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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

スリランカのコロンボ大司教区のウェブ・サイトによるオリサでの迫害のちょうど一年後にあったゾウの攻撃

2011年08月04日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 聖ピオ十世会アジア管区長のクチュール神父様がインタビューの中で、スリランカのコロンボ大司教区が発表しているインドのゾウの話を紹介しています。

 ところで、このスリランカのコロンボ大司教区のウェブ・サイトの該当ページを翻訳して下さった方がおられますので、深く感謝しつつ愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
(日本が放射能の危険のない安全な国土になることを祈りつつ、原発の代わりになるエネルギーが一日も早く日本に定着することをこいねがいつつ)


オリサでの迫害のちょうど一年後にあったゾウの攻撃 ELEPHANTS ATTACK IN ORISSA  EXACTLY AFTER ONE YEAR OF PERSECUTIONS


オリサでの迫害のちょうど一年後にあったゾウの攻撃
ELEPHANTS ATTACK IN ORISSA
EXACTLY AFTER ONE YEAR OF PERSECUTIONS


 2008年の7月、インドのオリッサ州でひどい迫害が起こりました。バーフガーフ地区クフントパリ村に怒り狂った暴徒が押し寄せ、孤児院を焼き払ってしまいました。そのとき、22才の修道女は火あぶりにされました。またある修道女はカンダハマルで集団暴行を受けました。暴徒は教会を攻撃し、自動車に火を放ち、キリスト教徒の家を壊しました。トマス・チェレン神父様は、爆弾で破壊された布教センターの所長でした。神父様はヒンズー教の暴徒により火をつけられかけましたが、なんとか九死に一生を得ました。これらの結果、殺害された信者は500人以上、負傷者及び家を焼き払われたことによりホームレスとなった者の数は数千人に及びました。最近、不思議で劇的な出来事がオリッサ州で起こりました。多くの人はこのことについて語り合い、不思議がりました。

 ここ数箇月の間、野生のゾウの大群が、混乱の時、キリスト教徒に最悪の迫害を行なった迫害者の住む村々に、嵐のように襲いかかりました。一年前、有る村では、キリスト教徒は、暴動を起こした者によって自分の家が壊されているとき、自らの命を守るために走って逃げなければなりませんでした。一年後、2009年7月、その攻撃を受けたのと同じ日同じ時間にゾウの一群が、村の周りを取り囲むジャングルから、どこからともなく現れました。

このゾウたちは、まず、迫害運動の首謀者が所有している岩石粉砕機を攻撃しました。それから、彼の家と農場を壊しに行きました。

 数百人の村人が野生のゾウの継続的な攻撃により、オリッサ州の避難所生活を強いられることになりました。

 カンダハマル地区では、最近数週間の間にも、12~13頭のゾウの群れに攻撃され
7名が死亡、このほか数人が負傷しています。

 地区長のクリシュエン・クマー氏によると、45の村に住む2500人以上の人がゾウの攻撃によって影響を受けた、ということです。

 ところでしかし、彼によると、このゾウの一群は、隣接するラクヘリ特別保護区からきたのかどうか、はっきりしないのです。カンダハマルへは300キロメートルほど移動せねばなりませんし、地区にある、市街地を通らねばなりません。自然動物局の職員は、攻撃現場に仮設テントを設営し、どのようにして、ゾウが自然保護区から出てきたか解明しようとしています。村人は、ゾウが大群で激しい破壊を引き起こしながら攻撃したのを見たからです。

勢いづいたゾウは、非キリスト教徒の家を破壊して回り、庭を破壊し、迫害者の家を特定して攻撃しました。キリスト教徒の家は無傷でした。

 この奇妙な攻撃は広がり、ゾウは既に30の村の700軒の家を破壊、5人が死亡したという報告があります。この地区の人々は誰も、ゾウの大群がこのようなことをすることを見たことはなかったし、ゾウがそのようなことをすることを想像することさえできなかったのです。このゾウは普通のゾウではありません。このゾウは、キリスト教布教活動のために現れたのです。

 一般的に、小さいゾウがはじめに村にやってきて、その地域の情報収集をします。それから少し大きなゾウの群れがやってきて、その後もっと大きなゾウがすぐにやってきて、仕事をやってしまいます。

 インドの ministry partner は、次のように述べました。「私たちが思うに、これは殉教者の血の復讐と何か関係があるのかもしれません。事実、神の怒りが現地の人に落ちたのです。現地の人はこのゾウに「キリスト教徒のゾウ」と名を付けました。」

 行政からの援助がほとんどないので、村人は道路を封鎖しました。「ゾウは、農作物と特定の家を破壊しました。」でも、官僚は、援助をしないことを表明しました。「スンダーガーには、ゾウの永住居住区がありません。ゾウは、ビハール、チャッチスガーフ、ジャークハンドなど、ゾウの居住区が狭まってきているところから来ているのです。しかし、どうやって、そしてどうしてゾウがオリッサに到着したのか、明らかになっていません」



