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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2017年3月3-6日、12-13日の聖伝のミサの報告(続き):聖ピオ十世会 SSPX JAPAN Latin Traditional Mass

2017年03月16日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

更に3月の聖伝のミサのレポートをいただきましたのでご紹介いたします。

今年は、聖ヨゼフの祝日が3月20日に移動しています。ミッションの都合により、
3月20日には、東京では朝の7時に、大阪でも夕方の4時からミサを行う予定です。

3月21日には、大阪で早朝6時のミサがあります。

4月9日の枝の主日には、東京でも朝の10時半から(小野田神父)、大阪でも夕方の6時から(レネー神父)ミサがあります。

5月の秋田巡礼と、5月5-8日の最初のミッションはそのままです。しかし、5月の19-21日の日本での2回目のミッションは、マニラでの責務のために来ることが出来なくなってしまいました。愛する兄弟姉妹の皆様のご理解をお願いいたします。よろしくお願いします。

10月の最初のミッションも、都合によりキャンセルになってしまいました。2回目のミッションは予定の通りです。これについてもご理解をよろしくお願いします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



【報告】【大阪・レネー神父様のミサ】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

3月の大阪での主日の御ミサの報告をお送りいたします。

3月12日 四旬節第二主日には16名が、
翌13日の早朝ミサには7名が御ミサに与り御聖体を拝領するお恵みを頂きました。デオグラチアス!

主日のお説教では、この日の聖福音から、主の御変容と祈りについて黙想いたしました。
なぜ、この時期に、御変容の部分が聖福音で取り上げられるのか少し不思議に思っていましたが、神父様のお説教で教会が私たちに教えようして下さっていることが
はっきりとわかりました。
御変容が祈りと関係しているなど、今まで考えた事もありませんでしたのでとても勉強になりました。
四旬節のミサは、聖福音だけでなく、ミサの固有文も含めて、どんどんカルワリオへ向かっての準備がされていることが伝わってきます。
自分の今までの生ぬるい生活を一新して、また今日から四旬節を良く過ごそうと思います。

私が少し分かりにくかったのは、祈りの否定的な部分と、肯定的な部分という表現でした。まだまだ勉強が足りないのだと思います。( ゜Д゜)

神父様が勧めて下さったように、聖人の書いた書物と、毎日のミサ典書をもっともっと読んで、無駄な時間を過ごさないように細心の注意を払って天主様の方へ心を向けたいです。大阪のお聖堂のマリア様の前でお祈りしたり、聖歌を歌うと、マリア様の御助けがとても強く感じられて、勇気がわき、とても暖かい気持ちになります。
多くの御恵みを頂き本当に感謝いたします。

公教要理では、終油の秘跡についてお話頂きました。
天主様の深い憐みを一人でも多くの人が受けることが出来ればいいなと思います。
あまりにも大きな憐れみと愛をお持ちの善き天主様が全ての人に信じられ、礼拝され、希望され、愛されますように!!


【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様  
 
四旬節を迎え 今回も東京での御ミサを捧げてくださいましてありがとうございました。
これより四旬節に入り、特別な祈りと犠牲の40日間に入るのだと自覚しました。
ミサ全体を通して詩編90で歌われたように、“主は私を守ってくれる”という天主様へのへの信頼の気持ちが強められました。

六旬節の御ミサで勝利するために走ると教えていただいて、さて自分ができることはほんの小さなことのみであり、勝利への道は遠いと思っていました。ミサの中で 霊的に救世主大聖堂ラテラノ大聖堂の中に入り、救い主と一緒に祈りと犠牲の砂漠に赴くことで、そしてイエズス様とともに40日間の断食 罪の断食に入ることで、イエズスとともに犠牲を捧げることとなり、イエズスとともに勝利を約束されたこととなるとお話しいただきました。イエズスといつもともにいるように努めてイエズスと一緒にわたしができる小さなことをお捧げしようと思います。イエズス様を模範に・・・。

