アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
今回は、ネリー神父様の東京での講話を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。翻訳は同時通訳で、愛する兄弟姉妹の皆様のしもべがしました。ネリー神父様の言われようとしたことのニュアンスが正確に伝わるように努力しました。しかし誤りがあれば翻訳者の責任です。またこの書き起こしをしてくださった方に心から感謝します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2014年11月16日(日)
ネリ神父様霊的講話(東京)
皆さんに霊的講話をするように頼まれましたので、聖ピオ十世会に関する何かニュースを皆さんにお知らせしたいと思います。その後でご質問があれば、それにお答えしたいと思います。
まずニュースです。まず一番は、聖ピオ十世教皇様の帰天百周年なので、世界中で私達は色々な行事を行いました。特にイタリアで大きな巡礼があって、ルルドでも、一万二千人ほど集まった巡礼がありました。今年はそこで御恵みの年であって、どこでも色んな世界中で、信徒の方の数が増えているという事が分かりました。
ルルドでは、十月二十六日の主日には一万二千名、二十五日の土曜日には九千名が集まって、ミサをして、お祈りをしました。この信徒の方々は色んな所から来たのですけれども、例えばフランス、ドイツ、アメリカ、南アメリカ、各地から来た方が、本当に一つになって一致して、お祈りして、その一致を感じた三日間でした。巡礼の三日間でした。ルルドで。最初は、まあ一万名位集まれば良い方じゃないか、と思っていたのですけれども、それが一万二千名与ってその予想を超えていたので、それを組織する私達としてはちょっとしたチャレンジがありました。しかし、その多くの方が集まってお祈りをする事ができたので、慰めでもありました。また、三名の司教様方が、ルルドの司教様の許可をもちろん取って、ルルドの大聖堂で、司教座荘厳ミサを土曜、日曜、月曜と、三日間続けてする事ができたので、それも御恵みでした。
このルルドの巡礼の前に、私は実はアフリカに視察に行かなければなりませんでした。アフリカでは、二つの修道院を開く必要がありました。ナイジェリアの昔の首都であったラゴスと今の首都であるアブジャの間にエヌグという所があって、そこに私達は修道院を開きました。それからナイロビにも修道院があって、そこにはシスター達の修練院があります。ガボンのリーブルビルには、二〇〇名の生徒を擁する小学校、中学校があり、寄宿舎も今建設中だそうです。それからジンバブエでは、修道院をもう一度開く予定です。何故かというと、ビザの問題で、修道院を継続して存続する事が難しかったのですけれども、その問題が解決できたからです。それから、タンザニアとマンバサでも修道院があります。それから、ロードポートという南アフリカでも修道院へ行って視察しました。どこでも、信徒の方が多く増えていて、とても喜ばしいものでした。
ですから、まず修道院を建てて、司祭をおくって、その次に学校を建てて、その次に修練院やシスター達のいる修道院を造る、という順序に進んでいます。
私は聖ピオ十世会の経営する学校の最高責任者なので、その視察に行かなければなりませんでした。そこで、アフリカの前にオーストラリアの学校を視察しました。タイノンというメルボルンの近くにある所には、三二〇名ほど生徒にいる学校があります。そこの近くにまた土地を買いました。それは、ドミニコ会のシスター達の修道院を造る為で、ドミニコ会のシスター達に、女子高の運営を依頼する予定です。おそらく来年には準備ができて、それが開かれる予定です。ブリスベンにも一三〇名ほど生徒がいる学校があって、また今寄宿舎を建設中です。シドニーにも学校があって、ニュージーランドのワンガヌイにも、やはり学校があります。
アメリカにも、今プロジェクトがあって、それは、バージニア州に新しい神学校を建設するという事です。これは聖ピオ十世会が創立以来最大のプロジェクトで、エコンのように、エコンにちょうど一二〇名の神学生がいる事ができるような部屋がありますけれども、バージニア州にも一二〇名の神学生達がいる事ができるようにする部屋を造って、それプラス教授陣の部屋も造ります。また別の棟があって、そこにはシスター達がいる事ができるような棟もあって、その周りの環境も非常に素晴らしくて、自然に囲まれたとても良い所です。それも今着々と準備が進められていて、二〇一六年に、新しくそこで神学校する事が運営できる予定です。バージニアのビルウィンという所であるそうです。
カナダでも非常に発展していて、私もカナダにも行きました。学校を視察したのですけれども、ケベック州のレヴィという所にも大きな学校があって、トロントにも今学校を造り始めました。それからカルガリーという所にも、大きな教会と学校があります。
フランスはちょっと甘やかされていて、本当に色んなものがあります。日本にはまだ修道院がないのですけれども、フランスには五〇修道院があって、司祭も二〇〇名ほど、学校も数え切れないほどあって、ですから、日本にちょっと持って来ないといけません。
私は、一九八四年に最初に任命を受けた時に、学校で働くように命令を受けました。カルムの聖ヨゼフという所にあるのですけれども、そこには今では二五〇名以上の生徒がいて、家族が皆そっちに引っ越してきて、大きな教会を今建設中です。
