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【聖ピオ十世会】聖伝のミサ(トリエント・ミサ、ラテン語ミサ)の報告2019年7月 SSPX JAPAN, Traditional Latin Mass

2019年07月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

大阪では、7月の初金、初土に聖伝のミサをささげました。
東京では、7月7日に主日のミサ、8日に月曜日の早朝ミサをお捧げしました。

東京では二人の子供たちが洗礼を受けました!天主に感謝!

ところで、二か月前の大阪の「聖母の汚れなき聖心聖堂」で5月19日(主日)に聖母の汚れなき御心に対する奉献の更新式がありました。

同じ大阪大司教区では1868年にパリ外国宣教会のムニクウ神父(Pierre Mounicou)が神戸に着任されたことをもって宣教が再開されました。150年後、「再宣教150周年を祝う一年」の最終日である2019年6月16日(主日)に14時から大阪カテドラル聖マリア大聖堂で感謝ミサが捧げられ、ミサの中で「聖マリアの汚れないみ心に大阪教区を捧げる祈り」の祈りが唱えられました!

私たちは、この聖母への奉献のニュースに大変嬉しく心躍る気持ちを覚えました。
何故なら、聖母の汚れなき御心に奉献された国々は、特別の恵みを受け、平和と繁栄と祝福を受けてきたこと、
日本の司教団が、終戦直後、一致団結して日本を聖母の汚れなき御心に奉献したこと、
秋田では天使が、聖母は日本が聖母の汚れなき御心に奉献されていることを喜んでいると言われたこと、
2017年のファチマ100周年には世界中の司教団がそれぞれの国を聖母の汚れなき御心に奉献したけれども、日本ではそれがなかったこと、
などを思い、
日本の司教様たちが、日本を聖母の汚れなき御心に奉献することをこころから願っていたからです。

前田枢機卿様のよき模範が日本全国に行きわたりますように!

また、私たちが慎ましくも行ってきた聖母の汚れなき御心に対する奉献が、この大阪大司教区の奉献という一歩への恵みをもたらすことに一役買ったと敢えて信じます。

そこで、ますます多くの恵みを祈り求めて、2019年7月の初土と最初の主日には、大阪と東京とでそれぞれ、御聖体降福式の時、日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈りを更新しました。

これは、報道によると今年の11月にフランシスコ教皇様が来日するので、その機会に、日本の全ての司教様たちが教皇様とともに日本を聖母の汚れなき御心に奉献するお恵みをもたらすことを特に懇願してのことです。

フランシスコ教皇様の来日は、トランプ大統領や習近平あるいはG20の来日とは次元が違うはずです。

教皇様が人間としてどのような方であれ、キリストの代理者として来られるはずだからです。

フランシスコ教皇様の今年の来日が、日本にとって真の主イエズス・キリストを知る良いきっかけとなる奇跡の来日となりますように!

聖フランシスコ・ザビエルが日本に与えたような良い影響をフランシスコ教皇様の来日が日本に与えることが出来ますように!

では聖伝のミサの報告をご紹介いたします。

【報告】【大阪】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

御血の月である7月の初金曜日に、御聖体降福式によって、御聖体の内に真に在し給うイエズス様のいと尊き御体・御血・御霊魂・御神性を、特に日本でイエズス様御自身が受け給う侮辱・冒瀆・無関心を償う為に御捧げする事ができて嬉しく思いました。

ファチマの天使の第2の祈りを3回、いつも御聖体降福式の時に唱えて下さってありがとうございます!

嬉しい事に、前田枢機卿様は、大阪大司教区再宣教150周年の最後の日の6月16日に、大阪教区をマリア様の汚れなき御心に奉献して下さり、日本がマリア様の汚れなき御心に奉献される第一歩を、素晴らしい模範を示して下さり、非常に嬉しく思います!デオ・グラチアス!

この事によりこれから大阪教区には、マリア様の汚れなき御心からの御恵みが、更に、更に、溢れんばかりに注がれる事になるのだろうなぁと確信しております!

【報告】【東京】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 34人(内、子供5人)
女: 31人(内、子供3人)
計: 65人(内、子供8人)

今日の洗礼式後のパーティーの参加者数:25人

【報告】
初水曜日のヨゼフ様の信心をいつもブログで仰って下さってありがとうございます。
昨日は第3のイエズス様が御割礼によっていと尊き御血を流されて、そして「イエズス」という聖名を名付けられた所を黙想致しました。
本当はイエズス様はその御割礼の時に流された御血だけでも、全人類を贖うには充分だったはずなのに、御受難と十字架上での御死去という、
本当に全人類にとってあまりある贖いの御業をイエズス様とマリア様は成し遂げて下さったのだという事を思いつつ、
一人でも多くの方がその贖いの無限の功徳に信頼して馳せ寄る事ができますように、そしてその臨終の時には、尊きイエズス様の聖名とマリア様とヨゼフ様の御名を唱えつつ、この世を去ることができますように、お祈り致しました。



