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われらの指揮官なる神父の手紙【第1号】 ~聖伝のM.I.(Militia Immaculatae 無原罪の聖母の騎士会)

2017年03月15日 | M.I.(無原罪の聖...
親愛なる無原罪の聖母の騎士の皆さん!

聖マキシミリアノ・コルベが騎士たちにメッセージを書いたとき、騎士たちはそのメッセージに「われらの指揮官なる神父の手紙」と名付けたものでした。聖コルベの死後、後継者である無原罪の聖母の騎士会(MI)の歴代国際モデレーターたちが、「国際モデレーター(調整官)」という少し複雑な教会法上の名称よりも、「指揮官」という名称を使う方が騎士たちにとっては簡単だという単純な理由から、この伝統を長く継続させました。天主の御摂理が長上たちの声を通して皆さんのしもべを「無原罪の聖母の騎士会-伝統厳守会」の国際モデレーターとしてお選びになったのですから、聖なる創立者の足跡に従って、ある程度定期的に皆さんに「指揮官なる神父の手紙」を送らせてください。当時の騎士たちは、聖マキシミリアノを父そして案内者の両方と認識していました。ですから今日、私は皆さんの祈りをこいねがうのです。私が聖マキシミリアノの忠実なこだまとなり、そうすることで、私たちに本当の父と案内者がまったくいない今日、聖マキシミリアノがもう一度、そしてこれまで以上に「われらの愛する指揮官なる神父」になってくださいますように。

この最初の手紙で、私は皆さんに、伝統を厳守する無原罪の聖母の騎士会の起源についてお知らせし、またその始まりから私たちの時代までの簡単な歴史的説明をしたいと思います。

それは、私が神学校に入った最初の年である1981年のことでした。ドイツの聖伝のカトリック青年運動(KJB)の指導者たちが、聖マキシミリアノ・コルベの生涯と使徒的業績に捧げた会報を発行しました。私たち神学生は、この私たちの時代の聖人を見いだして魅了されました。それは、聖コルベが、この深い信仰と使徒的情熱において完全に伝統的でしたが、同時に今の現代技術の手段を使って仕事をしたからです。現代の若者さえをも魅了する聖人です。

この若者たちの回心についての問いが、1986年以来私たちがアフリカに配属されているときに持ち上がりました。ファチマの聖母のご出現のメッセージ(聖三位一体のミシェル修道士による三巻)と聖マキシミリアノ・コルベの伝記(マリア・ウィノウスカ著)に触発され、ロイック・デュベルジェ神父は1988年、少女のための運動「無原罪の聖母の仲間たち(CI)」を創立しました。MIに三つのグループがあるように、少女たちは「無原罪の聖母の子どもたち、しもめたち、使徒たち」に分かれており、それぞれがファチマの汚れなき御心のお望みを寛大に実現させようとしました。そのひとりひとりがほかの少女たちの回心のためにもっと寛大になってゆきました。その結果は圧倒的でした。創立5年後には、「CI」のグループが近所の子どもたちを回心させるためにガボンの首都のいろいろな地域に設立され、多くの「使徒たち」が聖ピオ十世会のミッションの1500人の子どもたちのためにカテキストとして登録されました。ファチマの75周年を祝う年には、CIは多くの回数、ご出現についての芝居を上演し、新たに何百人もの人々を教会に導きました。しかし最も驚くべき実りは、多くの若い女性たちの内的な変化でした。彼女たちは本物の内的な生活を生き、異教の環境、または家族の中でさえ、信仰を守ろうという時には英雄的な勇気を見せたのです。彼女たちの中には、両親や兄弟姉妹を回心にまで至らせた者もいました。いろいろな熱帯病のために早死にした人々の中に、私たちはまれな段階に至った徳と聖性さえ見ることができました。この信じられないような驚くべき出来事によって、私たちの時代における無原罪の聖母の抜きんでた力に対する信頼、ファチマの特異な重要性、そして私たちのあらゆる使徒的なわざを聖母とともに、聖母の命令のもとでのみ行うことの必要性を、私たちは確信したのです。