それから九月二十三日には、ローマにミュラー枢機卿様の招待で行ってきました。このミュラー枢機卿様というのは、新しく教理聖省の長官になった方で、ミュラー枢機卿様が教理聖省の長官となって初めて会いました。そこではローマでは、ミュラー枢機卿様が私達を歓迎してくれて、一緒にラダリア司教様、これはイエズス会の司教様で、もう一人はディノイア司教様、それからポッゾ司教様がいます。ディノイア司教様はドミニコ会の方で、ポッゾ司教様はエクレジア・デイ委員会の方で、聖ピオ十世会はフェレー司教様と、フルーガー神父様と、私で行きました。ミュラー枢機卿様はドイツの方で、ラダリア司教様はスペインの方、ディノイア司教様はアメリカ人、ポッゾ司教様はイタリア人です。
最初にお会いした時にミュラー枢機卿様は、フェレー司教様と二人だけでお話したいという事だったので、十五分くらい話をしたそうです。その時のミュラー枢機卿様は、あんまりご機嫌が良いとは言えなかったようで、フランシスコ教皇様がミュラー枢機卿様に、聖ピオ十世会の人を困らしてはいけない、と二回厳しく言っていたので、ミュラー枢機卿様は私達に対して、何も悪い事はできませんでした。
そのフェレー司教様とのお話が終わった後でみんなで、七人でお話をしたのですけれども、そのお話の最中にミュラー枢機卿様の顔が、今までは厳しい、自分を防御する鉄仮面の様に厳しかったのが、だんだん柔らかくなって、最後は何か気持ちがほぐれて、あぁ、何だ。という事でガードを解いて、自分は最初、権威をもって、と思ってやっていたのが、それが変わりました。
ミュラー枢機卿様はドイツの方で、一メートル九十何センチと、とっても背が高くて、(ネリ神父様によれば)怪物の様な人なのですけれども、それが何かとても優しくなった。この二時間にわたるお話はとても良くうまくいきました。私自身も話をする事ができたし、質問もする事もできました。これは、最初のコンタクトとして良い意味をもっていました。ローマの偉い方々も、私達のこの立場の深い理由がある、という事をよく分かって、知る事が出来て、理解してくれて、その意義がありました。
この面談が終わった後に、私は一週間その後もローマにいて、その他の枢機卿様達とお会いしました。例えば、ディノイア枢機卿様やカスティリヨン・ホヨス枢機卿様、それから、教皇様に近い枢機卿様や司教様達に会って話をしました。そのようなコンタクトは、コネクションはとても有益だと思います。何故かというと、私達が持っているこの信念とか立場を妥協させる事なく、私達はこういう事を考えているのだ、という私達の信念を説明する事ができるからです、できたからです。
二〇〇九年から二〇一一年の間に、ローマと聖ピオ十世会では色々神学上のディスカッションをしました。特に、第二バチカン公会議の新しい問題点について、これは問題だ、という事を話したのですけれども、それが終わった後に、ローマと私達は正式な公式の話し合いのみならず、これからは非公式な、色んな手段でもっと話を続けていこう、という事で同意しています。
そこで、もうすぐするとブランミュラー枢機卿様という方が、ドイツの神学校のツァイツコーフェンにやって来て、第二バチカン公会議には問題がある、という事で、ドイツ語を話すような神父様達、例えばシュミットバーガー神父様やフェレー司教様や、或いはツァイツコーフェンの神学校の校長のフルーガー神父様などといったドイツ語の神父様達と、ブランミュラー枢機卿様が色々な話をする事になっています。
来年の二月には、カザフスタンの司教様であるシュナイダー司教様と一緒に、典礼について色々な話をする事になっています。このカザフスタンのシュナイダー司教様は、つい最近インタビューを報道されて、それを読む限り、非常に良い内容の事を答えています。特にこのシノドス、つい最近ローマであったシノドスについて厳しいお答えをしているのですけれども、このシュナイダー司教様は考え方として、聖ピオ十世会に一番近い方といえます。
それからミュラー枢機卿様については、つい最近ローマであったシノドスに対して非常に批判的で、特にこのシノドスにおいてリーダー的な役割をしていたカスパール枢機卿を厳しく告発しました。ところがフランシスコ教皇様は、この近代主義者であるカスパールを友人として保護して、また感嘆の目をもってカスパール枢機卿の事を尊敬しているようなので、カスパール枢機卿は、自分が教皇様から気に入られているという事を知っています。そこである時、カスパールはマスメディアに、「ミュラー枢機卿は私の事を攻撃するけれども、私を攻撃する事は教皇様を攻撃する事だ。」と、言って何とか攻撃をかわそうとしました。ミュラー枢機卿様は、そのような事にとても残念に思って、別に教皇様を攻撃しているわけではないし、ただ信仰をこうだ、という事を言いたかっただけなのですけれども、ミュラー枢機卿様が教理聖省の長官として長く留まるのかどうかちょっと心配で、もしかしたらあまり長くいないのではないか、という予感がします。そういう匂いがします。
ローマのシノドスの直前に、ミュラー枢機卿、ブランミュラー枢機卿様、バーク枢機卿、また非常に保守的な司教様や神学者達が、結婚について、或いはまた同性愛についてのカトリックの信仰はこうだ、という本を出版します。
ところがその本は、カスパール枢機卿は個人的な攻撃だ、と取って、互いにこのミュラー枢機卿とカスパールはこう対立関係にあって、今残念な事にローマでは、分裂、枢機卿様と枢機卿様が対立して分裂状態になっています。
これが今まで申し上げた事が最近のニュースで、それ以外に何か新しい事があったかというと、特に新しい事はありません。皆さんもこのような話は既にご存じかも知れません。マスメディアで聞いたかもしれません。何かご質問とかありますか?
