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聖伝のカトリック信仰(永遠のローマ) vs 第二バチカン公会議の革新(近代主義のローマ)

2008年02月27日 | 第二バチカン公会議
アヴェ・マリア!

聖伝のカトリック信仰(永遠のローマ) vs 第二バチカン公会議の革新(近代主義のローマ)

愛する兄弟姉妹の皆様、

 私たちは、極めて異常な時代に生きています。

 第二バチカン公会義以来、カトリック信者たちは真理とカギ括弧付きの「従順」(=真理を犠牲にしてまでの追従、本当の従順ではなく見かけ上の「従順」)とのどちらかを選ぶ必要に迫られています。言い換えると、真理を選んだがためにカギ括弧付きの「離教徒」(誤解されて誤って「離教者」と非難される存在)となるべきか、それとも異端となるべきか、との選択です。・・・

 例えば、あるいは、レオ十三世が不可謬権をもって聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(1896年9月13日)において宣言し既に明らかにされたように英国聖公会の司祭叙階が無効であることを信ずるか、あるいは現今の教会の風潮を信じるか、という選択です。


レオ十三世


 1982年5月29日には、教皇ヨハネ・パウロ二世は、歴代始まって以来カンタベリーのカテドラルで聖公会の典礼に与かり、この異端かつ離教の分派の平信徒の最高長上(Dr. Robert Runcie) とともに王冠を祝福しました。

 この最高長上は、自分のことを「カトリック英国」のカトリックの宣教者であるカンタベリーの聖アウグスチヌスの後継者としてはばからりませんでした。この歓迎の演説を聞いておられた教皇は何の反対もされなかったのです。

The Pope and Runcie prayed together in Canterbury

The visited Canterbury Cathedral on 29 May to say prayers with Robert Runcie

(例えば、バチカン・サイトの COMMON DECLARATION OF POPE JOHN PAUL II AND THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY を見よ、「THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY」というタイトルを認めている。)


 更に、例えば、マルチン・ルターを Exsurge Domine にて不可謬的に(ex cathedra)排斥したレオ十世を選ぶか、現今の教会の風潮を選ぶかのどちらかです。

レオ十世


 現在の教会では、このドイツの異端者の生誕500周年を祝い、教皇聖下ヨハネ・パウロ2世はその手紙(Letter for the 500th anniversary of the birth of Martin Luther, November 5 1983)の中で、「カトリックとプロテスタントとの学者らの共同の研究により、ルターの深い宗教性が現れてきた。」とはっきり言っています。

John Paul II with the World Council of Churches, Orthodox, Swiss Reformed, Catholic, Lutheran, Methodist

 私たちはまた、聖福音が歴史的に真理を語っていると信じるか、それとも、現今の教会の指針に従い、声高らかにそのことを否定するか、のどちらかです。「聖にして母なる公教会が決定的にかつ絶対的に、常に変わらず肯定して来た」ように聖福音が歴史的に真理であることを認めるべきか、それとも、ユダヤ教徒との宗教関係に関する、教皇庁立委員会が1985年6月24日に発表したように、それを否定するべきなのか、という選択です。聖福音に従い無信仰のユダヤ教を「天主から憎まれたもの」と宣言する聖書を取るか、あるいはユダヤ会堂を歴代最初に訪れた教皇聖下の演説にあるとおりに、無知なるカトリックの「兄」と呼ぶのか、の選択です。


Pope John Paul II visiting a synagogue in Rome in April 1983

John Paul II with  Jewish B'nai B'rith on March 22, 1984

John Paul II with the Trilateral Commission, on April 18, 1983


 あるいは、天主の十戒の最初の戒律である「汝我が前に異国の神々をもつなかれ。」を選ぶか、それとも、アシジのカトリック教会においてなされたように、ひどいことにも、迷信さえも含めた全ての形式の礼拝を認めるべきなのか、という選択です。


アシジの祈祷集会


 この聖寵の満ちみてる新約の時代において、キリストを選ぶか、或いはキリストを否定していながらも真の天主を礼拝しているとうそぶく偽りの礼拝を認めるべきなのか、また、御聖体ランプが灯り、主の現存が明らかなのにもかかわらず、仏像を祭壇に載せることを許し、仏教とがその己の偶像を礼拝するのを認めるべきなのか、の選択です。

On October 27, 1986, with due permission of John Paul II, the Dalai Lama and Tibetan Buddhist monks of his sect placed a small statue of Buddha over the tabernacle of St. Peter Church in Assisi. The statue was encased in a glass cylinder.

