Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

聖伝のミサ(いわゆるトリエント・ミサ)にようこそ!

2008年01月19日 | 聖伝のミサの予定
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 新年の喜びを申し上げます。2008年も兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します! 

(聖伝のミサは、本来なら「ローマ式典礼様式のミサ」と呼ばれるべきですが、第二バチカン公会議以前のミサ、聖ピオ五世のミサ、古いミサ、昔のミサ、旧典礼、ラテン語ミサ、トリエント・ミサ、トリエント公会議のミサ、伝統的ミサ、伝統ラテン語ミサ、とも呼ばれています。)

聖ピオ十世会は、兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!


■何故なら、聖伝のミサは、ベネディクト十六世教皇の自発使徒書簡によって確認された通り、今迄決して法的に廃止されたことがなく、常に許されていたミサ聖祭だからです。

■従って「(聖ピオ五世によって公布され福者ヨハネ二十三世によって改訂されたローマ・ミサ典書は)その敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない」(ベネディクト十六世『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM』)からです。

■聖伝のミサは、第二バチカン公会議の最中も、1969年以降も、それ以前と同じカトリック教会における「普通のミサ」としての法的地位を保っていたにもかかわらず、また、その敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない典礼様式であったにもかかわらず、司教たちの権力の濫用によって、事実上禁止されてしましました。

■法の上では、「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続ける、それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえない」にもかかわらず、現実には、司教たちの権力の濫用によって、実際に迫害されてきていました。これがカトリック教会において、異常な緊急状態をつくり出してきました。

■多くのカトリック司祭たちは、聖伝のミサを捧げているという理由だけで、追放され、捨てられ、排斥され、処罰され続けてきました。聖ピオ五世の荘厳な大勅令は、骨抜きされ、有名無実化し、「従順」の名前のもとに、不従順が強要されてきました。

■ベネディクト十六世教皇は、典礼改革による典礼の崩壊が原因で、現在カトリック教会に危機が存在していると警告しています。

■ルフェーブル大司教様は、この権力の濫用に対して、「教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与え」続けてきました。ルフェーブル大司教は、いわば体を張ってまでも、自分を犠牲にしても、聖伝のミサという「当然の敬意が払われなければならない典礼様式」を守ってきました。

■ルフェーブル大司教がいなければ、エクレジア・デイ委員会も生まれなかったでしょうし、ベネディクト十六世も司教たちに反対してでも『スンモールム・ポンティフィクム』を出す勇気が無かったでしょう。

聖ピオ十世会は、兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!


■何故なら、オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ両枢機卿とがパウロ六世教皇聖下へ報告したように、「新しいミサの式次第は、その全体といいまたその詳細といい、トレント公会議の第二十二総会で宣言されたミサに関するカトリック神学から目を見張るばかりに逸脱している」からです。そして「新しい式次第における改革を見ても、そして永遠の価値をもつもの全てが、そしてそれが何らかの形であれそこに止まったとしても、単に隅の方に追いやられているという事実をみても、キリストを信ずる民が常に信じ続けてきた真理を変える、或いは無視する、ということをしても、カトリック信仰が永遠に結びつけられている教義の聖なる遺産に対して忠実であり続けることがあたかも出来るかのような疑いを、(残念なことにこのような疑いは既に多くの所で支配的になっているのですが)確信にすっかり変えてしまう」からです。

■何故なら、「この新しいミサの典礼様式が新しい信仰を表明している」から「この新しい信仰は私たちの信仰ではない、カトリック信仰ではない」(ルフェーブル大司教)からです。

