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ローズ・フーさんの「楽在苦中」 第1章 真の人生の意義についての混乱

2011年08月30日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 アジア管区長クチュール神父様は、インタビューの中で、私たちの友人であるローズ・フーさんについて言及されました。

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 ローズ・フーさんの本「苦しみの中の喜び」(アジア管区サイトあるいはアンジェル・プレスでお求め頂けます)は日本語にも翻訳されつつあります。


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 そこで、愛する兄弟姉妹の皆様にこの日本語訳をご紹介したいと思います。これを日本語に訳される労を執って下さった兄弟に心から感謝します。


第1章 真の人生の意義についての混乱

 小さい葉のようなボートは湖の中心を漂っています。 あてもなく旋回し、湖の表面に巨大な円を描きます、そして、前方へ動いているように見えますが、実際は少しずつ後退しています。

 私たちが生まれる前に、私たちの天の父は、既に私たちを愛しました。 そうでなければ、どうして私たちは創られたのでしょうか? 天主様の御恵みは私が洗礼を受け入れる前から既に私と共にありました。 そうでなければ、私には洗礼を受け入れる霊的な知恵を持つことができたでしょうか? 信仰は天主様が私にお与えになった最も素晴しい恩恵です。

 真実への個々の霊魂に対する天主様の呼び出しは実に多様です。 私は、それほど御金持ちではありませんが、かなり快適な生活を全親族に提供するほど豊かであった異教徒の家族に生まれ、育てられました。 極端に貧しい親類、または友人との接触を全く持たなかったので、私は個人的に貧困の苦しみを経験したことがありませんでした。 殆ど物が無いという世界を体験していなかったので、私は自分が所有していた物を大事にしませんでした、他の人々も、私の様に安楽な人生を過していると思っていました。 私が通った小学校と高等学校は聖心会の修道女によって運営されていました。聖心小学校と震旦女中(中学・高校)は、高貴又はエリート家庭の為の名門校でした。 授業料が非常に高かったので、一般の家庭は費用を工面することが出来ませんでした。 私が高校に在学中で、共産主義者が中国を支配する直前に金銭的価値が激烈に下がったある日、私たちの家族の収納室に札束でいっぱいの麻の袋を見つけました。私と妹二人と、姪一人の僅か一学期の授業料を払うために、その袋を父が私たちの運転手に学校まで運ぶよう望んでいると知らされました。

 私にとって、私たちが学校に通うのにそのような多額のお金を支払わなければならなかったのは、大きな驚きでした。 これにより、皆さんは私が世間を殆ど知らず、私がどれだけナイーブであったかお分かりになるでしょう。 学校に通う以外に、私は映画に行くことに余念がありませんでした。 日曜日の一日で、私は時々3つの映画を見ました。 食事を抜くことができますが、映画を見逃すことはできませんでした。 私は合計8回も「風と共に去りぬ」を見ました。「哀愁」、「ジェーン・エア」等は少なくとも5回見ました。 その中のあるものは、台詞さえ暗唱することが出来ました。 私は頻繁にハリウッドの映画スターに手紙を書きました。 時折、彼らはサイン入りの写真を送り、私はそれを貴重な宝物として扱いました。私は自分は何という愚か者だろうとひそかに思ったことがありました。私は彼等俳優を偶像のように崇拝していましたが、彼等は私がだれであるかを知ってさえいませんでした。 映画は、私が自分のエネルギーと時間の大部分を費やしたものでしたが、それは次々に無数の錯覚と混乱の時を私にもたらしました。

 お金では幸福を買うことができません。 物質的な世界は、束の間の快楽だけを私たちに与えます。 地位と名声は、共に瞬きする内に過ぎ去る雲のようです。 そうでなければ、どうして或る億万長者と注目の的である映画スターは自殺したのでしょうか? もし、富が彼らの心の切望を実現させることが出来るなら、彼等は何故自滅の道を歩んだのでしょうか?

 物心の付くようになった日から、時間は川の中の水のように流れるのだと認識しました。 それを止めることはできませんし、流れを早くすることもできません。 美しく煌く雪片は水晶のように輝いていますが、いったん暖かい空気に吹かれると、それは蒸発します。 月は満ち欠けし、時間が絶えず過ぎていくのを人に知らせます。私の幼年期で最も待ち遠しい時期は旧正月でした。 これは、祭礼のため、人々が美味しい粽や湯圓を作り、食用のために鶏とアヒルを屠る時でした。 私たちは子供として、実に幸福でした。 沢山の爆竹で遊ぶ一方で、飴と瓜の種をいっぱい食べました。 欲しいものも手に入りました。 儀礼的な挨拶を親戚の年長者にした時、中にお金が入った紅包を受け取ります。中国の旧正月ほど子供に楽しみをもたらすものはありません。 ですが、万物は過ぎ去り、旧正月がどんなに楽しくても、結局は過ぎ去るものです。新年の到着を待ち望んで、鞭を使って地球を加速させようとしても、地球は動きません。 地球はそれ自身のリズムに応じ、いつものようにゆっくりと規則正しく回転します。 旧正月が来た時、早く過ぎ去らないように地球を縛り上げて動きを遅くしようとしても、地球がその要求に注意を向けるでしょうか? 結局、地球上の何物も永続はしません。 私もまた、私たちがこの世で生涯人生を相次いで楽しむことが出来るよう、人々が決して死なないことを願っていました。 しかし、大きくなるにつれて、私は人は皆必ず死ぬものだとわかりました。 人は、より現実的な人生における全てを理解する能力を持たざるをえません。 さもなければ、人の間の恐ろしい闘争と矛盾を想像するのは難しくなります。

 どこで真実の源、または人生の意義を見つけることが出来るだろう? 永遠の生命の真実がどこにあるのだろう?  私はさまよい、混乱していました。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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