アヴェ・マリア!
聖伝のカトリック信仰(永遠のローマ) vs 第二バチカン公会議の革新(近代主義のローマ)
愛する兄弟姉妹の皆様、
私たちは、極めて異常な時代に生きています。
第二バチカン公会義以来、カトリック信者たちは真理とカギ括弧付きの「従順」(=真理を犠牲にしてまでの追従、本当の従順ではなく見かけ上の「従順」)とのどちらかを選ぶ必要に迫られています。言い換えると、真理を選んだがためにカギ括弧付きの「離教徒」(誤解されて誤って「離教者」と非難される存在)となるべきか、それとも異端となるべきか、との選択です。・・・
例えば、あるいは、レオ十三世が不可謬権をもって聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(1896年9月13日)において宣言し既に明らかにされたように英国聖公会の司祭叙階が無効であることを信ずるか、あるいは現今の教会の風潮を信じるか、という選択です。
1982年5月29日には、教皇ヨハネ・パウロ二世は、歴代始まって以来カンタベリーのカテドラルで聖公会の典礼に与かり、この異端かつ離教の分派の平信徒の最高長上(Dr. Robert Runcie) とともに王冠を祝福しました。
この最高長上は、自分のことを「カトリック英国」のカトリックの宣教者であるカンタベリーの聖アウグスチヌスの後継者としてはばからりませんでした。この歓迎の演説を聞いておられた教皇は何の反対もされなかったのです。
(例えば、バチカン・サイトの COMMON DECLARATION OF POPE JOHN PAUL II AND THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY を見よ、「THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY」というタイトルを認めている。)
更に、例えば、マルチン・ルターを Exsurge Domine にて不可謬的に(ex cathedra)排斥したレオ十世を選ぶか、現今の教会の風潮を選ぶかのどちらかです。
現在の教会では、このドイツの異端者の生誕500周年を祝い、教皇聖下ヨハネ・パウロ2世はその手紙(Letter for the 500th anniversary of the birth of Martin Luther, November 5 1983)の中で、「カトリックとプロテスタントとの学者らの共同の研究により、ルターの深い宗教性が現れてきた。」とはっきり言っています。
私たちはまた、聖福音が歴史的に真理を語っていると信じるか、それとも、現今の教会の指針に従い、声高らかにそのことを否定するか、のどちらかです。「聖にして母なる公教会が決定的にかつ絶対的に、常に変わらず肯定して来た」ように聖福音が歴史的に真理であることを認めるべきか、それとも、ユダヤ教徒との宗教関係に関する、教皇庁立委員会が1985年6月24日に発表したように、それを否定するべきなのか、という選択です。聖福音に従い無信仰のユダヤ教を「天主から憎まれたもの」と宣言する聖書を取るか、あるいはユダヤ会堂を歴代最初に訪れた教皇聖下の演説にあるとおりに、無知なるカトリックの「兄」と呼ぶのか、の選択です。
あるいは、天主の十戒の最初の戒律である「汝我が前に異国の神々をもつなかれ。」を選ぶか、それとも、アシジのカトリック教会においてなされたように、ひどいことにも、迷信さえも含めた全ての形式の礼拝を認めるべきなのか、という選択です。
この聖寵の満ちみてる新約の時代において、キリストを選ぶか、或いはキリストを否定していながらも真の天主を礼拝しているとうそぶく偽りの礼拝を認めるべきなのか、また、御聖体ランプが灯り、主の現存が明らかなのにもかかわらず、仏像を祭壇に載せることを許し、仏教とがその己の偶像を礼拝するのを認めるべきなのか、の選択です。
「教会の外に救いなし」とする聖会の教義を信ずるか、それとも、非キリスト教さえも天主への運河であり、救いの手段であり、多神教さえも敬うべしとする今の教会の第二バチカン公会議後の指針に従うべきか、という選択です。
《異端者》、あるいは/かつ、《破門されたもの》は「カトリック教会の外にいる」のか、それとも、「さまざまなキリスト教と呼ばれる団体」は「深さが」異なるのみで、交わり (communion) の中にいるのか、したがって、これらさまざまな異端の、あるいは/かつ、破門された党派も、「教会(Churches)として、又は、教会的団体(ecclesial comunities)として」「尊敬すべき」なのか、という選択です。
