 山形県立置賜農業高等学校(以下置農)の演劇部の指導に携わって8年。部員たちとの無我夢中の取り組みは、思いがけず大きな成果を産み落とした。それは、多彩な表現活動と協同作業の積み上げによる、自己実現の達成であった。低学力に気後れを感じている多くの生徒たち、中学校で極度の不登校傾向にあった子供、対人恐怖で失語傾向にある者、およそ演劇世界とは縁遠いと思われる生徒たちが、自己変革の可能性に賭ける思いで演劇部に飛び込み、演劇部の活動を通して大きく変わり、逞しく成長していった。

 この目を見張る成果を導き出した演劇というものの可能性について、置農演劇部の実践に沿いながら考察し、さらには部活動を超えて教科としての大きな可能性についても言及したい。

Ⅱ置農演劇部の活動

♪現在部員は、一年生6名、二年生10名、三年生5名の計21名(女子17名、男子4名)で活動している。この部員数は全校生徒330名の約7%に当たる。

♪年間の活動は主として4つの公演である。

①定期公演(6月)。日ごろ高校生には馴染みの薄い名作・大作を中心に上演している。昨年はシェークスピア『夏の夜の夢』、今年は井上ひさし作のミュージカル『十一匹のネコ』に挑戦した。

②高校演劇発表大会。9月地区大会、11月の県大会、12月の東北大会を目指し全力を傾ける。これは顧問(河原)が脚本を書いたオリジナルの舞台である。ここ4年間はミュージカルで挑んでいる。作曲は本校音楽担当の土井広一、振り付けはダンスユニットLAFの鈴木涼子が担当している。

?置農子供ミュージカル。子供向けのミュージカル作品を2月~3月にかけて制作し、公民館や小学校、学童保育などに出張して上演している。すでに4作目となる今年は、『お化け屋商会』という作品を、4月<msnctyst w:st="on" addresslist="06:川西町;" address="川西町">

川西町

</msnctyst>小松小学校学童保育クラブ、5月<msnctyst w:st="on" addresslist="06:高畠町;" address="高畠町">

高畠町

</msnctyst>浜田ひろすけ記念館春の童話祭り、<msnctyst w:st="on" addresslist="06:山形県米沢市;" address="米沢市">

米沢市

</msnctyst>児童館こどもの日イベント、7月<msnctyst w:st="on" addresslist="06:山形県米沢市;" address="米沢市">

米沢市

</msnctyst>東部コミュニティセンターで公演した。台本は河原が手がけ、本校音楽教師の土井広一が作曲を担当している。振り付けは部員たち。

④校内公演。部員たちの完全な自主公演として、1月に実施している。部員たちの互選で選ばれた演出のもとで、作品の選定から舞台の設営、公演の実施まで、すべて部員だけの力で公演を行っている。主に高校生向けの既成作品だが、一昨年は演出の生徒が書いたオリジナル作品も上演し大好評を博した。会場は、視聴覚室に機材を持ち込み小劇場風の会場を設営している。

⑤その他。学園祭や地域のイベント、学校行事等では、積極的にダンスの披露を行っている。

♪年間切れ目なく公演が組まれているので、部員たちはかなり忙しい。

公演の1ヶ月半前からは、平日   16:00~19:00

            土日祝日 13:00~18:00

と、野球部や全国レベルの運動部並みの活動時間だが、休む生徒はほとんどいない。                  毎日の基礎トレーニングで体力・精神力ともに充実し、昨年は15名の一二年生のうち、12名が学校皆勤賞または精勤賞を得た。また、学習についても、多くの部員が成績を上昇させている。

Ⅲ置農演劇部の成果

①自分に自信を持つ。

 1)昨年は学校農業クラブ意見発表大会で学校代表三人がすべて演劇部部員となり、うち一人は県大会を勝ちあがり東北大会に進んだ。また、別の部員が、プロジェクト発表大会の発表者として東北大会に出場し、第2位となり、東京の全国産業教育フェアで発表を行った。数年前には意見発表で全国大会に出場した者もあった。