*****


【参考資料】
聖マリアの汚れないみ心に大阪教区を捧げる祈りをご参考までにご紹介いたします。

聖なるおとめマリア、神の母、「無原罪の聖母」の名のもとに大阪教区を守ってくださる方。あなたの愛する子、イエス・キリストと結ばれ、聖霊の愛に燃やされ、あなたの汚れないみ心に大阪教区を捧げて祈ります。

キリストの体の一員である私たちは、今日(きょう)ここに集い、あなたへの信頼をこめて、私たちの喜びと苦しみ、希望と不安のすべてをあなたに捧げます。

希望の母である聖マリア、善と悪、光と闇との間をさまよいながら歩む私たちを、あなたは母の配慮をもって、いつも見守ってくださいます。苦しみと悩みの中にあっても、ゆるぎない信仰をたもちながら、歩み続けることができるよう、母の手をもって、私たちを支えてください。

平和の元后である聖マリア、家庭と共同体を破壊する怒り、憎しみ、暴力がなくなり、喜びがあふれるよう、私たちを導いてください。教会と世界が平和と希望に満ち、すべての分裂と排除を乗り越えることができるよう、私たちを助けてください。

喜びの源である聖マリア、あなたの汚れないみ心からあふれる愛にうながされて、住む家のない人、貧しい人、故郷こきょうを追われた人、抑圧されている人、私たちの共同体から忘れられている人、社会の不正義に苦しんでいる人を、誰よりも愛するよう、私たちの心を動かしてください。

すべての人々の母である聖マリア、母の胎に宿ったときから死に至るまで、人間のいのちが尊重され、いのちをおびやかすすべての罪を、しりぞけることができますように。結婚と家庭の聖性を守り、すべての人が神の子として成長し天の祖国に至る道を歩むことができるよう、私たちを導いてください。

福音宣教の星である聖マリア、神のみ旨をいつも受け入れる力を、与えてください。私たちが、聖霊のうながしに素直に従う者となり、善と悪を見極め、より良いものを選び、いつでもどこでも熱心に、福音を告げ知らせることができるよう、私たちを励ましてください。

教会の母である聖マリア、私たちに聖性への道を示し、共に歩んでください。あなたの最愛の子に日々近づいていく望みを、私たち一人ひとりの心に、芽生えさせてください。母としてのみ腕に寄りすがり、あなたの汚れないみ心に大阪教区を捧げ、すべてをあなたの最愛の子、私たちの主イエス・キリストにゆだねます。

アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。

日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り (2019年7月)Consecration of Japan to the Immaculate Heart of Mary

2019年07月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

2019年7月の初土と最初の主日には、大阪と東京とでそれぞれ、御聖体降福式の時、日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り(2017年8月15日の奉献に少し手を入れた)を更新しました。

愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

日本を聖母の汚れなき御心に奉献する祈り
(2019年7月)

