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11.2.2. シテ・カトリックを新しく応援する(続き)

2008年01月07日 | ルフェーブル大司教の伝記
第11章 チュール時代の小さなエピソード

シテ・カトリックを新しく応援する(続き)

 この適時のしかし都合の悪い真理を読むや、フランスの司教たちは恐怖にとらわれた。私たちが呼ぶところの「ルフェーブル効果」が基本的な流れを作り出された。

 ルフェーブル大司教を支持した司教たちは三名に過ぎなかったが、リエナール枢機卿(Carinal Liénard)、アンセル司教(Mgr Ancel)及びブロー司教(Mgr Brault)など、他の司教らは否定的に応じた。枢機卿及び大司教の会(A.C.A.)会員たちは、ルフェーブル大司教の挑戦に、梯子をはずされたように思い、戸惑うことを隠すことができなかった。(リエナール枢機卿様は枢機卿・大司教会の会長だった)そこで、彼らは 3月16日、ラ・クロワ紙に1960年のメモの抜粋を掲載発表することにした。

 ところがそれは、イティネレール誌 (nos. 61, 62, 64, 67号) に発表されたジャン・マディランの論評という形式で、また新たな短剣を呼び寄せた。

 教皇が援助に駆けつけ、ラ・クロワ紙の編集長であるヴァンジェ (Wenger) 神父には、5月 10日、国務長官を通して教皇が「自分の父としての信頼」を確認しなければならなかった。これはルフェーブル大司教が 5月7日、ヨハネ二十三世に対する一時間の謁見を受けた後だった。教皇は大司教に次のようにルフェーブル大司教に言った。

「よろしいですか、私がベルガモ (Bergamo) で聖書学の教授だった時に、ラグラングジュ神父の説を擁護して「近代主義者」とレッテルを貼られ注意されました。」


「それは私の一生を台無しにしました。私が自分の記録を見ると、「近代主義的傾向あり」と書いていました。私は近代主義者ではありません!このレッテルのために、私は一度もローマに任命されたことがありません。いわゆる、近代主義者という理由で、私はいつも教皇庁から離れたところにいたのです。ですから、大司教様も、そのように「保守主義者」と断罪されないように気を付けないといけませんね。」




 教皇が暗示していたことは、ルフェーブル大司教が自ら出世したければ、発言に気をつけよ、と言うことだった。

 ルフェーブル大司教は自ら出世することには関心がなかった。しかし、自分の人生の失敗をナイーヴに語りながら、打ち明け話をしてくれた「善良な教皇ヨハネ」は、ルフェーブル大司教をして、そのリベラルな人格を把握させた。

「大司教様、気を付けなさい」とヨハネは警告した。しかしマルセルは、真理をそのまま隠さずに述べることに固く決心しており、今後もそのような警告に重きをおくことはないだろう。

(つづき)

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