しかし、のちの1994年のことでしたが、驚くべきことにポーランドにおいてカトリック聖伝のわざを始めるよう指名されたとき、聖マキシミリアノ・コルベとその騎士会がどのような人々であるのかを本当に発見したのです。母語で書かれた聖コルベの手紙や講話を読んで私たちが発見したのは、黙想的でありかつ最も行動的である万能の天才、マリア様の最も深い神秘に関する神学者であり、何百万もの人々が聖母を知るようにさせ、かつ愛させるために現代の技術的手段と発明を利用した組織づくりの師です。このいつも死ぬような病気にかかっていた小さな修道士は、「レジオ・マリエ」と「ファチマの聖母のブルー・アーミー」に続く世界で三番目に大きい最も重要なマリア様の運動を設立し、また大きな資金もなしに「無原罪の聖母の町」と呼ばれる修道院を開きました。そこは15年以内に、中世以来世界で最も大きな千人近くの修道士を擁する修道院になりました。自分の祖国でマリア様への愛の炎に火をつけるだけでは足りず、遠いアジアへのミッションにも、「何十億もの霊魂」に聖母の足元へもたらしたいとの望みを抱いてそれに着手したのでした。最後には、その英雄的な一生のあと、一家の父親である囚人仲間の代わりに死ぬというアウシュヴィッツの餓死室での英雄的な死を迎えました。

1998年にワルシャワに最初の修道院を開いたとき、もちろん、無原罪の聖母の町であるニエポカラノフをしばしば訪問しました。私たちがこの巨大な使徒職の名残(博物館、最初の礼拝堂や聖マキシミリアノが住んでいた各部屋、聖人の英雄的な同志たちの墓など)を黙想すると、まるで聖人自身が私たちに会っているかのようでした。また聖マキシミリアノを直接知っていた年老いた修道士たちと長い会話をすることは、他に類を見ない貴重な体験でした。しかし、私たちはMIの別の面も発見せざるをえませんでした。この場所はカリスマ運動でいっぱいのところで、その書店はリベラルかつ近代主義の書物で満杯であり、私たちはしばしば、野外ロックコンサートに見られるような、人々に空しい感情を引き起こす集会を目撃しました。1997年にはMIの新しい会則が公表されましたが、それは以前の会則とは大変異なるものでした。ベストセラーのうちの一冊は、騎士会の総長であるシンブラ神父の本でした。その本で同神父は聖なる創立者を、その考えが狭量であり、「彼の時代の意見に固執した」として、強く批判しました。聖マキシミリアノを知っていた年老いた修道士たちにこれらの変化について尋ねたところ、私たちはしばしば、悲しげに「今やすべては変わった」と言うのを聞きました。「無原罪の聖母の騎士誌」は近代主義的な暗示に満ちた信心会報になっており、創刊当時の雰囲気は失われました。

このとき、若い信者が何人か私たちのところにきて、無原罪の聖母の騎士会を、まさに聖マキシミリアノが創立したそのままの形で、私たちが再発足させることができないかどうかを尋ねました。1920年代以来ポーランドのカトリックはMIによって深く影響を受けていますから、聖なる創立者がMIを設立したのと同じ精神でMIを再創立することを…。

この願いのために、このアイディアが理にかなっているかどうかを分析しなければならなくなりました。聖伝のカトリックには、マリア様の運動が他にも既に沢山あったからです。単にもうひとつ別の運動を創立するだけでは、存在している多くの運動の参加者の数や力を分裂させてしまいかねません。ですから、無原罪の聖母がそのご意志を私たちに示してくださるよう、小さな祈りの十字軍を組織しました。

この時、私たちは騎士会とその聖なる創立者のさらに深い側面を発見して、この運動が世界で他に類を見ないものであり、私たちの時代に完全に適合していることを、以下の理由から、確信したのです。

1)その名称が示しているように、無原罪の聖母の騎士会(Militia Immaculatae)は戦闘の教会(Militant Church)、すなわち地上での悪魔や罪、誤謬との絶えることのない戦いの中にいるまことのカトリック教会を思い起こさせます。50年前から、これらカトリックの本質的な事項は、全世界の平和やすべての宗教の相互の尊重のために努力するよう教えられてきた信者たちの心から取り去られてしまっていました。さらに悪いことに、同じころから、天国や地獄、煉獄、死、審判、悪魔との戦い、誤謬から唯一のカトリックの真理への回心など、永遠にして最も重要な現実が広く捨てさられ、相互理解と平和において世界を統一する望みというものと置き換えられてしまっていました。フリーメーソン的な新しい世界秩序が多くのカトリック信者の理想となってしまったのです。

