アヴェ・マリア!
いろいろと噂になっているモートゥー・プロプリオについてのニュースについて、フェレー司教様の講演(Youtube に掲載されているファイル:Motu Proprio - Update - #7 をご覧下さい。
これを見ると、バチカン官僚機構に重大な不従順があることが分かります。たとえば新しい任命について、長官達は教皇様に従っていません。近い将来、教皇様はバチカンにおいて43名の重要なポストを占めている人々を、新しい良い聖職者と取り替えなければなりません。もしこれが達成できれば、バチカンにおいて何らかの改善を期待することができるでしょう。さもなければバチカンのノーメンクラトゥーラの言うがままに教皇様は動き続けなければならないでしょう。フェレー司教様の得た情報によれば、レヴァダ枢機卿はニュー・ヨーク大司教区の枢機卿になる(バチカンを離れる)ことになっているそうです。ベネディクト十六世が典礼などの点において何らかの「保守性」を持っているので、そのためにベネディクト十六世の統治は麻痺している、もしもそれ以上のことをしようとする教皇様が現れていたとするなら、この教皇様は仕事を始める前に消されていた、だろうとのことです。
ではモートゥー・プロプリオは出るのでしょうか? 出ないのでしょうか? フェレー司教様は、使徒聖トマスの態度を取ることを勧めています。「見るまでは信じない」ということです。
「黙想
重い十字架の下にイエスはまたお倒れになります。三度もお倒れになったということについて、何を言うべきでしょうか。おそらく、人間の一般的なつまずきについて、多くに人のキリスト離れについて、神不在の世俗主義に向かう時流について考えなければならないでしょう。しかし、私たちは、キリストがご自分の教会において苦しんでおられることを考えなくてもよいのでしょうか?
キリストの現存である聖なる秘蹟(=御聖体のこと)が、どんなに濫用されていることか、しばしば、虚ろな心や悪意に満ちた心の人にも拝領されているのです。
私たちはどれほど、イエスについて何の意識も持たないまま、ただ自分たちのミサを行っていることでしょう。
どれほど神のことばがないがしろにされ、濫用されていることでしょう。
多くの理論・学説にわずかな信仰、何といむなしい言葉。
何とひどい汚れが、教会の中に、またすべてイエスのものであるはずの司祭たちのあいだに見られることか。
何という傲慢、自己満足。
何という、ゆるしの秘蹟に対する尊敬の足りなさ。イエスがそこで、私たちの罪から立ち直らせるために待っておられるというのに。
これら全てが、イエスの受難の中に現存しているのです。弟子たちの裏切り、イエスの御体と御血の不謹慎な拝領は、確かに、贖い主の最大の苦痛であり、彼の心(=聖心のこと)を刺し貫くものです。
魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、憐れんで下さい、と、叫び声を上げるほかありません。「主よ、私たちを救って下さい」。
祈り
主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。しかし、それは私たち自身の汚れです。私たち自身、大きなことを言うたびに、大げさに振る舞うたびに、あなたを裏切っているのです。・・・」
「教皇ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行き」より
【参考資料】「マニラの eそよ風」274号
教会のこの苦しみをよく理解しているはずの教皇ベネディクト十六世が、なさなければならないことを勇気を持ってなして行かれるように、私たちは祈りましょう。
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兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
●聖ピオ十世会韓国のホームページ
●トレント公会議(第19回公会議)決議文
●第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
●グレゴリオ聖歌に親しむ会
●教宗良十三世《日久》通諭“Diuturnum Illud”論國家元首 1881年6月29日
●教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日
●教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日
●教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月4日
●教宗庇護九世頒布《教會之外無救恩》(Quanto Conficiamur)通諭 重申懲斥邪説謬論 1863年8月10日
●教宗良十三世《永生天主》通諭“Immortale Dei”天主教社會訓導 1885年11月1日