イエズスと一緒にいることができましたら幸せです。心が彷徨ってしまうのを連れ戻して、少しでもイエズス様と一緒にいたいと思います。そのための努力を惜しまないようにしようと思います。

飛行機の中で読まれた新聞のお話しアメリカ議会でのことイエズスとともにいる者は天において栄光をいただくというお話に思わず聴き入っていました。私もマリア様のようにイエズス様のお苦しみを一緒に受けることが少しでも出来ますように、心の中で主の御受難を黙想して 四旬節の務めを果たせればと思います。入祭文の「彼がわたしに願えば、私は彼の願いをきき、彼をすくい出し、彼に光栄を与え、長い生命を与えるであろう。いと高き者に守られて住む者、天の保護の下にある者は、幸いである」という言葉が、深く沁み通ってくるようになりました。

"イエズスよ、これは御身を愛するため、罪人たちの回心のため、そしてマリアの汚れ無き御心に対して犯される罪を償うためです"、と言いながら 何をするときも心を天に挙げたいと思います。

公教要理では、四福音書についてのお話の一回目でした。
[わかったこと]
① エゼキエル書1:10にある 人の顔、ライオン(獅子)、牛、鷲のそれぞれは、マタイ福音書、マルコ福音書、ルカ福音書、ヨハネ福音書を示しているとのことでした。今回は聖マタイ福音書と聖マルコ福音書について お話を伺いました。

② 聖マタイのマタイ(マタイオス)はヤーウェの賜物という意味で、回心前はレヴィという名前で(レヴィ・マタイ)、住まいはガリラヤの湖のほとりのカファルウナムというところで、父親はアルフェオといい、職業はローマの方の税吏、そのためアラマイ語ヘブライ語も書くことができたので、マタイ福音書が後世に残された。最初に書き表された福音書であること。その特徴は、旧約聖書を良く引用していて、旧約が新約においてどのように成就したかということをパレスチナに住んでいたユダヤ人に向けて説明することに重きが置かれている。それによって イエズスが約束されたメシアであるということを説明している。そのため律法・地理・習慣・言い回しなどなど ユダヤ人なら当然よく知っているということを前提に書かれている。33年から44年の間に書かれたと思われる。

③ 聖マルコは、ヨハネ・マルコという名前を持ち、直接イエズスに会ったことはないが聖ペテロから洗礼を受けた弟子として通訳や書き物などを漁師出身のペテロのために行った。母親がお金持ちでマリアといい、キリスト信者が母の家に集まるのでいろいろな話を聴けた。旧約聖書からの引用はあまりない(二つくらい)。イエズス様の奇跡の話がたくさんある。聖マルコは キリストがまことのメシア救世主であることをその数々の奇跡を書くことによって、ローマの人に知らせようとして ローマで聖マルコ福音書を書いた。

[感想]マタイ福音書が旧約の引用をしながら書かれていること、マルコ福音書にイエズス様の奇跡の話が多いこと、に着目しながら二つの福音書に目を通してみたいと思います。次回のお話が楽しみです。いつもありがとうございます。

デオ・グラチアス!

追伸です。

実は、「勝利の教会、教会は必ず勝利します。」という神父様の力強い言葉が、わたしには 「今にもその霊的命が消え入りそうな瀕死のカトリック教会に見えるけれど、かならず甦って闘っている者たちに勝利の栄冠を与える」と 私たちへの励ましに加えて二重の意味を伴って聴こえてきました。

ラテン語のトリエント・ミサや 2000年変わらないカトリックの教義 聖人たちが生きたその証 それらが現在はもう過去のものになり見失われようとしているかに見えたとしても、その中に息づく愛が 信仰を求める人々を呼び集めて そこから天主の愛を受けて本当の故郷へ戻るための力を与えて下さる、それが今また少しずつ大きくなり、最後にはカトリック教会は勝利を得るだろうと。