オーストリアのカトリック司祭たちはオープンに「不従順への呼びかけ」を開始

2011年08月04日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 300名ほどのオーストリアのカトリック司祭たちは、オープンに教義や規律を拒否し、三位一体の主日(2011年6月19日)に「不従順への呼びかけ」(AUFRUF ZUM UNGEHORSAM)というウェブ・サイトを開始しました。それについて、聖ピオ十世会のアメリカ管区のウェブ・サイトが記事を載せており、それを日本語に訳して下さった方がおられるので、感謝しつつ日本語訳を紹介します。

 このように助けて下さる愛する兄弟姉妹の皆様のおかげで大変に助かっております。ありがとうございます。

天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

オーストリアにおける離教の軌跡


 オーストリアにおいて、4200人いる司祭のうち、300名を超える司祭が「不従順の宣言」に賛同し、6月に発起人を送り出すことを宣言しました。その文書を引用します。「ローマにおける遅すぎる教会改革と司教の怠惰について」これを支持する司祭らは、次のようなことを含む宣言文を支持しています。

・言論の自由を基礎とした、すべての典礼における教会の改革がなされるように祈ること
・聖体拝領を「善意を信じる人」にも提供すること。これには、カトリックではないキリスト教徒や、教会外で再婚した人が含まれる。
・「聖体の配布がある言葉の典礼」を、「司祭なしの聖体祭儀」と呼ぶこと。このようにして、私たちは司祭不足の時の主日の義務を果たす。
・説教をするのは聖職者だけに制限する教会法上の規定を「無視」すること
・司祭のいない小教区では、「男女を問わず」個人のリーダーたちを促進すること
・「既婚者がそして女性が司祭職に着くことが出来るように、オープンに賛成の意思を表明する機会を使う」こと



 「この不従順の宣言は、私にとってショックでした」と、ウイーンのクリストフ・シェンボーン枢機卿は7月7日付の手紙に書きました。その手紙の中で、多くの専門職に就いている職員が不従順を宣言したら「とっくの昔に職を失っていたでしょう」。枢機卿は、司祭が叙階の時に司教に自由意思で従順を約束しましたことを思い出させて、司教様はこう問うたのです。「あなたを信頼して大丈夫ですね?」

 本当に良心に従って階級制度に不従順しなければならないと信じている人々は、その結果として「ローマ・カトリック教会と一致して道を旅することはできない・・従順の原理を投げ出した人は一致を壊している。」枢機卿は「司祭なしの聖体祭儀」などその「非論理」を指摘しています。



 このニュースについての私たち聖ピオ十世会アメリカ管区のコメントです。ヨーロッパで起きていること、オーストリアとオランダの状況は私たちを脅かすものです。しかし、アメリカでも既に似たようなことが起きています。例えば、ウィスコンシン州グリーンベイの司教は、最近、ある活動的な修道女を、小教区の管理者かつ典礼指導者かつ、特別聖体奉仕者などに指名しました。そして、司祭不足のため、このシスターは2つの小教区を担当することになりました。司祭たちは、他の秘跡が提供されているか確かめに、その教区に時々行くだけになりました。これは、普通のカトリックの小教区の生活の様相を一変させるかもしれない前例を作りつつあります。さて、この任命には、ローマの了解があったのでしょうか、少なくとも、アメリカ・カトリック司教協議会の了解があったのでしょうか?

 私たちは、あからさまな攻撃を受けている司祭の独身性について、教会の階級制度について、使徒継承の唯一の原理について、対処を迫られています。言うまでもないことですが、私たちは近代主義の傾向という毒素が、教会のいわば血管にゆっくりと注射されていることを気づかされています。今、私たちはこういった革命的な過程の結果について急に証人になっていることに気付かされます。

 これは、ド・リュバック de Lubac がその追憶『Mémoire sur l’occasion de mes écrits』において、不平を漏らしていたこととよく似ています。スクレーベクスやラーナーなどの急進派が世俗化と霊的砂漠化の推進者として「平行公会議(パラ公会議)-- オリンピックに平行するような形で開かれるパラ・オリンピックのように、正式な公会議とは別に準備された「公会議」のこと--」を創り上げていたことに言及してド・リュバックは抗議をしているのです。ド・リュバックとベネディクト十六世の言わんとしているメッセージは明らかです。「昔には戻らない、ただし、本当の公会議はまだ受け入れられていないのでその業を危険にさらしている進歩主義者たちから教会を守る必要がある」と。


 この響きは、デジャブ(既視体験)に似ています。風の強い日に種をまいた人は、今になって、差し迫った嵐に文句を言っています。前衛的な司祭のやりたい放題とは、つまり、第二バチカン公会議があれほど強制的に促進したまさに自由の精神から導き出される論理的結論にほかなりません。

注:

*1 Henri de Lubac, Ed. Culture et verite, Namur 1989, p. 346-347.


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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