アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、こんにちは!
7月18日の海の日には東京で17名の愛する兄弟姉妹様が、19日には10名の方々が聖伝のミサに与る恵みを受けました。天主様に感謝! また、私事ですが、7月19日の東京でのミサは司祭となって7900回目の聖伝のミサでした。天主様に感謝!
さて、聖ピオ十世会のアメリカ管区ではクチュール神父様へのインタビューがウェブサイトに掲載されています。これを日本語に訳して下さった方がおられ、大変深い感謝を込めて、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
アジア管区長 クチュール神父様へのインタビュー(その1)
2011年 7月6日
アメリカ管区は、今回、聖ピオ十世会のアジア管区でのお仕事についてインタビューに応じてくださった ダニエル・クチュール神父様に心から感謝致します。
2009年、司祭叙階25周年記念祝典でのダニエル・クチュール神父様の写真
神父様、今回インタビューを受けていただいてありがとうございます。神父様はここウィノナに司祭叙階式のためにいらっしゃいました。今朝、(6月17日)5人の司祭が叙階され、このうち一人はインド人で、インド着任予定です。今回の叙階について、ご感想をお願い致します。
クチュール神父様:司祭叙階式に立ち会うのは、いつも大変大きな喜びです。世界のあらゆるところから来る若い司祭を叙階することによって、聖ピオ十世会は真に公教会に仕えていることがわかります。ここにおいて、天主の恩寵が、私たちの主が王たるために、公教会のために、働きたいという若者の魂に根を張り続けているのがわかります。わたしはここアメリカに、インド人信者の一人を叙階するための補佐に来ました。彼は実は南インドにあるパラヤンコタイの通訳者の息子です。彼の父は毎週日曜日に説教や公教要理を通訳しています。彼の叙階は、私たちそしてアジア管区全体の大きな喜びです。
神父様はアジア管区長でいらっしゃいます。そして第3期目に入っていらっしゃいます。アジアは巨大な地域です。多くの様々な国々や人々がいます。非常に多くの仕事が成し遂げられてきました。アジア管区でのお仕事を要約していただけますか?
クチュール神父様:アジアは世界人口の半分に相当します。西方は中東地域から始まります。中東地域では、アラブ首長国連邦とオーマンにおいて、数箇所のミサ・センターを既に設立しており、その運営をしています。中東には、フランス系、インド人、スリランカ人、フィリピン人の伝統的カトリック教徒の家族がいます。それから、東の果てには日本、ニュージーランド、太平洋諸島もあります。巨大な地域です。宣教はわくわくする体験です。ちょうど私たちが、偉大な宣教師である聖テオファン・ヴェナールの伝記で読んだような、それからパリ外国宣教師会神学校の殉教者たちのような。
宣教は私たちを熱意で満たし、ルフェーブル大司教様がよくおっしゃっていたように、「聖霊はどこにでもおられる」ということをこの目で実際に見るのはとても励みになります。私たちがどの国に行ったとしても、私たちは、善良なる天主さまがご自身で選ばれた貴重な真珠の数々を見つけることができるでしょう。」
そして私たち宣教師にとっては、この宣教の仕事は過去の宣教とは違ったものです。過去においては、宣教師たちは、どこかに定住し、村を建設し、学校をつくったりしてきました。私たちはそれよりも少し表面的です。しかし、救うことができるものは救おうとしています。でもどこででも純粋で親切な魂が義に飢え乾いているのを見つけるのは、とてもとても心強いです。そのことは私たちを励まします。ちょうど宣教を続けていくための燃料のようなものです。
神父様はシンガポール本部外でもお仕事をされています。小修道院や教会施設(仮施設でないもの)をいくつ所有されていますか。これらの小修道院から、どれほどのチャペルやミサ・センターを定期的に訪問していらっしゃいますか?
