アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
1月2日に大阪で行った聖伝のミサ(初土曜日 聖母の汚れ無き御心の随意ミサ)のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
2016年1月2日 初土曜日 聖母の汚れ無き御心の随意ミサ
小野田神父 説教
聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2016年1月2日、2016年の初土曜日の聖母の汚れ無き御心の随意ミサを捧げています。今日このミサの後では、まだ御公現までの時期ですので、ローマの習慣に従って、幼きイエズス様の礼拝式を行いたいと思います。
今年は、ファチマ100周年のその前の準備の特別の年です。どうぞその準備が良くできるように、秋田・長崎巡礼、それから聖母の黙想会が準備されています。どうぞ、ご参加する事を是非よろしくお願い致します。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、2016年、この年が、全くマリア様に捧げられた年でありますように、ファチマ100周年への準備が良くできますように、特にこの初土のミサで、私たちはマリア様に対してどのような愛を為すべきか、その為に、私たちがマリア様を愛する、その動機を、理由を、色々黙想してみる事にします。その後に、では具体的に、マリア様を愛する為にどうしたら良いか黙想して、遷善の決心を取る事に致しましょう。
聖グリニョン・ド・モンフォールによると、「天主様は、マリア様が、現在より多く知られ、より多く愛され、より多く崇敬され、尊敬される事を望んでいる。今まで、マリア様が生きておられた時より以上に、よりよくそうなる事を望んでおられる。」「もしも、あるべく、私たちの主が、イエズス・キリストが知らされていなければならないように、今知らされていないとしたら、愛されていないとしたら、それは、マリア様がまだよく知られていないからだ。」「この世に一番最初に、救い主をもたらしたのはマリア様であって、第2の、次の、第2の時にも、つまり現代、マリア様を通して、御子はこの世に与えられる。」と、聖グリニョン・ド・モンフォールは言います。
願わくはこの新年が、この1年が、私たちがマリア様をますます知り、愛し、崇敬する事によって、イエズス様がますます知られ、愛される年となりますように、黙想致しましょう。
では一体、私たちはどういう理由でマリア様をお愛しすれば良いでしょうか?
今日提案するのは、私たちがイエズス様の神秘体の一部である、という事からです。つまり、イエズス様と私たちは同じ命を生きていて、聖パウロによれば、「我にとりて生きるはキリストなり。イエズス・キリストを着よ。イエズス・キリストの心を心とせよ。」というその論理的結論として、「マリア様を愛する」という事です。
この、「イエズス・キリストの心を心とする。イエズス・キリストが私たちに於いて生きている、イエズス・キリストこそが私たちの原動力だ」という事を、2つの側面から見る事ができます。
1つは、イエズス様の聖心を、私たちが頂いている、イエズス様が私たちの心に生きている、という事から、私たちが「イエズス様が愛するその愛を以って、マリア様を愛する事ができる」からです。
では、イエズス様はどういう理由でマリア様を愛しておられたのでしょうか?イエズスス様に是非、「聖心の秘密を教えて下さい。イエズス様、イエズス様の聖心を私にも下さい。私がそれを以って、マリア様を愛する事ができますように教えて下さい。」と、お願いする事に致しましょう。
色々な理由がありすが、今回は3つに絞ります。
1つは、マリア様が、イエズス様のお母様であったからです。マリア様は、イエズス様が特別に選んだお母様であって、マリア様ほど完璧で、美しい、清い霊魂の、徳に溢れた母はいない、それほどの母親であったからです。
イエズス様をお喜ばせする為に、諸聖人は色々な努力をしました。ある者は殉教し、イエズス様の為に多くの童貞女たちは殉教し、命を捧げました。或いはイエズス様の為に、私たちの祖先、日本の殉教者も命を捧げました。或いはイエズス様の為に、修道会を創ったり、全生涯を捧げて一生懸命働いた聖人、宣教師たちがいます。イエズス様の命令をいつも果たそうとする天使たち、それらの色々な多くの聖人、聖女、証聖者、殉教者、大天使、聖天使、全てを集めても、マリア様ほど、イエズス様を喜ばせる事ができる方はいなかったからです。イエズス様をいつも愛しておられた、イエズス様の為だけに生きておられたお母様であったからです。