この現代主義の病に対抗して、MIは私たちの時代の平和主義に対する薬となり、唯一のまことの視点、すなわち、私たちはこの世では霊魂の救いのために戦っている、という事実を強く思い起こされるものとなるのです。MIは、永遠の価値と、私たちがこの世での短い時間を正しく使うことに重きをおいています。MIは、その定義自体において、すべての反教会主義者たちや偽りの宗教を、唯一のまことの教会へ回心させる、という反エキュメニズムの召命をもっているからです。

2)私たちの時代において非常に必要とされる霊的戦いというこの考えは、寛大な霊魂たち、特に青年たちに、偉大で魅力的な理想のために自らを捧げるという熱意を起こします。個人主義的な私たちの時代において、私たちは自分の霊的な安逸に閉じこもって自己中心になり、宗教的実践を個人的なこととしてのみ理解するという大きな危険の中にいます。このように長い間恐ろしい危機が続くと、私たちは自分が聖にして母なる教会に属しており、キリストの神秘体全員への責任があるのだということを忘れてしまうという危険があります。MIは私たちに、主の偉大なる新しい掟「主が愛されたように私たちの隣人を愛せよ」を深く理解させてくれます。これはすなわち、永遠の破滅の淵へ向かって走っている霊魂たちの救いのために私たちができるだけの努力をすることです。教会の中で誰かがまことの価値に立ち戻り、最も小さな小教区からバチカンに至るまでのそれぞれの場所で、無原罪の聖母を取り戻し、そして無原罪の聖母と共に全てのカトリックの聖伝を取り戻そうと望むときはいつでも、私たちは幸せであり感謝でいっぱいです。私たちは、霊的な病をもっているかわいそうな霊魂たちに対して、軽蔑をもって「そんな異端者とはかかわりたくない」と言うのではなく、その人を、無原罪の聖母を通じて私たちの主の不変の真理へ連れ戻すために私たちができうることをしたいと思うのです。

3)MIは私たちにカトリック信者としての真のアイデンティティを取り戻させ、またそれとともに、地上で天主の国を広げるため努力するイエズス・キリストの兵士になるという、ここ地上での自分たちの役割を深く理解させてくれます。この生涯の任務を達成するため、私たちは堅振の秘蹟を受けたのです。無原罪の聖母の騎士会は、祈りや実践において他の運動や団体と並ぶようなものというよりは、私たちの生活に対する新しい法のように本質的なものなのです。その新しい法とは、つまり、何をするにしても、敵を改宗させることによって攻撃し、イエズスの聖心の国を広げる聖母の御手の道具、聖母の軍団の騎士として、それをするのだということです。この法が私たちの生活全般にわたって浸透するならば、私たちは空しいもので自分の時間を浪費せず、むしろ私たちが地上にいる短い期間を、最大限の最も偉大な行い、永遠の行い、霊魂の救いに満ちたものにするでしょう。

4)別の魅力的な側面:この運動は、無原罪の聖母への奉仕において、最も現代的な手段を使うことに熱心です。現代人をして、マスメディアへの新しいカトリック的なアプローチを取らせるのです。マスメディアは、強力な最悪の誘惑の手段として、大抵が闇の力によって悪用されています。とにかく若者が電子機器の中毒になるように、MIはこの中毒を、無原罪の聖母と霊魂の救いのための奉仕へと変えるのです。この側面によって、この運動が私たちの時代の状況やニーズに完全に適合することを多くの人々が理解して、彼らが外からMIに加入するようにさせることができるのです。

しかし同時に、この運動は、霊魂を救うための騎士たちの最も重要な武器として、祈りと犠牲の精神に深く根付いているのです。この運動は、非常に多くの霊魂が地獄に落ちており、それは彼らのために祈ったり犠牲をしたりする人がいないため、祈り、犠牲をするように、というファチマの聖母のお求めに完全に適合しています。さらに、聖マキシミリアノの使徒的祈りのための方法は、良き祈りの生活を送ることが困難である私たちの時代に完全に適しています。