ルルドやファチマに御出現のマリア様が祈りと犠牲をお捧げしなさい、と呼び掛けてくださいましたが、それはまるで教会が四旬節に入るので祈りと犠牲をお捧げしなさいと呼びかけられたかのようにも思えてきました。「あなた方の主が侮辱されるのを償いなさい」と仰っておられます。とうとう主の大切なごミサが十字架につけられてしまって、秋田では涙をお流しになりながら償いの祈りが必要なことをあらためて教えてくださったかのようです。

その時以来カトリック教会は この世の精神によって侮辱され まるで天主が十戒を与えたことがなかったかのように 人間として好きな道を選び人間として望むことを尊重して人としての自由を尊びなさい、そのような生き方を目指しなさいと言っているかのようにも見えます。前回の公教要理において 聖伝の信仰と第二バチカン公会議の信仰との違いを考察する機会をいただいて、はっきりと見る視点を教えていただいたからでしょうか、こんなふうにとらえている自分に気づかされました。

私が洗礼を受けたときには 既に新しい典礼での御ミサでした。昔の御ミサが現在と違うものだということを伝え聞く機会もなく 存在したことすら知ることもなく 新しい教会のムーヴメントに呑まれて押し流されている中で、霊感(インスピレーション)によって心に響いていたことも、聖書の中でイエズスがおっしゃられている御言葉も見失いがちになり、不安な気持ちが増すようでした。

それが伝統的な御ミサに与るようになってからは、本質的なカトリック信仰からそらされるようなことがなくなり、イエズス様の約束が何かということがはっきりするようになりました。この違いを感じることができるようになったことを 小野田神父様に感謝申し上げます。無原罪の聖マリア様とロザリオと不思議なメダイとコルベ神父様による聖母の騎士会、・・・。これらがこの百数十年の間に起こっていることの意味も教えていただきました。マリア様を通してすべてのことを受けていて、マリア様を通してすべてのものをお捧げするということも、次第にわかってきているように思います。本当に感謝いたします。

私は自分の罪と忘恩を償うためにこの四旬節に祈りと犠牲をお捧げしようと決心していたのですが、今日のお説教を拝聴して つい それ以上の意味を持つ四旬節をも想像してしまいました。イエズスと一緒になって祈りと犠牲をお捧げすることで、わたしが勝利するというよりもむしろ教会が勝利するというように聴こえてまいりました。教会が勝利するためにこの四旬節のボーナスセールでいっそう祈りと犠牲をお捧げして、罪人の回心のため天主が受けている侮辱と忘恩を償うことができたらと思いました。

多くのカトリック信者がプロテスタントの影響を強く受けているミサに与ることで、熱狂の中で我知らずにキリストを拒みバラバを選んでしまっている群衆のように、カトリック本来のトリエント・ミサを十字架につけているのかもしれません。(昔からの信仰を尋ね求める人には 居場所がなくなっているかのようです。) でも聖なる日本の殉教者教会の御ミサに与ることは 十字架のイエズス様と共にいる聖母マリア様と一緒にいる愛された弟子のようで敬虔な婦人たちのようだ ということなのかなとふと思ってしまいました。

本当にそのようになるためには この御ミサに与る私が 聖伝のミサに与ることの意義をしっかり理解してもっと敬虔に与るように努め、御ミサをもっと大切にしなければならないと感じました。この聖なる日本の殉教者教会で御ミサをお捧げしていることが天においてもっと認められるようになるために たくさん祈りたいと思います。そうなったらマリア様はきっともっとたくさんの人をこの十字架のもとに呼び集めてくださいますことでしょう、そのためにもお祈りいたします。

私は 神父様がコーリン・オーウェンズさんのことを紹介してくださったお話しに引き込まれて思わず聴き入ってしまっていましたが、後になるとじわっとそんなことが思い浮かんできたのでした。追伸が長くなってしまって申し訳ありません、どうぞ割愛なさってくださいませ。神父様 私たちのために素晴らしい御ミサをお捧げ下さいましてありがとうございます!

