Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

2018年9月23日(主日)の聖伝のミサ:聖霊降臨後第18主日 二級祝日 緑

2018年09月17日 | カトリックとは

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖霊降臨後第18主日(二級祝日 緑)のミサ聖祭のラテン語・日本語・中国語の対訳をご紹介します。
本日より典礼は、聖霊降臨後の第二期に入る。「人が、私に、主の家の方に行こうと告げたので、私は喜んだ。」〈入祭文、昇階誦〉聖パウロのように、教会は、主の来臨による完きよろこびを待ちのぞんでいる。本日の典礼は、次の主日と同様に、キリストの光栄の来臨の方にとわれらの目を向けさせ、義人にとってうたがうべからざる平和をのぞませる。〈聖福音〉は、キリストが司祭を通じてわれらに与え給う罪のゆるしを信頼せよと教える。
由本主日开始,我们已到了圣神降临后的尾期,这是基督徒对基督重临所期望的时期。所说的基督重临,是指世界的末日或各人的死候,而我们与祂再次相遇。弥撒中给我们所申述的,是“天主的家”。所谓天主的家,首先便指天堂,即天主子女永久的家乡。在圣洗时,我们得了基督的宽赦和祂的治疗,祂把我们改造,凭藉祂的圣宠而成为天主的子女。耶稣又因着圣体圣事,在我们身上不断的继续祂圣化的工作;祂又不断的对我们注意,务使我们不缺乏任何的恩宠,使我们坚持到底,忠实无罪,直至进入天父的家(书信)。“天主的家”也指我们本区的堂口,在那里我们领受了圣洗,在那里每主日我们聚集一起,为在与我们的元首基督结合之下,献给天主赎罪的祭献。(旧约的祭献【奉献咏】便是这圣祭的预像。)所以每主日,我们该热切的会集于这圣堂之中,并恳切呼求圣宠,使我们在通往天上家乡的道路上,常能以真的天主子女自持自处(密祷经)。