いろいろと噂になっているモートゥー・プロプリオについてのニュースについて、フェレー司教様の講演(Youtube に掲載されているファイル:Motu Proprio - Update - #7 をご覧下さい。
これを見ると、バチカン官僚機構に重大な不従順があることが分かります。たとえば新しい任命について、長官達は教皇様に従っていません。近い将来、教皇様はバチカンにおいて43名の重要なポストを占めている人々を、新しい良い聖職者と取り替えなければなりません。もしこれが達成できれば、バチカンにおいて何らかの改善を期待することができるでしょう。さもなければバチカンのノーメンクラトゥーラの言うがままに教皇様は動き続けなければならないでしょう。フェレー司教様の得た情報によれば、レヴァダ枢機卿はニュー・ヨーク大司教区の枢機卿になる(バチカンを離れる)ことになっているそうです。ベネディクト十六世が典礼などの点において何らかの「保守性」を持っているので、そのためにベネディクト十六世の統治は麻痺している、もしもそれ以上のことをしようとする教皇様が現れていたとするなら、この教皇様は仕事を始める前に消されていた、だろうとのことです。
ではモートゥー・プロプリオは出るのでしょうか? 出ないのでしょうか? フェレー司教様は、使徒聖トマスの態度を取ることを勧めています。「見るまでは信じない」ということです。
「黙想
重い十字架の下にイエスはまたお倒れになります。三度もお倒れになったということについて、何を言うべきでしょうか。おそらく、人間の一般的なつまずきについて、多くに人のキリスト離れについて、神不在の世俗主義に向かう時流について考えなければならないでしょう。しかし、私たちは、キリストがご自分の教会において苦しんでおられることを考えなくてもよいのでしょうか?
キリストの現存である聖なる秘蹟(=御聖体のこと)が、どんなに濫用されていることか、しばしば、虚ろな心や悪意に満ちた心の人にも拝領されているのです。
私たちはどれほど、イエスについて何の意識も持たないまま、ただ自分たちのミサを行っていることでしょう。
どれほど神のことばがないがしろにされ、濫用されていることでしょう。
多くの理論・学説にわずかな信仰、何といむなしい言葉。
何とひどい汚れが、教会の中に、またすべてイエスのものであるはずの司祭たちのあいだに見られることか。
何という傲慢、自己満足。
何という、ゆるしの秘蹟に対する尊敬の足りなさ。イエスがそこで、私たちの罪から立ち直らせるために待っておられるというのに。
これら全てが、イエスの受難の中に現存しているのです。弟子たちの裏切り、イエスの御体と御血の不謹慎な拝領は、確かに、贖い主の最大の苦痛であり、彼の心(=聖心のこと)を刺し貫くものです。
魂のもっとも奥深いところから主イエスに向かって、主よ、憐れんで下さい、と、叫び声を上げるほかありません。「主よ、私たちを救って下さい」。
祈り
主よ、あなたの教会は、しばしば、今にも沈みそうな船、あちこちからあいた穴から浸水してくる船のようです。あなたの麦畑もまた、よい麦よりも毒麦のほうが多いように見えます。あなたの教会の、汚れた衣や顔に驚かされます。しかし、それは私たち自身の汚れです。私たち自身、大きなことを言うたびに、大げさに振る舞うたびに、あなたを裏切っているのです。・・・」
「教皇ベネディクト16世 黙想と祈りによる十字架の道行き」より
【参考資料】「マニラの eそよ風」274号
教会のこの苦しみをよく理解しているはずの教皇ベネディクト十六世が、なさなければならないことを勇気を持ってなして行かれるように、私たちは祈りましょう。
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●トレント公会議(第19回公会議)決議文
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●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
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●教宗良十三世《日久》通諭“Diuturnum Illud”論國家元首 1881年6月29日
●教宗庇護十一世通諭“Quas Primas”基督君王 1925年12月11日
●教宗額我略十六世 <<論自由主義>> (Mirari Vos) 通諭 懲斥自由主義謬論 1832年8月15日
●教宗良十三世頒布《自由》(Libertas) 通諭 1888年6月4日
●教宗庇護九世頒布《教會之外無救恩》(Quanto Conficiamur)通諭 重申懲斥邪説謬論 1863年8月10日
●教宗良十三世《永生天主》通諭“Immortale Dei”天主教社會訓導 1885年11月1日