【導入部:聖母より受けし御恵みと愛とを思い起こさん】

聖母の汚れなき御心よ、1549年、御身の被昇天の大祝日に、われらが祖国は、唯一真(ゆいいつまこと)の救い主の福音を伝えし聖フランシスコ・ザベリオの到来を喜びたり。地の果ての日沈む国ポルトガルより、極東の日出(いず)るわが国まで、正義の太陽イエズス・キリストの光は届けられたり。
聖フランシスコ・ザベリオは、わが国に来るより15年前、被昇天の大祝日に、聖イグナチオらと共にパリのモンマルトルでイエズス会を結成したり。その時も、御身は彼を喜びと希望とで満たし給えり。御身がこのイエズス会司祭を送り給うたのは、巡礼者として聖地エルサレムにはあらず、教皇パウロ三世の公使として東洋の果てなりし。
被昇天は、光と希望の夜明けを告げる幸いなる明けの星のごとく、われらが祖国にとりて煌煌とかがやけり。御身は、われらが日本に、赦しと、命と、喜びと、平和と、幸せとを与えんことをのみ望み給えり。その慶びの日の後、われらが祖国のあまたの先祖同胞は、高貴なる者も卑しき者も洗礼の御恵みを受け、天主の養子となり、聖子の御体と御血とに養われたり。多くの貴族の子弟らは、イエズス・キリストの司祭となり、或いはローマに、或いはエルサレムに行く御恵みをも得たり。分けても数十万の無数の老若男女は、1597年の26名を初穂として、自らの血を聖子の血に合わせ、殉教の誉れの冠を授かり、天国へと直行せり。大司祭の御母にして、天の門よ、御身は、われらの救霊のため特別の愛もて祈り給えり。
御身の御取り次ぎにより、われらが先祖は、イエズス・キリストへの信仰の御恵みと天主の御助けとにより、祈りを愛し、お上(かみ)に従い、従順・忠実たりて、隣人には福祉と憐れみをほどこし、迫害せんものを赦し、主の御教えを全うせり。雲仙の殉教者らは、「いと尊き御聖体は讃美せられさせ給え!」と叫びつつ、その玉の緒を主に返し奉れり。島原にては撃たれて飛び来る弾丸(たま)を、御身のロザリオの珠(たま)にして祈り奉れり。御身は、西坂で最初の穴吊りの責めを受けし福者ニコラス福永を訪れ、慰め、励まし給えり。福者福永の最後の言葉は、聖母マリアの連祷なりし。殉教者の元后よ、御身はわれらが祖国に多くの恵みを祈り給いたり。
われらが祖先にとりて最も残酷なる拷問は、かくも愛する母の御影(ごえい)を毎年足で踏ませられ、御身に侮辱を加えさせらるることなりし。われらのために十字架に付けられ給うた聖子イエズス・キリストと、主の死を悼み主を御胸に抱き給うた御母の御姿を踏むは、いかに心苦しきことなりしぞ。キリスト者が迫害されし時、御身も、愛する子らとともに苦しみ給いしなり。
司祭不在の長き年月の間、隠れたる信徒らは、御身の御像を隠し持ちつつ、御身の聖なるロザリオを愛し、喜びと苦しみと栄えの玄義を黙想し奉り、これを良く唱える御恵みを得たり。御身こそ、司祭になり代わり、われらが先祖らを慰め支え給えり。日本各地に残る多くのキリシタン遺物が、彼らの御身への愛を雄弁に物語るなり。
御身は、イタリア人シドッティ神父に日本宣教の望みを起こさせ、1708年、屋久島に到着させ給いたり。神父が日本に持ち来たるは、悲しみの御身の御影(ごえい)とて、慰め無き悲しみとカルワリオの御苦しみとを捧げ給う涙の御身の御姿(みすがた)なりし。師がキリシタン屋敷の地下牢にて殉教せし後に、今に至るまで東京国立博物館に残されしは、日本の子供らのために悲しみ給う御母の涙なり。
御身は、日本への宣教師フォルカード師に知恵を息吹き給えり。キリシタン禁令のただ中、殉教の血に浸され赤く染める300年を経て、ついに1844年の幸いなる聖母聖月の最初に、日本の那覇にて、師がわれらが祖国をかたじけなくも捧げ奉りたるは、正に、聖母の汚れなき御心に対してなりし。「無原罪の御孕り」なる御身は、1856年日本の建国記念の日を選び、フランスのルルドにて聖ベルナデッタにお現れになり給いし。御身は、フォルカード司教をフランスのヌヴェールの司教として、聖ベルナデッタが修道誓願により御身に捧げらるるを司式せんことを計らい給えり。
1865年3月17日、御身は、その美しき御像の足元に、迫害を逃れんとて潜伏中の信徒らを招き寄せ給えり。「サンタ・マリアの御像はいずこ?」 彼らは、御身を見奉りて、まさしくこれぞ!サンタマリア様!聖子イエズス様を抱き給う!と喜び、自らの信仰を明かさん秋(とき)を得たり。子らが母を見つけし喜びなりしぞ。彼らがたとえ「旅」に流されんとも、御身は流刑の信徒らを訪れ、優しき母として津和野に現れ、慰め給いたり。
御身は、今より100年前の1917年、ポルトガルのファチマにて、ご自分の汚れなき御心の神秘を、われらに垂(た)れて諭(さと)し給えり。同じ年、おお、汚れなき聖母(インマクラータ)よ、御身はご自分のしもべ聖マキシミリアノ・コルベに燃える望みを抱かしめ、御身のために捧げられし騎士会をローマにて創立させ、このしもべをわれらが祖国に送り給えり。
1945年、御身の被昇天の大祝日を準備しつつ、原爆を受けたる長崎の、多くの修道女らとカトリック信徒らとは「み母マリア、身も心もとこしなえに、献げまつる!」と息も絶え絶えに歌いつつ、死の苦しみを愛を込めて御身に捧げ奉れり。戦争終結のため、ファチマの聖母なる御身に、夜を徹して祈る司祭も多かりし。われらが祖国を愛する信徒らは、日々祈りと犠牲とを捧げ奉り、平和のために祈りたり。長崎カトリック信徒代表パウロ永井隆博士は、慰霊祭に弔辞の弁にかく言えり。
「日本は聖母に献げられし国たること、吾浦上の天主堂もまた特に聖母に献げられしものたることを想い出すなり。・・・いくた殉教の血を流しつつ四百年、正しき信仰を守り通し奉るわが浦上教会こそはまこと世界中より選ばれ、天主の祭壇に献げらるるべき潔き羔の群れではなかりしぞや。・・・浦上教会が世界中より選ばれ燔祭に供えられしことを感謝し奉る。」
かくて、御身の被昇天の大祝日に、御身の御取り次ぎにより、われらが祖国は、終戦の御恵みを得たり。日本の司教団はこれを直ちに認め、一致団結して日本を御身の汚れなき御心に奉献し奉れり。御身の被昇天の祝日は、天主への讃美にわれらを招く鐘が教会に鳴り響くごとく、われらが祖国の上に、平和を告げて鳴り響きたり。終戦の年に鳴り響きし長崎の鐘は、正に御身への讃美の歌となりけり。1951年の御身の御誕生日には、日本はサン・フランシスコ条約を締結し、戦争状態は法的に終了し、日本国民の完全な主権は承認されたり。
御身は、1975年の最初の土曜日から、1981年9月15日の悲しみの聖母の記念日まで、われらが祖国の秋田の地に来たり給うて、ファチマのメッセージを繰り返し伝えつつ、共償の涙を、101回にわたりて流し給えり。日本の国民の救霊のために苦しみ給うた涙にして、それにもかかわらず母の愛が冷淡に無視さるることを歎(なげ)き給う涙なりしぞ。