マリア様の御生涯を見ると、イエズス様を愛し、イエズス様の為に全ての苦しみと犠牲を喜んでお捧げした全ての聖人、聖女、殉教者たちの苦しみを全て集めても足りないほど、マリア様の受けたその御苦しみと、その御悲しみは、イエズス様の為だけに捧げられたものでした。
第2の理由は、マリア様がイエズス様のお母様であったのみならず、マリア様はイエズス様から特別に選ばれた第2のエヴァだったからです。イエズス様の贖いの業を遂行すべき選ばれた、贖いの伴侶でした、共贖者でした。イエズス様に御肉体を与え、イエズス様を養い育て、イエズス様が犠牲として捧げられる事ができるように、イエズス様が自分を贖い主として捧げられる事ができる為に、マリア様は全てを捧げて協力されました。
イエズス様に肉体を与えたのみならず、マリア様の意志も望みも、喜びも苦しみも、生贄も犠牲も全て、イエズス様と離れずに、最後まで、十字架の下に至るまで、イエズス様と共に一致しておられたからです。贖いの業を完成する為に、いつも共に働いておられたからです。イエズス様が、そのようなこのマリア様を、どうして愛さないわけがあるでしょうか。
そればかりではありません。イエズス様が人となってお生まれになったのも、私たちを天国に導く為でした。私たちが永遠の命を得るためでした。その為に、私たちがイエズス様の元へと戻って来るように、回心するように、マリア様はいつも私たちを助けて下さっています。罪人が回心するように、或いは、敬虔な者がますます熱心になるように、聖である者がますます聖徳を高める事ができるように、マリア様はいつも私たちの為に助けて下さるので、このようなマリア様を、イエズス様はどうして愛さないわけがあるでしょうか。
第3の理由は、マリア様ご自身、イエズス様の贖いの最高の実りだったからです。イエズス様の創造と贖いの最高の傑作でした。このような素晴らしい傑作マリア様を、どうして天主の御子イエズス様が、愛さないわけがあるでしょうか。
イエズス様が人となったのは、私たちの救霊の為、と同時に、聖父に栄光を捧げる為だからです。
イエズス様は、マリア様からの協力と承諾を得て、人として、人間として、天主聖父に栄光と贖いの業を捧げる事ができるようになりました。マリア様の子となる事によって、聖父に最高の賛美と感謝と栄光を捧げる事ができるようになりました。そのマリア様の協力に、イエズス様は深く感謝しています。ですからイエズス様は、聖父に栄光を帰する事ができるためにも、マリア様に感謝と愛を表しています。
またマリア様ご自身も、イエズス様と共に、諸聖人、天使たちが合わせても、決してする事ができないほどの、賛美と感謝と愛を、天主聖父に捧げておられるからです。イエズス様は、このようなマリア様を、どうして愛さずにおられるでしょうか。
もしも私たちがイエズス様の心を頂くならば、以上のような3つの動機でマリア様を、「あぁ、ますます愛そう」と、「イエズス様と同じ心で愛そう」と、なるに違いありません。
もう1つの側面は、「もしも私たちの中にイエズス様が生きているならば、イエズス様と一体であるならば、マリア様も同じく、私たちをそう考えられる」という事です。
イエズス様は言われました、「子よ、これ汝の母なり。」「女よ、これ汝の子なり。」
マリア様は、たとえそれがどのような者であっても、イエズス様が愛される者を、愛し給う者を、マリア様も愛されます。マリア様は、私たちは本当につまらない罪人ですけれども、罪を犯して、主に背く者ではありますけれども、しかし、イエズス様が私たちの贖いの為に御血潮を流して、私たちを極みまで愛された事を知っておられるので、イエズス様が愛しておられる私たちを、マリア様も愛しておられます。
マリア様は、私たちを御子のように、御子の愛した者として愛されるのであれば、大切に扱って下さるのであれば、私たちはどうしてこの愛を、愛を以って返さないわけにいられるでしょうか。
イエズス様は私たちを、マリア様の子供として宣言されました。マリア様は私たちを、イエズス様と同じ愛を以って愛されます。マリア様がイエズス様にされた愛は、私たちの想像を超える、とてつもない愛でした。シュテーリン神父様が、それは本当に詳しく教えて下さいました。全ての世の中の最高の母の愛を以って集めたとしても、マリア様がイエズス様を愛する愛に及ぶものはない。その同じ愛を以って、私たちを愛して下さる。どうして、私たちがそのマリア様を愛さないでおられるでしょうか。