デオ・グラチアス!



【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

公教要理のレポートの続きを書かせて頂きます!
また間違っているところがありましたら申し訳ありません(>_<)>

《分かったところ》
◎聖マルコ
 ・第2の福音史家。
 ・聖マテオの名前はレビ(レビというのはユダヤ人独特の名前で、日本でいう太郎のような感じ)。
 ・マルコは、ヨハネとも呼ばれ、ヨハネ・マルコとも言われた。
 ・聖ペトロの伴侶(ペトロの第1の手紙5章13節)。聖パピアスによれば、マルコはイエズス様とは直接話をした事がないが、いつもペトロと一緒にいて、聖ペトロからよく話を聞いていた。また教養があったので、ペトロの通訳としても働いていた。
 ・母の名はマリア。ペトロが奇跡的に天使によって鎖を解かれて牢から脱出した時に、最初に行った所が、このマルコの母マリアの家(使徒行録12章)。
 ・44年に、第1次宣教旅行に行く。聖パウロとバルナバと共にエルサレム→チプロス→パンフィリア→ペルゲに。ペルゲでパウロと何らかの理由で行動を別にして、マルコは1人でエルサレムに戻る(使徒行録13章)。
 ・49年に、第2次宣教旅行に行く。パウロはシラと共にチリチアに。マルコはバルナバと共にキプロスに(使徒行録15章)。マルコとバルナバは実は親戚。
 ・パウロがローマで捕らえられ監視されている時(60-62年)にはマルコの名前が出てくるので、この時には仲直り(?)している。再びパウロがローマで監禁されている時に、ティモティオ(エフェゾの司教)に、「マルコと一緒に来てくれ」と言っている(66-67年)(ティモティオへの第二の手紙:4章11節)。
 ・聖伝によると、マルコはエジプトのアレクサンドリアという所に司教座をつくった。
 ・書かれた場所はローマ(聖ペトロと一緒にいるとき)。
 ・用語はラテン語的なギリシャ語を使っている。
 ・マルコは、ユダヤ人の独特の言い方や慣習に毎回説明を付けている。

《分からなかったところ》
 ・聖マルコ様が聖福音を書かれた時期は大体いつ頃なのでしょうか?宣教旅行に行かれる前くらいなのでしょうか?
 ・また聖マルコ様は、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、マルコ様は異邦人に向けて聖福音を書かれたという事でしょうか?

お手数ですが、またお時間あります時にご指導をよろしくお願いいたしますm(__)m

デオ・グラチアス!



【お返事】

 ・聖マルコが聖福音を書かれた時期は、
1)聖マテオの福音の後に書かれた。
2)エルサレムが崩壊する(西暦70年)の前に書かれた。
3)聖ルカの福音の前(西暦62年の前)に書かれた。

 ・また聖マルコは、ユダヤ人独特の言い方や慣習などに説明を付けているという事は、聖マルコがローマの人々のために聖福音を書いたという事です。

旧約の引用は、次の二つだけのように思えます。
例えば「預言者イザヤの書の中に、「私はあなたの前に、道を準備する使いをおくる。"主の道を準備し、その小道を正しくせよ"と荒れ野で叫ぶ声がする」とあるように、洗者ヨハネは、荒れ野にあらわれて、罪のゆるしをえさせるくいあらための洗礼をのべつたえた。」

またイエズスとともに、二人の強盗を、一人を右に、一人を左にして十字架にかけた。「かれは罪人と並んだ」とある聖書のことばは、こうして実現した。

また次のような表現もあります。
イエズスは、人々にむかって、「あなたたちは、強盗に立ちむかうように、剣と棒とをもって、私を捕えに来たのか!私は毎日神殿で、あなたたちの中に立って教えていたが、その時には捕えようとしなかった。しかしこうなるのは、聖書が実現するためである」とおおせられた。