 2)就職、進学など進路の実現にあたっては、堂々とした態度で面接に臨み、それぞれ念願の進路を実現している。

②不登校や対人恐怖の克服。

1)Aの場合:中学時その特異な個性が学校で理解されず、登校拒否状態で過ごした。置農に入学後ただに演劇部に入部し、熱心に活動を続けた。他の部員との関係もぎこちなく、精神のこわばりが身体にも影響して、ダンスや演技では大いに苦労した。生真面目で小回りの利かない性格のため、スタッフでは力が出せず、仕方なく役者に回ったが、持ち前の熱心さとミュージカル好き、歌のうまさで準主役の座をつかんだ。一回一回の公演で役が中心的なものになるに従い自信も生まれ、成績は上位を保ち、プロジェクトでも発表者を務めるなど、学業面での活躍も目覚しいものとなった。農業高校の教員になることを目指して、農業大学に進学。

2)Bの場合:中学時首都圏より移住。新しい学校でいじめにあい、不登校状態となる。置農入学後演劇部に入部。一年次は精神的不調がすぐに身体に現れ、稽古中や公演直前に倒れることもしばしばだった。運動神経も鈍く、声も小さくおどおどして、スタッフとしても安心して任せられる状態ではなかった。学校も時折欠席した。一年次冬の校内公演で初の舞台を踏み、風邪に悩まされながらも仲間に支えられて準主役を演じきった。この頃から小道具担当スタッフとしても力を発揮し始めた。しかし、舞台に立つことへの意欲は高く、三年次定期公演では、強く望んでシェークスピア劇に端役ながらも出演した。このときは声も大きくなり、自信にあふれた態度で舞台を務めた。三年生になってからは欠席もほとんどなくなり、下級生にも叱咤激励するなどしっかりとリードする最上級生となった。進路は県外就職を希望し、首都圏でサービス業に職を得てがんばっている。

つづく

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場違い?「飛び出せ演劇部」

2007-02-13 23:18:12 | 教育

 疲れた!ほんと疲れた!!全国教育研究集会・分科会。9:00~18:00で、23本のレポートですよ。発表時間はたったの5分!山形から大分まで出向いて、たったの5分ですよ。待ちに待った発表で、10ページのレポート中3ページまで説明したら、「そろそろまとめて下さい。」だって、。いや驚いたね。つい、「えっ、もう・・・・・」絶句だった。

 でも、疲れたのは本数の多さばかりじゃない。重いんだよ、レポートの一本一本が。日の丸・君が代で一人戦ってる東京の先生、クラスの保護者全部回って、教育基本法反対の地域集会作った北海道の人、岩国基地反対・反戦平和の運動に燃える山口の人、一日14時間働く進学校の実態、教員評価制度でやけに強気になってパワーハラスメント繰り返す校長・教頭の話題とか、ともかく、安倍さんがへんに力むもんだから、教育界はこのところ大変なんだ。マスコミもどこのお先棒担いでんのか知らないが、公務員バッシングと教員批判に明け暮れてるしね。

 たしかに、最近、多いんだ、とんでもない教員が。少女買春した中学教師とか、酒酔い運転とか、教え子に手出した奴とかね。子ども達が大変な時に、いったいなにやってんだって、思うもの。でもね、そんな奴らは、ごくごく一部なんだ、当たり前のことだけど。大部分は我が身すり減らして、やけに弱くなった子ども達や、やたら強くなった保護者相手に、悪戦苦闘しているんだ。それが現実。

 ただね、気楽にやってる連中もいないわけじゃない。空き時間はお茶のみ話、休憩時間はしっかりとって、勤務時間終われば、さっさとご帰還、部活はなし。新しい仕事、骨の折れる仕事はすべてパスして、長期休暇はしっかりお休みっていう人、いるんだよね、たしかに。勤務時間くらい、しっかり働けよって言いたくなるような方々が。こういった「お気楽さん」まで、職場の仲間だからって、守ろうってところに組合にも問題があんだけどね。

 でも、だからって、校長が一人一人の教員を評価するなんて制度(この4月から山形県内すべての学校で始まる)には、絶対反対だ。て言うのはね、こういった「お気楽先生」が、結構、生徒に人気有ったり、生徒に強い印象与えていたりすることがあるからなんだ。教育って本当に、複雑怪奇。教え方が上手ってことは、たしかに悪くない。でも、それだけじゃないってことだ、教育は。

 だって、どう?あなたの思い出の先生ってどんな人?私の一押しは、高校の時の英語の先生だな。彼は、めちゃめちゃ映画に詳しい人だった。外国映画の新作はほぼ完全に見尽くしていて、しかもそのスタッフ、キャストすべて知っている、そして、その批評の鋭いこと、面白いこと。なんせ、映画評論家を目指していたのを、父親(検事だった)に猛反対されて英語教師になったって人だから。だから、彼の授業では、強引に脱線させて、映画の話しを聞くのが、何よりの楽しみだった。英語で何教わったかなんて、まるで覚えちゃいない。今、私が芝居の世界の片隅にちょろちょろしてるのも、きっと彼の影響なんだと思う。

