Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【聖ピオ十世会 SSPX JAPAN】2018年5月18-21日の聖伝のミサと【秋田巡礼】の報告の続きです

2018年05月25日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、


【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御ミサの報告をお送りいたします。

5月18日 (金)聖ヴエナンチオのミサには12人が、
5月19日 (土)聖霊降臨の前日のミサには13人が御ミサに与るお恵みを頂きました。
デオグラチアス!

お説教では、カトリックの核心が「天主の愛」である事と、愛に、愛を返す事を黙想いたしました。
15歳の聖ヴェナンチオが天主様を愛する事を自分の命を捧げて証明したことに感服しました。
天主様が私達をどれほど愛して下さっているかと、私達もどれほど天主様をお愛ししなければいけないかを感じました。

聖霊降臨の前日のミサの後の御聖体降福式ではトゥイの祭壇を思いながら与りました。
マリア様が私の全てをその汚れなき御心を通してイエズス様にお捧げくださり、マリア様の御心を通って沢山のお恵みを頂いている事を黙想しました。

※短くてすみません・・・🙇

至聖なるイエズスの聖心我らを憐み給え
聖母の汚れなき御心よ我らのために祈り給え


【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 26人(内、子供3人)
女: 24人(内、子供4人)
計: 50人(内、子供7人)


【報告】【東京】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

聖霊降臨の大祝日のミサをありがとうございます。
この日は、復活祭に次ぐ大切な大祝日だと伺っておりました。
聖霊の降臨によって教会が公けに誕生したので教会の誕生日でもあるとのことでした。

お説教で、「教会が私たちに求めているのは、諸国のいろいろの国から集まった人たちが、同じイエズス・キリストの信仰の話をする、超自然の命に燃えて天国への望みによって生きることです」というお話を伺って、嬉しかったです。
ごミサではいろいろな国からの人たちも来られているなか、イエズス・キリストの信仰の話がラテン語で話されます。そして、同じように天国への望みを持ち、超自然の命にあこがれ、同じ信仰を生きているように感じられます。教会で超自然の命の高まりがみられず、少しも天国への望みが語られることがないなら、どんなに悲しいでしょう。この世の命のこと以上に、洗礼によっていただいた天国へ続く命を、その命の光りが消えないように励まされますように、ご聖体で養われますようにと、集まってきていることを感じさせられること、これこそ教会なのだとこの日あらためて思いました

この聖霊降臨の祝日に、聖ピオ十世会の教会にも、聖霊が豊かに降って教会への愛の火がより大きく燃え立つようになりますようにと祈りました。(7月の総会のためのことも祈りました。)

ちょうどこの日からロザリオの祈りの後の祈りに「日本に聖堂を願う祈り」が祈られることになりました。祈りは天主によってきかれているということを知るとともに、求めていることを祈らなければ与えられないということも、教えられてよくわかるようになってまいりました。この日、東京では心を一つにして聖堂を祈り求め始めたということがうれしくてなりませんでした。

その始めの部分は、聖モンフォールの祈りで、自分のすべてをマリア様に明け渡しますということでした。聖霊を豊かに受けるために、マリア様にすべてを明け渡すことよりほかに、良い方法がありましょうか。聖霊はマリア様の浄配ですから、聖母の汚れなき御心にすべてを奉献したものにとっても、聖霊が浄配となりますように。聖霊の充満を祈りました。そして、“思うようにイエズス様をお愛し申し上げることができないこともそのことも聖霊に祈り求めるように“というお話を聴いて、自分の冷淡のために愛することが難しく感じるときは、自分の心から邪魔な余計なものを追いだしてしまって、マリア様の浄配でいらっしゃる聖霊に、どうぞわたしを満たしてください、とお祈りしようとおもいました。
『御父御子の愛の交流で愛そのものであられる聖霊よ、私たちのこの教会に集う一人一人の上にも、どうぞ豊かに来てください!』と祈りました。

午後は、聖心の祭日のごミサで歌われるグレゴリオ聖歌を練習しながら、ラテン語の歌詞の発音や意味も詳しくお話しいただきました。

そのなかの一つでは、わたしのとても好きな聖句の一つが、グレゴリオ聖歌になっていました。「私は心の柔和なへりくだった者であるから、くびきをとって私に習え。そうすれば霊魂は休む。私のくびきは快く、私の荷は軽い」(マテオ29・30)の部分だったのではと思います。

その曲を練習するとき、ちょっとびっくりして、うれしく思いました。グレゴリオ聖歌を歌いながらイエズス様のみことばを黙想するというのはとてもいいなあと思いました。(いまのところは、まだとてもそんなふうにできるようには、歌うことできないですが、そうなれたらよいなあと・・。)歌を練習しながら、『・・・永遠の死から救うこととご聖体で養うことを考えておられる・・』という、聖歌の訳の言葉にもうっとり致しました。

またメロディは霊魂(精神的)で、リズムは肉体(野性的)だというお話もとても興味深かったです。ベートーヴェンはどちらかというとリズムを強調している曲を多く作っていて、『第九』などはどちらかというとフリーメーソン的・・、とかというお話も面白かったです。