Dominica Decima octava post Pentecosten 聖霊降臨後第十八の主日 降临后第十八主日
II Classis 二級祝日 复式【绿】
Ant. ad Introitum. Eccli. 36, 18. 入祭文 集会書、36ノ18 进台咏(德36:18)
Da pacem, Dómine, sustinéntibus te, ut prophétæ tui fidéles inveniántur :  主よ、主に希望する人々に平和を与え給え、主の予言者が真実と見定められるように。 主啊!求祢将平安赐给期望祢的人民,好使祢的先知被人认为
exáudi preces servi tui et plebis tuæ Israël. 主の下僕なる御民イスラエルの祈りをききいれ給え。 上主,求祢俯听祢仆人和祢子民伊撒的祈祷。
Ps. 121, 1. 詩篇、121ノ1 咏121:1,7
Lætátus sum in his, quæ dicta sunt mihi : in domum Dómini íbimus. 人が、私に、主の家の方へ行こうと告げたので、私はよろこんだ。 ——当人:“我到上主的圣殿”,我欢乐盈盈。
V/.Glória Patri. V/. 願わくは聖父と・・・(栄誦)。 ——光荣于父……。
Da pacem, Dómine, sustinéntibus te, ut prophétæ tui fidéles inveniántur : 主よ、主に希望する人々に平和を与え給え、主の予言者が真実と見定められるように。 主啊!求祢将平安赐给期望祢的人民,好使祢的先知被人认为
 exáudi preces servi tui et plebis tuæ Israël. 主の下僕なる御民イスラエルの祈りをききいれ給え。 上主,求祢俯听祢仆人和祢子民伊撒的祈祷。
Oratio. 集祷文 集祷经
Dírigat corda nostra, quǽsumus, Dómine, tuæ miseratiónis operátio : quia tibi sine te placére non póssumus. Per Dóminum. 主よ、願わくは、御あわれみによりわれらの心を導き給わんことを。われらは、御身なくしては、嘉せられないのである。天主として・・・。 主,求祢行使祢的仁慈,指导我们的心灵:因为没有祢,我们便不能中悦祢。因我们主……。
Léctio Epístolæ beáti Pauli Apóstoli ad Corinthios. 使徒パウロの,コリント人への書簡の朗読
1. Cor. 1, 4-8. 前書、1ノ4 - 8 格前1:4-8
Fratres : Grátias ago Deo meo semper pro vobis in grátia Dei, quæ data est vobis in Christo Iesu : quod in ómnibus dívites facti estis in illo, in omni verbo et in omni sciéntia : sicut testimónium Christi confirmátum est in vobis : ita ut nihil vobis desit in ulla grátia, exspectántibus revelatiónem Dómini nostri Iesu Christi, qui et confirmábit vos usque in finem sine crímine, in die advéntus Dómini nostri Iesu Christi. 兄弟たちよ、あなたたちがキリスト・イエズスにおいて賜わった天主の恩寵のために、私は絶えず天主に感謝している。あなたたちは、かれにおいて、全てのこと、つまり全ての言葉と全ての知識に富んだものとなったからである。それほど、あなたたちの中に、キリストの証明が固められた。こうしてあなたたちは、霊的なたまものにも欠けることなく、主イエズス・キリストのあらわれを待っている。かれはあなたたちを、主イエズス・キリストの日に、咎なきものとするために、終りまで固め守られるだろう。 弟兄们:我时常为你们感谢我的天主,因为衪藉着基督耶稣,把自己的圣宠赏给了你们,使你们藉着衪在一切事上,无论在言语或知识方面都得以富足;对基督所作的证明,在你们中间已经坚固地建立了;因而当你们切望着我们主耶稣基督再显现的时候,任何特恩都不缺少。衪自始至终坚固你们的心,使你们在我们主耶稣基督降临的日子,没有可责斥的地方。
Graduale. Ps. 121, 1 et 7. 昇階誦 詩篇、121ノ1, 7 咏(咏121:1,7)
Lætátus sum in his, quæ dicta sunt mihi : in domum Dómini íbimus. 人が、私に、主の家の方へ行こうといったので、私はよろこんだ。 当人:“我到上主的圣殿”,我欢乐盈盈。
V/. Fiat pax in virtúte tua : et abundántia in túrribus tuis. V/.平和は、汝の城壁の中に、繁栄は汝の城の中にあらんことを。 ——愿和平在祢的城内,愿康泰在祢的殿中。
Allelúia, allelúia. V/.Ps. 101, 16. アレルヤ、アレルヤ。V/.詩篇、101ノ16 阿肋路,阿肋路。(咏101:16)
Timébunt gentes nomen tuum, Dómine, et omnes reges terræ glóriam tuam. Allelúia. 主よ、異邦人は、御名をおそれ、地上の王は、主の光栄を畏れるであろう、アレルヤ。 上主啊!万国都要敬畏祢的名;世上的列王都要敬畏祢的荣耀。阿肋路
+ Sequéntia sancti Evangélii secundum Matthǽum. マテオによる聖福音の続誦 福音
Matth. 9, 1-8. 9ノ1 – 8 9:1-8
In illo témpore : Ascéndens Iesus in navículam, transfretávit et venit in civitátem suam. Et ecce, offerébant ei paralýticum iacéntem in lecto. Et videns Iesus fidem illórum, dixit paralýtico : Confíde, fili, remittúntur tibi peccáta tua. Et ecce, quidam de scribis dixérunt intra se : Hic blasphémat. Et cum vidísset Iesus cogitatiónes eórum, dixit : Ut quid cogitátis mala in córdibus vestris ? Quid est facílius dícere : Dimittúntur tibi peccáta tua ; an dícere : Surge et ámbula ? Ut autem sciátis, quia Fílius hóminis habet potestátem in terra dimitténdi peccáta, tunc ait paralýtico : Surge, tolle lectum tuum, et vade in domum tuam. Et surréxit et ábiit in domum suam. Vidéntes autem turbæ timuérunt, et glorificavérunt Deum, qui dedit potestátem talem homínibus. そのとき、イエズスは、舟にのって海を渡り、ご自分の町においでになった。すると、人々が、床に寝ている中風の人を、みもとにつれて来た。イエズスは、かれらの信仰を見て、中風の人に向かい、「子よ、信頼せよ。あなたの罪は、ゆるされた」とおおせられた。そのとき、ある律法学士たちは、心の中で、「この人は、冒涜のことばを吐いた」と思った。イエズスは、その人たちの考えをみぬいて、「なぜ、あなたたちは、心の中で、よからぬことを考えているのか。あなたの罪はゆるされた、というのと、起きて行け、というのと、どちらがやさしいか?人の子が、地上で、罪をゆるす権力をもっていることを知らせるために……」。そういって、中風の人に向かい、「起きて、床をとって家に帰れ」とおおせられた。病人は、起きて、家へ帰った。群衆はこれを見ておそれ、これほどの権力を人間にお与えになった天主を賛美した。 候,耶上了船海,来到本城(葛法翁),有人抬来一个躺在榻上的子。耶的信德,就对瘫:“小子!信任吧!你的罪赦了。”有几个经师心中:“亵渎了天主。”耶看出了他的心意,就:“你们为什么心中起念?‘你的罪赦了。’或:‘你起来走吧!’那个更容易?——在叫你知道:人子在世上有赦罪的柄……”于是对瘫:“起来,拿起你的榻,回到家里去吧!”子就起来,回到家里。群众看了,都敬畏起来,而颂扬天主赋给们这样柄。
Credo 信経  
Ant. ad Offertorium. Exodi 24, 4 et 5. 奉献文 (出エジプト記、24ノ4 . 5 ) 奉献咏(出24:4,5)
Sanctificávit Móyses altáre Dómino, ófferens super illud holocáusta et ímmolans víctimas : fecit sacrifícium vespertínum in odórem suavitátis Dómino Deo, in conspéctu filiórum Israël. モイゼは、主に祭壇を設け、その上に、供物をささげ、いけにえを屠り、イスラエルの子らの前で夕べのいけにえを行った、その香りは、天主なる主によみせられた。 梅瑟同主祝圣了祭坛,在祭坛上奉献全燔祭与牺牲;他在伊撒尔全体民众前献给了上主天主馨香的晚祭。
Secreta. 密誦 密祷经
Deus, qui nos, per huius sacrifícii veneránda commércia, uníus summæ divinitátis partícipes éfficis : præsta, quǽsumus ; ut, sicut tuam cognóscimus veritátem, sic eam dignis móribus assequámur. Per Dóminum. このいけにえに行われる、尊い交換によって、われらを、唯一の崇むべき神性に与らせ給う天主よ、願わくは、御身の真理を悟らせ給うたわれらを、正しい生活によって一致させ給え。天主として・・・。 天主,祢藉着这圣祭的奇异交换,使我们分享祢独一无二、至高无上的天主性;求祢恩赐我们,既然认识祢的真理,也能把此真理在行为上表现出来。因我们主……。
Præfatio de sanctissima Trinitate 三位一体の序誦 天主圣三的颂谢引
Ant. ad Communionem. Ps. 95. 8-9. 聖体拝領誦 (詩篇 95ノ8 - 9 ) 领主咏(咏95:8-9)
Tóllite hóstias, et introíte in átria eius : adoráte Dóminum in aula sancta eius. そなえものをたずさえて、主の神殿に入れ。その聖所で、主を礼拝せよ。 请你们带着供物进入上主的庭院,来到衪圣殿中朝拜衪。
Postcommunio. 聖体拝領後の祈 领后经
Grátias tibi reférimus, Dómine, sacro múnere vegetáti : tuam misericórdiam deprecántes ; ut dignos nos eius participatióne perfícias. Per Dóminum. 主よ、聖い賜(たまもの)にやしなわれたわれらは、主に感謝し奉る。願わくは、御憐みにより、われらをますます賜(たまもの)にふさわしいものとなし給え。天主として・・・。 主,我们蒙受了圣恩的养育,向祢千感万谢;更求祢垂悯,使我们配得参享此圣恩。因我们主……。 

教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ【その2】

2018年09月17日 | ルフェーブル大司教の言葉
教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ

ルフェーブル大司教の公開書簡その2




2. 私たちの宗教は変えられようとしている!


この話を始める前に、そのことにもう一度戻らなくてもいいように、まずある誤解を晴らしておかねばなりません。私は或る運動の首謀者でもなければ、或る独自の教会の長でもありません。私はひっきりなしに「聖伝主義者のリーダー」だと書き立てますが、そんなものではありません。さらにある人々は「ルフェーブル派」などと呼ばれるようにさえなりました。あたかも何かの党とか学派であるかのようです。これは言葉の乱用です。

私には宗教に関して個人的な独自の教理がありません。私は全生涯を通して、ローマのフランス神学校の机で勉強したことを守っているだけです。つまり、最後の使徒の死をもって啓示が閉じられたことが示されるのですが、最後の使徒の死から教導職が何世紀にもわたって伝えてきた通りのカトリックの教義を堅持してきたのです。

そこには、ジャーナリストたちが感じる、またジャーナリストを通して現代の世論がセンセーショナルなことを求める欲求を満足させるようなふさわしいネタなどないはずなのです。しかし、1976年の8月29日には、フランス全土は私がリール市でミサを捧げようとしていると知って大騒ぎをしました。一司教がミサの聖なるいけにえを捧げる、このことに何の特別なことがあったのでしょうか?私はマイクの山の前で説教しなければなりませんでした。私の一言一言は、衝撃的な宣言であるかのように受けとめられたのです。他のどの司教でも言うことが出来た以上の何を私が言っていたというのでしょうか。

はい、ここに謎を解く鍵があるのです。他の司教達はここ数年もはや同じことを言わなくなってしまっていたのです。例えば、あなたは私たちの主イエズス・キリストの社会的統治についてしばしば聞いたことがありますか?