 こういうもんなんだよ、教育って。百人の人間がいれば、百の幸せがあるように、人の育ち方だって千差万別なんだ。この多様性こそが、人間てもんで、それを大切にするのが教育ってものなんだ。政治家や財界人が、思い描くような学力・知力一本の価値基準なんかじゃ人は測れないの。その人を教育する教師についても同じ事。今の世の中、経済合理主義一辺倒だからね、せめて、このことは、しっかり言っておかなくちゃならない。

 と、こんなことで、真面目な先生達は、今、とってもつらいんだ。苦しいんだ。そんな人たちの全国教研・分科会だからね、空気の重いこと、重いこと。だから、私のレポートは、はっきり言って、場違い!もう、発表しながら、だれも聞いちゃいないぞ、きっと甘いって思ってんぞと、気が気じゃなかった。でも、ともかくせっかくの5分間、必死で突っ走った。発表終わっての評判は?わずかに二人の人が、お愛想、お情け、お付き合いで質問してくれた。いやあ、嬉しかったですね!感激のあまり、このブログの宣伝までして、名刺を配ったら、軽くそっぽを向かれてしまった。調子に乗るなって!

 ということで、圧倒された分科会だった。その日も翌日も、かなり落ち込んだ。だって、そうでしょ、わざわざ大分まて行って、自信を持って発表したら、無視!だもの、つらいですよ、これは。でもね、彼らには彼らの面と向かう敵があって、私には私のがっぷり取り組むものがある、ってことなんだ。それは、どちらがより重要ってことではないし、非難したり、批判したりって次元でもない。要するに、愛する女は違って当然ってこと。むむっ、違うか?まっ、仕方のないこと、今度はいつか、こっちの土俵で、勝負、勝負!!

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本物は本物だ!

2007-02-12 22:34:26 | 演劇

 ブロードウェイ ミュージカル 『シカゴ』を見た。ちょっと恥ずかしいけど、ブロードウェイの本物、実は初めて!シアターテレビではよく見てるけどね。別に恥ずかしかねえさって?まっ、普通ならね。でもね、私、ミュージカル創ってる人だから、えっ、本物見てもいないで、ミュージカル、ミュージカルって騒いでるわけ?演劇部の部員から責められそ。まあ、仕方ないよね、お初はお初なんだから。

 で、感想ですが、・・いいねえ!さすが!本場もんだよ!の連続だった。ミネラルウォーターのように素直な気持ちで、見てよかった!来てよかった!!!びっくりマーク三つだね。映画の『シカゴ』も感激極めつけだったけど、これは同じものにして同じものにあらず。さすがブロードウェイだ!と、しつこい同語反復で、感嘆しきりだ。

 違いのその一。まず、ダンスが生身だ。当たり前だ!映画はカメラワークや編集でいいとこ取りできるけど、舞台はそうはいかない。すべて見えてるからね。例えば、ヴェルダ役、映画のキャサリン ゼダ=ジョーンズのセクシーさは、絶対DVD買うぞってほど、ぞくぞくものだったけど、今回の人はさすが、ダンスで見せていたものね。あっ、と言わせるような振りはではなかったけど、きっかり決まる体の動きにはもう、これだよ、これって心の中で喝采してた。

 次は、ロキシーハート。これはもう、まったく別物だった。コミカルな役作りはレニー・ゼルウィガーなんか断然超えていた。映画は格好良さとか、セクシーを売りにしていたけど、あっ、これはこれでとってもいいんだけどね、でも、このミュージカルの魅力は軽妙洒脱さなんだってことが舞台見て、しっかりわかった。で、今回のロキシーハートはコミカルな持ち味をしっかり伝えていた。人形振りの上手さなんて、もう、涙が溢れて止まらなかった。