5)しかし、最も重要な点は、私たちの生活の中で無原罪の聖母が占める場所にあります。MIは現実的な日々の生活において、聖ベルナルドや多くの聖母信心のあった聖人たちの主張を、特に聖ルイ・マリー・グリニョン・ド・モンフォールのまことの信心を適用しています。彼は、すべてのことを、マリアを通して、マリアとともに、マリアにおいて、マリアのために行うように教えています。MIは、聖母の無原罪の御宿りという偉大なる真理、特にすべての人々のための回心と聖化の恩寵すべての仲介者としての聖母の役割という偉大なる真理を、具体的で寛大な実践へと至らせます。MIは、騎士の個人的な生活の中において無原罪の聖母の重要性を騎士に理解させ、特にいまだに誤謬と罪の中にいる失われた愛する子どもたちを永遠の破滅から救うためにご自分を助けてくれるようにとの聖母のお求めの重要性を騎士に理解させます。ここにおいてカトリック信者は、この世における自分の役割が何であるのか、人間がこの地上でできる最も偉大なわざにおいて自分がいかに重要であるのかを毎日学ぶのです。そのわざとは、永遠の幸せの最上のものを他の人たちに贈ることです。同時に、MIは騎士に必要な謙遜を教えます。騎士一人だけでは何もできませんが、無原罪の聖母の道具としてならば、聖母の忠実な騎士としてならば、なんでもすることができるのです。

6)これらすべての点は、確かにいくつかの国で聖伝に忠実に再創立されたレジオ・マリエにも見られます。しかし、レジオ・マリエはローマの軍団の形式に従って、エリート兵士たちの運動として作られたもので、そのメンバーには本質的に非常に多くのことが要求されます。ところが反対に、無原罪の聖母の騎士会はあらゆる人、たとえもっとも怠惰なひとでさえ加入でき、騎士になるのにほとんど何も要求しません。MIは、すべての人を聖母の足元に投げ出すための大衆運動であり、各人が聖母に少なくとも小指一本を捧げるように強いるのです。その後聖母はその人の手とその人自身をお取りになって運動を導かれます。フィリピンのレジオ・マリエが見いだしたのは、MIが、レジオ・マリエ会員が毎週訪問する多くの人々を、彼らを聖母の騎士にすることによって、聖母により近く結びつける特別な手段となることでした。

7)この運動は、多くの大衆のために設立されたとはいえ、救いのわざのために私たちが協力するあらゆる可能性を内包しています。この運動は、個人として無原罪の聖母に奉仕したいと思う人々(MI 1)を招いていますが、より良くより広い使徒的結果に到達するためのグループやサークル、団体での共通使徒職(MI 2)も想定しています。最後にまた、霊的なエリートに加わって無原罪の聖母に完全に自分を明け渡して英雄的に一生を奉献する最も熱心なメンバー(MI 3)をも招いています。

このような運動はこれまで世界で創立されたことはありませんでしたが、その聖なる創立者の普遍性を伝えています。完全に観想的かつ同時に活動的であり、個人個人の努力を尊重しかつ大衆を集め、最も高い知的な活動(無原罪の聖母のアカデミー)の概念も、最も実践的な実現も包み込み、二千年の聖伝とともに永遠に変わることのないカトリック信仰を守るとともに、最も現代的な技術と現代の発明を利用するのです。

聖ピオ十世会総長は提案した議論に賛成し、ポーランドにおいて伝統を厳守するMIを創立することを認めてくださいました。2000年5月6日、マリア様の月の初土曜日に、約50人のカトリック信者が最初に無原罪の聖母の騎士になりました。彼らは、聖マキシミリアノ自身によって書かれ、署名された「ディプロミク(ちいさな学位証)」の写しを受けました。この創立の実りはすぐにやって来ました。騎士たちの中の寛大さ、規則的な祈りの生活、使徒的な精神が増え、特に書物による使徒職(冊子、書籍、パンフレット、ちらし)が著しく増え、それによってポーランドでカトリック聖伝が知られるようになりました。第二次世界大戦前に聖マキシミリアノ・コルベとその仲間の騎士たちが書いたそのままの文章を出版したため、第二バチカン公会議の精神による教会内の新奇なものと、MIの最初の50年の霊性や理想との間の大きな違い、さらには矛盾さえも、多くの信者が簡単に知ることができるようになりました。