クチュール神父様 アジアの18にわたる国々に、6つの小修道院を所有しています。私は6つといいました。なぜなら今6つ目を開設する手続きをしているからです。数週間のうちに、南フィリピンでその土地と家を取得する予定です。南インドに1つ修道院があり、シンガポールに1つ、フィリピンに3つそしてニュージーランドに1つあります。叙階されたばかりの若い司祭を含む22人の司祭がそこで暮らしています。チャペルの数は正確な数字がわかりませんが、40箇所から50箇所に近いでしょう。インドでは、少なくとも20箇所フィリピンのある範囲には、地域ごとにひとつずつチャペルがあります。シュミッツバーガー神父様がいつもおっしゃっているように、聖ピオ十世会は、存在することによって役割を果たすのです。存在することによって、目印としての役割をはたし、使徒職を果たします。日本、韓国、中国、マレーシア、インドネシアなどの様々な国々に、カトリック教会がどうなってしまったのかわからなくなって困っているカトリック教徒がいます。彼らは誰が自分を司牧してくれるのかわかりません。彼らは探しに探し続け、そしてついに偶然聖ピオ十世会にばったりと出会います。そこで彼らは信仰を見出し、真理を見出し、聖伝を見出し、公教要理を見出します。これらはすべて天主からの賜物ですから彼らはとても満足します。このことが励みになります。
クチュール神父様(中央)インド・パラヤンコタイにある聖ピオ十世会修道院の神父様たちと共に
他の地域でもしているように、聖ピオ十世会の司祭たちは信仰と秘跡に飢え乾く者に届ける仕事をしています。もちろん、聖ピオ十世会の司祭方が皆そうであるように、神父様も、もちろん司祭職を大切にしていらっしゃいます。何故ならこれが聖ピオ十世会の第一の目的だからです。今日、神父様や司教様が以前よりもっと聖ピオ十世会を注目なさっていたり、興味をお示しになったりしていますか?Motu Proprio の直接の行動は、真に伝統に有益な結果に導くでしょうか?
クチュール神父様 あちこちで、そうです。そうなっています。私たちは以前よりもっと司祭と連絡をとっています。例をあげましょう。ある国では、司教様は二人の司祭を、一週間にわたり英国における Una Voce 聖伝ミサ研修会に派遣しました。でも、何らかの理由により・・・私が思うに多分研修に参加する司祭が多過ぎるために、彼らは個人的に気配りがされていないために、1週間にわたる英国での研修のあと、司祭たちは聖ピオ十世会を訪問し、最初からもういちど始めます。「私たちにミサを教えてください。ミサーレのラテン語が読めるように研修をしていただけますか?」
このようにしていくつかの国から、司祭、そして司教様もいらっしゃいます。私は特にフィリピンでの感想を申し上げます。フィリピンでは、直接関係があったにもかかわらずあまりMotu Proprio の影響を受けていません。フィリピンでは、推進者である小野田神父様の直接のご指導のもと、pro-life運動を推進しています。小野田神父様はロザリオ十字軍を発動し、司教様方はそれに感銘を受けました。また、ある司教様方は修道院に昼食にお見えになりました。そうです。とても肯定的です。
2010年、この年、教皇様は聖職者にこの一年をおささげになりました、2010年の終わり頃、ある司教様が私たちの司祭の一人に、45人の小教区司祭を集めて彼に司祭たちのために講話をすることを許可されました。この講話会は確かな実を結ぶでしょう、なぜなら参加した司祭は本当に感謝していたからです。ここの大司教様は聖ピオ十世会は何かしら自分たちに与えるものを持っているということがはっきり知っていました。他方で自分の司祭たちのなかには何かが足りない、霊的生活の欠如があると。
この大司教様は最近私にこう言いました。「私の教区の司祭らに聖務日課について説教してください。また、聖務日課の必要性について説教してください。それから、聖時間の必要性についても。」これはひどい祈りの欠如です。この教区の年老いた司祭は私にいいました。「ここの教区の司祭は聖務日課について語りません。ロザリオも黙想もしません。聖なる生活の基礎のない聖職者について考えてみてください、何が残っていますか?何が残っているでしょうか?私たちは召命が減っていることに驚きません。霊的生活がもはやそこにないからです。」
聖務日課:公教会の公式の祈り。その日のある時間を天主を賛美するために捧げる
ですから、この大司教様が私たちに振り向いたのはとても興味深いことでした。「私の教区司祭に聖務日課の祈り方や聖務日課の重要性について話してください」そしてこのとき、わたしは聖ピオ十世会の一員であること、公教会のために働いていること、に喜びを感じました。これはルフェーブル大司教様の直感でした。私たちは教会の仕事に従事し、それゆえあちこちで(すでに始まっていることもありますし、これからますます発展することもあるでしょう)私たちは自分の教区の司祭をどのように司牧していいかわからない大司教様の仕事に従事します。彼らも自分で何らかの問題があると気づいています。でも解決方法がわからないのです。だから結局、彼らは、聖ピオ十世会が保ち続けているものこそ、自らが必要とている宝物だと知るのです。