私の個人的な体験には、私は次から次へと驚かされます。これらの司教達は、その大部分がローマの同級生でした。彼らは同じように養成を受けたのです。それなのにほら見て下さい、突然私はひとりぼっちに残されました。彼らが変わったのです。彼らはかつて学んだことを放棄したのです。私は新しいことを何も発明しませんでした。私はそのままを続けていたのです。ガロンヌ枢機卿はある日こう私にいいさえしたのです。「ローマのフランス神学校では私たちは騙されたのだよ」と。騙された?何について騙されたのでしょうか?彼は公会議の前には次のような使徒信経を自分の公教要理の子どもたちに何千何万回と唱えさせたのではなかったでしょうか。「真理の源なる天主、主は誤りなき御者にましますがゆえに、我は主が公教会に垂れてわれらに諭し給える教えをことごとく信じ奉る」と。

これらの司教達が全てどうしてその様に変質することが出来たのでしょうか。私はそれへの一つの説明をしてみます。彼らはフランスにいて、ゆっくりと汚染されるがままになっていたのです。私はアフリカにいて守られました。私は公会議のちょうど開かれる年にフランスに戻りました。悪は既に既成事実となっていました。第二バチカン公会議は破壊的な激流を引き留めていた水門を開けただけだったのです。

あっという間に、第四総会の閉会の以前でさえ、それは壊滅状態でした。全ては、ほとんど全ては奪い取られようとしていました。まず初めに祈りがそうでした。

天主とは何かを知り、天主への畏敬があるキリスト者は、今日祈らせられるそのやり方には抵抗を感じます。暗記で覚えて文句は「同じことを何回もくどくどしい」と形容され、子どもたちにはそれをもはや教えなくなってしまったのです。その様なものは、主祷文(「天にまします」の祈り)を例外として公教要理の本にも載っていないのです。しかもその「天にまします」の祈りはプロテスタントに影響された新しい祈祷文で、天主に対して「おまえ」(tu)と呼ばせるのです。天主を何でもかんでも「おまえ」と呼ばせるのは大きな崇敬の印ではありません。このことは私たちの言語の特性にはあっていません。私たちの言語は、私たちが目上、親、友達、など誰に向かって話しているかに従って、別の呼び方をするのです。公会議後の「天にまします」において、天主に向かって私たちを「誘惑に陥れ(soumettre à la tentation)」ないようにと祈るのです。これは少なくとも曖昧な表現です。それにひきかえ、伝統的なフランス語訳は、ヘブライ語から不手際にそのまま字句通りに出来たラテン語を改良したものだったのです。[Et ne nous laissez pas succomber à la tentation.]その新しいフランス語の訳に何らかの進歩があったというのでしょうか。天主様の「おまえ呼び」は、俗語の典礼の全てを侵略しました。「主日の新しいミサ典書」は天主様を「おまえ」でだけ呼ばせ、これを義務づけています。フランスの習慣と文化とにかくも反するその様な変化を導入する理由も見あたらないままです。

カトリック・スクールで十二歳から十三歳の生徒たちに試験をしてみました。天にましますを、(勿論フランス語で)知っていたのはほんの数人しかいませんでした。また「めでたし」に祈りを知っていたのも数人でした。一人か二人の例外を除くと、使徒信経、告白の祈り、信徳唱、望徳唱、愛徳唱、痛悔の祈り、お告げの祈り、聖母のご保護を求むる祈り、など誰も知りませんでした。この子のほとんどがその様な祈りのことを一度も聞いたことがなかったのですから、どうしてそれを知ることが出来るでしょうか?「祈りとは『自発的』でなければならない」とか「天主様には心から溢れるもので話さなければならない」とか今日よく言われます。そして教会の素晴らしい教育法などは問題外なのです。教会はこの様な全ての祈りを巧みに作り、大聖人でさえもその祈りを拠り所としたのです。

今日誰がキリスト信者に朝夕の祈りを家族そろって唱えるように、食前食後の祈りを唱えるようにと励ましているでしょうか。多くのカトリック・スクールでは授業の初めに祈りをしないと聞きました。それは不信仰の生徒とか別の宗教を信じている生徒がいて、彼らの良心を刺激してはならず、また、凱旋主義的な感情を見せてはならないからだそうです。これらのカトリック・スクールに非カトリックの生徒やキリスト教を信じない生徒たちを過半数以上多く入学させ、しかも彼らを天主へと改心させるには何もしないで良しとしているのです。少数派のカトリックは、自分の同級生の意見を尊重するという名目で、自分の信仰を隠さねばなりません。

今やごくわずかの信者だけが跪いたりするだけです。跪く変わりに御辞儀をしたり、あるいはさらによくある場合なのですが何もしなくなってしまいました。ですから教会にはいると跪きもせずにすぐに席につくのです。教会の備品は取り替えられました。例えば跪き台は壊され火にくべられました。多くの教会では映画館にある椅子と同じものを導入しました。こうして教会はコンサートに使われ、聴衆はそこに気楽に腰掛けています。私はパリの大きな教区の教会の中にある「聖体礼拝堂」の報告を受けたことがあります。この聖体礼拝堂では近くで働いている多くの人たちが昼休みに御聖体訪問をしていました。

ある日、その聖堂は改修のためにしばらく閉鎖になりました。改修工事が終わってまた門が開かれるようになると今度は跪き台がなくなっていました。快適な綿毛の絨毯が敷かれ、その上には間違いなく高価な、ふかふかとした深い腰掛けがあったそうです。その腰掛けは大きな会社や航空会社のロビーにあるのとよく似ていたそうです。信者たちの立ち振る舞いもすぐに変わってしまいました。絨毯の上に跪く者もいましたが、大多数は気楽に腰掛け、御聖櫃の前で足を組んで黙想しました。この教区の聖職者たちには、明らかに全く特別な意図があったはずです。なぜなら、こんなに高価なものを導入することを決定するにはそれなりの考えがあったに違いないからです。ここに、天主と人との関係を天主と同等の立場で接するように、もっと馴れ馴れしくし、ぞんざい、無遠慮にさせようという意図があるのに気付きます。「宗教の徳」と呼ばれるものを具体的に表す全てのしぐさを廃止してしまって、一体どうやって万物の創り主にして最高の支配者である方の御前にいることを確信できるでしょうか。御聖櫃の中にまします、主の現存の感覚をも減少させてしまう危険がないのでしょうか。