2002年にはモルゴンの聖伝のカプチン会の神父たちがMIに加わりたいと望み、フランスでMIを創立したいと望みました。2004年には最初のアメリカ人司祭たちが、アメリカのいくつかの修道院や聖堂でMIを創立し、2006年にはスイスでも設立されました。しかし最初はすべて、聖マキシミリアノの「ファン」が何か個人的な誓約をしたのであり、この運動は聖伝のカトリックの世界では(ポーランドを除いて)一般的に知られていませんでした。やっと直近の3年間、聖母ご自身がこの小さな軍隊を成長させようと望まれていたように思えました。何も特別な宣伝や告知がなかったにもかかわらずどんどん多くの信者が興味を持ったのは、MIに関するパンフレットや書物の出版と、ポーランドとスイスとアジアでの三つの重要なウェブサイトの設立のおかげでした。3年の間に騎士の数は2013年の約5000人から2016年の1万3000人へと倍以上になりました。現在までさまざまな国でのMIの管理はそれぞれのMIの司祭たちの主導に任されており、司祭たちは長上の許可を得ながら彼ら自身主導によって個人的に「何かをしようと」してきたのです。そこでさまざまな努力を一つにまとめ、MIをカトリック聖伝の小さな軍隊として構成するために、MIの最高権威である聖ピオ十世会総長は、皆さんのしもべを国際コーディネーターに、すなわち聖マキシミリアノの言い方に従えばMIの「指揮官」に任命しました。

この私たちの時代におけるMIの重要性に関する上で述べた七つのポイントについてもう少し長く黙想してくだされば、私たちの夢がなぜファチマ聖母ご出現の100周年に十万人の騎士を聖母の足元に捧げることなのかを皆さんは理解してくださるかもしれません。1917年に巨大な反キリスト教の軍隊(ローマのフリーメーソン、モスクワの共産主義)がこの世に現れたとき、聖母はファチマとMIの創立によってそれに応えられました。2017年に反キリスト教の軍隊が、自分たちが全世界を支配する勝利の象徴として100周年を祝うとき、聖母が再び小さな軍隊、「最後の時代の聖母の使徒たち」(聖グリニョン・ド・モンフォール)、聖母の汚れなき御心に奉献された子どもたち(ファチマ)、聖母の忠実な騎士たち(聖マキシミリアノ・コルベ)によって再びお応えになる、と皆さんはお考えになりませんか?

ですから、皆さん一人一人への謙遜なお願いをもって私の話を終わらせてください。8月14日に私たちは聖マキシミリアノの英雄的な死の75周年をお祝いします。どうかその日までに、カトリック信者を一人見つけて、その人に無原罪の聖母の騎士会に加入してもらうよう、可能な限りの力を尽くしてくださいませんか?!

2016年5月31日、「元后なる聖マリア」の祝日に
私の司祭としての祝福をもって
感謝のうちに


英語原文はこちら  Father Director’s letter No#1 MI “Militia Immaculatae – traditional observance”

Father Director’s letter No#1 MI “Militia Immaculatae – traditional observance”

2017年03月15日 | M.I.(無原罪の聖...
Dear Knights of the Immaculata!

When Saint Maximilian wrote to the knights, they used to name his messages “Our Father Director’s letters”. After his death his successors, the international moderators of the MI, continued long time this tradition for the simple reason that it was easier for the knights to use the term ‘director’ than the somehow complicated canonical term “international moderator”. As the Divine Providence through the voice of the superiors has chosen your servant as international moderator of the “Militia Immaculatae – traditional observance”, allow me to go in the footsteps of the holy founder and send you more or less regularly “Father Director’s letter”. As the knights in those times recognized Saint Maximilian both as their father and guide, so today I ask humbly your prayers, that I would become a faithful echo of him, so that today, when we lack terribly true fathers and guides, he may be again and even more “our beloved Father director”.

In this first letter I wish to inform you about the origins of the Militia Immaculatae in its traditional observance and to give you a brief historical account from its beginnings until our times.

It was in our first year of the seminary, in 1981, when the leaders of the traditional Catholic Youth Movement in Germany (KJB) issued a bulletin consecrated to the life and the apostolic work of Saint Maximilian Kolbe. We Seminarians were fascinated to discover this Saint of our times, who was so absolutely traditional in this deep faith and apostolic zeal but at the same time working with contemporary modern technical means. A Saint who fascinates young people even our times.