【奉献】

ああ慈悲深き聖母の汚れなき御心よ、
至聖なるイエズスの聖心の前に於て全能の御心、
何人たりともその祈祷の空(むな)しかりしを覚えることなき御心よ、
いと潔きあわれみの御母、平和の元后なる聖マリアよ、われらは聖なる教会の導きに従い、今日、日本および日本国民の、御身の汚れなき御心に対する奉献を更新し、そのすべてを御身の御保護に委ね奉らんと欲す。
今日、イエズス会士なる教皇フランシスコの御代の下で、御身が送り給うた聖フランシスコ・ザベリオを思いつつ、
日本の公式の且つ聖なる指導者なる司教らの、密かなる願いとその意図(こころ)とを汲み、
日本の先祖たちから脈々と続く、御身に対する愛と信頼と奉献との聖なる忠孝の伝統を続けんがために、
御身の聖子の真(まこと)の教会なるカトリック教会に属する聖ピオ十世会、その総長により、日本の霊魂を緊急援助・司牧するを正式に命じられた担当司祭として、
自らの力と権能の及ぶ限りにおいて、
御身の愛されし子供にして御身のしもべとして、
ここに、御身の汚れなき御心になされた日本の国とその国民との奉献を、荘厳に更新し奉る。
われらは、われらの全てを、肉体も霊魂も、能力も感覚も、人生の全ての悲しみも喜びも、われらの持てる全てを、われらそれ自身を、われらが愛する全てを、御身にことごとく捧げ奉る。

【奉献の結果:聖母の御保護のもとに入らん・聖母は御自分の所有物として守り給う・受動的態度】

願わくは聖母、憐れみの御まなざしもてわれらの心をみそなわし給え。われらを御身の子供として受け入れ給え。われらが弱き手より、御手(みて)の中に、日本を受け取り給い、御身ご自身の所有物としてこれを守り保護し給え。われらの愛する御母よ、われらを統治し給え。そは、イエズス・キリストの外においては、救いはありえぬがゆえに、霊魂らを悪魔の手から奪い取り、イエズスが日本において、統治し、しろしめし給うためなり。
ファチマの聖母よ、御身が、われらが祖国への愛のためになしたことを思い起こし給え。日本をイエズスに与え、日本を救い給え。イエズス・キリストにおいてわれらは真理と生命と平和を見いだすがゆえなり。
御身の汚れなき御心が、日本に住む全ての人々と世界にいる全ての日本国民とにとりて、若きも老いたるも、健康なる者も病の者も、熱心なる者も罪を犯したる者も、また将来の子供らにとりても、千代に八千代に、天主へと導く道とならんことを。

