Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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5. 5. 使徒職に自分を捧げる (ルフェーブル大司教の伝記の続き)

2007年04月26日 | ルフェーブル大司教の伝記
第5章 修練者司祭(1931年 - 1932年)



使徒職に自分を捧げる

 これらの試練は未来の宣教師を鍛錬して強め、極めて必要とされる剛毅の徳、なによりも忍耐と恒常性にあるこの徳を実践させた。

 フォール神父は次のように教えていた。「使徒であるためには剛毅と善良さがなければならない。"Conforta te et esto vir!" 汝を強め、男らしくあれ! 使徒的な剛毅とは聖なる大胆さだ。臆病や世間体こそが、この剛毅を邪魔するものだ。善良さは、天性的なものであれ獲得したものであれ、他人に自分を適応させる容易さであり、優しさ、寛大さ、柔軟性によってなされる。」

 使徒的な徳に関するこのような考えは、修練院を訪問する宣教師たちによってなされた生き生きとした講話によって補完された。白衣の神父たち (Peres Blancs) と呼ばれた聖霊修道会の総長の講話、リヨンのアフリカ宣教会 (Missionaires africains de Lyon) の長上による講話、タルディー (Tardy) 司教がガボンのジャングルを歩き回って野生動物の中での宣教の発展過程をいきいきと描きに来たのは何にも優っていた! 手から手へと、アフリカ特有の病気である「眠り病」の人の写真とか「洗礼が人間に対してこの上なく大きいはたらき」をすることを示す美しいキリスト教家庭の写真とかがまわった。司教は言葉を引き続いて結論付けた。「これは全くの変化です。眼差しの変化、しぐさ、言葉使い、態度が全て変化するのです。この完全な変化は、この霊魂がキリスト教化したということを意味しています。」

 その他の修練者と同じようにマルセルも自分がどこに任命されるかに興味を持った。兄と一緒にいるようになるのだろうか? それは夢だった! その他のことについては、「使徒職に自分を捧げる」日にだけ明かされる秘密だった。またマルセルはタルディー司教が通りがかりに彼を捕まえて単刀直入的に次のように言うのを聞いて極めて驚いた。

「あなたは私たちの所に来るんですよ。知っていましたか?」
 マルセル修練者の心臓はどきどきしたが、離脱心を維持しようと勤めつつこう答えた。
「知りません。それは総長様次第です。」
「私の言う通りです。本当ですよ。」
 司教は言葉を続けた。
「それは確実です。この任命を断ってはいけません。絶対に!お兄さんが待っています。お兄さんの後に従わなければなりませんよ。」
 マルセルはもう一度、長上の意志に委ねるということを表明した。
「もしも総長様がそれに賛成なさるなら、私は司教様のところに行きます。」
 しかしタルディー司教は言葉を続けながら、内心おさめていた本音を現わした。
「あなたはローマで勉強したのですから、あなたには神学校の教授になっていただきます!」

 ルフェーブル大司教はその当時を回顧してこう言っている。エェ! それなら私が一番畏れていたことだった。まさか! そんなことは有り得ないはず。私は司牧活動や宣教事業を好んでおり、それのために私が生まれてきたと感じていた。しかし教授だなんて、おぞましい。ノー、ノー、ノー。神学校教授だなんて、絶対に有り得ない!」
 彼は司教に答えた。「ご存じの通り、私は他の人々よりも適格者であるとは言えません。私がローマで勉強したからと言って、必ずしもよい教授になるとは限りません。」
「それでもあなたは言うまでもなく立派な教授になりますよ。大丈夫!」とタルディー司教は念を押した。
 同意するしか他の道がなかった。何といってもアフリカへの任命だ。

 年末が近付いていた。マルセル修練者はまだいつものように疲労を感じていた。マルセルはいつも「生活様式が変化したら、疲労もとれるだろう」と自分に言っていた。

 修道誓願を準備するための黙想会は、聖霊司祭会の「修道生活と使徒職生活」という二重性を一元化させる原理によって照らし出した。マルセルは次のように書いている。
「修道者宣教師。これが私たちの個人の目的であり私たちの使徒職の目的。一つはもう一つに依存している。天主に対する愛と隣人に対する愛とは対をなす。司祭たちはしばしば自己聖化を求めて霊魂達の救いを疎かにしてしまっている。その反対に、霊魂たちに対する熱心という口実のもとに更に悪をなす司祭たちもいる。」

 この九日間の黙想会の結実は、マルセルによって二つのモットーの下に霊性生活の統合の表という極めて独特なものに要約された。
 最初のモットーは、マルセル修練者の手で描かれた聖母の汚れ無き御心の上に、「愛徳 (Caritas)」という言葉とともに、「私たちは天主の愛を知り、それを信じた (Et nos cognovimus et credidimus caritati - 1ヨハネ 4 : 16)」という聖書の言葉が「天主は愛なり (Caritas Deus)」及び「知恵は天主から (Sapientia a Deo)」という言葉と一緒に書かれている。
 第二のモットーは「言葉 ---- 信仰から。明らかな、純粋な、完全な、単純な、強い真理。教義についてはどんな妥協もありえない」と言う説教に関することで、ル・フロック神父の充実な弟子らしいものだった。大司教の未来を要約するのではなくて何であろうか?

 いよいよ9月8日が来た。祭壇の周りに並んだ、もうすでに一年前からボタンの見えないスータンを着ており腰には聖霊司祭会を示す紐のベルトを締めた修練者たちは、ル・アンセック司教の目の前で、聖霊修道会の修道生活及び使徒職生活を誓約して後、清貧、貞潔そして従順の三年間の誓願を立てた。
 次に、他の同僚の司祭たちとともに、マルセル・ルフェーブル神父は顕示された御聖体の前で使徒職の任命を受けた。

「さらば、多くの思い出、幼なじみ、愛する両親を残して旅立とうとする祖国よ、さらば。私を創造し給い、贖い、聖化し給うた天主への愛のために、我らの主イエズス・キリストの現前において、私は荘厳に、聖霊および聖母の汚れ無き御心修道会において我が使徒職を奉献し奉る。そして我と我が身を、捨てられた霊魂達の僕として永久に捧げ奉る 。」

 この機会に足を運んだマルセル神父の両親と二名の司祭たちすなわち聖母教会の地区長神父とマレ・ド・ロムの良き主任司祭は、涙も自分たちの感激を告白することも隠そうとしなかった 。以前、総長は三名の「出発者」に天主の御摂理が彼らを送る活動の場所を指し示してあった。すなわち、エミール・ロランはヤウンデ(Yaounde)の小神学校に、マルセル・ルフェーブルはリーブルビル(Libreville)の神学校に、ジャン・ヴォルフはディエゴ・スアレス(Diego-Suarez)に任命されていた。

(つづく)

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