「この新しいミサは、新しい信仰の、近代主義者の信仰のシンボル、表現、イメージです。なぜなら、聖なる公教会が長い歴史のなかで、私たちに下さったこの貴重な宝、すなわち、聖ピオ5世によって聖別されたミサ聖祭の典礼様式を守ろうと望んだのは、きわめて重大な意味があったからです。何故かというと、このミサのなかに私たちの信仰が全て含まれているからです。全てのカトリック信仰が、すなわち、聖三位一体への信仰、イエズス・キリストのご神性にたいする信仰、私たちの主イエズス・キリストの贖いへの信仰、私たちの罪の赦しのために流された私たちの主の贖いの御血にたいする信仰、ミサ聖祭、十字架、全ての秘跡から来る超自然の聖寵への信仰が、すべてあるのです。これら全てを私たちは信じています。そして、これが永遠のミサ聖祭を捧げながら信じていることなのです。ミサは私たちに信仰を教えるものであり、信仰の源です。ありとあらゆる方面から私たちの信仰が攻撃にあっている現代において、私たちにとって必要不可欠のものです。私たちには、この本当のミサが、この永遠のミサが、私たちの主イエズス・キリストのいけにえが必要なのです。それは、私たちの霊魂を聖霊と私たちの主のおん力によって満たすためです。ところで、次のことは明らかです。新しい典礼様式は、知っているか知らないかに関わらず、カトリックの宗教とは別の概念を、ある別の宗教を前提としています。つまり、ミサ聖祭を捧げるのは、もはや司祭ではありません。それは会衆です。このことのために、全てはプログラムされています。これからは、教会の権威に取って代わるのは、会衆です。司教たちの個人的な権力に取って代わるのは、司教団です。教区のなかの司教の権力に取って代わるのは、司祭たちが集ってつくる司祭団です。今後、教会を動かすのは、数です。そして、そのことはミサのなかで明らかに表明されています。ミサでは、会衆が司祭の代わりになっているからです。それは、今では多くの司祭が会衆のない時にはもはやミサを捧げようともしないと言うところまでいっています。」
「徐々に、聖なる教会のなかに、ミサに関するプロテスタントの考え方が導入されています。そして、このことは現代人の考え方に、近代主義者の考え方にぴったりなのです。全く一致しています。なぜなら、民主主義の理想が、現代人の考え方だからです。つまり、権力は会衆のうちに、権威は人間、民衆のうちにあり、天主にではない、と言うことです。これは非常にゆゆしきことです。なぜなら、私たちは、天主は全能で、天主に全ての権威があり、全ての権威が天主から来ること Omnis potestas a Deoを信じているからです。私たちは、権威が人民から、底辺から由来するとは信じません。しかし、これが現代人の考え方なのです。そして、新しいミサは、この考え方を、底辺に権威があり、天主にではないと言うことをはっきりと表明しているのです。このミサは位階制度的なものではなく、民主的です。これは、非常に重大なことです。新しいミサは、新しいイデオロギーのまったき表明なのです。私たちのもっとも神聖な典礼様式によって、私たちをして現代人のイデオロギーのなかに入らせようとしているのです。そして、これが現在、教会を全て腐敗させてしまっています。なぜなら、ミサ聖祭において底辺に権力を認めるというこの考えによって、司祭職を崩壊しています。司祭職を崩壊するのです。」
「司祭たちは天主の民の単なる代表ではありません。彼らは、天主の民が委任した代理人でもありません。彼らは集会の座長ではありません。彼らは永遠に司祭なのです。永遠に司祭の刻印を押された司祭なのです。・・・ ミサを捧げるのは司祭です。そして信者はこの捧げものに心から霊魂を込めて参与します。ミサを捧げるのは信者ではありません。その証拠に、司祭はたった一人でもミサ聖祭を捧げ、数千人が参与すると同じように同じ価値でミサを捧げるのです。そのミサには無限の価値があります。司祭によって捧げられたイエズス・キリストの犠牲は、無限の価値があるからです。これが私たちの信じていること」だからです。

ルフェーブル大司教の説教 1976年6月29日

■何故なら、聖なるものに対する敬意、天主の御稜威の超越性、この世への軽蔑、私たちが原罪によって傷ついていること、私たちが罪人であること、霊的な戦いの必要性、償いと犠牲を捧げる必要性、超自然の秩序を明らかに認めること、天主の権威に基づく権威への敬意、などの代わりに、新しいミサでは「自由」「平等」「進歩」「世俗化」「人権」「人間の尊厳」というフリーメーソン的なスローガンに基づく改革がなされているからです。