 「教会の外に救いなし」とする聖会の教義を信ずるか、それとも、非キリスト教さえも天主への運河であり、救いの手段であり、多神教さえも敬うべしとする今の教会の第二バチカン公会議後の指針に従うべきか、という選択です。

 《異端者》、あるいは/かつ、《破門されたもの》は「カトリック教会の外にいる」のか、それとも、「さまざまなキリスト教と呼ばれる団体」は「深さが」異なるのみで、交わり (communion) の中にいるのか、したがって、これらさまざまな異端の、あるいは/かつ、破門された党派も、「教会(Churches)として、又は、教会的団体(ecclesial comunities)として」「尊敬すべき」なのか、という選択です。

「離教にあらず、破門にあらず」より

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【関連記事】

聖ピオ十世会創立者ルフェーブル大司教の伝記 11.3.5. 復旧は可能だった

2008年02月27日 | ルフェーブル大司教の伝記
第11章 チュール時代の小さなエピソード

III. 信頼回復


復旧は可能だった

 すべてが失われていたわけではなかった。最も長い間試された伝統的な手段をもう一度使えば良い問題だった。まず司祭たちは地区ごとに新しく再編された。司教は地区長会議でそれを提案した。それは、聖ピオ十世会の未来の小修道院という構想の発芽だった。

 マリアの聖心修道女会という司教区立修道会を支援した。この修道会は、トレニャックの孤児院、健康診療所、小規模の小学校を運営し、病者を訪問したり、小教区の司祭たちを物質的に助けており、大きな奉仕の仕事をしていたので、教区の人々から愛されていた。

 大司教は自分の司祭たちにこう言っていた。
「だが、私たちは彼女たちに召命を送らねばなりません。善良な若い女性たちを識別して送らねばなりません。」

 そこで、いくつかの村をまとめて生徒たちを募集して、カトリック小学校を新たに開校した。通学手段を調達して子供達を集め、親はそれに協力した。司教区の若い司祭たちは再編され、この使徒職において熱情を傾けるやりがいある目標を見出していた。

 低学年がとても有望であった 110人もの生徒がいるユセルの小神学校を維持した。しかし大司教はブリーヴの南にあった大きな使われていない建物に付属小神学校を創立することを望んだ。そこでルフェーブル大司教はこう言っていた。「私は "熱心で正統な教義を学んだ司祭たちを準備する神学校" を再開校する、私はそれを、ブリーヴのサン・タントワン (Saint-Antoine de Brive) が相応しい場所であると思う」と。

 それだけではなく、カトリック家族の青少年たちにとって、そこにいるとまるで「貧しい孤児たち」のように感じられていた公立校から、彼らを引き出すために、ルフェーブル大司教は、チュールにカトリック男子中高等学校を新しく開校する予定であった。これは、リュソン (Lucon) の司教であるアントワン・カゾ (Antoine Cazaux) 司教が送ってくれることに約束したヴァンデー地方の司祭たちの助けを借りてのことだった。

 ルフェーブル大司教はこう言っていた。フランス西部の「教育司祭たち」(vicaires instituteurs)は、多く批判されていたが、それは誤った批判だ、何故なら「このような学校をもってこそ、草の根から福音化を再開することができるからだ。何故なら、カトリック校は、その学校が真にカトリック的であるという条件の下で、福音化の大きな一手段だからだ。そのような教育事業は、子供達に宗教を教え込ませるために天主によって望まれている。」「教会とその宣教の未来は、教育にある、特に自分の言葉と模範とをもって説教する司祭あるいは修道者たちによって運営される学校にある。神学校、修道召命、カトリック的聖家族の未来は、カトリック学校にある。」

 ダカールでそうだったように、チュールでもカトリック教育事業を発展させたい望むことは、「現場の人」であった大司教の健全な現実主義を証明するものであった。

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【関連記事】
第11章 チュール時代の小さなエピソード

I. 美しく小さい司教区

II. シテ・カトリックと司教

III. 信頼回復

聖ピオ十世会 ソウル(韓国)の新しい聖堂にてネリー神父様の荘厳ミサ(2008年2月24日)

2008年02月27日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 フェレー司教様の代理としてネリー神父様が2月16日~19日まで来日されましたが、その後、韓国にも行かれ、2月24日主日にソウル(韓国)における新しい聖堂を祝別されました。

 ソウルの信徒の方が、その時の荘厳ミサの模様を編集してYoutubeにアップして下さいました。音声は、午後のネリー神父様の講話の後の質疑応答です。


Fr. Nely answering Catholic FAQ 1 of 6



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