カトリック信者たちは神聖な場所において組織的に平凡なしかも低俗なものを押しつけられるので、指針を失いどうして良いか分からなくなっています。教会建築物の美しさや宗教儀式の美しさに役立っていた全てを、人は「凱旋主義」と呼ばわります。教会の飾りは日常の飾りに、「生きた(vécu)」ものに近づかねばならないといいます。信仰のあった時代には人は天主様に自分の持っていた一番高価なものを捧げました。村の教会にあったものは、まさに日常生活に属していないものでした。例えば金属の細工品、美術作品、繊細な生地、レースの編み物、刺繍作品、宝石の冠を被った聖母像、などです。キリスト者は至高なる天主を自分の出来る限り崇敬しようと経済的な犠牲を払っていたのです。これら全ての美は、祈りをたやすくし、霊魂を高く挙げるのに役立っていました。実にこの様な捧げものは人間にとって自然なことなのです。

東の博士たちがベトレヘムの貧しい馬小屋に赴いたとき、彼らは金と没薬と香を持ってきました。カトリック信者に低俗な雰囲気の中で、他の公共施設と変わらないような、時には公共施設よりも劣悪な「多目的ホール」の中で祈らせることは、彼らを虐待していることなのです。あちこちでゴチック様式、ロマネスク様式の素晴らしい教会を放棄し、そのそばに装飾すらもない寂しい倉庫のようなものが建てられています。あるいは、食堂で、つまり台所で、「家庭の聖体祭儀」をするのです。私はこの「家庭の聖体祭儀」の話をひとつ聞いたことがあります。それは、或る亡くなった方の自宅でその家族と友人たちの前でなされたそうです。儀式が終わると、カリスを片づけて、さっきと同じ祭壇の布のかぶさっている同じテーブルの上で食事をし始めたのです。その間数百メートル歩いたところには、素晴らしいステンドグラスのある十三世紀の教会のまわりに空の鳥だけが天主を賛美して歌っていたのです。

読者の皆さん、皆さんの中で戦前のことを知っている人は、きっと御聖体の祝日の行列の熱意を思い出して下さることでしょう。様々の仮祭壇、聖歌、香炉、司祭は金で刺繍した天蓋の下に日の光を浴びて輝く聖体顕示台を奉持し、教会旗、舞飛ぶ花、鈴の音色を思い出すことでしょう。子どもの心にも礼拝とは何なのかその意味が生まれ出、そして心に生涯刻みつけれられていました。礼拝の気持ちという、祈りのこの一番大切なことが全く無視されているようです。

まだこれからも必要な進化とか、生活の新しい様式だとかということを話し続けるつもりなのでしょうか。たとえ道路が交通渋滞になったとしても道路でのデモ行進は平気でやっています。それに参加する人たちは自分の政治的見解を言い表したり、正当であってもなくても自分たちの要求を主張し、一切の世間体というものもないのです。何故天主だけが片隅に追いやられているのでしょうか。何故キリスト者だけが天主にふさわしい公の礼拝をするのを遠慮しなければならないのでしょうか。

フランスでは、聖体行列がほとんど無くなってしまいましたが、信者の関心が無くなったからではないのです。御聖体行列は、「神の民の積極的な参加」を絶えず求め前進している新しい司牧指針によって(!)、禁止されているのです。1969年には、オワーズ県の主任司祭は、御聖体の祝日に伝統的な聖体行列をすることを禁止させられましたが、しかし、この聖体行列は禁止にもかかわらず行われ、村の全住民の十倍の人手で盛り上がりました。教区の司教は、この司祭を解任しました。新しい司牧指針は、実はこの点では典礼に関する公会議憲章と矛盾しているのですが、この様な信心の形に愛着しているキリスト信者たちの深い望みを叶えていると言えるでしょうか。

そのかわりに彼らには何が提示されているのでしょうか?ほとんど何もありません。なぜなら礼拝のための儀式は急速に減少したからです。司祭はもはや毎日ミサをたてません。司祭はその他の時には共同司式をします。ミサの数は激減しました。田舎に行くと平日にミサに与ることはほとんど不可能になりました。日曜日には「巡回司祭」が回るところに行くために車に乗らねばならなくなりました。フランスの数多くの教会は完全に閉鎖され、まだ開く教会でも一年に何回か開くだけです。それに加えて召命の危機があります。あるいはむしろ、召命があってもそれに答えることの危機があります。

宗教を実践することは年々ますます難しくなっています。大都市では一般的によく行き届いていますが、例えば初金曜日や初土曜日に御聖体拝領するのはほとんどの場合不可能です。勿論毎日ミサに与ろうと夢にも思うことは出来ません。都会の多くの教区教会ではミサは、要求に応じて、或る定まったグループのために、このグループとした約束の時間に行われるので、たまたま通りがかりに教会に入るとこのグループの活動と生活に言及した儀式をしているために、通りがかりの信者はなんだかよそ者のような感じを受けます。

「会衆と共のミサ」と対立するものとされた「私唱ミサ」(司祭が一人で司式するミサ)と呼ばれるものを人はしばしば悪くいいますが、現実のところは共同体は小さなかけらに分断されているのです。司祭たちが、カトリック・アクションとかその他の活動をしている信者の個人の家で、幾人かの仲間のためにミサをするのはまれなことではありません。あるいは主日(日曜日)のミサの時間割はいろいろな言葉の違う共同体のために分けられています。ポルトガル語のミサ、フランス語のミサ、スペイン語のミサ、それからそれから、・・・。外国へ旅行することが広く一般的になっている今日のような時代に、カトリック信者が自分が一言も理解できないミサに与るのを余儀なくされているのです。しかも、言葉を理解してミサに「参加」しなくては祈ることが出来ないのだと彼らに言い含めているにもかかわらずそうなのです。信者たちはではどうしたら良いのでしょうか。

もはやミサはありませんし、あっても殆どありません、聖体行列も聖母行列もありません、聖体降福式ももうなくなりました。晩課もなくなりました。共通の皆でする祈りは、最も単純化された形に引き下げられました。信者は時間割を調節して、交通の不便を乗り越えようやくのことで教会にたどり着いたとき、彼の霊的渇きを癒すものに何を見いだすことが出来るでしょうか。典礼それ自体と、典礼がひどく変わってしまったことについては後に話すことにして、さしあたり、その外面的な点、この共通の祈りの形式について話を限定しましょう。