■例えば、地獄とか悪魔という言葉は変更を加えられ(死者のためのミサの中の続誦 Dies irae や、聖霊降臨後第17主日の集祷文、聖ニコラオの集祷文、レリスの聖カミロの集祷文など)、原罪(王たるキリストの集祷文)、償い(聖レイモンド・デ・ペニャフォルテ、聖ヴィアンネ、灰の水曜日後の木曜日の集祷文など)、この世のことに対する軽蔑(アシジの聖フランシスコ、待降節第2主日の集祷文、復活後第3主日の密誦など)、罪の償いの必要性(イエズスの聖心の祝日の集祷文)、教会の(聖十字架の祝日の聖体拝領誦、聖ピオ五世、カピストランの聖ヨハネの集祷文など)、誤謬の危険(離教者や異端者のための聖金曜日の祈り、聖ペトロ・カシニウス、聖ロベルト・ベラルミノ、カンタベリーの聖アウグスチノの集祷文など)、諸聖人の奇蹟(聖ニコラオ、聖フランシスコ・ザベリオ、聖レイモンド・デ・ペニャフォルテ、聖ヨハネ・デ・デオ、ローマの聖フランシスカの集祷文)などが無くなってしまっているからです。


聖ピオ十世会は、兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!

■私たちがカトリック信仰を守るためには、緊急救命作業が必要だからです。カトリック教会が、その聖伝の信仰を大切にする正常な状態になるのを待っている間、霊的な死の危険にさらされている霊魂に、出来る限りの緊急の救命援助が必要です。カトリック教会で最も大切なのは、霊魂に永遠の命を与える正統な聖伝信仰だからです。

■何故なら、カトリック教会にとって最も大切なのは、信仰であり、救霊だからです。Suprema lex salus animarum. カトリック教会法典の最高法規は、救霊を目ざすものである、ということです。教会法のために霊魂があるのではなく、霊魂の救いのために教会法が存在しているからです。カトリック教会は「法至上主義」ではないからです。
 この教会の最高の法「霊魂の救い」は、今までは不文律でしたが、カトリック新教会法典にはそれが成文化されています。(Can. 1752 - ... prae oculis habita salute animarum, quae in Ecclesia suprema semper lex esse debet. )

■何故なら、私たちには、カトリック教会に純粋な信仰を求め、それを守る権利と義務があるからです。「捏造された典礼」でも「平凡でその場しのぎの産物」ない、「信仰の遺産への忠実さと信仰の伝達への忠実な典礼」を求める権利と義務があるからです。

■何故なら「過去の人々にとって神聖だったものは、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。」そのような司祭や司教様は、たとえ嫌々でも、このままほっておいたのでは日本からは自然に生まれることはないでしょう。何故なら、日本では「憲法9条を世界の宝に」とか「トリエントのミサにこだわる必要はない」などという宣伝だけが幅をきかせているからです。


聖ピオ十世会は、兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!


■ルフェーブル大司教の血の滲むような努力がなければ、聖伝のミサという「教会の信仰と祈りの中で成長してきた富」(教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙)はカトリック教会から絶滅していただろうように、日本におけるカトリック教会の将来を憂慮する愛する兄弟姉妹の皆様の努力と行動に、日本のカトリック教会の本当の再生がかかっていると信じているからです。「教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与える」(教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙)ことがどんな犠牲を払っても必要だからです。

聖ピオ十世会は、兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!


■何故なら、カトリック教会の危機を解決するために、聖伝のミサを復活させたいという教皇様の願いにもかかわらず日本では、司教協議会典礼委員会を中心に「バチカン公会議で廃棄されたというのが学者全般の解釈である」とか「日本のようなところでは意味がない」とか、この願いに抵抗しているからです。

■しかし事実は、日本では400年前、聖フランシスコ・ザベリオの来日以来、ラテン語で聖伝のミサを捧げ、多くの実りをもたらしてきました。

■何故なら「ラテン典礼は教会の様々な形式においてキリスト教時代のいつの時でも霊的生活において極めて多くの聖人達を生みだし、そして同時にかくも多くの民族を宗教の徳において強めまた彼らの敬虔を豊かにしたことが認められている」(ベネディクト十六世『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM』)からです。