【聖母の御取り次ぎを求めん】

われらが聖母よ、日本のために祈り、聖子に取り次ぎ給え!
罪の概念を失わさんとする、限度を知らぬ不道徳と不潔の津波から、若き青少年たちを守り給え。われらが、イエズスの御聖体における御血に養われ、百合のような貞潔の徳を育てんがために助け給え。力強き童貞よ、われらのために祈り給え!
日本において「戦後」直後にはじまりし嬰児大虐殺の戦争を赦し給え、且つこれを速やかに終わらせ給え。日本民族が御身を知らず、闇に住むのを、憐れみ給え。
聖子イエズス・キリストの福音の輝く光を、われらが日の本に燦然と輝かせ給え。聖子の真の御教えに基礎をおく文明をわれらが受け入るるを得しめ給え。キリスト信者の助けよ、われらのために祈り給え!
聖母よ、日本のために取り次ぎ給え!善人でさえ滅びの危険のある情欲と疑いのこの秋(とき)において!
日本の国民を、聖子への信仰において、カトリック教会への愛において、聖徳の高い望みにおいて、秩序の遵守において、また兄弟愛において、全て一つにまとめさせ給え。平和の元后よ、われらのために祈り給え!
われらの心に、天主を愛する愛の火を燃え立たしめ給え。願わくは、イエズスの聖心の御国が、御身の汚れなき御心の御国と共に、日本に来たらんことを。われらの元后にして母なる聖母よ、われらが御身を愛し、御身に奉仕し、御身に真に奉献されし生活を送るにより、われら日本国民全てがついに至聖なる三位一体との永遠の至福に至るにふさわしき者とならんことを。

【日本司教団の奉献の祈り】【奉献の結果:聖母の御助けにより、聖母のものとして、聖母のために、苦しみを捧げる聖母にならわん・能動的態度】

願わくは聖母、御あわれみの御心をひらきて、われらの願いを聞き給え。
われら今、この世のすべての苦しみ、悩みを雄々しく堪え忍び、そを世の罪の償いとして、天主に捧げ、その御怒りをなだめ奉り、わけても御身の汚れなき御心にならいて、主の御旨を重んじ、身を清く持して、聖なる一生を送らんと決心す。
願わくは聖母、力ある御手をのべて、われらの弱きを助け給え。
願わくは、御身、慈母の愛もてわれらを護り給え。

【聖母の汚れなき御心のミサの集祷文】

天主の聖母、われらのために祈り給え。
キリストの御約束にわれらをかなわしめ給え。
祈願 全能永遠なる天主、主は童貞聖マリアの御心のうちに聖霊のいみじき御宿をしつらえ給いたるにより、願わくは、御憐れみをたれて、かの汚れなき聖母の御心に日本を捧げ奉りたるわれらをして、主の聖心にそいて生くるを得しめ給え。われらの主キリストによりて願い奉る。

アーメン。

聖ピオ十世会大阪の聖母の汚れなき御心聖堂を、聖母の汚れなき御心に奉献する祈り(2019年5月19日更新)

2019年07月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

大阪の「聖母の汚れなき聖心聖堂」では、2019年5月19日、主日のミサの後、特に5月13日のファチマの聖母の最初の御出現の日を記念して、ファチマの聖母行列を行い、最後には恒例の聖母の汚れなき御心に対する奉献の更新を行いました。5月は特に私たちの大阪の聖堂と大阪の信徒の方々の奉献(2017年7月13日に行った奉献)の更新でした。

二年前の7月13日には、御ミサ後に御聖体降福式があり、御聖体の前でロザリオを唱え、そのあとに大阪のお聖堂と、司祭や信徒たちとその家族をマリア様の汚れなき御心に奉献し、名前が書かれた紙を金のマリア様の汚れなき御心のペンダントの中にいれてマリア様の御像に安置しました。

東京でも7月16日(主日)に同様の儀式を行いました。

その時の奉献文を愛する兄弟姉妹の皆様にご紹介いたします。

アヴェ・マリア・インマクラータ!


聖ピオ十世会大阪の聖母の汚れなき御心聖堂を、
聖母の汚れなき御心に奉献する祈り

おお、聖母の汚れなき御心よ、イエズスの聖心の母にして、われらの元后にして母なる聖母よ!

御憐れみをたれて、この聖ピオ十世会大阪の聖母の汚れなき御心聖堂に御眼差しを注ぎ給え。われらは御身に、忠孝の愛を示し、この荘厳な奉献によって御身に崇敬を表すことを望み奉る。

われら、聖ピオ十世会大阪の聖母の汚れなき御心聖堂の司祭、信徒は、御身にわれらの全てを、肉体も霊魂も、能力も感覚も、人生の全ての悲しみも喜びも、われらの持てる全てを、われらそれ自身を、われらが愛する全てを、御身にことごとく捧げ奉る。

汚れなき童貞女よ、天主の御母にして全ての人々の母よ、われらは御身の聖母の汚れなき御心に、われら自身とわれらの「聖ピオ十世会大阪・聖母の汚れなき御心聖堂」とを奉献し奉る。われらを御身の子供として受け入れ給え。