This question about the conversion of young people came up again, when since 1986 we were appointed to Africa. Inspired by the message of the apparitions of Our Lady in Fatima (the three volumes of Frere. Michel of the Holy Trinity) and the biography of Saint Maximilian Kolbe (written by Maria Winowska), Fr. Loic Duverger then founded in 1988 a movement for girls, the “Compagnie de l’Immaculee”. As the MI counts three groups, the girls were divided in “children, servants, and apostles of the Immaculata”, each of them would realize more generously the requests of the Immaculate Heart in Fatima. Each of them would become more generous in striving for the conversion of other girls. The results were overwhelming: After 5 years of existence, groups of the “CI” were founded in various regions of the capital of Gabon to convert the children in the neighborhood, many “apostles” were engaged as catechists for 1500 children in our Mission Saint Pius X. During the jubilee of the 75 anniversary of Fatima the CI played many times the theater about the apparitions and attracted hundreds of new people to the Church. But the most marvelous fruit was the inner change of many young girls who lived an authentic inner life and showed sometimes heroic courage to defend the faith within the pagan milieu or even family. Some of them brought their parents, brothers and sisters, to conversion. Amongst those who died an early death due to the various tropic diseases, we could observe a rare degree of virtue and even holiness. Such incredible surprises confirmed us in the conviction about the outstanding power of the Immaculata in our times, the exceptional importance of Fatima, and the necessity of doing all our apostolic work only with HER and under HER command.

But it was only in 1994, when surprisingly appointed to begin the work of Catholic Tradition in Poland, that we discovered really, who was Saint Maximilian Kolbe and his Militia. The reading of his letters and conferences in the maternal language made us discover a universal genius, both contemplative and most active, a theologian of the deepest mysteries of Mary and a master of organization who used the modern technical means and inventions to make Our Queen known and loved by millions of people. This always mortally sick little monk founded one of the most important Marian movements in the world, the third after the “Legion of Mary”, and the “Blue Army of Our Lady of Fatima”, opened with no material means a convent called “City of the Immaculata” who within 15 years became the largest in the world since the medieval times with almost 1000 inhabitants. Not enough to enkindle the flame of love towards Mary in his fatherland, he set out for the Mission in far Asia with the desire to bring to her footsteps “a billion souls”. Finally, after a heroic life his heroic death in the hungerbunker in Auschwitz dying for a co-prisoner, a father of a family.

When 1998 we settled in Warsaw to open the first priory, it was obvious, that we payed frequent visits to the nearby Niepokalanów, the City of the Immaculata. It was, as if the Saint himself would meet us, when we contemplated the remnants of this gigantic apostolate (museum, original chapel and the rooms where the Saint lived, the cemetery with his heroic companions etc.). It was a unique experience to have long conversations with the elder brothers who knew him personally. However, we had to discover the other side of the MI: the place was full of charismatic movements, the bookstore packed with very liberal and modernist books, we were often witness of liturgical ceremonies and meetings as a gathering of the masses to excite empty emotions similar to those you can find in any open-air rock concert. In 1997 were also published the new statutes of the MI very different from those before. One of the bestsellers was a book of the general moderator of the Militia, Fr. Simbula, who criticized strongly the holy founder for this narrowness and ‘being stuck in the opinions of his times’. When asking the elder brothers who knew the Saint about these changes, we heard often saying him sadly: “now all is changed”. The ‘knight of the Immaculata’ became a pious bulletin full of modern allusions, and empty of the original tone.

At the same time we were approached by some of our young faithful who asked, whether we could not restart the Militia Immaculatae exactly as Saint Maximilian founded it. As Catholic Poland since the twenties was deeply influenced by the MI, the re-founding of it exactly in the same spirit in which the Holy Founder established it …

This request obliged to analyze, whether this idea would make sense, as we had in the Catholic Tradition already quite a number other Marian movements. To found just yet another one, could divide the number and strength of the existing. So little prayer crusade was organized, that the Immaculata would show us her will.