マリア様は、私たちを十字架の苦しみを通して、超自然の命に産み出されました。超自然の命を与えて下さった、本当のお母様です。私たちを天国の命に産み出してくださった、本当の、霊的なお母様です。本当の母が、このような苦しみをもって産んだ子供である私たちを、どうして愛さないでおられるでしょうか。このような苦しみを以って生んで下さった私たちが、その御母を、お母様を、愛さないでどうしていられるでしょうか。
もしも私たちが、「イエズス様と一体である」という事を深く理解しているとすると、マリア様は更にもっと、理解しています。「イエズス様と私たちが一体である」という事を、マリア様はよく、深く理解して、私たちの事を見ています。つまり、マリア様にとって、「私たちを愛する」という事は、「イエズス様を愛する」と同じなのです。「イエズス様を愛する」という事は、「私たちを愛する」と同じなのです。
ですから、私たちに与える事は、皆イエズス様に与える事であって、イエズス様に与える事は、私たちに与える事です。ですから、「そのイエズス様と私たちが一つである、イエズス様が私たちに於いて生きている」という事をよく理解すると、私たちは、マリア様からのイエズス様への愛を受け、またイエズス様の愛を以って、マリア様を愛する事ができるようになります。
では、私たちはこの新年に、「マリア様を、イエズス様の愛を以って愛する」とその遷善の決心を立てる事に致しましょう。では、一体どうすれば良いでしょうか?
私たちは既に、マリア様の道具として、マリア様の子供として、マリア様の騎士として、インマクラータの騎士として、既にマリア様に捧げられたものですけれども、この今年の1年の全てを、私たちの全ての活動と、思いと、言葉と、行いと、私たちの全ての義務と、十字架、苦しみを、あらかじめマリア様にお捧げ致しましょう。私たちの日常の生活全てを、ますます大きな愛を以って、マリア様にお捧げいたしましょう。
私たちの起床から、朝の祈りから、私たちの日常の義務、単純な平凡な義務、それを、マリア様をますます愛する心を以ってお捧げいたしましょう。もしも私たちが、小さな事に忠実である事ができるならば、大きな事も忠実である事ができるはずです。小さな事を、大きな愛を以ってお捧げ致しましょう。マリア様にいつも従順でありますように、私たちの義務に忠実であるように、決心を致しましょう。
マリア様の御助けを以って、私たちが隣人に対して親切でありますように、愛徳を以っていつも接する事ができますように、忍耐と柔和をいつも欠く事がないように、決心を立てる事に致しましょう。毎日の生活をお捧げするのみならず、この2016年が、マリア様の汚れ無き御心にますます一致したものとなるように、イエズス様の心で、マリア様を愛する事ができるように、イエズス様がマリア様になさった事を黙想して、考えて、色々な本を読んだりする決心を立てましょう。
イエズス様はマリア様に、色々な特権や、栄光や、完徳を与えて下さいました。それらの祝日を、或いはそれらの、イエズス様がマリア様になさったその色々な御恵みを考える事に致しましょう。
また、マリア様がイエズス様になさった事も考える事に致しましょう。マリア様がイエズス様をどのように愛されたのか、イエズス様と共にどのように苦しまれたのか。
幼きイエズスの聖テレジアは、終わりに、あるシスターにこう言ったそうです、幼きイエズスの聖テレジアの言葉によれば、「私は、神父様たちの御説教によっては、あまり感動を受けませんでした。しかし、福音を読んで、マリア様が私たちの為にどれほど苦しまれたか、という事を黙想して、それから、大きな霊的な利益を得ました。」と。「何故かというと、神父様たちは、マリア様の特権や、色々な栄光をこう話されるので、あまりにも、こうマリア様が素晴らしい、素晴らしい、と言って、それの事だけで、あまりにも遠くにおられる方のように仰るのですけれども、でも福音を読むと、マリア様は私たちと同じ苦しみを受け、私たちと同じ清貧、或いは十字架の苦しみを苦しまれた。その、だからもっと私たちに対する愛を感じる。」と、幼きイエズスの聖テレジアは言っています。