まず、挙式(célébrations)の雰囲気が余りにも頻繁にカトリック信者の宗教的感性を傷つけるものです。あらゆる種類の打楽器とか、ギターやサクソホンを使った世俗的なリズムが侵入しました。ある宗教音楽の担当の音楽専門家は、フランスのノール教区にいますが、こう書いています。彼の言っていることを音楽の世界の多くの著名な人物たちが認めています。

「そこらでよく聞く言い方とは裏腹に、これらの新しい歌の音楽は近代的でなありません。この音楽の様式は新しいものではなく、非常に世俗的な場所や環境ではよく聞かれていたのです。例えば、キャバレーとかミュージック・ホールとか、多かれ少なかれ猥褻な外国の名前を付けられたダンスのためにこの音楽が使われていました。・・・人々は駆り立てられて体を動かす、言いかえるとスイングします。皆は暴れ回りたくてたまらないのです。ほら、これが私たちの西洋文化にとってはおよそよそ者である「からだを使った表現」なのです。これは沈思黙考するには余りふさわしくなく、むしろこれは、混乱から生じたものなのです。・・・私たちの集会は、八分の六拍子の時、四分音符と八分音符とを同じにしないだけでも大変苦労しています。ですから彼らは大部分の場合正確なリズムを守らず、打ちが足りないこともあります。そうするともう暴れ回ろうと言う気持ちも起こらず、リズムは崩れ、メロディーの線がいつも持っている貧しさをさらに露骨に見せることになります。」

その様な音楽の中で祈りはどうなるのでしょうか?幸いなことに、これ程野蛮ではないような習慣に立ち戻ったところもあるようです。しかし、その場合でも、歌を歌うときには教会音楽の公式の専門当局の作った歌を歌わねばならないのです。なぜなら過去の数世紀にもわたる素晴らしい遺産を使うことは問題外だからです。いつものメロディーはいつも同じで、本当に平凡なインスピレーションのものです。もっと洗練された聖歌隊が歌う曲は、世俗の影響を受け、グレゴリオ聖歌が霊魂にまで染み通るに比べて、これは霊魂にまでは入らず感覚をくすぐるだけです。

歌詞は新しい言葉遣いで全く新しく作り直され、あたかも今から二十年ほど前に、ノアの時代の大洪水があって、全ての聖歌の本を破壊し尽くしたかのようです。なぜなら、たとえ新しいものを作るにしても、その様な昔の聖歌集から息吹を受けることもできただろうからです。こんな歌詞は、その時のスタイルを取り入れているのですぐに時代遅れになり、すぐに理解不可能なものになってしまうでしょう。

教区教会の「司式(animation)」のために作られた数えけれないほどのレコードが詩篇を説明するために普及しています。しかし、それは詩篇の注解でしかなく、詩篇そのものではないのです。こうしてこのレコードは天主が息吹いた神聖な文章を歌わないのです。何故詩篇それ自身を歌わないのでしょうか?

今から少し前にこんな新しいことがありました。いくつかの教会の入り口に、次のようなポスターが掲示されていたのです。「手を打って神を賛美せよ」と。ですから、式の途中で、司会者の合図のもとに会衆は頭の上に手を挙げて、拍子にあわせて元気いっぱい手を打ちならしたのです。それは、至聖所のまっただ中で異例な大騒ぎを醸し出したのです。この手の革新は、私たちの習慣とは切り離れた、しかも俗世間にもそのような習慣がないにもかかわらず、典礼の中にこの様な人工的なしぐさを導入しようと試みているのです。この様な革新にはきっと明日がないでしょう。しかしこの様な革新はカトリック信者をして失望させ、彼らを当惑に陥れることはするのです。確かに「福音の夜」というものに行かないようにしようとすれば出来ますが、少ない主日のミサで、この様な嘆かわしいことばかりをやっているのだとすれば、どうしたらよいのでしょうか?

今日の専門用語の「合同司牧」というものは、信者に新しいしぐさをするように強制しています。信者はその効用が分からず、それは信者の性にも合いません。まず何よりも、何もかも集団でなされなければならないのです。言葉の分かち合い、福音の分かち合い、見方の分かち合い、握手など。平信徒は顔をしかめつつも従っています。統計の数字がそれを示しています。最近の統計によれば、1977年と1983年の間に聖体祭儀に通う人の数は新たな減少を見せていますが、個人的な祈りは少しですが増加しました。

1983年9月のマダム・フィガロ(Madame Figaro-Sofres)のアンケートによる。最初の質問は、「あなたは週に一度以上あるいは、月に約一度、聖体拝領をしていますか?」でした。これは殆どミサに参加する人との数に対応するでしょう。なぜなら、今日では皆がミサに参加すると聖体拝領するからです。

ハイと応えた人は16%から、9%に落ちました。

ですから、「合同司牧」は、カトリックの民を獲得しなかったのです。

次のものは私がパリの周辺のある教区報の中で見た記事です。

「この二年間九時半のミサは、時々少し変わった様式でなされていました。それは福音の宣言の後に分かち合いがあり、その分かち合いのために信者は十人程度のグループに分かれていたからです。事実最初にそのような試みをしたときには69人の人々が分かち合いのグループを作り、やってみました。138人の信者はそれに加わりませんでした。時がたてばこの様なこの様な状況がなくなるかとも思っていましたが、そうではありませんでした。」

ですから教区チームはこの「分かち合いのあるミサ」を続けるかどうするかと決めようと会議を開きました。教区民の三分の二がその時まで公会議後の新しいやり方に抵抗してきたというのが分かります。彼らは、ミサの最中に気ままなおしゃべりをするのを好ましく思っていなかったのです。現代においてカトリック信者であるということは何と難しいことでしょうか!フランス語の典礼は、たとえ「分かち合い」がなかったとしても言葉の洪水で参列者をおぼれさせています。多くの信者は、ミサの間にもう祈ることが出来なくなったと嘆いています。ミサでお祈りが出来なくなったとしたらでは一体いつ彼らは祈るのでしょうか?

