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天主は木によって諸国を支配されたもう

2016年04月16日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2016年4月1日 復活の金曜日(初金)に大阪で聖伝のミサを捧げました。その時のお説教をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) 

2016年4月1日 復活の金曜日 のミサ
小野田神父 説教


聖母の汚れなき御心巡回教会にようこそ。今日は2016年4月1日、復活の金曜日のミサをしています。4月の初金のミサは、典礼の法規上する事ができませんが、しかし初金の信心はする事ができますので、今日のこのミサの直後いつものように、御聖体降福式を1時間して、聖時間を過ごす事に致しましょう。

それから今日は、黙想の前に1つだけお知らせがあります。今日、会長が実際にその場所に行って見て来られて、私も行ってその場所を見て、シュテーリン神父様もそれについてOKして下さって、「とても良い事だ」と仰って下さったので、今そのように話を進める事にしていますが、私たちはクチュール神父様のもとで、「御聖堂が与えられますように」と、いつもお祈りをしています。
毎月いつもミサの度毎にお祈りをしてきました。ヨゼフ様に特にお祈りして、ヨゼフ様に、「もしも御聖堂が与えられたら、祭服を、ヨゼフ様の祭服を作ります。」と。
皆さんのご協力によって、もうヨゼフ様の祭服を作ってしまいました。3月19日には御ミサをここで捧げました。
その同じその日に、不動産屋さんから連絡がありました。...
とても良い条件で、とても交通の便の良いこのすぐ近くに、1フロア全部使う事ができて、建物も新しいし、駅のすぐ近くで、このコロナホテルのこの部屋を借りると思えば同じくらいで、特に、このクリスマスとかもう何時間も延長する事を考えると、そのように24時間いつも使う事ができるのは、はるかに経済的になるという、そういう場所があるという事です。
その場所にヨゼフ様の御取り次ぎと、管区長様の許可と、皆さんの寛大な援助で、引っ越しをする事を考えています。まだいつそれが実現できるか分からないのですけれども。...


「私には、天と地の全ての権能が与えられている。」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日復活の金曜日に、イエズス様は弟子たちを集めて、とても深い真理の言葉を仰って下さいました、「私には、御自分には全ての権能が与えられている。天と地の全ての力が与えられている。だから、行って私の教えた事を教えよ。洗礼を授けよ。私は世の終わりまでお前たちと共にいる。心配するな。」

今日のミサの中には、天主は、「こう諸国に言え、『天主は木によって諸国を支配している』と。」

私たちはこのことに、イエズス様が全ての力を、天と地の全ての権能を持っておられる、イエズス様は私たちと共におられる、世の終わりまでおられる、という事に深く信頼致しましょう。御復活なさった時のイエズス様は、最初に仰った言葉は、「汝らに平和あれ。」という言葉でした。私たちにイエズス様は、安心と、平安と、喜びを与えようとして下さっています。イエズス様は私たちに、十字架をも下さるかもしれません。しかしそれは平和の為です。私たちが、イエズス様との永遠の栄光と平和を受ける為です。ここに、私たちの本当の進むべき道が現れています。

聖パウロはその書簡の中でこう言っています、「一体誰が、私をキリストの愛から離す事ができるだろうか。」と。「艱難だろうか、憂いだろうか、飢えだろうか、裸だろうか、迫害だろうか、剣だろうか、いや何も、そのようなものは何も、私からキリストの愛、私をしてキリストの愛から離す事ができない。」

一体何故でしょうか?何故かというと、聖パウロは自分の本当の平安を、イエズス・キリストの愛に深く根付かせていて、「イエズス・キリストが、この全てを支配しておられる、十字架に於いて支配しておられる、十字架の木に於いて支配しておられる。もしも私たちに十字架を送られるとしたら、それは私たちの栄光の為だ。」と知っているからです。聖パウロにとって、私たちにとって、「キリストの為に苦しむ、十字架を担う、或いは愛着していた被造物を失ってしまう、或いは侮辱を受ける、苦しみを受ける、辱めを受ける、笑われる、キリストの為に苦しむ、という事は、実は私たちにとっては喜びの元であって、栄光の元であって、平和の元だ」という事を知っているからです。

イエズス様は現れて、御自分の傷を聖トマスにお見せになりました。もちろん聖トマスが、「私はこれを、この指をその傷に入れなければ、科学的な態度を取って、実験して、本当だと確かめられければ信じない。」と言ったので、「さぁ」と言ってみせたのですけども、イエズス様はその同じ傷を私たちにも、こう見せて下さいます。私たちにもこの傷を見せて、「さぁ、お前の手を入れてみろ。」と仰います。この傷をお見せになるという事は、私たちの為にイエズス様はどれほど苦しんだのか、どれほど私たちを愛して下さっているのかを、「見よ」という事なのです。

また同じこの傷をイエズス様は御父に見せて、「父よ、私は御身の為にここまで従順でした。十字架の死に至るまで従順でした。だから、この私の兄弟を憐れみ給え。」と取り次いで下さる傷でもあります。イエズス様は、この苦しみを受ける時にいつも考えていたのは、御父の事と、私たちの救いの事でした。

聖パウロと私たちにとってもやはり同じです。もしも苦しみがあるならば、イエズス様が私たちに、辱めや辛い事を受ける事をお許しになるならば、「これは、私たちも天主の為に、霊魂の救いの為にこれを捧げる機会が与えられたのだ。」「これは、私たちの栄光に、復活に繋がっているのだ」という事を思い出さなければなりません。イエズス様がその苦しみを全て、御父と私たちの霊魂の事を思って捧げて下さったのと同じようにです。

聖パウロはですから、こう言います、「救い主イエズス・キリストの十字架の他に、私たちは誇るものは何もない。」と。

今日は4月の初金曜日で、復活の金曜日ですから、是非イエズス様の傷に、御脇腹の傷に、私たちの手を深く入れる事を許して頂くようにお祈り致しましょう。イズ様の聖心の一番近くに手を、頭を沈めて、イエズス様の聖心に触れる事ができますように。御父を愛し、私たちをどれほど愛されて、この苦しまれ、復活されたイエズス様の聖心のその愛に、私たちもその愛の火を受ける事ができますようにお祈り致しましょう。

マリア様にお祈り致しましょう。私たちの為に十字架に付けられて、傷付けられた御子の傷を、私の心にも傷付けて下さるように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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