聖伝のミサに関する問題として、興味をもっている司祭がラテン語を知らない、注意書き付きの本を持っていないなどが挙げられます。これは重要な欠陥です。ベトナムのある司教様が私に言いました。そしてわたしはそれを紙に書いたものも持っています。「私の小教区で聖伝ミサを捧げたい司祭は誰でも捧げてよい」これは司教様からのものですから、反論はありません。でも、この小教区では聖伝ミサに立ち戻るために必要な方法がありませんでした。これは彼らにとってもある種の懸念でした。ベトナムではわたしはある司祭が言うのを聞いたことがあります。「でも、私たちはラテン語をわからないし、ラテン語に関するものがないのです。私たちは聖伝ミサに立ち戻ることはできません」このように、ラテン語の欠如は、私たちが飛び超えなければならないハードルです。
私は一度、ある司祭たちに聖伝ミサを中国語で教えたことがあります。彼らは中国人司祭で、ラテン語を知りませんでした。これはルフェーブル大司教様が教えてくださったとおり正当なことです。「私たちはまず第一に、ラテン語であるかどうかをめぐって争ってはなりません。私たちは信仰のために戦うのです。」そして私たちは司祭たちに新ミサをラテン語で捧げるより、聖伝ミサを自国の言葉で捧げる方がよいと説明しました。これは言語の問題ではありませんでした。信仰の問題でした。そしてこのようなことを、ある司祭達にも教えました。希望はありますが、深刻かつ重大な障害があり、それを克服しなくてはなりません。それでも、良い意向があれば可能です。
神父様、中国の問題に戻りましょう。中国で何が起きているか興味のある訪問者や読者がたくさんいます。最近では、メディアが中国における司教様方の選挙、指名、聖職受任について報道しています。これはバチカンの権威にのっとったものなのか、そうでないのか、あるいはそれに反するものなのか。中国の状況の困難さについて論じていただけますか?カトリック教会と国立愛国教会との争いについてやこれらに関するここ数年のバチカンの見解を教えていただけますか。
クチュール神父様 中国は非常に複雑です。フランス語にはこんな言い方があります。C'est du chinois. 「それって中国語だ。」これは何か理解に苦しむ時に使う口語表現です。これはとても精密で難しい中国語だけを指すのではありません。私たち西洋人は、彼らを理解するのが難しいのです。でも宗教的状況になると、これもまた非常に微妙で難しいのです
(続く・・・)
愛する兄弟姉妹の皆様、こんにちは!
7月18日の海の日には東京で17名の愛する兄弟姉妹様が、19日には10名の方々が聖伝のミサに与る恵みを受けました。天主様に感謝! また、私事ですが、7月19日の東京でのミサは司祭となって7900回目の聖伝のミサでした。天主様に感謝!
さて、聖ピオ十世会のアメリカ管区ではクチュール神父様へのインタビューがウェブサイトに掲載されています。これを日本語に訳して下さった方がおられ、大変深い感謝を込めて、愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。
2011年 7月6日
アメリカ管区は、今回、聖ピオ十世会のアジア管区でのお仕事についてインタビューに応じてくださった ダニエル・クチュール神父様に心から感謝致します。
2009年、司祭叙階25周年記念祝典でのダニエル・クチュール神父様の写真
神父様、今回インタビューを受けていただいてありがとうございます。神父様はここウィノナに司祭叙階式のためにいらっしゃいました。今朝、(6月17日)5人の司祭が叙階され、このうち一人はインド人で、インド着任予定です。今回の叙階について、ご感想をお願い致します。
クチュール神父様:司祭叙階式に立ち会うのは、いつも大変大きな喜びです。世界のあらゆるところから来る若い司祭を叙階することによって、聖ピオ十世会は真に公教会に仕えていることがわかります。ここにおいて、天主の恩寵が、私たちの主が王たるために、公教会のために、働きたいという若者の魂に根を張り続けているのがわかります。わたしはここアメリカに、インド人信者の一人を叙階するための補佐に来ました。彼は実は南インドにあるパラヤンコタイの通訳者の息子です。彼の父は毎週日曜日に説教や公教要理を通訳しています。彼の叙階は、私たちそしてアジア管区全体の大きな喜びです。
神父様はアジア管区長でいらっしゃいます。そして第3期目に入っていらっしゃいます。アジアは巨大な地域です。多くの様々な国々や人々がいます。非常に多くの仕事が成し遂げられてきました。アジア管区でのお仕事を要約していただけますか?