聖マルコが、ユダヤの言葉や習慣を知らない人々のために福音を書いていると思えるのは、例えば次のような説明が付いているからです。例を挙げます。

「ゼベデオの子ヤコボとその兄弟ヨハネの二人(かれらをボアネルゲス、すなわち雷の子と名づけられた)」

「「タリタ・クム」とおおせられた。それは、「娘よ、私は命じる。起きよ!」という意味である。」

「ファリザイ人と、イエルザレムから来たある律法学士とが、イエズスのもとに集まった。かれらは、イエズスの弟子たちの中に汚れた手、すなわち洗わない手でパンを食べる人がいるのを見た。ファリザイ人はもちろん、ユダヤ人はだれでも、古人の伝えをかたく守り、腕をひじの所まで洗ってからでないと食事をしないのである。また、市場から帰った時は、水で身を洗わないと食事せず、さかずきや土器や銅器も洗いきよめるなど、伝えとして守っている他の多くの風習がある。」

「イエズスは、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ!」と声高くお叫びになった。それは、「私の天主よ、私の天主よ、なぜ私を見すてられたのですか」という意味である。」

「夕ぐれになった。用意日、すなわち安息日の前日であった。」などなど。

他にもきっとあると思います。見つけたら教えて下さいね!

「終油について」:聖ピオ十世会司祭 レネー神父様

2017年03月16日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、
レネー神父様の霊的講話 「終油について」(日本語訳)をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2017年3月12日 四旬節第2主日―大阪
「終油について」

親愛なる兄弟の皆さん、

七つの秘蹟の勉強を続けましょう。今回は終油の秘蹟です。私たちの主イエズス・キリストがこの秘蹟を制定なさったということは信仰の教義です。トレント公会議は実際、終油を含めて新しい律法(新約)には七つの秘蹟があること、またこれらの秘蹟はすべて私たちの主イエズス・キリスト御自らによって制定されたことを定義しました。私たちは実際、福音書において、主が、説教するためだけでなく、病人に油を塗るためにも使徒たちを派遣なさったのを見ます。「弟子たちは悔い改めを宣べに行き、多くの悪魔を追い出し、油を塗っておびただしい数の病人を治させた」(マルコ6章12-13節)。

プロテスタントは終油が秘蹟であることを否定しています。しかし、聖ヤコボは、その書簡の中で次のように非常にはっきりとさせています。「病気の人がいるのなら、その人は教会の司祭たちを呼べ。彼らは主の御名によって油を塗ってから祈りをとなえる。そして信仰による祈りは病気の人を救う。主は彼を立たせ、もし罪を犯しているなら、それを赦されるであろう」(ヤコボ5章14-15節)。その油を塗ることが、罪を赦し人を救うことのできる恩寵の超自然的な効力を持つということは非常にはっきりしています。ですから、それは秘蹟なのです。聖ヤコボが「病気」と言うとき、それは軽い病気、気分のすぐれないことではなく、むしろ死に至るかもしれない病気のことです。それゆえに、この秘蹟は、必ず最期の瞬間になされるものではなくても、「終油」と呼ばれているのです。

この秘蹟の制定によって、私たちの主イエズス・キリストは私たちの人生で最も重要な瞬間、私たちの永遠を決定する死の瞬間の準備をさせてくださいました。私たちの全生涯は、この最も重要な瞬間への準備であるべきです。聖なる人生は聖なる死を準備させますが、罪に満ちた人生は罪の中での恐るべき死を準備させます。そんな重要な瞬間ですから、悪魔がこの最期の瞬間に霊魂を奪おうと最大の努力をするのは驚くに当たりません。それゆえに、その特別な瞬間のために非常に特別な助けを得る必要があるのです。終油の秘蹟は、私たちの主イエズス・キリストが、私たちの人生の最期というこの最も重要な瞬間のために与えてくださる助けなのです。