質問者「フランスでは、たくさん修道院と教会とがあるというのは、それは信徒の数に応じて造っているのですか?」
ネリ神父様「私の思うには、信徒の数に応じた数だと思います。今、正確には一七〇名聖ピオ十世会の司祭がいるのですけれども、それ以外にも、聖ピオ十世会以外のお友達の神父様達もいるのですけれども、何故かというと、カトリック教会が突然変革して、革命的に変わってしまった、そのアバンギャルドな先鋭は、フランスから始まりました。ところがフランスは、その革新的な進歩的な超進歩的な司祭が、教会をめちゃくちゃにしていたと同時に、古い老神父様達も、多くの神父様達が、『それはできない、新しいミサはできない、古いミサを守るんだ』と言う神父様がたくさんいたので、聖ピオ十世会が創立される以前からそのような神父様達や、それを囲む信徒達がたくさんいたので、そのような方々、神父様達と、聖ピオ十世会が一緒になっているので、そのような数になっています。ですから信徒の数に対応して、司祭の数もいる事になっています。
アメリカでも、多くの信徒と司祭がいます。でもアメリカの場合には、信徒の数がもっといます。」
小野田神父様「日本で聖ピオ十世会の修道院ができる為には、どういうものが必要ですか?」
ネリ神父様「必要なものは既にここにあります。私は今回大阪に初めて行って、東京には二回目ですけれども、この聖ピオ十世会を歓迎して受け入れたい、という立派な信徒の方々がいる、という事が確信できました。で、問題はただ行く先(国)ごとに、あぁ、ここにも神父様を送ってください、あぁ、ここにも修道院を建てて下さい、と言われるので、そのような人達に取られないようにするのが一つ。もう一つの問題は、現代の若い男の子達は、昔と違って安定性に少し欠ける所があります。これはどういう事かというと、例えば、神学校に入るのだけれども、終わりまでいかずに半分以上が途中でやめてしまう、或いは、向かないから家に帰るように言われる。それなので、六年間の神学校の更にもうちょっと安定して、司祭になってからはやめる事がもうできないので、ちゃんと見極めをつける為に、一年か二年、年数を増やす過程を今作っています。また第三に、つい最近、聖ピオ十世会のやり方に不満を抱くような司祭がやめたケースがあるので、その為に司祭の数がちょっと不足してきます。またフランスにはたくさん、フランス人には司祭になる方がすごく多いのですけれども、フランス管区は他の国に送ろうとせずに、自分のフランスだけで留めて、もっと修道院が必要だ、もっと学校が必要だ、と言っているので、フランスの管区長に何とかそれを、まぁそんな事言わずに、と言わなければならないし、そこで小野田神父はまだ若いけれども、この小野田神父がまだ若いうちに、何とか日本に修道院ができる事が必要だと思っています。そこで、メンツィンゲンのフェレー司教様や他の偉い方に、是非司祭を送って下さい、と言う事を、お手紙を書いて下さい。私の総長補佐の任期は二〇一八年までで、あと四年ありますので、その間にお手紙を下さい。
それからナイジェリアでは、ナイジェリアの司祭はただ一人しかいなかったのですけれども、六〇名の信徒の人がいて、そこでスタートしたら今ではあっという間に二つの所でミッションがあって、八〇名と一六〇名になりました。一人のナイジェリア人の神父様と、二人のフランス人の司祭と三名で、今修道院があります。
ですから、日本人のもう一人の神父様が出れば本当に嬉しいのですけれども、神学校に入る様な男性の日本人の一人でもいれば、それがきっとサインとなって印となって、あぁ日本に修道院を、司祭を派遣しなければならない、常駐司祭を派遣しなければならない、というきっとサインになるのではないかと思います。」
ネリ神父様「日本にもしも司祭が常駐すれば、日本だけいるのではなくて、例えば韓国とかそのような所にもミッションに行くので、別にフィリピンから韓国に行く必要がありません。ですから、仕事を減らす事にもなるので創立の意義があります。
ナイジェリアでは、一九九二年から約二十年前からミッションが始まったのですけれども、ナイジェリアの、ノブスオルドのアウグスチノ会の神父様が聖ピオ十世会に入会されて、それから本格的にナイジェリアでは活動が発展しました。
それなので、三名の司祭の常駐する修道院がたとえ無かったとしても、司祭がいつも居るようなミサの所、ミサの場所、という感じでやれば、司祭がいるだけで多くの方が集まると思いますし、その為にも、メンツィンゲンにたくさんそういう様な手紙を書いて、プッシュして下さい。
例えば、司祭がいるのといないのとではどう違うかというと、ガボンのリーブルビルという所では、三十年前にミッションを司祭が常駐するようになったのですけれども、最初は五〇名もいませんでした。ほんのちょっとしたグループだったのですけれども、今では三千名以上います。司祭がいるかいないかでは本当に違うので、是非、司祭が常駐する事によって多くの方が御恵みを頂く事ができるようになればいいなと思います。」
質問者「エコンとかドイツとかアメリカの神学校に、日本のおいしい食べ物をいっぱい送って、日本はたくさんおいしいものがあるんだ、という事をアピールするとか。とても良い案だと。(^_^)」
ネリ神父様「(微笑みながら)あぁ、良いですよ。小野田神父からまたEメールが来た、また同じ話をしている、という事があれば、フェレー司教様とお会いした時に、そういうミーティングが毎週あるのですけれども、一週間に一回、その時に必ず日本の話を出すので、Eメールをたくさん書くように。Fさんだけじゃなくて他の方も書いて下さい。」
ネリ神父様「シュナイダー神父様は、『今、教会に問題がある』と、警告の厳しい発言をして、ポーランドの新聞記者にインタビューを受けて答える内容ですけれども、非常に良い内容で、是非、どなたかが翻訳されると、日本語でも読む事ができるのですけれども、この仰っている内容は、私達が言おうとしている内容とほとんど同じで、『今、教会に問題がある』と、『教えを変えてはいけない、変える事ができない』と、いう事で、こういう事を言うのは私達だけではなくて、他の司教様や枢機卿様達もそうなのだ、という事を知る為にも、このような声が皆さんにも聞かれなければならない、と。で、このシュナイダー神父様は、とてもこの勇気があって言うのですけれども、もしかしたら他の司教様達からつまはじきにされてしまうかもしれません。
