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天主の全知全能について 『巡礼指定聖堂』について

2016年03月19日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 昨年の3月の公教要理をご紹介します。。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) 

2015年3月7日 小野田神父様 公教要理(大阪)
「天主の全知全能について」


天主について、天主の全知全能について話をします。

公教要理 14ページ22番、「天主のおできにならない事がありますか。」

22.天主のおできならぬ事がありますか。
天主のおできにならぬ事はありません。之を天主の全能と申します。


「何事も天主には能わざる所あらじ」(ルカ1:37)(詩113-3)
尚天主は万徳を具え給い、たとえば至って聖(イザヤ6:3、黙4:8)至って真(マテオ24:35、民23:19)至って善(創18:26、ヨハネ3:16)至って美、至って義(ローマ2:6)また罪人には至って大なる御憐み(エゼキエル33:11、ルカ15:18)を有し給う御方であります。


はい。天主様は、お望みなる事は全ておできになります。この天使もマリア様に、「天主には、何事も天主にはできない事がない。」と、お答えられました。ですから、天主様はお望みのままに全てをなさいますが、でも天主様は、法則があります。自分で確かに、こう何でも、こう奇跡でも起こして、何でもパッとする事ができますが、しかし必ず、「道具を使う」という、必ず「何か道具を使って、御自分の御旨を果たそうとする」という法則があります、というのが天主様の普通のやり方です。

例えば、天主様が直接マリア様にお告げをする事ができたにもかかわらず、天使を送る、とか、或いは、天主様は私たちを直接無から一人一人を生み出す事ができる、育てる事ができるにもかかわらず、父と母を使って、この創造の業をできるようにして、私たちを司り給う、とかです。

天主は、全能であるにもかかわらず、その全能が、あまりにも全能なので、私たちをさえも使って、道具として使って、自分の思い通りにする事ができるほど全能の方です。

例えば、私が非常に有能な画家であれば、このペンがどのようなペンであっても、素晴らしい絵を描く事ができます。もしも、このペンの特徴に従って、それに従って、それに一番合うようなやり方で絵を完成させる事ができます。その材料、或いは道具がどのようなものであるに従っても、うまくできます。天主様は非常に全能なので、その道具が、どのようにボロの道具でも、最高の絵を、或いは音楽を、或いは最高の御業をする事ができます。

しかも、この私たちのような、自由意志を持っているものを使って、自分のお望みの仕事を果たす事ができます。もちろん、私たちが天主様に忠実であれば忠実であるほど、より「主の御旨を果たそう」と一生懸命すればするほど、たくさんの主の御旨を果たす事ができます。この道具が、良ければ良いほど、バイオリンも、良いバイオリンであればあるほど、良い音出す事ができます。もちろん、こう壊れたようなバイオリンでも、天主様はもちろん芸術的なものを奏でる事ができますけれども、しかし良ければ良いほど、良いものが出ます。私たちが寛大であればあるほど、より多くの救霊の業が出来ます。

天主様は、その全能を使って、聖なる、聖にして、真実であって、善であって美、義、憐れみの業を行い給います。ですから、天主様が全て何でも望む事を、全ての善い事、全ての義を、全ての聖なる事をする事ができる、という事は、それに反対の事は、例えば病気であるとか、悪であるとか、悪意とか、或いは全てこれに反する事は、例え天主に矛盾する事にあるので、それは完全ではなく、不完全な事なので、天主様はなさる事ができません。でもこれは、天主の全能に反対する事ではありません。

また「天主の全能」と言っても、自己矛盾をする事はできません。天主様が同時に、「善」であって「悪」であるとか、「はい」であって「いいえ」であるとか、同時に同じ観点から同じ意味において、自分を矛盾する事はもちろんできません。それはしかし、全ての善と、美と、真理、真実は全て、望みのままにできます。

天主の全能については、ご質問がありますか?

質問者Tさん「病気は、天主様から来ない?」

天主様は、病気を、私たちが病気になる事をお許しになります。或いは、天主様がもちろん病気を送る事もあります。でも、もしも私たちに苦しみや、そのような病気を送るとしたら、何かそれを超えるような、善があるからです。

例えば、聖ジェンマ・ガルガーニという方は病気で、本当は御受難会に入りたかったのですけども入る事ができませんでした。しかし病気だったおかげで、却って御受難会のシスターよりも、もっとご受難を黙想する聖なる女性なりました。

これは病気ではないのですけれども、聖イグナチオは、兵士で、騎士で、この戦争の途中で、このフランスとスペインが戦っていた時に、そのフランス軍からの攻撃で、足を大砲で、足を負傷して、ベッドで寝ていました。ベッドで退屈だったので、「キリストに倣いて」と「聖人伝」を読んで、「これだ。僕もこうなりたい、私もこうなりたい、このように聖人のようになりたい、キリストの為に戦うんだ。」と言って回心しました。その怪我を通して、もしも怪我がなかったら、イエズス会はありませんでした。イエズス会がなかったら、聖フランシスコ・ザビエルもありませんし。