この秘蹟の質料は、体の弱った人に、聖木曜日の聖香油のミサで司教によって祝別された油を塗ることです。この塗油は、霊魂を強め霊魂を癒やす聖霊の恩寵をはっきりと表しています。この秘蹟は五官に授けられます。司祭は、砂漠での四十年ののち約束の地に入る瞬間にヨルダン川を渡ったように、この最後の「渡り」のために、目、耳、鼻、口、手に加えて足に油を塗ります。実際、紅海を渡ったのちのこの砂漠での四十年は、御聖体によって養われ、この世という霊的な砂漠の中でキリストに従い、私たちの父祖の地、すなわち天国への途上にあるという、私たちの地上での人生を表しています。

この秘蹟の形相は、司祭の次の言葉から成っています。「この聖なる塗油およびいと厚き御慈悲によりて、主が汝の見、聞き、嗅ぎ、飲食および語り、触れることによりてなしたるすべての罪を赦し給わんことを」。これは、聖ヤコボが言うように「信仰による祈り」です。五官は霊魂の扉です。それゆえに、すべての罪はこの感覚のうちの一つまたは他のものに関係しています。

終油は生きている人の秘蹟です。その意味は、この秘蹟を受けるためには成聖の恩寵の状態になければならないということです。そのため実際には、司祭はまずその病人の告解を聞き、そののちに終油を授けます。しかし、病人がもう罪を告白できない場合、例えば昏睡状態にある場合、その人がその昏睡状態に陥る前に、正しい「不完全な痛悔」、正しい「罪に対する嘆き」を持っていれば、この秘蹟は大罪さえも赦す力を持っているのです。

この秘蹟の恩寵を教えているのは、次の聖ヤコボの言葉です。「信仰による祈りは病気の人を救う。主は彼を立たせ、もし罪を犯しているなら、それを赦されるであろう」(ヤコボ5章15節)。この秘蹟は小罪を赦し、必要ならば(告白できない場合には)大罪さえも赦します。この秘蹟は罪に対して当然あるべき罰を赦し、霊魂を癒やします。この秘蹟は病人を慰めて強め、天主の御あわれみに対する大きな確信を与えます。この秘蹟は、人生の最期の痛みを受け入れてそれに耐えるのを大きく助け、その痛みを十字架に付けられたキリストの苦しみと一致させ、キリストによって悪魔に対する最終的な勝利を得させるのです。時には、霊魂のために有益ならば、天主は体の癒やしをお与えになることさえあります。

病人が回復して、その後再び病気になる場合、その人はこの秘蹟をもう一度受けることが許されます。その回復が部分的であって、のちにその患者が病気を再発する場合は、新たな死の危険と考えられるため、この秘蹟をもう一度受けることができます。しかし、一つの病気だけであるならば、この秘蹟の恩寵は秘蹟によって継続します。ですから、最期の瞬間を待たずに、むしろ病気がその人の命を危うくするやいなや、この秘蹟から利益を受ける方が良いのです。

この秘蹟の執行者は、正式に叙階された司祭(または司教)です。これは、聖ヤコボの言葉で非常に明確です。プロテスタントの中には、ギリシャ語の「プレスビテル」という言葉を「長老(elder)」と誤訳することによって、この使徒の述べた明確な意味から逃れようとする人々がいます。これは世俗的な翻訳であって、宗教的な翻訳ではありません。「司祭(priest)」という言葉の語源自体が、まさにギリシャ語の「プレスビテル(presbyter)」から来ていることを完全に無視しているのです。このギリシャ語の「プレスビテル」という言葉は、教会によってまずラテン語に導入され、のちに[また教会によって]現代の(ヨーロッパの)言語に入りました。なぜなら、この言葉は使徒たちによって宗教的意味をもって持ち込まれ、初代教会がこの言葉を世俗的言葉である「長老」よりも多くの意味を表すものとして保持しようと望んだ意味を持っていたからです。