アメリカ人のバーク枢機卿様も、バチカンの最高裁の裁判長だったのですけれども、そのシノドスに反対して、それはできない、という事で、それをもう辞めさせられてしまって、今ではもう退任させられました。
でも、バーク枢機卿様は別にその地位は失っても、これからもっと自由な時間があって、著作とお祈りに励む事ができる、と言っているそうです。まだ六十二歳だそうです。」
質問者「バチカンから対話をしたい、というのは、今対話をしたいというのは、どういう意味合いがあるのでしょうか? ミュラー枢機卿様も含めて、聖ピオ十世会と対話をして、何をしていきたいとか、何を考えているのか。」
ネリ神父様「ローマからのそういう対話の目的は、私の見るには、ローマは聖ピオ十世会には特別のカリスマがあって、聖ピオ十世会には、特別に教会の中で果たすべき使命がある。それは、司祭の聖化と、司祭の教育と養成と、神学校の運営などで、司祭の聖化の為に養成の為に、特別のカリスマを、ルフェーブル大司教様から受けた、と。
それは本当です。聖ピオ十世会の会憲にも、一番の目的はそうだ、と書いてあります。
是非そういうカリスマを使って、協力して、司祭の養成をしていこう、という事を、ポッゾ司教やディノイア司教様達が何度も何度も言っています。
一緒にもちろんやるのは良いのですけれども、ただその為には、聖ピオ十世会が受け入れる事ができない事を受け入れてくれと頼まれます。それは何かというと、『新しいミサが悪い、という事を言ってはいけない。第二バチカン公会議に問題がある事を言ってはいけない、教皇様がやっている事は何でも良いのだ、と言わなければならない。』という事で、その『確かに聖ピオ十世会はカトリックだ。それはもう問題がない。ただ、ちょっとそういう批判をするから、完全な一致にはない』と、言われるので、『その批判をしてはいけない、問題があるという事を指摘してはいけない』、という事を言われるので、『そこは受け入れる事ができない』と私たちは言っています。そこが、今問題点となっています。
そこでローマは、聖ピオ十世会が他のローカルの司教様から悪い影響を受けないように、聖ピオ十世会を守る為に、特別の【属人区】という、教会法に従うものがあるのですけれども、聖ピオ十世会を属人区にしたいので、そうすればおかしな司教様達が何を言おうと、属人区で守られるので、そうしたい、という考えを持っていて、【この属人区というのは、もしご存知がない方がいたら、翻訳者が付け加える事が出来れば、テリトリーがない、人に属するという、属人区という意味で、どこかの教区に留まらないで、私達のサービスを必要とする人達に直接裁治権が及ぶ、というものです。】聖ピオ十世会をそうしたい、守りたい、と。
それでおそらく、今では、今の状況では難しいと思うのですけれども、これはもしもの話ですが、もしも将来ローマが、聖ピオ十世会から何名かの司祭達を、聖伝を守る司教様、と聖別する事を許可してくれる【そして、第二バチカン公会議や新しいミサを自由に批判できるという保証がある】のなら、属人区にそういう風になってもかまわない、と。これは仮定の話ですが、そういう日が来るかもしれない、と。何故かというと、そういう司教様がある事によって、他の司教様達の悪い影響も受けないで済むし、昔からのものを続けて守る事ができるからです。」
質問者「実際に教理聖省の枢機卿様と対面してお話して、雰囲気とかニュアンスとか感じで良いのですけれども、その本当にカトリック教会が傾いてきたので、何かこう藁(わら)をもすがる形で、聖ピオ十世会にちょっとでも立て直しを協力をして欲しいという気持ちなのか、もしくは、やっぱり目の上のタンコブじゃないですけど、もう取り入れちゃって、で、一致しました、という形にして、その上で徐々に失くしていってしまえば良い、と思っているのか、そのどっちの方に感じられるかな、と。」
ネリ神父様「最後に仰った、この目の上のタンコブで罠ではないか、というのは、ローマで働いている司教様や枢機卿様とか、私達と近い考えをもっている人達のコンタクト、情報によれば、『ローマからそういう提案は、罠とか、私達を失くしてしまおうという事では全然なくて、誠実に手を伸ばしているものだ。』と、そのコンタクトは言っています。
これは現実に起こった事で、私達はこれをどうやって解釈したら良いか、よく分からないのですけれども、こういう事が現実にありました。例えば、今から数年前に、アルゼンチンの南アメリカの管区長、ブシャク神父様が当時管区長でした。それで、そのブシャク神父様は管区長として、そのアルゼンチンの教区長であったベルゴリオ枢機卿様に、よく会いに行きました。ルフェーブル大司教様の伝記や、ルフェーブル大司教様の著作を持って行って会いに行くと、歓迎してくれて、聖ピオ十世会の事をよく知っているのです。で、ベルゴリオ枢機卿様は、ルフェーブル大司教様の伝記を三回読んだ、と。で、他の本も読んだと言って、聖ピオ十世会に対しては尊敬している、と言っています。
それがちょっと前に、一年ちょっと前に、ベルゴリオ枢機卿様が教皇様になりました。ブシャク神父様は、フランスの管区長になりました。そのブシャク神父様が、ベルゴリオ枢機卿様にお願いした事の一つは、アルゼンチンの政府の法律によって、外国人のカトリック司祭がアルゼンチンで働く為には、そこの教区長のサインが必要なのです、手紙が。ビザを受けるために。
それで、それをベルゴリオ枢機卿に言ったら、『おお、聖ピオ十世会の司祭が働く事ができる為に、政府はビザを発行して下さい。』と、枢機卿のサインをしたのです。いつもそうやっているのです。そこで、アルゼンチンで働いている外国人司祭は皆、ベルゴリオ枢機卿のサインを元に働いていたのです。ところが、枢機卿様が教皇様になったので、『どうしたら良いでしょうか?アルゼンチンの誰に今度からビザを頼めば良いですか?』と、いう事を、ブシャク神父様がまだ管区長だった時に、教皇様に手紙を書いたのです。そしたらフランシスコ教皇様は、『私が、聖ピオ十世会のアルゼンチンのビザを、私が責任もってしますから、アルゼンチンの新しい枢機卿ではなくて、私に直接手紙を書きなさい。』と、言ってきたのです。