「離教にあらず、破門にあらず」より
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例えば、あるいは、レオ十三世が不可謬権をもって聖公会の叙階の無効性について『アポストリチェ・クーレ』(1896年9月13日)において宣言し既に明らかにされたように英国聖公会の司祭叙階が無効であることを信ずるか、あるいは現今の教会の風潮を信じるか、という選択です。
1982年5月29日には、教皇ヨハネ・パウロ二世は、歴代始まって以来カンタベリーのカテドラルで聖公会の典礼に与かり、この異端かつ離教の分派の平信徒の最高長上(Dr. Robert Runcie) とともに王冠を祝福しました。
この最高長上は、自分のことを「カトリック英国」のカトリックの宣教者であるカンタベリーの聖アウグスチヌスの後継者としてはばからりませんでした。この歓迎の演説を聞いておられた教皇は何の反対もされなかったのです。
(例えば、バチカン・サイトの COMMON DECLARATION OF POPE JOHN PAUL II AND THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY を見よ、「THE ARCHBISHOP OF CANTERBURY」というタイトルを認めている。)
更に、例えば、マルチン・ルターを Exsurge Domine にて不可謬的に(ex cathedra)排斥したレオ十世を選ぶか、現今の教会の風潮を選ぶかのどちらかです。
現在の教会では、このドイツの異端者の生誕500周年を祝い、教皇聖下ヨハネ・パウロ2世はその手紙(Letter for the 500th anniversary of the birth of Martin Luther, November 5 1983)の中で、「カトリックとプロテスタントとの学者らの共同の研究により、ルターの深い宗教性が現れてきた。」とはっきり言っています。
私たちはまた、聖福音が歴史的に真理を語っていると信じるか、それとも、現今の教会の指針に従い、声高らかにそのことを否定するか、のどちらかです。「聖にして母なる公教会が決定的にかつ絶対的に、常に変わらず肯定して来た」ように聖福音が歴史的に真理であることを認めるべきか、それとも、ユダヤ教徒との宗教関係に関する、教皇庁立委員会が1985年6月24日に発表したように、それを否定するべきなのか、という選択です。聖福音に従い無信仰のユダヤ教を「天主から憎まれたもの」と宣言する聖書を取るか、あるいはユダヤ会堂を歴代最初に訪れた教皇聖下の演説にあるとおりに、無知なるカトリックの「兄」と呼ぶのか、の選択です。
あるいは、天主の十戒の最初の戒律である「汝我が前に異国の神々をもつなかれ。」を選ぶか、それとも、アシジのカトリック教会においてなされたように、ひどいことにも、迷信さえも含めた全ての形式の礼拝を認めるべきなのか、という選択です。
この聖寵の満ちみてる新約の時代において、キリストを選ぶか、或いはキリストを否定していながらも真の天主を礼拝しているとうそぶく偽りの礼拝を認めるべきなのか、また、御聖体ランプが灯り、主の現存が明らかなのにもかかわらず、仏像を祭壇に載せることを許し、仏教とがその己の偶像を礼拝するのを認めるべきなのか、の選択です。
「教会の外に救いなし」とする聖会の教義を信ずるか、それとも、非キリスト教さえも天主への運河であり、救いの手段であり、多神教さえも敬うべしとする今の教会の第二バチカン公会議後の指針に従うべきか、という選択です。
《異端者》、あるいは/かつ、《破門されたもの》は「カトリック教会の外にいる」のか、それとも、「さまざまなキリスト教と呼ばれる団体」は「深さが」異なるのみで、交わり (communion) の中にいるのか、したがって、これらさまざまな異端の、あるいは/かつ、破門された党派も、「教会(Churches)として、又は、教会的団体(ecclesial comunities)として」「尊敬すべき」なのか、という選択です。
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