御身の汚れなき御心が、われら聖母の汚れなき御心聖堂の司祭、信徒らにとって、若きも老いたるも、健康なる者も病の者も、熱心なる者も罪を犯した者も、また将来の会員らにとっても、天主へと導く道とならんことを。

われらの愛する御母よ、われらを統治し給え。われらが豊かなときも貧しいときも、喜びの時も悲しみの時も、健康の時も病の時も、生涯に亘っても死後も、いつも御身のものたるために。

聖母のいとも憐れみにあふれる御心よ、童貞の元后よ、われらの心も精神も守り給え。御身はファチマにて、人々の傲慢や不貞潔や異教精神をいたく深く嘆き悲しみ給うたり。われらをして現代にあふれるこれらの洪水から逃れしめ給え。

今より後は、御身は当会の元后にして母なり。われらの霊的かつ物体的な善を世話し給え。われらの祈りを聞き給いて、この世の悲しみと困難の時、特にわれらの臨終の時にわれらに慰めを給え。

われらは、われらの家族、当「聖ピオ十世会大阪の聖母の汚れなき御心聖堂」、われらの祖国、全世界に、正義と愛徳における天主の平和を呼び求め奉る。

われらは、われらの能う限り、御身の御助けにより、償いと改悛との精神をもって御身の諸徳に倣い、真のキリスト教的生活を送り、世間体を気にせずに、頻繁な改悛の秘蹟と御聖体の秘蹟を受け、典礼に敬虔に与り、公教要理を注意深く学ぶことを謹んで約束し奉る。

おお、聖なるロザリオの元后よ、われらはロザリオの祈りを毎日欠かさずすることを約束し奉る。

われらは、御身の助けを持って、キリスト教生活が私たちに要求する犠牲を全て受け入れ奉り、それらを御身の汚れなき御心により、御身の聖子イエズス・キリストのミサ聖祭の犠牲と一致して、イエズスの聖心に捧げ奉る。

美しい愛の母よ、われらの心に、また当会とわれらの家庭に、天主を愛する愛の火を燃え立たしめ給え。願わくは、この愛の火によりて、われらの身分上の努めに常に忠実ならしめ、天主の聖寵により、われらの模範と犠牲と祈りとを通して、われらの隣人と憐れな罪人たちに対する熱心な使徒とならしめ、彼らを真の信仰生活を送るように導くことができるようなさしめ給え。

願わくは、イエズスの聖心の御国が、御身の汚れなき御心の御国と共に、「聖ピオ十世会大阪の聖母の汚れなき御心聖堂」とその全ての信徒らに来たらんことを。われらの元后にして母なる聖母よ、われらが御身を愛し御身に奉仕し、御身に真に奉献された生活を送ることにより、われらがついに至聖なる三位一体との永遠の至福に至るにふさわしき者とならんことを。アメン。

「わが天主よ、われ、信じ、礼拝し、希望し、御身を愛し奉る。われ、信ぜぬ人々、礼拝せぬ人々、希望せぬ人々、御身を愛さぬ人々のため、御身に御赦しを願い奉る。」

「至聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、我、御身を深く礼拝し奉る。世界中のすべての御聖櫃のうちにましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂と御神性を、イエズス・キリスト御自身が受け給う侮辱、冒涜、無関心を償うために、御身に捧げ奉る。イエズスの至聖なる聖心とマリアの汚れなき御心の無限の功徳によりて、あわれな罪人の回心を御身に願い奉る。」


CONSECRATION OF THE CHAPEL OF IMMACULATE HEART OF MARY

O Immaculate Heart of Mary, Mother of the Heart of Jesus, our Queen and Our Mother! Look down with mercy upon this Chapel of Immaculate Heart of Mary, SSPX Osaka. We wish to show thee our filial love and to render to thee our homage by this solemn act.

We come to offer thee our whole being, body and soul, faculties and senses, our life with all its sorrows and joys, all that we possess, all that we are, all that we love.

O Immaculate Virgin, Mother of God and Mother of all men! We consecrate ourselves and our Chapel of Immaculate Heart of Mary, SSPX Osaka, to thy Immaculate Heart. Receive us as thy children.

May thy Heart be for all us priests, teachers and catechists, parents and children, young people, adult and elderly, healthy and sick, absent, present and fallen away the path that leads to God.

Reign over us, O Beloved Mother, so that we may be thine both in prosperity and in adversity, in joy and in sorrow, in health and in sickness, in life and in death.

O most compassionate Heart of Mary, Queen of Virgins, watch over our minds and our hearts and preserve them from the flood of pride, impurity and paganism of which thou didst complain so bitterly at Fatima.

From this moment, thou art named Queen and Mother of this Chapel. Look after our spiritual and temporal well-being, hear our prayers and console us in the sorrows and tribulations of this life and particularly at the hour of our death.