それで、まだブシャク神父様が、南アメリカの管区長だった時に、教皇様から電話が来たのです。『ベルゴリオだ、フランシスコだ。』と。それで、『聖ピオ十世会のお前の事を忘れていない』と。それから、『ビザの事は心配するな、それを全部こっちに送れ。』と。それで、『アルゼンチンの教皇大使にお前の事を話した。ただ、アルゼンチンの政府がビザを発行するかどうかは、それは、そっちの問題だ。こっちのやる事は全部やった。』という事で、電話が来たのです。で、それを見て、私達としてはどのようにこれを解釈したら良いか、罠なのか、謎です。
私達はもちろんローマカトリックの一部として、教皇様やバチカンのコンタクトはもちろんあります。それも保ちつつ、しかし、最も大切な事は信仰を守る事ですから、今まで通りの聖伝の信仰を守って、ミサも守って、秘跡も守って、カトリック生活も守って、天国に行く事を考えています。」
「御清聴ありがとうございました。」
(拍手)
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。
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愛する兄弟姉妹の皆様、
今回は、ネリー神父様の東京での講話を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介します。翻訳は同時通訳で、愛する兄弟姉妹の皆様のしもべがしました。ネリー神父様の言われようとしたことのニュアンスが正確に伝わるように努力しました。しかし誤りがあれば翻訳者の責任です。またこの書き起こしをしてくださった方に心から感謝します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
ネリ神父様霊的講話(東京)
皆さんに霊的講話をするように頼まれましたので、聖ピオ十世会に関する何かニュースを皆さんにお知らせしたいと思います。その後でご質問があれば、それにお答えしたいと思います。
まずニュースです。まず一番は、聖ピオ十世教皇様の帰天百周年なので、世界中で私達は色々な行事を行いました。特にイタリアで大きな巡礼があって、ルルドでも、一万二千人ほど集まった巡礼がありました。今年はそこで御恵みの年であって、どこでも色んな世界中で、信徒の方の数が増えているという事が分かりました。
ルルドでは、十月二十六日の主日には一万二千名、二十五日の土曜日には九千名が集まって、ミサをして、お祈りをしました。この信徒の方々は色んな所から来たのですけれども、例えばフランス、ドイツ、アメリカ、南アメリカ、各地から来た方が、本当に一つになって一致して、お祈りして、その一致を感じた三日間でした。巡礼の三日間でした。ルルドで。最初は、まあ一万名位集まれば良い方じゃないか、と思っていたのですけれども、それが一万二千名与ってその予想を超えていたので、それを組織する私達としてはちょっとしたチャレンジがありました。しかし、その多くの方が集まってお祈りをする事ができたので、慰めでもありました。また、三名の司教様方が、ルルドの司教様の許可をもちろん取って、ルルドの大聖堂で、司教座荘厳ミサを土曜、日曜、月曜と、三日間続けてする事ができたので、それも御恵みでした。
このルルドの巡礼の前に、私は実はアフリカに視察に行かなければなりませんでした。アフリカでは、二つの修道院を開く必要がありました。ナイジェリアの昔の首都であったラゴスと今の首都であるアブジャの間にエヌグという所があって、そこに私達は修道院を開きました。それからナイロビにも修道院があって、そこにはシスター達の修練院があります。ガボンのリーブルビルには、二〇〇名の生徒を擁する小学校、中学校があり、寄宿舎も今建設中だそうです。それからジンバブエでは、修道院をもう一度開く予定です。何故かというと、ビザの問題で、修道院を継続して存続する事が難しかったのですけれども、その問題が解決できたからです。それから、タンザニアとマンバサでも修道院があります。それから、ロードポートという南アフリカでも修道院へ行って視察しました。どこでも、信徒の方が多く増えていて、とても喜ばしいものでした。
ですから、まず修道院を建てて、司祭をおくって、その次に学校を建てて、その次に修練院やシスター達のいる修道院を造る、という順序に進んでいます。
私は聖ピオ十世会の経営する学校の最高責任者なので、その視察に行かなければなりませんでした。そこで、アフリカの前にオーストラリアの学校を視察しました。タイノンというメルボルンの近くにある所には、三二〇名ほど生徒にいる学校があります。そこの近くにまた土地を買いました。それは、ドミニコ会のシスター達の修道院を造る為で、ドミニコ会のシスター達に、女子高の運営を依頼する予定です。おそらく来年には準備ができて、それが開かれる予定です。ブリスベンにも一三〇名ほど生徒がいる学校があって、また今寄宿舎を建設中です。シドニーにも学校があって、ニュージーランドのワンガヌイにも、やはり学校があります。
アメリカにも、今プロジェクトがあって、それは、バージニア州に新しい神学校を建設するという事です。これは聖ピオ十世会が創立以来最大のプロジェクトで、エコンのように、エコンにちょうど一二〇名の神学生がいる事ができるような部屋がありますけれども、バージニア州にも一二〇名の神学生達がいる事ができるようにする部屋を造って、それプラス教授陣の部屋も造ります。また別の棟があって、そこにはシスター達がいる事ができるような棟もあって、その周りの環境も非常に素晴らしくて、自然に囲まれたとても良い所です。それも今着々と準備が進められていて、二〇一六年に、新しくそこで神学校する事が運営できる予定です。バージニアのビルウィンという所であるそうです。
カナダでも非常に発展していて、私もカナダにも行きました。学校を視察したのですけれども、ケベック州のレヴィという所にも大きな学校があって、トロントにも今学校を造り始めました。それからカルガリーという所にも、大きな教会と学校があります。