■また「ラテン典礼の司祭が、感謝のいけにえを、これを基準として捧げてきたばかりでなく、福音の宣布者は地球上ほとんど至る所に、これ(=聖伝のミサ)をたずさえて行ったのであります。また教皇グレゴリオ一世が、その大部分を企画編集したローマ・ミサ典礼書にある聖書朗読と祈願を通じて無数の聖徒が、神に対する信仰心を豊かに養ってきた」(パウロ六世『ミサーレ・ロマーヌム』)からです。

■日本で今年列福される188名の福者たちは、皆、この聖伝のミサにより殉教の精神と力とを得てきたからであり、信仰と血筋による私たちの祖先である潜伏キリシタンたちも、その信仰をラテン語のオラショで伝えてきており、日本カトリックの歴史においてラテン語の祈りは深い歴史的文脈を持っているからです。

■ますます交通の手段が発達し国際化が進む現在の日本において、ラテン語というミサの統一言葉が、言語と民族とを越えて、カトリック共同体をより容易に一つにする手段となるからです。各国語のミサは、国際化したカトリック信徒を分断し、留学生・旅行社・巡礼者などいわゆる「谷間」の人たちをミサから遠ざけ疎外してしまっているからです。

■また、ベネディクト十六世教皇様も言うように、新しいミサしか知らずに育ったけれども、後に聖伝のミサを知った「若い人々もまたこの典礼の形式を発見し、その魅力を感じ、その中に至聖なるミサ聖祭の神秘との出会いの形を見出し、そして特にその形が彼ら自身に適していることに気づいた、ということが明らかに証明されてきた」からです。

■従って、「古代教会の聖体秘跡書以来、何世紀も綿々とつづいてきたミサ典書」(ベネディクト十六世)は、「その敬うべきまた古代からの使用のゆえに当然の敬意が払われなければならない」(ベネディクト十六世『スンモールム・ポンティフィクム SUMMORUM PONTIFICUM』)にもかかわらず、日本で、まだこのカトリック教会の宝を知らない多くの若い人々がいます。そのような「若い人々もまたこの典礼の形式を発見し、その魅力を感じ、その中に至聖なるミサ聖祭の神秘との出会いの形を見出し、そして特にその形が彼ら自身に適していることに気づく」恵みを受けていただきたいからです。


聖ピオ十世会は、兄弟姉妹の皆様を聖伝のミサに心から歓迎します!


<2008年1月の予定>



【大阪】大阪市東淀川区東中島1-18-5 新大阪丸ビル本館511号(JR新大阪駅の東口より徒歩5分)「聖母の汚れ無き御心巡回聖堂」

11日 金 大阪 午後5時半 主の御公現の平日(4級)白
12日 土 大阪 午前11時 聖母の土曜日(4級)白
13日 主日 大阪 午前10時半 イエズス、マリア、ヨゼフ、聖家族の祝日

【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館2F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」
(!! 今回の会場は、2階となりますのでご了承下さい !! )

19日(土)午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会
     午後8時30分 グレゴリオ聖歌による終課
20日 主日 午前10時  ロザリオ及び告解
      午前10時半  午前10時半 七旬節の主日(2級)紫
      午後2時半  霊的講話 カトリック教養講座 (ラテン語)
      午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課
21日 月 東京 午前7時 殉教者童貞聖アグネス(3級祝日)赤
22日 火 東京 午前7時 殉教者聖ヴィンチェンチオとアナスタジオ(3級祝日)赤

それでは、皆様のおこしをお待ちしております。

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2008.html
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm
 などをご覧下さい。

For the detailed information about the Mass schedule for the year 2008, please visit "FSSPX Japan Mass schedule 2008" at
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/tradmass/

============
ブログランキング <= クリックで応援して下さい。
============
【関連記事】
新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae

近代主義の教会の中への侵入の略史(その2)マルセル・ルフェーブル大司教講演

2008年01月19日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!
近代主義の教会の中への侵入の略史 (その2)

マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。
あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」

1982年 モントリオール(カナダ)にて

L’infiltration du modernisme dans l’Eglise --- Brève histoire ---
conférence prononcée par Monseigneur Lefebvre, en 1982 à Montréal (Canada)

L'infiltration du modernisme dans l'Eglise
- Conference prononcee par Mgr Lefebvre en 1982 a Montreal -