We want to call down upon our families and our Chapel, our country and the whole world the peace of God in justice and charity. On our part, we promise to imitate thy virtues in a spirit of reparation and penance by a true Christian life, by frequent confessions and holy Communions, by fervent participation in the divine Liturgy, and by attentive study of the catechism without regard to human respect.

O Queen of the Holy Rosary, we promise to offer thee the prayer of the rosary each day.

We accept now, all the sacrifices that a Christian life will impose on us, and we offer them to the Heart of Jesus, by thy Immaculate Heart, in union with the Mass of thy divine Son.

O Mother of fair love, inflame in our hearts, our Chapel and our homes, with the divine fire to keep us faithful to our duty of state and to become, with the grace of God, zealous apostles towards our neighbours and poor sinners by our example, our sacrifices and prayers, bringing them to the practice of the true Faith.

May the reign of the Sacred Heart of Jesus, together with thy reign, enter this Chapel of Immaculate Heart of Mary, SSPX Osaka, our Queen and Our Mother, so that living truly consecrated to thy love and service, we may one day deserve eternal happiness in the presence of the Holy Trinity. Amen.

My God, I believe, I adore, I hope and I love Thee! I beg pardon for those who do not believe, do not adore, do not hope and do not love Thee.

O Most Holy Trinity, Father, Son and Holy Ghost, I adore Thee profoundly. I offer Thee the most precious Body, Blood, Soul and Divinity of Jesus Christ, present in all the tabernacles of the world, in reparation for the outrages, sacrileges and indifference by which He is offended. By the infinite merits of the Sacred Heart of Jesus and the Immaculate Heart of Mary, I beg the conversion of poor sinners.


証聖者ゴンザガの聖アロイジオのミサ 説教 全世界の王であるよりも天主の子供であるほうがもっと良い。

2019年07月08日 | お説教・霊的講話
2019年6月21日(金)証聖者ゴンザガの聖アロイジオのミサ
小野田神父 説教


「ゴンザガの聖アロイジオ、我らの為に祈り給え。」


全世界の王であるよりも、天主の子供であるほうがもっと良い。
"It is better to be the child of God than king of the whole world." -- St. Aloysius Gonzaga
Photo Credit

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日はゴンザガの聖アロイジオの祝日です。昨日は御聖体の大祝日でしたが、御聖体によって養われた、天使のパンを食していたゴンザガの聖アロイジオは、天使のパンによって天使のような聖徳を身に付けて、そして天に上げられました。若くして、24歳で亡くなりました。

そこで今日は、
⑴聖アロイジオの生涯を黙想して、
⑵遷善の決心を立てる事に致しましょう。


⑴ゴンザガの聖アロイジオは、1568年に高貴な家庭に生まれました。イタリアの高位貴族フェルディナンド・デ・ゴンザガ侯爵(侯爵は公爵の次の位)の長男で、マントヴァの近くのカスティリョーネ城主の跡取りで、フィレンツェでの宮廷で9歳の時から仕えていました。ルネッサンス期のイタリアの乱れた風紀に対して、聖アロイジオは、すでに12歳の時には、フィレンツェで聖母の祭壇の前で貞潔の誓願を立てました。

聖カロロ・ボロメオに出会い、聖人の指導によって、初聖体も受けました。

1582年、スペインの王皇帝フィリップ2世の宮廷に仕えるしもべとして、またゴンザガ家の跡取りとして、スペインのマドリッドに宮廷生活を送るために送られました。

しかしゴンザガの聖アロイジオは、幼い時から罪の無い、汚れの無い生活を送り、それと同時に犠牲の生活、罪の償いの生活も送っていました。

そこで、宮廷での生活はもちろん、誘惑や面白おかしい事もたくさんあったのでしょうが、それを全て避けました。特にフィリップ2世の王女である、オーストリアのマリア皇后の顔は、好奇心を抑えるために一度も見た事がなかったそうです。

祈りに熱心で、5時間続けてお祈りしても、決して雑念が入る事がなかったと言われています。

イエズス会の聴罪司祭の指導を受けるようになって、「自分もイエズス会に入りたい」と思いました。17歳でマドリッドから帰ると父親にイエズス会入会の許可を願います。父は猛反対します。3年間父親を説得します。非常に困難な説得でした。しかし、父は長男の揺るがない決心を見て遂に入会の許可を与え、聖アロイジオは1587年にイエズス会に入会します。

入会前の1585年7月に、マントヴァという所で聖イグナチオによる霊操の修行をしていました。

ちょうどその時に天正遣欧少年使節が、中浦ジュリアンたちがヨーロッパにやって来ていて、ローマでグレゴリオ13世と謁見した後、帰路につきロレットの聖母の家に巡礼し、その後ロンバルディア地方にやって来て、7月にマントヴァに来ました。公爵を始めマントヴァすべてがお祭りで遣欧少年使節を大歓迎しました。