マリア様の事を考える。最後に、私の提案するのは、マリア様に対する信心は、これは天主様からの特別の御恵みです。ですから、そのマリア様の信心を得る御恵みを祈りで求める事に致しましょう。イエズス様は、「私の名によって祈れ。そうすれば、聖父は必ずお前たちに与える。」と、言われました。イエズス・キリストの御名によって、ひたすらに、マリア様に対する信心を、愛を、乞い求める事に致しましょう。マリア様に倣う事ができるように、お祈り致しましょう。
ちょっと前に、北朝鮮に拉致された、めぐみさんのお母様が動画に出ていて、そのめぐみさんの産んだ、子供の娘だ、と言われる孫さんの動画が出ていて、それを見ていてお母さんが、「あぁ、この子の笑い方はめぐみそっくりだ。この子を見ると、ほんとこれはもうDNAとかそんなのなくても、これはもうめぐみの子供だとすぐ分かる、もう生き写しだ。」というような事を言っていたのを思い出します。
時々、出会う信徒の方の親子を見ると、「本当にそっくりだ、お母さんそっくりだ。」という方がいます。イエズス様は、マリア様の瓜二つだったに違いありません。誰が見ても、「あぁ、イエズス様は、全くそっくりだ、マリア様の子供だ。すぐ分かる。話し方も、笑い方も、言う内容も全てそっくりだ。瓜二つだ。」
私たちもマリア様にお祈りして、イエズス様にお祈りして、マリア様の信心や愛を頂き、マリア様に瓜二つになりますように。マリア様の、童貞の内の童貞であるマリア様から、貞潔の徳を。また、「我は主の婢女なり、仰せの如く我になれかし。」と言ったマリア様に、謙遜と、従順の徳を。主の御旨に対していつも従順である事ができるその徳を、マリア様を真似る徳を。また、すぐにエリザベトに訪問されたマリア様を見倣って、愛徳と奉仕の徳を得る事ができるように。また羊飼いの言葉や、博士たちの言葉を、皆胸に留めて心で思っておられたマリア様に倣って、私たちもマリア様に倣って、いつも黙想と、主の事を考えている事ができるように。
また、イエズス様を愛し、ヨゼフ様を愛したマリア様に倣って、私たちも、ヨゼフ様を愛する事ができますように。
お祈りを以って、特別のマリア様に対する愛と、マリア様の子供として、道具として、いつも従順である御恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟姉妹の皆様、
1月2日に大阪で行った聖伝のミサ(初土曜日 聖母の汚れ無き御心の随意ミサ)のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
小野田神父 説教
聖母の汚れ無き御心巡回教会にようこそ。今日は2016年1月2日、2016年の初土曜日の聖母の汚れ無き御心の随意ミサを捧げています。今日このミサの後では、まだ御公現までの時期ですので、ローマの習慣に従って、幼きイエズス様の礼拝式を行いたいと思います。
今年は、ファチマ100周年のその前の準備の特別の年です。どうぞその準備が良くできるように、秋田・長崎巡礼、それから聖母の黙想会が準備されています。どうぞ、ご参加する事を是非よろしくお願い致します。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、2016年、この年が、全くマリア様に捧げられた年でありますように、ファチマ100周年への準備が良くできますように、特にこの初土のミサで、私たちはマリア様に対してどのような愛を為すべきか、その為に、私たちがマリア様を愛する、その動機を、理由を、色々黙想してみる事にします。その後に、では具体的に、マリア様を愛する為にどうしたら良いか黙想して、遷善の決心を取る事に致しましょう。
聖グリニョン・ド・モンフォールによると、「天主様は、マリア様が、現在より多く知られ、より多く愛され、より多く崇敬され、尊敬される事を望んでいる。今まで、マリア様が生きておられた時より以上に、よりよくそうなる事を望んでおられる。」「もしも、あるべく、私たちの主が、イエズス・キリストが知らされていなければならないように、今知らされていないとしたら、愛されていないとしたら、それは、マリア様がまだよく知られていないからだ。」「この世に一番最初に、救い主をもたらしたのはマリア様であって、第2の、次の、第2の時にも、つまり現代、マリア様を通して、御子はこの世に与えられる。」と、聖グリニョン・ド・モンフォールは言います。
願わくはこの新年が、この1年が、私たちがマリア様をますます知り、愛し、崇敬する事によって、イエズス様がますます知られ、愛される年となりますように、黙想致しましょう。
では一体、私たちはどういう理由でマリア様をお愛しすれば良いでしょうか?