混乱しているキリスト者には、それを治す処方箋が提案されています。但しその処方はカトリックの霊性から遠ざかっているという条件においてのみ、聖職位階の方々からいつも認可され信者に与えられているのです。例えば、ヨガとか禅とかというカトリックの霊性から最もかけ離れたものなどを。この様な東洋尊重主義というひどいもののために、「精神衛生」へと導くと言いつつ、本当の敬虔の念を誤った道に踏み外させています。

体を使った表現ということの及ぼす悪影響、人格の劣化、それと同時に、天主へと心を挙げることに全く反する肉体の高揚、これらについても誰か話している人がいるでしょうか?観想修道会にまでその他諸々のことと同時に導入されたこれらの最新の流行は、極めて危険なものです。これらのために「私たちの宗教は変えられてしまっている!」という人たちには、まさにその通りだと言わねばならないのです。

ルフェーブル大司教 公開書簡 「教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまったカトリック信者たちへ 全23章」

第1章. なぜ今カトリック者たちは、困惑しているのか。原因は、カトリック教会に侵入した新しい精神。それは教会の過去の教えと生命とを疑問視させる。
第2章. 私たちの宗教は変えられようとしている!
第3章. 典礼改革:ミサ聖祭が全く日常の行為の位まで押し下げられている。非神聖化。聖なる物の喪失。
第4章. 永遠のミサと現代のミサ。典礼改革は意図的に犠牲を食事に変える。
第5章. 「それは昔の話ですよ!」
第6章. 洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟の新しい仕方
第7章. 新しい司祭職
第8章. 新しい公教要理
第9章. 現代の神学
第10章. エキュメニズム(キリスト教一致運動)
第11章. 信教の自由
第12章. 「同志」および「同伴者」たち
第13章. フランス革命のフリーメーソン的スローガン「自由・平等・博愛」は、第二バチカン公会議の「信教の自由、団体主義の平等、エキュメニズムの博愛」となった
第14章. 「第2バチカン公会議は教会内部のフランス革命だ」(スーネンス枢機卿)
第15章. 教会と革命の結合:リベラル派は教会を革命と結婚・合体さようとし、歴代の教皇たちはこのリベラルなカトリック主義を排斥し続けてきた
第16章. 信仰を瓦解させる新近代主義
第17章. 聖伝とは何か:聖伝とは「数世紀を経て教導職により伝えられてきた信仰の遺産」と定義される
第18章. 本当の従順と偽物の従順:「従順」の名によって全聖伝に不従順であることは本物の従順ではない。
第19章. エコンの神学校とローマ
第20章. 永遠のミサ
第21章. 異端でもなく、離教でもなく
第22章. 家族で出来ること:家族という組織単位が破壊されつつある、離婚、同性愛カップル、出生率の低下、中絶
第23章. 「作り上げること」と「壊し尽くすこと」との闘い


聖体礼拝の理由 聖体は救い主のご受難の生ける記念である

2018年09月17日 | カトリックとは
聖体礼拝の理由

聖体は救い主のご受難の生ける記念である

 礼拝 聖体はイエズス・キリストのご受難の記念を地上に永続させ、その結果を私たちに分け与えるために制定された秘蹟である。


だから、私たちは主がご受難に際しておしのぎになったすべての苦痛と、すべての屈辱との償いとして、賛美と愛とを聖体にささげなければならない。

 主はこの秘蹟を制定なさるにあたって、『なんじら、罪の赦しのためにわたさるるわが記念としてこれを行え』とおっしゃった。聖パウロも『なんじらが聖体をささぐるごとに、救い主の死を示すなり』といった。また、カトリック教会は、ミサ聖祭は十字架上の祭りと同じく、まことの犠牲祭であって、天主に同一の犠牲を捧げるものであると教えている

 救い主は何のために、このようにご受難の記念を続けられるのであろうか。それはいうまでもない。私たちの救霊のために、十字架上の死さえ甘んじて受けられたほどの大きな愛を、私たちがいつまでも忘れないようにお望みになったからである。

 また主が、かつて侮辱され暴行を受けられたのに比例して、私たちが主を尊敬し、主をお愛しすることをお望みになったからである。最後に、主がお苦しみなったこの地上において、天国で現に受けていられると同様の名誉と愛と礼拝とを、当然の権利として受けようとお考えになったからである。

 聖体の尊敬は私たちにとって厳密な義務である。たしかに賛美が冒瀆と侮辱とを、『ホザンナ』の叫びが『十字架につけよ』との怒声を、礼拝が軽蔑を償って主にささげられることは当然ではあるまいか。

 むちによって打ち破られ、いばらによって引き裂かれ、苦痛によってさいなまれた御からだが、人々の熱心なやさしい看護を受けられるのは当然ではないだろうか。裏切られ、見捨てられ、孤独のさびしさをお味わいに聖心が、そのかわりに私たちの愛と忠実とによっておいたわられになるのは当然ではないだろうか。世界の救霊のためにすべての苦難をお忍びになったまことの天主、まことの人でおいでになる御者が、全世界の人々から、いくらかの報いを受けようと望まれることは当然ではないだろうか。

 実にすべてこれらは救い主の正当なご権利である。それなら、今日地上で主を発見できるのは、ただ聖体の秘蹟の中においてだけであるから、私たちはみな聖体の周囲に集まり、秘蹟の陰に隠れていらっしゃる主に対して、主の負ってくださるいっさいをお返ししよう。

 感謝 いとも尊い救い主が、ご受難によって生じた以上の負債の返却を、聖体を通じて受け入れてくださることを、主に深く感謝しなければならない。

 恩人に負債を返すことができるのは大きな喜びである。恩恵は心の重荷であって、それを返してしまうまで、私たちは安心することができない。純粋の愛から、すなわち私たちがこれを受けるなんの権利もないときに、私たちを死から救って、生命、ことに永遠の生命を私たちに与えてくださるためにだけ、このような苦しみをしのいでくださったこの大恩人に、私たちはどれほど負うところが多いことであろう。

 それでは聖体の御もとに行って、これに愛と賛美とをおささげし負債を支払おう。主が求めておいでになるのは、ただ感謝だけである。

 しかしそれと同時に、ヴェロニカとともに主の御顔をぬぐい、シモンとともにあまりにも重い主の十字架を助けにない、聖婦人らとともに主の御苦痛を泣き、悲しみの御母マリアとともに片時も主のおそばを離れないで、私たちの苦しみを主の御苦しみに合わせて、できるかぎりの償いをすることは、私たちの大きな慰安となり、同時にすぐれた栄誉となる。

 この慰安をもち、この栄誉を受け、主のご受難と愛の秘蹟に感謝に満ちた愛をささげ、心の満足をおぼえよう。

 償い 人々が主のご受難を尊敬し、これを愛するよう制定された聖体の秘蹟に対して、実際は、どんな態度がとられているだろうか。

 残念ながら聖体に対しては、あらゆる方面から侮辱と軽蔑とが重ねられている。ユダが主をユデア人の手にわたしたように、冒涜的聖体拝領によって、今日でも主は悪魔に売り渡されるのである。使徒たちが恐怖のために主を否んだように、人前を恐れる信者によって、今日でも主は見捨てられている。不信の人々は主の実在の奥義をあざけって、これを一場の子どもだましの物語とし、主の御言葉の真実性を認めない。なかには聖体を盗み出して、わざわざ種々の不敬を加える者さえある。

 このように人々の憎悪によって、主のご受難は今日も絶えず繰り返されるのである。主は無限の愛のしるし、人々の救霊の尊い記念として、この秘蹟を制定なさったにもかかわらず、悪人どもはこれを利用し、主を再び十字架にかけるのである。