クチュール神父様:アジアは世界人口の半分に相当します。西方は中東地域から始まります。中東地域では、アラブ首長国連邦とオーマンにおいて、数箇所のミサ・センターを既に設立しており、その運営をしています。中東には、フランス系、インド人、スリランカ人、フィリピン人の伝統的カトリック教徒の家族がいます。それから、東の果てには日本、ニュージーランド、太平洋諸島もあります。巨大な地域です。宣教はわくわくする体験です。ちょうど私たちが、偉大な宣教師である聖テオファン・ヴェナールの伝記で読んだような、それからパリ外国宣教師会神学校の殉教者たちのような。
宣教は私たちを熱意で満たし、ルフェーブル大司教様がよくおっしゃっていたように、「聖霊はどこにでもおられる」ということをこの目で実際に見るのはとても励みになります。私たちがどの国に行ったとしても、私たちは、善良なる天主さまがご自身で選ばれた貴重な真珠の数々を見つけることができるでしょう。」
そして私たち宣教師にとっては、この宣教の仕事は過去の宣教とは違ったものです。過去においては、宣教師たちは、どこかに定住し、村を建設し、学校をつくったりしてきました。私たちはそれよりも少し表面的です。しかし、救うことができるものは救おうとしています。でもどこででも純粋で親切な魂が義に飢え乾いているのを見つけるのは、とてもとても心強いです。そのことは私たちを励まします。ちょうど宣教を続けていくための燃料のようなものです。
神父様はシンガポール本部外でもお仕事をされています。小修道院や教会施設(仮施設でないもの)をいくつ所有されていますか。これらの小修道院から、どれほどのチャペルやミサ・センターを定期的に訪問していらっしゃいますか?
クチュール神父様 アジアの18にわたる国々に、6つの小修道院を所有しています。私は6つといいました。なぜなら今6つ目を開設する手続きをしているからです。数週間のうちに、南フィリピンでその土地と家を取得する予定です。南インドに1つ修道院があり、シンガポールに1つ、フィリピンに3つそしてニュージーランドに1つあります。叙階されたばかりの若い司祭を含む22人の司祭がそこで暮らしています。チャペルの数は正確な数字がわかりませんが、40箇所から50箇所に近いでしょう。インドでは、少なくとも20箇所フィリピンのある範囲には、地域ごとにひとつずつチャペルがあります。シュミッツバーガー神父様がいつもおっしゃっているように、聖ピオ十世会は、存在することによって役割を果たすのです。存在することによって、目印としての役割をはたし、使徒職を果たします。日本、韓国、中国、マレーシア、インドネシアなどの様々な国々に、カトリック教会がどうなってしまったのかわからなくなって困っているカトリック教徒がいます。彼らは誰が自分を司牧してくれるのかわかりません。彼らは探しに探し続け、そしてついに偶然聖ピオ十世会にばったりと出会います。そこで彼らは信仰を見出し、真理を見出し、聖伝を見出し、公教要理を見出します。これらはすべて天主からの賜物ですから彼らはとても満足します。このことが励みになります。
クチュール神父様(中央)インド・パラヤンコタイにある聖ピオ十世会修道院の神父様たちと共に
他の地域でもしているように、聖ピオ十世会の司祭たちは信仰と秘跡に飢え乾く者に届ける仕事をしています。もちろん、聖ピオ十世会の司祭方が皆そうであるように、神父様も、もちろん司祭職を大切にしていらっしゃいます。何故ならこれが聖ピオ十世会の第一の目的だからです。今日、神父様や司教様が以前よりもっと聖ピオ十世会を注目なさっていたり、興味をお示しになったりしていますか?Motu Proprio の直接の行動は、真に伝統に有益な結果に導くでしょうか?