フランスはちょっと甘やかされていて、本当に色んなものがあります。日本にはまだ修道院がないのですけれども、フランスには五〇修道院があって、司祭も二〇〇名ほど、学校も数え切れないほどあって、ですから、日本にちょっと持って来ないといけません。
私は、一九八四年に最初に任命を受けた時に、学校で働くように命令を受けました。カルムの聖ヨゼフという所にあるのですけれども、そこには今では二五〇名以上の生徒がいて、家族が皆そっちに引っ越してきて、大きな教会を今建設中です。
それから九月二十三日には、ローマにミュラー枢機卿様の招待で行ってきました。このミュラー枢機卿様というのは、新しく教理聖省の長官になった方で、ミュラー枢機卿様が教理聖省の長官となって初めて会いました。そこではローマでは、ミュラー枢機卿様が私達を歓迎してくれて、一緒にラダリア司教様、これはイエズス会の司教様で、もう一人はディノイア司教様、それからポッゾ司教様がいます。ディノイア司教様はドミニコ会の方で、ポッゾ司教様はエクレジア・デイ委員会の方で、聖ピオ十世会はフェレー司教様と、フルーガー神父様と、私で行きました。ミュラー枢機卿様はドイツの方で、ラダリア司教様はスペインの方、ディノイア司教様はアメリカ人、ポッゾ司教様はイタリア人です。
最初にお会いした時にミュラー枢機卿様は、フェレー司教様と二人だけでお話したいという事だったので、十五分くらい話をしたそうです。その時のミュラー枢機卿様は、あんまりご機嫌が良いとは言えなかったようで、フランシスコ教皇様がミュラー枢機卿様に、聖ピオ十世会の人を困らしてはいけない、と二回厳しく言っていたので、ミュラー枢機卿様は私達に対して、何も悪い事はできませんでした。
そのフェレー司教様とのお話が終わった後でみんなで、七人でお話をしたのですけれども、そのお話の最中にミュラー枢機卿様の顔が、今までは厳しい、自分を防御する鉄仮面の様に厳しかったのが、だんだん柔らかくなって、最後は何か気持ちがほぐれて、あぁ、何だ。という事でガードを解いて、自分は最初、権威をもって、と思ってやっていたのが、それが変わりました。
ミュラー枢機卿様はドイツの方で、一メートル九十何センチと、とっても背が高くて、(ネリ神父様によれば)怪物の様な人なのですけれども、それが何かとても優しくなった。この二時間にわたるお話はとても良くうまくいきました。私自身も話をする事ができたし、質問もする事もできました。これは、最初のコンタクトとして良い意味をもっていました。ローマの偉い方々も、私達のこの立場の深い理由がある、という事をよく分かって、知る事が出来て、理解してくれて、その意義がありました。
この面談が終わった後に、私は一週間その後もローマにいて、その他の枢機卿様達とお会いしました。例えば、ディノイア枢機卿様やカスティリヨン・ホヨス枢機卿様、それから、教皇様に近い枢機卿様や司教様達に会って話をしました。そのようなコンタクトは、コネクションはとても有益だと思います。何故かというと、私達が持っているこの信念とか立場を妥協させる事なく、私達はこういう事を考えているのだ、という私達の信念を説明する事ができるからです、できたからです。
二〇〇九年から二〇一一年の間に、ローマと聖ピオ十世会では色々神学上のディスカッションをしました。特に、第二バチカン公会議の新しい問題点について、これは問題だ、という事を話したのですけれども、それが終わった後に、ローマと私達は正式な公式の話し合いのみならず、これからは非公式な、色んな手段でもっと話を続けていこう、という事で同意しています。
そこで、もうすぐするとブランミュラー枢機卿様という方が、ドイツの神学校のツァイツコーフェンにやって来て、第二バチカン公会議には問題がある、という事で、ドイツ語を話すような神父様達、例えばシュミットバーガー神父様やフェレー司教様や、或いはツァイツコーフェンの神学校の校長のフルーガー神父様などといったドイツ語の神父様達と、ブランミュラー枢機卿様が色々な話をする事になっています。
来年の二月には、カザフスタンの司教様であるシュナイダー司教様と一緒に、典礼について色々な話をする事になっています。このカザフスタンのシュナイダー司教様は、つい最近インタビューを報道されて、それを読む限り、非常に良い内容の事を答えています。特にこのシノドス、つい最近ローマであったシノドスについて厳しいお答えをしているのですけれども、このシュナイダー司教様は考え方として、聖ピオ十世会に一番近い方といえます。
それからミュラー枢機卿様については、つい最近ローマであったシノドスに対して非常に批判的で、特にこのシノドスにおいてリーダー的な役割をしていたカスパール枢機卿を厳しく告発しました。ところがフランシスコ教皇様は、この近代主義者であるカスパールを友人として保護して、また感嘆の目をもってカスパール枢機卿の事を尊敬しているようなので、カスパール枢機卿は、自分が教皇様から気に入られているという事を知っています。そこである時、カスパールはマスメディアに、「ミュラー枢機卿は私の事を攻撃するけれども、私を攻撃する事は教皇様を攻撃する事だ。」と、言って何とか攻撃をかわそうとしました。ミュラー枢機卿様は、そのような事にとても残念に思って、別に教皇様を攻撃しているわけではないし、ただ信仰をこうだ、という事を言いたかっただけなのですけれども、ミュラー枢機卿様が教理聖省の長官として長く留まるのかどうかちょっと心配で、もしかしたらあまり長くいないのではないか、という予感がします。そういう匂いがします。
ローマのシノドスの直前に、ミュラー枢機卿、ブランミュラー枢機卿様、バーク枢機卿、また非常に保守的な司教様や神学者達が、結婚について、或いはまた同性愛についてのカトリックの信仰はこうだ、という本を出版します。
ところがその本は、カスパール枢機卿は個人的な攻撃だ、と取って、互いにこのミュラー枢機卿とカスパールはこう対立関係にあって、今残念な事にローマでは、分裂、枢機卿様と枢機卿様が対立して分裂状態になっています。
これが今まで申し上げた事が最近のニュースで、それ以外に何か新しい事があったかというと、特に新しい事はありません。皆さんもこのような話は既にご存じかも知れません。マスメディアで聞いたかもしれません。何かご質問とかありますか?