今日提案するのは、私たちがイエズス様の神秘体の一部である、という事からです。つまり、イエズス様と私たちは同じ命を生きていて、聖パウロによれば、「我にとりて生きるはキリストなり。イエズス・キリストを着よ。イエズス・キリストの心を心とせよ。」というその論理的結論として、「マリア様を愛する」という事です。
この、「イエズス・キリストの心を心とする。イエズス・キリストが私たちに於いて生きている、イエズス・キリストこそが私たちの原動力だ」という事を、2つの側面から見る事ができます。
1つは、イエズス様の聖心を、私たちが頂いている、イエズス様が私たちの心に生きている、という事から、私たちが「イエズス様が愛するその愛を以って、マリア様を愛する事ができる」からです。
では、イエズス様はどういう理由でマリア様を愛しておられたのでしょうか?イエズスス様に是非、「聖心の秘密を教えて下さい。イエズス様、イエズス様の聖心を私にも下さい。私がそれを以って、マリア様を愛する事ができますように教えて下さい。」と、お願いする事に致しましょう。
色々な理由がありすが、今回は3つに絞ります。
1つは、マリア様が、イエズス様のお母様であったからです。マリア様は、イエズス様が特別に選んだお母様であって、マリア様ほど完璧で、美しい、清い霊魂の、徳に溢れた母はいない、それほどの母親であったからです。
イエズス様をお喜ばせする為に、諸聖人は色々な努力をしました。ある者は殉教し、イエズス様の為に多くの童貞女たちは殉教し、命を捧げました。或いはイエズス様の為に、私たちの祖先、日本の殉教者も命を捧げました。或いはイエズス様の為に、修道会を創ったり、全生涯を捧げて一生懸命働いた聖人、宣教師たちがいます。イエズス様の命令をいつも果たそうとする天使たち、それらの色々な多くの聖人、聖女、証聖者、殉教者、大天使、聖天使、全てを集めても、マリア様ほど、イエズス様を喜ばせる事ができる方はいなかったからです。イエズス様をいつも愛しておられた、イエズス様の為だけに生きておられたお母様であったからです。
マリア様の御生涯を見ると、イエズス様を愛し、イエズス様の為に全ての苦しみと犠牲を喜んでお捧げした全ての聖人、聖女、殉教者たちの苦しみを全て集めても足りないほど、マリア様の受けたその御苦しみと、その御悲しみは、イエズス様の為だけに捧げられたものでした。
第2の理由は、マリア様がイエズス様のお母様であったのみならず、マリア様はイエズス様から特別に選ばれた第2のエヴァだったからです。イエズス様の贖いの業を遂行すべき選ばれた、贖いの伴侶でした、共贖者でした。イエズス様に御肉体を与え、イエズス様を養い育て、イエズス様が犠牲として捧げられる事ができるように、イエズス様が自分を贖い主として捧げられる事ができる為に、マリア様は全てを捧げて協力されました。
イエズス様に肉体を与えたのみならず、マリア様の意志も望みも、喜びも苦しみも、生贄も犠牲も全て、イエズス様と離れずに、最後まで、十字架の下に至るまで、イエズス様と共に一致しておられたからです。贖いの業を完成する為に、いつも共に働いておられたからです。イエズス様が、そのようなこのマリア様を、どうして愛さないわけがあるでしょうか。
そればかりではありません。イエズス様が人となってお生まれになったのも、私たちを天国に導く為でした。私たちが永遠の命を得るためでした。その為に、私たちがイエズス様の元へと戻って来るように、回心するように、マリア様はいつも私たちを助けて下さっています。罪人が回心するように、或いは、敬虔な者がますます熱心になるように、聖である者がますます聖徳を高める事ができるように、マリア様はいつも私たちの為に助けて下さるので、このようなマリア様を、イエズス様はどうして愛さないわけがあるでしょうか。
第3の理由は、マリア様ご自身、イエズス様の贖いの最高の実りだったからです。イエズス様の創造と贖いの最高の傑作でした。このような素晴らしい傑作マリア様を、どうして天主の御子イエズス様が、愛さないわけがあるでしょうか。