 ああ、いかにも気の毒なかぎりではないか。かくも非道な取り扱いを受けられるイエズスに同情しよう。愛のカルワリオを苦痛のカルワリオと化す、心ない人々のために償いをしよう。

 祈願 聖体が、まことの天主であり、まことの人であるイエズスご自身でいらっしゃること、私たちのために苦しみを受け、また、死なれたイエズスご自身でおいでになることを確信する恵みをお願いしよう。また主の愛に感激し、主の御苦しみをわかち、聖体の礼拝と拝領と、さらに主の御おきての尊重とによって、主に負わされた義務のいくぶんでもお返しするよう努めよう。

 悲しみの聖母に祈り、聖母の御取り次ぎによって以上の恵みを願い求めよう。『いつくしみの泉なる聖母よ、われをして御悲しみのほどを感ぜしめ、ともに涙を流さしめたまえ。わが心をして天主なる主キリストを愛する火に燃えしめ、いつにそのみ旨に適わしめたまえ。童貞のうちにていともすぐれたる童貞、願わくはわれを退けたまわずして、ともに嘆くを得しめたまえ。われにキリストの死を負わせ、その苦痛をともにせしめ、その傷を思いめぐらさせたまえ。御子の傷をもってわれを貫き、その十字架と血とをもってわれを酔わしめたまえ。』

 実行 聖体の前を通るたびごとに、正しく地にひざまずいて、主がご受難に際して受けられた種々の侮辱の償いをしよう。


『聖体の黙想』テニエール著より

1. 聖体の制定された理由:聖体は天主のご托身の継続である

3. 聖体の制定された理由:聖体は救い主のご受難ご死去の記念である

7. 聖体の制定された理由 聖体はカトリック教会の保護、慰め、浄化である

14. 天主である聖体 聖体は天主である

私たちの先祖のキリシタンが口癖のように言っていた Lovado seia o Santissimo Sacramento! を私たちも口ずさみたいと思います。
「至聖なる御聖体の秘蹟にましまし給うイエズスは賛美せられさせ給え!」

秘跡の中にあって今もやはり堪え忍んでいらっしゃるイエズスのために、いにしえのけいけんなエルザレムの婦人のようにお嘆きしよう。

主のおもてをぬぐい、主の御恥辱をお慰めしたヴェロニカはいないのか。

十字架をになうシモン、十字架の下にたたずむヨハネはいないのか。

救い主の御苦しみをわかつ悲しみの聖母にならう人はいないのか。

ああ聖体の中で、主が同一のご受難をおつづけになるなら、同じお慰めとご同情とが必要なはずではないだろうか。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2018年8月3日(初金) 至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ 「聖心の信心の2つの要素」

2018年09月17日 | お説教・霊的講話
2018年8月3日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ
小野田神父 説教


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2018年8月3日、8月の初金曜日です。イエズス様の聖心の随意ミサをしています。

このミサの後に聖時間があります。イエズス様の御聖体の前で、イエズス様の聖心をお慰めして讃美致しましょう。明日もミサがここで10時30分からあります。

それから8月は特に、特別に11日から山の日から15日まで、続けて10時30分からミサがあって、その後その時に、その間に5日間、イエズス様の聖心の黙想を一緒にする事を提案します。聖ピオ十世会のシンボルである、汚れなき御心とイエズス様の聖心が一致している、という事をますます深める事ができればと思います。ミサの後で午後にこの黙想会を提案します、黙想会と聖時間を提案します。

それから16日には朝、早朝にここでミサをする予定です。そしてデ・ガラレタ司教様が来られて、17日からずっとミサをして下さる予定です。
17・18日と、それから8月22日にも夕方ここでミサをして下さるように計画を立てています。聖母の汚れなき御心聖堂で司教様がして下されば、とても私たちには名誉な事であります。特に18日の土曜日には、堅振の儀式をお願いしております。
今年はあまり堅振の秘跡を受ける方が多くないかもしれませんが、お願いしています。



では、8月の初金曜日で、イエズス様の聖心の信心を行なう事に致しましょう。聖心の信心は2つの要素があります。

1つは、「イエズス様の聖心が私たち人類を、私たち一人ひとりをどれほど深く、永遠の昔から、無限に愛しておられるか」という事をひとつひとつ考察する事です。本当にこのイエズス様の私たちに対する愛は、考えても考えても、黙想しても黙想しても、黙想し尽くす事ができないほどだからです。

そして第2の要素は、「私たちがそのような愛を受けているにもかかわらず、その返礼としてイエズス様にするものは、冷淡と、無関心と、あるいは冒瀆である」と、それを思って、「少なくとも私たちが、イエズス様の聖心をお慰めする、償いをしよう」と決心する事です。

イエズス様からの無限の愛と、そして私たちからの人類の冷たい反応、この2つの要素を見て、私たちが遷善の決心をする。ここにイエズス様の聖心の2つの要素があります。

そこで8月は、イエズス様の私たちに燃えるような愛の1つに、「イエズス様が私たちの為に司祭であろうとした」つまり、「御自分をいけにえとして捧げようとした」というその愛の思いを黙想する事を提案します。


イエズス様は天主の御言葉です。天主聖父は、永遠の昔から御自分の事を完璧に理解して、そして御自分の完璧なその理解を、1つの御言葉に生み出しました。その御言葉はあまりにも美しく、完璧で、望ましいものであって、聖父はその御言葉、自分の生んだ聖子を愛します。

その聖子はまさに愛の御言葉であって、そして聖父をまた愛し返します。天主聖父と聖子のその愛し愛されるものは、愛のため息となって、聖霊となって、それもまた天主の愛です。

「天主は愛である。」永遠の昔から永遠の未来にかけて愛であって、天主の全ての行ないは命は、愛の行ないです。

この愛の行ないによって、愛するが為に、この美しい大自然と、目に見える全宇宙を創造しました。愛の故に全人類を創造されました、無から。そして特別の寛大さと気前の良さとを以て、人間を御自分の似姿に似せて創り、そして御自分の持てる特別の特権と賜物を、人間に気前よく寛大に与え尽くしました。

それに対して人間が罪を以て応えた後に、聖子は愛を以て、更にそれを上回る愛を以て私たちに与えました。それは、「御苦しみによって、私たちが受けるべき全ての罪の償いを果たす」という愛の極みでした。

天主聖子はお生まれになるその最初の瞬間から、マリア様の御胎内に宿るその瞬間から、「聖父よ、私は御身の御旨を果たす為に来ました。御身のいけにえとして来ました」と、やって来ました。御胎内に、マリア様の御胎内におられる時から、そして馬小屋で生まれる時から、生まれたその時も、イエズス様の聖心は、私たち人類の為の罪の償いとして、いけにえとして、自分を屠る、自分を捧げ尽くす、という事のみを考えていました。