The Infiltration of Modernism in the Church

(この翻訳を作るに当たって、三上教授の翻訳を参考にさせていただきました。感謝します。『近代主義の教会の中への潜入』

(続き)

分裂の出現


 これらの二年間に会合が次々に続き、そして出席しているすべての委員たちにとって教会それ自体の内部での深い分裂があることが非常に明瞭になりました。この深い分裂は偶然的あるいは表面的なものではなく、大司教や司教たちの間というよりも、枢機卿たちの間でより深いものでした。投票で決する機会には保守的な枢機卿たちはある仕方で、そして進歩的な枢機卿たちは別の仕方で投票するのを見ることができました。明らかに枢機卿たちの間には本当の分裂が存在していました。

 私は次のような出来事を私の書物の中の一冊『一司教は語る(Un évêque parle)』において描いています。私はそれについてしばしば言及します。なぜならそれは中央委員会の終わりと公会議の始まりを本当に特徴づけているからです。それは最後の会合の間のことでした。そして私たちは同じ主題について10の文書をあらかじめ受け取りました。ベア枢機卿が一つのテキスト、"De Libertate Religiosa" 「宗教的自由について」を準備しました。オッタヴィアーニ枢機卿は別のテキスト"De Tolerantia Religiosa" 「宗教的寛容について」を準備しました。

 単純な事実は同じ主題に関する二つの異なった表題が二つの異なった考え方を表しているということです。ベア枢機卿はすべての宗教に対する自由について、そしてオッタヴィアーニ枢機卿は誤謬と偽りの諸宗教の寛容に加えてカトリック宗教の自由について語りました。そのような相違がどのようにして委員会によって決定され得るでしょうか?

 最初からオッタヴィアーニ枢機卿はベア枢機卿を指さしてこう言われました。「枢機卿様、あなたにはこの文書を作る権利はありません」と。

 ベア枢機卿は答えられました。「失礼ですが、 “一致のための委員会議長” として私は文書を提出する権利を完全に持っています。従って私は承知の上でこの文書を提出している。さらに、私はあなたの見解にはまったく反対である。」

 このように最も高名な枢機卿の二人、検邪聖省長官オッタヴィアーニ枢機卿と、教皇ピオ12世の聴罪師ベア枢機卿、すべての枢機卿に対して大きな影響力を持っているイエズス会士、聖書研究所においてよく知られ、高等聖書研究に責任を持っている枢機卿です。これらの2名の枢機卿様たちは、教会における基礎的な主題に関して対立していたのです。

 すべての宗教の自由ということは、すなわち、自由と誤謬が同じ地平に置かれるということと、カトリック宗教の自由および誤謬の寛容ということはまったく異なるものです。全く違うことです。聖伝によれば、教会は常にオッタヴィアーニ枢機卿の見解に与して来たのであり、そして完全にリベラルであるベア枢機卿の見解には与して来ませんでした。

 パレルモから来たルフィニ枢機卿は立ち上がり言われました。「われわれは今教会において非常に重要である一つの問題について相互に対立している二人の同僚の前にいる。従ってわれわれはより高い権威に言及せざるを得ない。」

 教皇は非常にしばしば私たちの会合の座長を務めるためにやって来られました。しかし教皇はこの最後の会合のためには居合わせられませんでした。従って枢機卿たちは投票することを要求しました。「われわれは教皇に会いに行くなどと待ってはいられない。投票することにしよう。」

 私たちは投票しました。枢機卿たちの半数がベア枢機卿の意見に賛成投票をし、後の半数がオッタヴィアーニ枢機卿に賛成投票しました。ベア枢機卿の意見に賛成投票したのは皆オランダ、ドイツ、フランスそしてオーストリアの枢機卿たちであり、そして彼らは皆一般的にヨーロッパと北アメリカからの枢機卿でした。伝統的な枢機卿たちはローマ聖省、南アメリカ、そして一般的にスペイン語圏の枢機卿たちでした。

 それは教会における真の断絶でした。この瞬間から私は公会議が重大な点に関してそのように対立を抱えながらどのようにして進んで行くことができるのか、と自問しました。誰が勝利するのでしょうか?スペイン語あるいはロマンス諸言語圏の枢機卿たちと共にオッタヴィアーニ枢機卿なのでしょうか、それともヨーロッパと北アメリカの枢機卿たちなのでしょうか?