イエズス様が人となったのは、私たちの救霊の為、と同時に、聖父に栄光を捧げる為だからです。
イエズス様は、マリア様からの協力と承諾を得て、人として、人間として、天主聖父に栄光と贖いの業を捧げる事ができるようになりました。マリア様の子となる事によって、聖父に最高の賛美と感謝と栄光を捧げる事ができるようになりました。そのマリア様の協力に、イエズス様は深く感謝しています。ですからイエズス様は、聖父に栄光を帰する事ができるためにも、マリア様に感謝と愛を表しています。
またマリア様ご自身も、イエズス様と共に、諸聖人、天使たちが合わせても、決してする事ができないほどの、賛美と感謝と愛を、天主聖父に捧げておられるからです。イエズス様は、このようなマリア様を、どうして愛さずにおられるでしょうか。
もしも私たちがイエズス様の心を頂くならば、以上のような3つの動機でマリア様を、「あぁ、ますます愛そう」と、「イエズス様と同じ心で愛そう」と、なるに違いありません。
もう1つの側面は、「もしも私たちの中にイエズス様が生きているならば、イエズス様と一体であるならば、マリア様も同じく、私たちをそう考えられる」という事です。
イエズス様は言われました、「子よ、これ汝の母なり。」「女よ、これ汝の子なり。」
マリア様は、たとえそれがどのような者であっても、イエズス様が愛される者を、愛し給う者を、マリア様も愛されます。マリア様は、私たちは本当につまらない罪人ですけれども、罪を犯して、主に背く者ではありますけれども、しかし、イエズス様が私たちの贖いの為に御血潮を流して、私たちを極みまで愛された事を知っておられるので、イエズス様が愛しておられる私たちを、マリア様も愛しておられます。
マリア様は、私たちを御子のように、御子の愛した者として愛されるのであれば、大切に扱って下さるのであれば、私たちはどうしてこの愛を、愛を以って返さないわけにいられるでしょうか。
イエズス様は私たちを、マリア様の子供として宣言されました。マリア様は私たちを、イエズス様と同じ愛を以って愛されます。マリア様がイエズス様にされた愛は、私たちの想像を超える、とてつもない愛でした。シュテーリン神父様が、それは本当に詳しく教えて下さいました。全ての世の中の最高の母の愛を以って集めたとしても、マリア様がイエズス様を愛する愛に及ぶものはない。その同じ愛を以って、私たちを愛して下さる。どうして、私たちがそのマリア様を愛さないでおられるでしょうか。
マリア様は、私たちを十字架の苦しみを通して、超自然の命に産み出されました。超自然の命を与えて下さった、本当のお母様です。私たちを天国の命に産み出してくださった、本当の、霊的なお母様です。本当の母が、このような苦しみをもって産んだ子供である私たちを、どうして愛さないでおられるでしょうか。このような苦しみを以って生んで下さった私たちが、その御母を、お母様を、愛さないでどうしていられるでしょうか。
もしも私たちが、「イエズス様と一体である」という事を深く理解しているとすると、マリア様は更にもっと、理解しています。「イエズス様と私たちが一体である」という事を、マリア様はよく、深く理解して、私たちの事を見ています。つまり、マリア様にとって、「私たちを愛する」という事は、「イエズス様を愛する」と同じなのです。「イエズス様を愛する」という事は、「私たちを愛する」と同じなのです。
ですから、私たちに与える事は、皆イエズス様に与える事であって、イエズス様に与える事は、私たちに与える事です。ですから、「そのイエズス様と私たちが一つである、イエズス様が私たちに於いて生きている」という事をよく理解すると、私たちは、マリア様からのイエズス様への愛を受け、またイエズス様の愛を以って、マリア様を愛する事ができるようになります。
では、私たちはこの新年に、「マリア様を、イエズス様の愛を以って愛する」とその遷善の決心を立てる事に致しましょう。では、一体どうすれば良いでしょうか?