新約聖書には他にも、ラテン語を通して現代のヨーロッパの言語に入った宗教的意味を持つかなりの数のギリシャ語の言葉があり、その元々の世俗的な意味に戻ろうとするならば、それらの言葉からこの宗教的意味を取り去ってしまうでしょう。それが、「司教(bishop)」という言葉の元である「エピスコポス(episcopos)」という言葉のケースです(「p」と「b」の文字は唇音であり、そのため一方から他方へ移行可能です)。そして、この言葉は「監督(overseer)」と翻訳されるべきではありません。この場合は、その言葉から使徒たちによって与えられた宗教的意味を取り去ってしまうのです。

では、使徒たちはなぜ、彼らの宗教的意味とはかけ離れたように思われる世俗的な意味を持つこれらの言葉を選んだのでしょうか? なぜなら使徒たちは、旧約の礼拝および異邦人の礼拝から完全に切り離されていることが明白に分かるようにするように望んだからです。そのため使徒たちは、司祭を表すために[ギリシャの宗教に関係する]「ヒエロス(hieros)=聖なる」という言葉を使いませんでした。しかし使徒たちは、異邦人の宗教とはまったく関係のない言葉で、キリスト教徒の共同体で司教や司祭をはっきりと指し示す言葉を選びました。

終油の秘蹟を恐れるのではなく、むしろそれを求めることが重要です。病気には大きな助けになるのですから。終油のことを聞くのを恐れる人々がいますが、それは彼らに死を思い起こさせるからです。しかし、死という問題について目を閉ざしていては、病気の人の助けにはなりません。まったく反対です。私たちはみな、自分がいつかは死ぬということを知っています。教会は私たちにこう祈らせます。「不測の急死より、主われらを救い給え!」。この素晴らしい秘蹟を無視していたとき、死は不意にやって来ます。司祭に対して、病気になった皆さんの友人や親戚を訪ねて来てもらい、病気がその人たちの命に危険を及ぼす場合は油を塗ってくれるよう求めることは重要です。これは病人に対する素晴らしい愛徳の行いです。

病人を訪問すること、病人のために奉仕することは、素晴らしい愛徳の行いで、驚くべき報いがあります。「父に祝された者よ、来て、世の始めからあなたたちに備えられていた国を受けよ。あなたたちは、私が…病気だったときに見舞ってくれた」(マテオ25章34,36節)。病人にただ物質的および肉体的な慰めを与えるだけでよいと考えるべきではなく、とりわけ本当のキリスト教的方法で、私たちの主イエズス・キリストと一致して、病人が自分の十字架を担うのを助けるのだと考えるべきです。これを成し遂げる最も良い道は、聖ヤコボが言ったように油を塗ってもらうために、病人を説得して司祭の訪問を受け入れさせることです。病人のために祈るだけでなく、病人とともに祈るべきです。

童貞聖マリアは常に、病人とともに祈っておられます。すべての母のうちで最良の母が、子どもたちが苦しんでいるときそばにいるように、私たちの苦しむその瞬間に、聖母はさらに私たちのそばに近づいてさえ来られます。聖母は、イエズスの十字架の下、苦しみを受けておられたイエズスのそばにおられました。そして、聖母は、すべての病人のベッドの下におられて、病人のために祈り、病人が私たちの主イエズス・キリストと自分を一致させるのを助けておられます。苦しみは大きな神秘であり、受け入れるのは困難です。私たちには、病人を受け入れて苦しみをイエズスとともに捧げるために聖母の御助けが必要です。

私たちが進んで断食と苦行をするこの四旬節の時期はまた、私たちが病人に対する愛徳を倍増させ、病人の苦しみを私たちができる限り和らげ、病人が天主の栄光と霊魂たちの救いのためにいとも聖なる三位一体にすべてを捧げるよう助けるべき時期でもあるのです。

アーメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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