At this moment we discovered a yet deeper aspect of the Militia and its holy founder and we realized that this movement is unique in the world and perfectly appropriate for our times for the following reasons:

1/ As the name indicates, Militia Immaculatae reminds the Militant Church, the true Catholic Church on earth in its permanent fight against the devil, sin and error. Since 50 years these essential catholic themes had been removed from the minds of the faithful who are taught to strive for universal peace and mutual respect of all religions. What is worse: since the same time the everlasting and most important realities about heaven, hell, purgatory, death, judgement, fight against the devil and conversion from error to the only catholic truth … had been widely abandoned and replaced by the desire of unifying the world in a mutual understanding and peace. The masonic new world order has become the ideal of many Catholics.

Against this modernist plague the MI appears as a remedy against the pacifism of our times and becomes a strong reminder of the only true perspective: we are on earth to fight for the salvation of souls. It emphasizes of the everlasting values and the right use of our short time on earth. It is in its definition anti-ecumenical calling of the conversion of all dissidents, false religions to the only true Church.

2/ This idea of spiritual fight so needed in our times provokes the enthusiasm of generous souls, especially the youth, to give herself up for a great and fascinating ideal. In our individualistic times, we are in great danger to close up ourselves in our own spiritual comfort and become self-centered and to understand religious practice only as private affair. After such a long period of terrible crisis we risk to forget, that we belong to Holy Mother Church and responsible for all members of the Mystical Body of Christ. The MI makes us deeply understand the great NEW commandment of Our Lord: “to love our neighbor, as he has loved him”, that is to do what we can to strive for the salvation of souls running towards the abyss of eternal damnation. We will be happy and thankful, whenever somebody in the Church returns to the true values and wish to bring HER and with HER the whole Catholic Tradition back in each place, from the smallest parish until the Vatican. We will not point to the poor spiritually sick souls with despise saying ‘with such a heretic I don’t want to have anything to do’, but we want to do what we can to bring him back to the unchangeable truth of Our Lord through the Immaculata.

3/ The MI gives us back our true identity as Catholics together with the deeper understanding of our role here on earth, to become a soldiers of Jesus Christ striving for the extension of the Kingdom of God on earth. To accomplish this life task, we have received the sacrament of Confirmation. The Militia Immaculatae is not so much another movement and associations amongst many with its prayers and practices, but it is essential like a NEW LAW for our life, that says: whatever you do, you do it as instrument in Our Lady’s hands, as knight in her army to attack the enemy by converting him, and so to extend the kingdom of the Sacred Heart of Jesus. If this law penetrates our whole life, we will not any more waste our time with nothing, but fill our short period on earth with a maximum of greatest deeds, eternal deeds, salvation of souls.

4/ Another fascinating aspect: this movement is eager to use the most modern means in the service of the Immaculata. It makes the contemporary man have a new, a Catholic approach to the mass-media, which are mostly abused by the powers of darkness as powerful means of the worst of temptations. As anyway the youth is addicted to their electronic devices, the MI turns this addiction into the service of the Immaculata and the salvation of souls. This aspect can bring many people from outside to join the MI, as they see, that this movement perfectly adapts to the situation and needs of our times.

But in the same time it is deeply grounded in the spirit of prayer and sacrifice as the most important weapons of the knights to save souls. It applies fully the request of Our Lady of Fatima to pray and do sacrifices, because so many souls go to hell, as there is nobody who prays and does sacrifices for them. Moreover, the methods of Saint Maximilian for the apostolic prayer are perfectly fit for the difficulties of our times to have a good prayer life.

5/ The most important point, however, consists in the place of the Our Lady, the Immaculata in our life. The MI applies in concrete daily life the claims of Saint Bernard and all the Marian saints, especially the true devotion of Saint Louis Mary Grignion who teaches to do all things through Mary, with Mary, in and for Mary. It puts into the concrete and generous practice the great truths of Her Immaculate Conception and especially of her role as Mediatrix of all graces of conversion and sanctification for all people. It makes understand the knight about the importance of the Immaculata in his personal life, and specially HER request to help her to save from eternal damnation her beloved children who are yet lost in error and sin. Here the Catholics learns every day, what is his role in the world and how important he is in the greatest work a man can do here on earth: to give others “all the best” of eternal happiness. In the same time it teaches him the necessary humility: alone he can do nothing, but he can do everything as instrument of the Immaculata, as her faithful knight.