 実際、戦闘は公会議のまさに初日から直ちに始まりました。オッタヴィアーニ枢機卿は、各人に対してその人が望んだ人々を選ぶ完全な自由を残しながら、準備委員会に属していたメンバーたちのリストを提出されました。私たちがすべてのメンバーを一人一人知ることができないことは明らかでした。なぜなら各人は彼自身の司教区のためにやって来たのですから。どのようにして世界の2500人の司教たちを知ることができるでしょうか?私たちは公会議の諸々の委員会の委員選出のために投票を求められました。しかし誰が選ぶことができるでしょうか?私たちは南アメリカからの司教も、南アフリカからの司教もインドからの司教も知りませんでした...。

 オッタヴィアーニ枢機卿は準備委員会のためのローマの選択は公会議の教父たちのための一つの指示として役立ち得るだろうと考えられました。事実これらのことを提案することはまったく正常なことでした。

 リエナール枢機卿(Achille Cardinal Lienart †)が立ち上がって言ったのです。

「私たちはこのようなやり方を受け入れない。われわれは異なった諸々の委員会を成立させることができる人々をもっとよく知ることができるように、熟慮するための48時間を要求する。これは教父たちの判断に圧力を加えることだ。われわれはそれを受け入れない。」

 公会議はたった二日前に始まったばかりでした。そしてすでに枢機卿たちの間には猛烈な対立がありました。何が起こったのでしょうか?

 これら48時間の間にリベラルな枢機卿たちは世界のすべての国々から作成されたリストをすでに準備していました。彼らはこれらのリストをすべての公会議教父たちの郵便受けの中に配りました。私たちはそれゆえにすべての者がしかじかかくかくの委員会の委員たち、すなわち、異なった国々からのかくかくの司教と他の司教等々、を提案している一通のリストを受け取ったのです。多くの人々は言いました。「結局のところ、これでいいではないか。私は彼らを知らないのだ。リストがすでにできあがっているのだから、われわれは単純にそれを利用するだけだ」と。

 48時間後、全面に出ていたのはリベラル派のリストでした。しかしそれは公会議の規則によって要求されていた投票数の3分の2を得ていなかったのです。

 それでは教皇は何をされたのでしょうか?教皇ヨハネ二十三世(Pope John XXIII)は公会議の規則に一つの例外を作られるのでしょうか、それともその規則を適用されるのでしょうか?

 明らかにリベラルな枢機卿たちは教皇が公会議の規則を適用することを恐れていました。それで彼らは教皇のところへ走り、教皇にこう言いました。

「聴いてください、私たちは投票総数の半分以上、60% 近くを獲得しています。あなたはそれを拒否することはできません。私たちはこのように歩み続けて、別の選挙をすることはできません。私たちはそれを決してさせないでしょう。これは明らかに公会議の大多数の意志です。そして私たちは単純にそれを受け入れなければなりません。」

 そして教皇ヨハネ二十三世はこれを受け入れました。この始めから公会議の諸々の委員会のすべての委員はリベラル派から選ばれました。このことが公会議に対していかに巨大な影響を及ぼしたかを想像することは容易いことです。

 教皇ヨハネ二十三世は、二、三ヶ月の終りにはすべてのことが為されたと考えていたけれども、公会議で見聞きした出来事のために早死にされたと私は確信しています。三ヶ月の公会議のつもりでした。3ヶ月の後で、抱き合って別れを告げ、皆は家に帰る、ローマでお互いに会え、すばらしい小さな集会をして、幸せに帰る、これを考えていました。
 教皇は、公会議が一つの世界それ自体、絶えざる衝突の世界であることということを悟りました。公会議の第一会期からはテキストは何も出ませんでした。教皇ヨハネ二十三世はこのことによって圧倒されました。そして私はこのことが彼の死を早めたと確信しています。死の床で教皇は「公会議を止めろ、公会議を止めろ」と叫ばれたとさえ言われて来ました。

(続く)

============
ブログランキング <= クリックで応援して下さい。兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!
============

【関連記事】

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】