同じイエズス会のこの彼らが歓迎を受けているのを知って、ちょうど同じ所にいたのです。しかしゴンザガの聖アロイジオは、好奇心を抑えるために、犠牲としてそれを、会う事はしなかったのだそうです。しかしすぐ近くにいました。暑い7月でしたが、部屋にこもって祈りに専念していました。(*)

イエズス会の会員として、特に天主に対する祈りと、そして罪の償いの為の犠牲、そして愛徳の業に励みました。癩病が流行した時に、その看護の為に身を尽くして、看護して、遂に癩病にうつり、そして命を落とします。1591年6月25日の事です。24歳でした。
死の床に着いた時に、やはりイエズス会の功名な霊性の深い聖ロベルト・ベラルミーノの指導を受けて亡くなっていきました。聖ベラルミーノは、このゴンザガの聖アロイジオに対して、「この子は、生まれた時から一度も大罪を犯した事がなかった」と、その天使的な聖徳について証言しています。

今でもそのお墓はローマに、聖イグナチオ教会にあります。


⑵聖アロイジオの生涯は私たちに、一体何を教えているでしょうか?2つの事を私は訴えていると思います。

1つは、「どんなに身分が高くても、どんなに高貴な生まれであったとしても、そしてどんなにお金を持ってこの世で力があったとしても、天国に行く為には、罪の無い、謙遜な天主への愛と、罪の償いの生活をしなければならない、貞潔を守らなければならない、そして隣人愛を尽くさなければならない。そしてそれは生まれが高貴であろうが、生まれが卑しいものであろうが、全く同じである。」

「ゴンザガの聖アロイジオは幼くして、そして自分が高貴であるにもかかわらず、このこれが備わっていた。そして私たちにその必要性を教えてくれる、『時代がどんなもので、どこであれ、どこの国であれ、どんな生まれであれ、私たちはそれを、この罪のない生活、罪の償いを、汚れの無い生活を送らなければならない』」という事です。

第2には、私たちは集祷文にも言うように、そして聖体拝領後の祈りにも言うように、また密誦でも祈るように、私たちは、その今日の模範で、私たちの模範となってくれるゴンザガの聖アロイジオのような罪の無い生活には従う事ができなかったけれども、しかし少なくとも償いには、その跡を従う事ができますように。

同じ御聖体を、天使のパンを食べ、食する事が許される私たちですけれども、聖アロイジオは御聖体によって、天使のような純潔と聖徳の道を歩みました。私たちはそれに遥か遠いものですけれども、少なくともそれを見て、感謝の内に留まる事ができますように。

聖アロイジオは自分の生活を通して、天主の婚姻の服を、真っ白な服を着ていた、純潔の服を着ていたけれども、それの純潔の服には宝石が、真珠がたくさん付いていた。この真珠は、罪の痛悔の涙であって、私たちも少なくとも、その罪の痛悔の真珠を付ける事ができるように。

聖アロイジオにとって、皇后様のお顔を見る事はとても簡単だったかもしれないけれども、しかしそれさえも、罪でなかったかもしれないけれども、それさえも犠牲として捧げた。私たちはこの目を毒する多くのものがこの周りにありますが、聖アロイジオの模範によって、私たちもそれを避ける事ができますように。

そして聖アロイジオは、日本の遣欧少年使節をその時には、500年前は会って話をする事がなかったけれども、今では是非私たちの方に眼差しを向けて下さって、私たちの方に助けの力をのべる為に近寄って下さって、私たちに励ましと、応援と、特別の御恵みを下さるように、お祈り致しましょう。

特に現代、カトリック教会では色々なスキャンダルが報道されています。私たちには是非聖アロイジオのような聖徳を持つ聖職者や、そして信徒の模範が必要です。聖伝のミサの実りとして、御聖体の実りとして、皆さんと私たちも、私の生活が、聖アロイジオに遠いものですけれども、より少なく遠くなりますように。

そうする事によって、御聖体の実りが、ちょうど山の上にある街のように輝き出ますように、多くの方々がよりますます御聖体の御恵みによって聖徳へと導かれますように、ぜひゴンザガの聖アロイジオにお願い、お祈り致しましょう。

特に聖アロイジオはマリア様を通して貞潔の誓願を立て、そしてイエズス会に入会を決心しました。私たちもマリア様の御取次ぎによって、聖アロイジオに倣う事ができますように、お祈り致しましょう。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


(*) "Vie de Saint Louis de Gonzague, de la Compagnie de Jésus" par Virgilio Cepari, P. 78.

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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