聖父への愛に燃えて、その御旨を果たすが為にいけにえとなろうと、自分が大司祭として自分自身を捧げようと思っていました。

それが、その愛熱の思いが公式になされたのが、御割礼の時、イエズス様が本当に御自分の御血を流された時、またマリア様が40日後に、生まれて40日後にイエズス様を神殿に奉献された時でした。それは確かに公式的なものでしたけれども、イエズス様の聖心の燃えるその願いは、私たちの目に、あるいは想像をはるかに超えるものでした。

イエズス様がエジプトへ逃亡された時、ヨゼフ様とマリア様の苦しみと合わせて、御自分をエジプトへいけにえとして捧げられた時、あるいはナザレトでの30年間の労働の生活、隠れた祈りと犠牲と労働の生活の時、そのイエズス様が「自分をいけにえとして捧げよう、人類の為に、罪の償いとして捧げよう」という願いは、ますます燃え立てられるばかりでした。

非常に個人的な話ですけれども、3日間ミュンヘンからアルテッティンという所まで、100キロほど歩く巡礼をしてきました。
100キロ歩くと言っても、しかし担ぐ荷物はそんなに多くありません。自分の1日食べる分の食料とか、あるいは飲む物をちょっと持てば良いのです。なぜかというと、寝袋やあるいはその他の物はトラックで運んでくれるし、あるいは朝になると1日分の食料が準備されて渡して下さるし、特に司祭の場合に。そして道端に何キロか行くと、こうペットボトルを持った人が立っていて水をくれるし、水も喉が乾けば飲む事ができるし、そして必要だと言えばお願いすればいい。あるいは移動式の洗面所があるので用を足そうと思えば足す事ができるし、水道も移動式の水道があって顔ぐらいは洗う事ができるし、あるいはテントもトラックで運んでくれて、移動式でテントを運ぶ必要もないし。

しかしヨゼフ様とマリア様は、道も無いような険しい所をエジプトまで歩いて、どうやって荷物を運んだのだろうか、距離的には10日は歩かなければならないし、準備もなかっただろうし、水はどうやって運んだのだろうか、食べ物はどうしたのだろうか、どこに寝泊まりしたのだろうか、着替えはどうしたのだろうか、どうやって顔を洗ったのだろうか、汗だらけになって、埃だらけになって、本当にもうきっと疲れただろう。どこにテントも、今のような簡単なテントも無かっただろうし、寝袋もなかっただろうし、ペットボトルも無かっただろうし、等と考えながら巡礼しました。

イエズス様がエジプトでの、たとえ幼かったにせよ、おそらくその逃亡の生活は非常に困難で、苦しい事だらけだっただろうと思いました。

イエズス様は司祭として、そしていけにえとして、全てを捧げました。私生活が終わってその直後に、洗者聖ヨハネはイエズス様を見て、「見よ、天主の子羊だ」と宣言しました。

エジプトからモーゼが逃げる時に、過ぎ越しの子羊を捧げました。その過ぎ越しの子羊の血を塗った所では全て助かりましたけれども、そうでなければ男の子が、最初の生まれた男の子が皆、家畜も人間も死にました。イエズス様の御血によって助かるべき、その御血によって助かるべき本当の、新約の過ぎ越しの天主の子羊が、イエズス・キリスト様でした。

イエズス様は祈りを、夜通し祈る事によって、あるいは40日間荒れ野で断食とお祈りをする事によって、司祭でした。あるいは皆に教える事によって、あるいは病の人を慰め、そして彼らに善を施す事によって、司祭でした。

しかしイエズス様は、御自分自身をいけにえとして捧げる事によって、最高に、最高度に司祭でした。永遠の司祭でした。

遂に時が来ます。イエズス様は御自身を、唯一、天主聖父に気に入る、天主の聖父の聖心に適ういけにえとして、御自身を捧げるその時が。イエズス様は燃える愛を以て、天主聖父に対する愛と、私たちに対する愛を以て、御自分をいけにえとして捧げます。

旧約の時代にはその子羊は焼き尽くされましたけれども、そして屠られて食べましたけれども、イエズス様は御自分の愛の火によって燃え尽くされたかのようです。そして私たちによって食されるように、御聖体として与え尽くされました。

イエズス様はいけにえとして、十字架の上に磔にされます。頭の先から足の裏まで傷だらけの御体は、私たちにどれほど、私たちの事を愛しておられるのか、という事を叫んで、それで十分です。たった御傷の1つであったとしても、私たちにとって十分ですが、その全身傷まみれの御体を見れば見るほど、その私たちに対する燃える愛を見る事ができます。

また私の話ですけれども、100キロの間、非常に重い木の十字架を運ばなければなりません。イエズス様は言いました、「もしも私の弟子になりたいのならば、自分の十字架を取って私に従え。」そこで私たちも、そのイエズス様の十字架の後に従って、巡礼を歩くのですけれども、3人が1チームになって、この十字架を担がなければなりません。私もやりました。5分ぐらい歩いて、あとは20分くらい休んで、5分ぐらい担いで、あとは休んで。そして最初はこっちに、次はあっちに、次は真ん中に、交代してやるのですけれども、もう5分も経つと、もう重くて、重くて、痛くて、「早く交代しないかなぁ。」

イエズス様はこれを一人で担がれました。あまりにも重くて、何度も倒られました。傷だらけの体で、頭には茨の冠を被せられて、一人でこの重い木の十字架を担がれました。

3人でほんのちょっとの間でも、「ものすごい」と思っている私たちですけれども、その十字架を担いだそれだけを見ても、このイエズス様の私たちへの愛と、その苦しみの重さが分かります。

それにもかかわらず、イエズス様の私たちへの愛は、全く愛されていません。人類はイエズス様を、あたかも何でもないかのように、冷淡に、あるいは無関心に、あるいは冒瀆を以て、それに応えています。

イエズス様の十字架のしるしを、この世界から取り払おうとさえもしています。ファチマの天使は子供たちに現れて言いました、「恐ろしく冒瀆されているイエズス様の御体と御血を、イエズス様をお慰めする為に拝領し、飲みなさい」と。

この8月のイエズス様の初金において、私たちも遷善の決心を立てる事に致しましょう。この暑さ、あるいはこのイエズス様への愛の為に、この汗を流す事ができますようにと、この日常の祈りと生活を、イエズス様の愛熱の火に合わせて私たちも捧げる事ができますように、イエズス・キリストの聖心のその燃える愛の炎を、私たちが少しでも深く理解する事ができますように、お祈り致しましょう。マリア様にその助けを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】