質問者Kさん「怪我は治ったのですか?」

はい怪我は治ったというか、一応びっこだったのです、一生びっこで。でもその怪我のおかげで回心しました。

或いはその怪我の為に、霊的に善を受けたという人が、きっとたくさんいると思います。

癩病の人が、永井博士の本を読んで、感動して、「あぁ、私は癩病だという事で、妻も失って、今こう隔離されて、何かもう絶望していたけれども、『いや、そうじゃないんだ。』という事が分かった。」という事で、永井先生に手紙をこう書いたら、永井博士が俳句を書いて、ちょっと覚えていないのですけれども、その「癩病は、来世の福楽を望む事、我らに教えけり。」とか何かそういう、却って病気の為に回心した、とか、イエズス様を知ったとか。

例えばシスター笹川も、盲腸で入院していた時に、その神父様がやってきて、公教要理を聞いて、カトリックになったそうです。

ですから、病気も確かに辛いのですけれども、それさえも天主様はお使いになって、私たちに霊的なより良い多くの善を与えてくれます。

質問者Kさん「永井隆記念館はどこにありますか?」

長崎にあります。

質問者Tさん「精神的な病気とか認知症とかを、天主様はお望みにならないような気がしますけれども、どうでしょうか?認知症とか。」

認知症。もしかしたら、認知症はもしかしたら天主様の御旨によれば治るかもしれませんが、しかし何かの特別な御摂理があって、或いは私たちが、過去の罪を思い出して苦しまないように、安らかに主の御元に行く事ができるように、お計らい下さっているのかもしれませんし、或いは罪をこれ以上犯さないように、取り計らって下さっているのかもしれません。でも主の、イエズス様の御旨のままに。

コルベ神父様がニエポカラヌフにいた時に、枢機卿様が視察に来たのだそうです。このほんの10年か20年の間に、修道士たちが600人とか800とか1000人近くになっている。ものすごい。お金もないし、何もない。それで枢機卿様に、「これが私たちの御聖堂です。」「この粗末な、これが私たちの修道士の部屋です。この粗末なベッドと。」「これが、私たちの宝の部屋です。」と言って、ちょっと離れた所に家を見せたのです。「ここに、私たちの宝が詰まっています。」と言って開けたら、病気の修道士たちがたくさん休んでいたそうです。

もしも私たちがお捧げすれば、それはものすごい宝となります。ただ「あ~苦しい、苦しい」と言って、文句を言っているだけでは、何か宝も使われずに、そのままになってしまいます。天主様は、私たちのこれらを使って、私たちの善を、救霊を為そうとなさっています。

では、30分の時間が来てしまいました。次回は、三位一体について話をしましょう。

質問者Gさん「すいません、時間がないのに、お許し下さい。あの、毎日四旬節はミサ典書を読んでいるのですけれども、ミサ典書の、ミサの前の一番最初の説明のところに、『巡礼指定聖堂』というのがたくさん書かれていまして、毎日それが変わっていて、それは何か意味があるのでしょうか?」

はい、もしも私の記憶が正しければ、ローマにある特別の四十三教会があるのですけれども、教皇様がそこの教会に行ってミサを捧げる、と。指定されたその御聖堂、教会があって、そこで教皇様がミサを捧げた、という事です。

『巡礼指定聖堂』のことを「ステーション教会」、「Station Churchs」、Ecclesiae stationales と言って、そこで指定された教会で公式にそのミサをする、という伝統がありました。何故そういう風になったのかとか、起源が何なのかというと、古代ローマでは、特に四旬節を聖化するために、毎日、信徒共同体が一カ所に集まって「巡礼指定教会」(ステイション・チャーチ)まで行列で行きました。この習慣は、ローマのみならずイェルサレムやコンスタンチノープルでもあったそうです。おそらく司教様と一緒に詩篇を唱え、諸聖人の連祷や聖歌を歌いながら、祈りながら、歩いて指定された教会まで行列で巡礼するのです。

西暦400年頃からこの習慣が公式化し、教皇大聖グレゴリオが西暦600年頃ほとんどを確定しました。

George Weigel によれば、元々は、ローマの信徒たちが殉教者のお墓を皆で訪問してそこでミサ聖祭を捧げたことに由来すると言います。殉教者のお墓の上に教会が建てられて、それが巡礼指定教会として成立したとのことです。ですから statio の正確な意味は、教会の建物のことではなく、その場所に葬られている殉教者です。そこで元来は、たとえば「巡礼指定地:聖ラウレンチオ」であって、「巡礼指定教会:聖ラウレンチオ大聖堂」ではありませんでした。

これは、四旬節だけでなく、主要な祝日にもそうでした。


質問者Tさん「今もですか?」

今では廃れてしまってそうではありませんが、聖伝によればそうです。14世紀にはこの習慣は廃れてしまいまったそうです。しかしミサ典書には巡礼指定教会の名前がその後もずっとつけられていました。

ただし、1959年の灰の水曜日には、教皇ヨハネ二十三世は聖伝によるとその日の巡礼指定教会である聖サビナ教会に言ってミサ聖祭を捧げたと記録があります。パウロ六世も1967年に巡礼指定教会の聖エウゼビオ教会に行ったそうです。

質問者Gさん「ありがとうございました。」

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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