質問者「フランスでは、たくさん修道院と教会とがあるというのは、それは信徒の数に応じて造っているのですか?」
ネリ神父様「私の思うには、信徒の数に応じた数だと思います。今、正確には一七〇名聖ピオ十世会の司祭がいるのですけれども、それ以外にも、聖ピオ十世会以外のお友達の神父様達もいるのですけれども、何故かというと、カトリック教会が突然変革して、革命的に変わってしまった、そのアバンギャルドな先鋭は、フランスから始まりました。ところがフランスは、その革新的な進歩的な超進歩的な司祭が、教会をめちゃくちゃにしていたと同時に、古い老神父様達も、多くの神父様達が、『それはできない、新しいミサはできない、古いミサを守るんだ』と言う神父様がたくさんいたので、聖ピオ十世会が創立される以前からそのような神父様達や、それを囲む信徒達がたくさんいたので、そのような方々、神父様達と、聖ピオ十世会が一緒になっているので、そのような数になっています。ですから信徒の数に対応して、司祭の数もいる事になっています。
アメリカでも、多くの信徒と司祭がいます。でもアメリカの場合には、信徒の数がもっといます。」
小野田神父様「日本で聖ピオ十世会の修道院ができる為には、どういうものが必要ですか?」
ネリ神父様「必要なものは既にここにあります。私は今回大阪に初めて行って、東京には二回目ですけれども、この聖ピオ十世会を歓迎して受け入れたい、という立派な信徒の方々がいる、という事が確信できました。で、問題はただ行く先(国)ごとに、あぁ、ここにも神父様を送ってください、あぁ、ここにも修道院を建てて下さい、と言われるので、そのような人達に取られないようにするのが一つ。もう一つの問題は、現代の若い男の子達は、昔と違って安定性に少し欠ける所があります。これはどういう事かというと、例えば、神学校に入るのだけれども、終わりまでいかずに半分以上が途中でやめてしまう、或いは、向かないから家に帰るように言われる。それなので、六年間の神学校の更にもうちょっと安定して、司祭になってからはやめる事がもうできないので、ちゃんと見極めをつける為に、一年か二年、年数を増やす過程を今作っています。また第三に、つい最近、聖ピオ十世会のやり方に不満を抱くような司祭がやめたケースがあるので、その為に司祭の数がちょっと不足してきます。またフランスにはたくさん、フランス人には司祭になる方がすごく多いのですけれども、フランス管区は他の国に送ろうとせずに、自分のフランスだけで留めて、もっと修道院が必要だ、もっと学校が必要だ、と言っているので、フランスの管区長に何とかそれを、まぁそんな事言わずに、と言わなければならないし、そこで小野田神父はまだ若いけれども、この小野田神父がまだ若いうちに、何とか日本に修道院ができる事が必要だと思っています。そこで、メンツィンゲンのフェレー司教様や他の偉い方に、是非司祭を送って下さい、と言う事を、お手紙を書いて下さい。私の総長補佐の任期は二〇一八年までで、あと四年ありますので、その間にお手紙を下さい。
それからナイジェリアでは、ナイジェリアの司祭はただ一人しかいなかったのですけれども、六〇名の信徒の人がいて、そこでスタートしたら今ではあっという間に二つの所でミッションがあって、八〇名と一六〇名になりました。一人のナイジェリア人の神父様と、二人のフランス人の司祭と三名で、今修道院があります。
ですから、日本人のもう一人の神父様が出れば本当に嬉しいのですけれども、神学校に入る様な男性の日本人の一人でもいれば、それがきっとサインとなって印となって、あぁ日本に修道院を、司祭を派遣しなければならない、常駐司祭を派遣しなければならない、というきっとサインになるのではないかと思います。」
ネリ神父様「日本にもしも司祭が常駐すれば、日本だけいるのではなくて、例えば韓国とかそのような所にもミッションに行くので、別にフィリピンから韓国に行く必要がありません。ですから、仕事を減らす事にもなるので創立の意義があります。
ナイジェリアでは、一九九二年から約二十年前からミッションが始まったのですけれども、ナイジェリアの、ノブスオルドのアウグスチノ会の神父様が聖ピオ十世会に入会されて、それから本格的にナイジェリアでは活動が発展しました。
それなので、三名の司祭の常駐する修道院がたとえ無かったとしても、司祭がいつも居るようなミサの所、ミサの場所、という感じでやれば、司祭がいるだけで多くの方が集まると思いますし、その為にも、メンツィンゲンにたくさんそういう様な手紙を書いて、プッシュして下さい。
例えば、司祭がいるのといないのとではどう違うかというと、ガボンのリーブルビルという所では、三十年前にミッションを司祭が常駐するようになったのですけれども、最初は五〇名もいませんでした。ほんのちょっとしたグループだったのですけれども、今では三千名以上います。司祭がいるかいないかでは本当に違うので、是非、司祭が常駐する事によって多くの方が御恵みを頂く事ができるようになればいいなと思います。」
質問者「エコンとかドイツとかアメリカの神学校に、日本のおいしい食べ物をいっぱい送って、日本はたくさんおいしいものがあるんだ、という事をアピールするとか。とても良い案だと。(^_^)」
ネリ神父様「(微笑みながら)あぁ、良いですよ。小野田神父からまたEメールが来た、また同じ話をしている、という事があれば、フェレー司教様とお会いした時に、そういうミーティングが毎週あるのですけれども、一週間に一回、その時に必ず日本の話を出すので、Eメールをたくさん書くように。Fさんだけじゃなくて他の方も書いて下さい。」
ネリ神父様「シュナイダー神父様は、『今、教会に問題がある』と、警告の厳しい発言をして、ポーランドの新聞記者にインタビューを受けて答える内容ですけれども、非常に良い内容で、是非、どなたかが翻訳されると、日本語でも読む事ができるのですけれども、この仰っている内容は、私達が言おうとしている内容とほとんど同じで、『今、教会に問題がある』と、『教えを変えてはいけない、変える事ができない』と、いう事で、こういう事を言うのは私達だけではなくて、他の司教様や枢機卿様達もそうなのだ、という事を知る為にも、このような声が皆さんにも聞かれなければならない、と。で、このシュナイダー神父様は、とてもこの勇気があって言うのですけれども、もしかしたら他の司教様達からつまはじきにされてしまうかもしれません。
アメリカ人のバーク枢機卿様も、バチカンの最高裁の裁判長だったのですけれども、そのシノドスに反対して、それはできない、という事で、それをもう辞めさせられてしまって、今ではもう退任させられました。
でも、バーク枢機卿様は別にその地位は失っても、これからもっと自由な時間があって、著作とお祈りに励む事ができる、と言っているそうです。まだ六十二歳だそうです。」
質問者「バチカンから対話をしたい、というのは、今対話をしたいというのは、どういう意味合いがあるのでしょうか? ミュラー枢機卿様も含めて、聖ピオ十世会と対話をして、何をしていきたいとか、何を考えているのか。」