聖歌を練習しながら、そして楽譜の音符をながめながら、そのメロディの流れと、くり返される音符の並び方が、まるでレースのフリルのように見えてきて、その繊細な微妙な美しさを、音の響きと目とで感じ味わいました。

トリエント・ミサでは、司祭は白く美しいレースのものを着衣され、足もとにゆれるその繊細な微妙な動きが目に留まります。祭壇の飾り布についているレースといいい、そういったものもどれもみな、その目にみえないものである精神というものの美しさを象徴しているのかもしれないとふと思いました。グレゴリオ聖歌や祭壇の飾り、司祭や侍者の服装など、そういうことにもみんな本当はもっと深い意味があるのかもしれないと思いました。

カトリックの御ミサには、メロディが持つ美しさのように、霊魂のもつ感性や精神や深い感情や天上的な超自然的な美が表現されているように思います。長い年月のなかで、天主さまへの崇敬と愛と感謝をできるだけ形にしようと努めてきた結果に形成されてきているのかもしれません。そういったものがトリエント・ミサにおいて使われる祭壇の飾り司祭や侍者の身につけるもの・香や音楽、そういったものにも表現されているのかもしれないと思いました。

昔の書物を紐解いているとき、そのようなお話が出てきていたことが思い出されました。それなのに2000年も続いてきたなかで霊的な超自然的な美しさが表現されるようにと発展してきたカトリック的な美が、いまや歴史の中に埋められ過去の遺物とされ、誰もカトリック信者でさえ体験することもできないように、突然中断されようとしたことは、本当に衝撃だったことと思います。

現代の日本で聖伝のミサに触れることがないカトリック信者は、そのようなカトリックの御ミサの天国の美しさを象徴するような美からも遠ざけられていて、もうあまりそのようなことを考えることができないかもしれません。超自然の命への飛翔というものを感じさせられる機会も少なくなり、感性が次第に弱まりやせ衰えるかもしれず、しまいには霊魂のもつ力も弱められてしまって、敵である悪魔にたちむかうこともできなくなるのではないかと怖れます。きっと悪魔は、天国の美や霊魂の美を象徴するものから人びとを少しでも引き離そうと躍起になっているのかもしれません。この世を、ロックや挑発的な服装などが喜ばれるような世界にして、肉体の重要さのほうにばかり注意を向けているようにさせたかったのでしょうか。天主さまを忘れさせて、「人間」を賞賛することのみに、注意を向けさせようとしているかのようです。

グレゴリオ聖歌の練習のとき、神父様のちょっとした話から、勝手にひとりこんなことへと想像を膨らませているうちに、音符を見失いがちになって、ちょっと焦りました。

晩課の最後には静けさのなかに、幾度か聖霊さまが、降ってきてくださっているかのような響きが、印象的でした。


【秋田】
Dear and Reverend Fr. Onoda.

I hope you had a safe return home and had proper and enough time to your rest after the special and intense spiritual pilgrimage to Akita.

I was very happy there and very grateful to the Lord and Virgin Mary for that silent and pious Eucharistic and Marian days. There is a lot to say but in other opportunity. I already decided to go next year, God willing.

Hope to see you soon Fr. Onoda. Please, my warm regards to Rev. Fr. Stehlin. I liked very much his conferences and I am reading carefully the books he kindly gave me. He is a very pious Marian priest and solid and experience teacher of faith.

God bless Fr. Onoda and thank you dearly for your supernatural testimony of real Priest of Jesus Christ. My best regards all to the faithful present at the Pilgrimage. God bless their noble souls.


【報告】
Ave Maria.

Good morning. The retreat of Akita is still in my head and heart. Really, it was very profound spiritually in many ways. I missed the prayers and the cerimonies. I am praying for God's will.
Have a blessed weekend.


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

秋田巡礼の感想を送ります。遅くなり申し訳ございません。

・どこが良かったか
すべてが良かったです。御ミサ、霊的講話、皆で祈る・歌う。

・何を学んだか
毎回違います、同時に、毎回同じです。

ただ天主様に感謝をもっともっと感謝をと思いますが、それ以上に天主様はどれほど人間を愛しているのだろうと、天主様の大なる愛を思い感じます。もちろんいつも天主様の愛とはどれほど凄いかと思いますが、私の想像ではとても足りません。

仕事を離れ家を離れ、秋田のマリア様の所に行くと、私達が歩む道は十字架の道で、苦しい道なのですが、どうすべきなのか愛でもって教えてくださいます。

自分の高慢と欲深さと無関心に溺れてしまいそうな日々、どんなに片付けても汚い馬小屋をイエズス様を御向かえするため掃除したヨゼフ様を思います。

『巡礼』とは大きな御恵みと聞きました。ただただ『凄い』で言葉では言い尽くせません。言葉がまとまりませんし、読み辛いと思いますが、一言なら『感謝』です。



--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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