6/ It is true, all these points can be found also in the Legion of Mary which already was re-established in its fidelity to Tradition in several countries. But the Legion of Mary is built according to the pattern of the Roman Legion, a movement of elite soldiers, what essentially demands very much from its members. On the contrary, the Militia Immaculatae goes to everybody, even to the laziest, and demands almost nothing to become a knight. It is movement of Masses to throw everybody at the footsteps of Our Lady, forcing him to give HER at least one little finger – she would manage it afterwards to take his hand and his full self. The Philippine Legion of Mary discovered in the MI an extraordinary means to engage the many people visited weekly by the legionaries to bind them closer to Our Lady by becoming Her knight.

7/ Even founded for the large Masses, the movement contains all possibilities of our collaboration in the work of salvation: it invites those who want to serve the Immaculata individually (MI 1), but also foresees the common apostolate in groups, circles, associations to reach a better and wider apostolic result (MI 2). And finally it invites the most fervent members to join the spiritual elite tending to total surrender and heroic life consecration to HER (MI 3).

Never such a movement has yet been established in the world, and it carries the universality of its Holy Founder: at the same time totally contemplative and active, respecting each individual effort and gathering Masses, englobing the idea of highest intellectual work (Academies of the Immaculata) and the most practical realizations, the everlasting unchanging catholic faith with 2000 years of Tradition with the most modern skill and inventions of our times.

The General superior agreed with the proposed arguments and allowed the foundation of the MI traditional observance in Poland. On May 6, 2000, the first Saturday of the month of Mary, around 50 Catholic faithful were the first to become Knights of the Immaculata. They received the “dyplomik” (little diploma), a copy of that written and signed by St. Maximilian himself. The fruits of this foundation were immediate: increase of generosity amongst the knights, regular prayer life, and apostolic spirit, expressed specially in an intensive increase of the written apostolate (bulletins, books, brochures, flyers) which made the Catholic Tradition known in Poland. Thanks to the publishing of the very texts of Saint Maximilian Kolbe and his fellow knights before the 2nd World War, many faithful could easily make the immense difference and even contradiction between the novelties within the Church in the spirit of Vatican II and the spirituality and ideals of the first 50 years of the MI.

In 2002 the traditional Capuchin Fathers of Morgon desired to join the MI and to found it in France. In 2004 the first American priests founded the MI in some priories and chapels of the US, followed in 2006, in Switzerland. But all the beginning were somehow the individual engagements of ‘fans’ of Saint Maximilian and the movement generally was unknown in the traditional world (except Poland). Only the last 3 years it seemed that Our Lady herself wanted her little army grow. Without any special advertisement or publicity more and more faithful got interested, thanks to the publication of the brochures and books about the MI and establishment of 3 important websites, in Poland, in Switzerland, and in Asia. Within 3 years, the number of the knights more than doubled from around 5,000 in 2013 to around 13,000 in 2016. Until now the care of the MI in the different countries was left to the initiative of the MI priests who individually by their proper initiative tried “to do something” with the permission of their superiors. In order to unite the different efforts and to constitute the MI as a little army of the Catholic Tradition, the General Superior – the supreme authority of the MI – delegated your servant to be the international coordinator or in the terms of Saint Maximilian ‘the director’ of the MI.

If you meditate a bit longer about the seven points above concerning the importance of the MI in our specific times, you may understand, why it is our dream to present 100,000 knights to the footsteps of Our Lady for Her 100 anniversary of Her apparitions in Fatima. When in 1917 gigantic antichristian armies emerged in the world (Freemasonry in Rome, Communism in Moscow), Our Lady answered with Fatima and the foundation of the MI. In 2017 the antichristian armies celebrate their anniversary as a symbol of triumph that they dominate the whole world, don’t you think, that Our Lady wishes again to answer with her little army, “HER apostles of the latter times” (Saint Grignion de Montfort), her children consecrated to HER Immaculate Heart (Fatima), HER faithful Knights (Saint Maximilian Kolbe)?

Let me therefore finish with on humble request to each one of you: on the 14 August we celebrate the 75 anniversary of the heroic death of Saint Maximilian. Would you please make all possible efforts, to find ONE Catholic and to convince him to join the Militia Immaculatae until that date?!

On the feast of the “MARY THE QUEEN”, the 31 May 2016
With my priestly blessings
Yours thankfully
Fr. Karl Stehlin

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