 最後に演出。これは、諸手万歳で見てました。普通、ミュージカルは歌やダンスの後に、拍手が起こるけど、この舞台では歌がないのに、拍手がわき起こったからね。(エイモスの退場シーン)演出の勝利だね。その他でも、これは演出に拍手だって心で言いながら、何度も拍手した。だいたい、舞台中央に大きく階段状にオケピ(オーケストラピット)をセットして、おいおい、どうすんの演技エリアないじゃない、って、正直、幕開けの時は心配した。うん、これはきっと、オケピは奥へ引っ込んだりするんだ、さすが、日生劇場、仕掛けが大きい、なんて、先回りして考えたりしていたが、結局、最後までそのまま、つまり、ダンスと演技は、オケピの前、奥行き2.5間×7間?だけ。ところがね、オケピの中央に出はけの口があったり、役者がバンドうまくあしらったり、両袖の回転するスチール製の梯子を上手く使ったりして、狭い空間を巧みに使い切っていた。その他にも工夫いろいろ。でも、ここでは言わない。いつか、拝借してやろって思ってるからね。法廷シーンの陪審席の作り方、吊りものの照明をダウンして、一列に並んだ役者の顔を下から当てたり、おっと、言ってしまった。もう、ヘェー!やるー!チクショー!の連続だった。

 舞台ってやつは、ああいう限られた空間の中で、しかも生身の人間が眼前で演じるものなんだって、こと。そして、そんな、めちゃくちゃ制限された条件を大逆転していくには、演出の冴えってものが、もう絶対必要なんだってことを、ズシーンと教えられた舞台だった。最後のまとめ。あんなミュージカルが創りたい~~~~~~!と、夢は大きく!!

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演劇のちから!

2007-02-08 20:35:26 | 演劇

 日教組(日本教職員組合)の全国教育研究集会って知ってますか?以前は結構、いろんな意味で騒がれた集会だったげと、今は、まあ、落ち着いたというか、盛り上がりに欠けるというか、穏やかな先生方の勉強会です。それでも、全国の小中高大学まで、まじめに教育活動や組合活動に取り組んでいる人たちはそれなりにいるもので、教科指導の専門的な話しから、不登校、いじめ、低学力、ゆとり教育、さらには、教育行政批判まで、30近い分科会に全国から数千人の先生達が集まり、三日間もの長時間、熱心に議論を戦わせます、毎年。

 ええ、私も、その一員として、それもレポート発表者として、明日から参加してきます。私は、とてもとても、熱心な教員の部類には入らないわけで、はめていただくのが、実に心苦しいかぎりなのですが、私にも、ちょっとは言いたいってことはあって、それでレポーターなのですね。

 それで、言いたいことですが、それはもう、言うまでもなく、演劇のことですね。演劇がどんなに素晴らしいか、いやいや、そんなことは分かり切ったこと。私が、わざわざ大分まで行って、伝えてみたいと思うのは、演劇の教育的価値のことなんです。私が、9年間演劇部の顧問をしてきて、感じたこと、驚いたことを多くの人に知ってもらいたいんですね。

 じゃ、何?って突っ込まれると、もうすでにこのブログでも書いてるこなんですが、演劇は人を育てるってことです。それを、演劇の構造や我が置農演劇部の活動を通して、体験的に捉え、少しは論理化してみようと思ったんですね。

 何故、そんな大それたことを思いついたか、と言うと、置農演劇部には、対人間関係で困難を感じてる生徒がかなりいる、あるいは、いた、ってこと。そして、そういった子ども達が演劇部の活動をやり遂げることで、それぞれの課題を見事に克服していったという現実を、かなり多く目の当たりにしてきたからなんです。

 話しがまどろっこしい!要するに、演劇は不登校に効く!!ちょっと、はしょりすぎか?でも、こう安請け合いしたくなるほど、多くの生徒が劇的に変わっていったんです。もちろん、三年という歳月を地道にかけながらですけどね。しかも、うちだけじゃない。地区内の他の学校でも同じような傾向が見られるのです。ある学校においては、演劇部が不登校生徒のたまり場の様相を呈した時もありました。

 そんな、人の心を解きほぐし、生きること、他者とつながることへの意欲をかき立てていく底力が、演劇にはたしかにあるってことを、しっかりと伝え、それが演劇のどういった部分と関わっているかを、私なりに分析してみたわけです。(詳しい内容の知りたい方は、コメント下さい。レポートをメールでお送りします。)

 私の今の気持ちとしては、すべての小中高校で演劇の授業を!と大声で叫びたい心境なんです。実現すれば、現在の深刻な子ども達の問題の何十分の一かは、解決できるって確信しています。もっとも、それを指導できる教員の養成って問題が、まずありますけどね。それでは、その大声の第一声、大分で上げてきます。 

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