クチュール神父様 あちこちで、そうです。そうなっています。私たちは以前よりもっと司祭と連絡をとっています。例をあげましょう。ある国では、司教様は二人の司祭を、一週間にわたり英国における Una Voce 聖伝ミサ研修会に派遣しました。でも、何らかの理由により・・・私が思うに多分研修に参加する司祭が多過ぎるために、彼らは個人的に気配りがされていないために、1週間にわたる英国での研修のあと、司祭たちは聖ピオ十世会を訪問し、最初からもういちど始めます。「私たちにミサを教えてください。ミサーレのラテン語が読めるように研修をしていただけますか?」
このようにしていくつかの国から、司祭、そして司教様もいらっしゃいます。私は特にフィリピンでの感想を申し上げます。フィリピンでは、直接関係があったにもかかわらずあまりMotu Proprio の影響を受けていません。フィリピンでは、推進者である小野田神父様の直接のご指導のもと、pro-life運動を推進しています。小野田神父様はロザリオ十字軍を発動し、司教様方はそれに感銘を受けました。また、ある司教様方は修道院に昼食にお見えになりました。そうです。とても肯定的です。
2010年、この年、教皇様は聖職者にこの一年をおささげになりました、2010年の終わり頃、ある司教様が私たちの司祭の一人に、45人の小教区司祭を集めて彼に司祭たちのために講話をすることを許可されました。この講話会は確かな実を結ぶでしょう、なぜなら参加した司祭は本当に感謝していたからです。ここの大司教様は聖ピオ十世会は何かしら自分たちに与えるものを持っているということがはっきり知っていました。他方で自分の司祭たちのなかには何かが足りない、霊的生活の欠如があると。
この大司教様は最近私にこう言いました。「私の教区の司祭らに聖務日課について説教してください。また、聖務日課の必要性について説教してください。それから、聖時間の必要性についても。」これはひどい祈りの欠如です。この教区の年老いた司祭は私にいいました。「ここの教区の司祭は聖務日課について語りません。ロザリオも黙想もしません。聖なる生活の基礎のない聖職者について考えてみてください、何が残っていますか?何が残っているでしょうか?私たちは召命が減っていることに驚きません。霊的生活がもはやそこにないからです。」
聖務日課:公教会の公式の祈り。その日のある時間を天主を賛美するために捧げる
ですから、この大司教様が私たちに振り向いたのはとても興味深いことでした。「私の教区司祭に聖務日課の祈り方や聖務日課の重要性について話してください」そしてこのとき、わたしは聖ピオ十世会の一員であること、公教会のために働いていること、に喜びを感じました。これはルフェーブル大司教様の直感でした。私たちは教会の仕事に従事し、それゆえあちこちで(すでに始まっていることもありますし、これからますます発展することもあるでしょう)私たちは自分の教区の司祭をどのように司牧していいかわからない大司教様の仕事に従事します。彼らも自分で何らかの問題があると気づいています。でも解決方法がわからないのです。だから結局、彼らは、聖ピオ十世会が保ち続けているものこそ、自らが必要とている宝物だと知るのです。
聖伝のミサに関する問題として、興味をもっている司祭がラテン語を知らない、注意書き付きの本を持っていないなどが挙げられます。これは重要な欠陥です。ベトナムのある司教様が私に言いました。そしてわたしはそれを紙に書いたものも持っています。「私の小教区で聖伝ミサを捧げたい司祭は誰でも捧げてよい」これは司教様からのものですから、反論はありません。でも、この小教区では聖伝ミサに立ち戻るために必要な方法がありませんでした。これは彼らにとってもある種の懸念でした。ベトナムではわたしはある司祭が言うのを聞いたことがあります。「でも、私たちはラテン語をわからないし、ラテン語に関するものがないのです。私たちは聖伝ミサに立ち戻ることはできません」このように、ラテン語の欠如は、私たちが飛び超えなければならないハードルです。
私は一度、ある司祭たちに聖伝ミサを中国語で教えたことがあります。彼らは中国人司祭で、ラテン語を知りませんでした。これはルフェーブル大司教様が教えてくださったとおり正当なことです。「私たちはまず第一に、ラテン語であるかどうかをめぐって争ってはなりません。私たちは信仰のために戦うのです。」そして私たちは司祭たちに新ミサをラテン語で捧げるより、聖伝ミサを自国の言葉で捧げる方がよいと説明しました。これは言語の問題ではありませんでした。信仰の問題でした。そしてこのようなことを、ある司祭達にも教えました。希望はありますが、深刻かつ重大な障害があり、それを克服しなくてはなりません。それでも、良い意向があれば可能です。
神父様、中国の問題に戻りましょう。中国で何が起きているか興味のある訪問者や読者がたくさんいます。最近では、メディアが中国における司教様方の選挙、指名、聖職受任について報道しています。これはバチカンの権威にのっとったものなのか、そうでないのか、あるいはそれに反するものなのか。中国の状況の困難さについて論じていただけますか?カトリック教会と国立愛国教会との争いについてやこれらに関するここ数年のバチカンの見解を教えていただけますか。
クチュール神父様 中国は非常に複雑です。フランス語にはこんな言い方があります。C'est du chinois. 「それって中国語だ。」これは何か理解に苦しむ時に使う口語表現です。これはとても精密で難しい中国語だけを指すのではありません。私たち西洋人は、彼らを理解するのが難しいのです。でも宗教的状況になると、これもまた非常に微妙で難しいのです
(続く・・・)