ネリ神父様「ローマからのそういう対話の目的は、私の見るには、ローマは聖ピオ十世会には特別のカリスマがあって、聖ピオ十世会には、特別に教会の中で果たすべき使命がある。それは、司祭の聖化と、司祭の教育と養成と、神学校の運営などで、司祭の聖化の為に養成の為に、特別のカリスマを、ルフェーブル大司教様から受けた、と。
それは本当です。聖ピオ十世会の会憲にも、一番の目的はそうだ、と書いてあります。
是非そういうカリスマを使って、協力して、司祭の養成をしていこう、という事を、ポッゾ司教やディノイア司教様達が何度も何度も言っています。
一緒にもちろんやるのは良いのですけれども、ただその為には、聖ピオ十世会が受け入れる事ができない事を受け入れてくれと頼まれます。それは何かというと、『新しいミサが悪い、という事を言ってはいけない。第二バチカン公会議に問題がある事を言ってはいけない、教皇様がやっている事は何でも良いのだ、と言わなければならない。』という事で、その『確かに聖ピオ十世会はカトリックだ。それはもう問題がない。ただ、ちょっとそういう批判をするから、完全な一致にはない』と、言われるので、『その批判をしてはいけない、問題があるという事を指摘してはいけない』、という事を言われるので、『そこは受け入れる事ができない』と私たちは言っています。そこが、今問題点となっています。
そこでローマは、聖ピオ十世会が他のローカルの司教様から悪い影響を受けないように、聖ピオ十世会を守る為に、特別の【属人区】という、教会法に従うものがあるのですけれども、聖ピオ十世会を属人区にしたいので、そうすればおかしな司教様達が何を言おうと、属人区で守られるので、そうしたい、という考えを持っていて、【この属人区というのは、もしご存知がない方がいたら、翻訳者が付け加える事が出来れば、テリトリーがない、人に属するという、属人区という意味で、どこかの教区に留まらないで、私達のサービスを必要とする人達に直接裁治権が及ぶ、というものです。】聖ピオ十世会をそうしたい、守りたい、と。
それでおそらく、今では、今の状況では難しいと思うのですけれども、これはもしもの話ですが、もしも将来ローマが、聖ピオ十世会から何名かの司祭達を、聖伝を守る司教様、と聖別する事を許可してくれる【そして、第二バチカン公会議や新しいミサを自由に批判できるという保証がある】のなら、属人区にそういう風になってもかまわない、と。これは仮定の話ですが、そういう日が来るかもしれない、と。何故かというと、そういう司教様がある事によって、他の司教様達の悪い影響も受けないで済むし、昔からのものを続けて守る事ができるからです。」
質問者「実際に教理聖省の枢機卿様と対面してお話して、雰囲気とかニュアンスとか感じで良いのですけれども、その本当にカトリック教会が傾いてきたので、何かこう藁(わら)をもすがる形で、聖ピオ十世会にちょっとでも立て直しを協力をして欲しいという気持ちなのか、もしくは、やっぱり目の上のタンコブじゃないですけど、もう取り入れちゃって、で、一致しました、という形にして、その上で徐々に失くしていってしまえば良い、と思っているのか、そのどっちの方に感じられるかな、と。」
ネリ神父様「最後に仰った、この目の上のタンコブで罠ではないか、というのは、ローマで働いている司教様や枢機卿様とか、私達と近い考えをもっている人達のコンタクト、情報によれば、『ローマからそういう提案は、罠とか、私達を失くしてしまおうという事では全然なくて、誠実に手を伸ばしているものだ。』と、そのコンタクトは言っています。
これは現実に起こった事で、私達はこれをどうやって解釈したら良いか、よく分からないのですけれども、こういう事が現実にありました。例えば、今から数年前に、アルゼンチンの南アメリカの管区長、ブシャク神父様が当時管区長でした。それで、そのブシャク神父様は管区長として、そのアルゼンチンの教区長であったベルゴリオ枢機卿様に、よく会いに行きました。ルフェーブル大司教様の伝記や、ルフェーブル大司教様の著作を持って行って会いに行くと、歓迎してくれて、聖ピオ十世会の事をよく知っているのです。で、ベルゴリオ枢機卿様は、ルフェーブル大司教様の伝記を三回読んだ、と。で、他の本も読んだと言って、聖ピオ十世会に対しては尊敬している、と言っています。
それがちょっと前に、一年ちょっと前に、ベルゴリオ枢機卿様が教皇様になりました。ブシャク神父様は、フランスの管区長になりました。そのブシャク神父様が、ベルゴリオ枢機卿様にお願いした事の一つは、アルゼンチンの政府の法律によって、外国人のカトリック司祭がアルゼンチンで働く為には、そこの教区長のサインが必要なのです、手紙が。ビザを受けるために。
それで、それをベルゴリオ枢機卿に言ったら、『おお、聖ピオ十世会の司祭が働く事ができる為に、政府はビザを発行して下さい。』と、枢機卿のサインをしたのです。いつもそうやっているのです。そこで、アルゼンチンで働いている外国人司祭は皆、ベルゴリオ枢機卿のサインを元に働いていたのです。ところが、枢機卿様が教皇様になったので、『どうしたら良いでしょうか?アルゼンチンの誰に今度からビザを頼めば良いですか?』と、いう事を、ブシャク神父様がまだ管区長だった時に、教皇様に手紙を書いたのです。そしたらフランシスコ教皇様は、『私が、聖ピオ十世会のアルゼンチンのビザを、私が責任もってしますから、アルゼンチンの新しい枢機卿ではなくて、私に直接手紙を書きなさい。』と、言ってきたのです。
それで、まだブシャク神父様が、南アメリカの管区長だった時に、教皇様から電話が来たのです。『ベルゴリオだ、フランシスコだ。』と。それで、『聖ピオ十世会のお前の事を忘れていない』と。それから、『ビザの事は心配するな、それを全部こっちに送れ。』と。それで、『アルゼンチンの教皇大使にお前の事を話した。ただ、アルゼンチンの政府がビザを発行するかどうかは、それは、そっちの問題だ。こっちのやる事は全部やった。』という事で、電話が来たのです。で、それを見て、私達としてはどのようにこれを解釈したら良いか、罠なのか、謎です。
私達はもちろんローマカトリックの一部として、教皇様やバチカンのコンタクトはもちろんあります。それも保ちつつ、しかし、最も大切な事は信仰を守る事ですから、今まで通りの聖伝の信仰を守って、ミサも守って、秘跡も守って、カトリック生活も守って、天国に行く事を考えています。」
「御清聴ありがとうございました。」
(拍手)
●聖伝のミサ(いわゆる「トリエント・ミサ」と呼ばれているローマ式典礼様式のミサ)にようこそ!
●ローマ・カトリックの聖伝のミサ vs エキュメニカルな新しいミサ(第二バチカン公会議のミサ)
この映画のダビングのために日本語訳を作り、録音してくださった声優の方々や、字幕を作ってくださった方々、すべての関係者の方々に感謝します。
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