私たちは既に、マリア様の道具として、マリア様の子供として、マリア様の騎士として、インマクラータの騎士として、既にマリア様に捧げられたものですけれども、この今年の1年の全てを、私たちの全ての活動と、思いと、言葉と、行いと、私たちの全ての義務と、十字架、苦しみを、あらかじめマリア様にお捧げ致しましょう。私たちの日常の生活全てを、ますます大きな愛を以って、マリア様にお捧げいたしましょう。
私たちの起床から、朝の祈りから、私たちの日常の義務、単純な平凡な義務、それを、マリア様をますます愛する心を以ってお捧げいたしましょう。もしも私たちが、小さな事に忠実である事ができるならば、大きな事も忠実である事ができるはずです。小さな事を、大きな愛を以ってお捧げ致しましょう。マリア様にいつも従順でありますように、私たちの義務に忠実であるように、決心を致しましょう。
マリア様の御助けを以って、私たちが隣人に対して親切でありますように、愛徳を以っていつも接する事ができますように、忍耐と柔和をいつも欠く事がないように、決心を立てる事に致しましょう。毎日の生活をお捧げするのみならず、この2016年が、マリア様の汚れ無き御心にますます一致したものとなるように、イエズス様の心で、マリア様を愛する事ができるように、イエズス様がマリア様になさった事を黙想して、考えて、色々な本を読んだりする決心を立てましょう。
イエズス様はマリア様に、色々な特権や、栄光や、完徳を与えて下さいました。それらの祝日を、或いはそれらの、イエズス様がマリア様になさったその色々な御恵みを考える事に致しましょう。
また、マリア様がイエズス様になさった事も考える事に致しましょう。マリア様がイエズス様をどのように愛されたのか、イエズス様と共にどのように苦しまれたのか。
幼きイエズスの聖テレジアは、終わりに、あるシスターにこう言ったそうです、幼きイエズスの聖テレジアの言葉によれば、「私は、神父様たちの御説教によっては、あまり感動を受けませんでした。しかし、福音を読んで、マリア様が私たちの為にどれほど苦しまれたか、という事を黙想して、それから、大きな霊的な利益を得ました。」と。「何故かというと、神父様たちは、マリア様の特権や、色々な栄光をこう話されるので、あまりにも、こうマリア様が素晴らしい、素晴らしい、と言って、それの事だけで、あまりにも遠くにおられる方のように仰るのですけれども、でも福音を読むと、マリア様は私たちと同じ苦しみを受け、私たちと同じ清貧、或いは十字架の苦しみを苦しまれた。その、だからもっと私たちに対する愛を感じる。」と、幼きイエズスの聖テレジアは言っています。
マリア様の事を考える。最後に、私の提案するのは、マリア様に対する信心は、これは天主様からの特別の御恵みです。ですから、そのマリア様の信心を得る御恵みを祈りで求める事に致しましょう。イエズス様は、「私の名によって祈れ。そうすれば、聖父は必ずお前たちに与える。」と、言われました。イエズス・キリストの御名によって、ひたすらに、マリア様に対する信心を、愛を、乞い求める事に致しましょう。マリア様に倣う事ができるように、お祈り致しましょう。
ちょっと前に、北朝鮮に拉致された、めぐみさんのお母様が動画に出ていて、そのめぐみさんの産んだ、子供の娘だ、と言われる孫さんの動画が出ていて、それを見ていてお母さんが、「あぁ、この子の笑い方はめぐみそっくりだ。この子を見ると、ほんとこれはもうDNAとかそんなのなくても、これはもうめぐみの子供だとすぐ分かる、もう生き写しだ。」というような事を言っていたのを思い出します。
時々、出会う信徒の方の親子を見ると、「本当にそっくりだ、お母さんそっくりだ。」という方がいます。イエズス様は、マリア様の瓜二つだったに違いありません。誰が見ても、「あぁ、イエズス様は、全くそっくりだ、マリア様の子供だ。すぐ分かる。話し方も、笑い方も、言う内容も全てそっくりだ。瓜二つだ。」
私たちもマリア様にお祈りして、イエズス様にお祈りして、マリア様の信心や愛を頂き、マリア様に瓜二つになりますように。マリア様の、童貞の内の童貞であるマリア様から、貞潔の徳を。また、「我は主の婢女なり、仰せの如く我になれかし。」と言ったマリア様に、謙遜と、従順の徳を。主の御旨に対していつも従順である事ができるその徳を、マリア様を真似る徳を。また、すぐにエリザベトに訪問されたマリア様を見倣って、愛徳と奉仕の徳を得る事ができるように。また羊飼いの言葉や、博士たちの言葉を、皆胸に留めて心で思っておられたマリア様に倣って、私たちもマリア様に倣って、いつも黙想と、主の事を考えている事ができるように。
また、イエズス様を愛し、ヨゼフ様を愛したマリア様に倣って、私たちも、ヨゼフ様を愛する事ができますように。
お祈りを以って、特別のマリア様に対する愛と、マリア様の子供として、道具として、いつも従順である御恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。