2019年5月31日(金)元后なる童貞聖マリアの祝日のミサ
小野田神父 説教
「元后憐れみ深き御母, Salve Regina Mater misericordiae.」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年5月31日、元后であるマリア様の祝日を祝っています。
そこで今日、「マリア様が私たちの元后、女王様である」という事の意味を一緒に黙想致しましょう。そして私たちはその元后であるマリア様の神秘を黙想した後に、一体何が求められているのか、私たちは何をするべきなのかを黙想致しましょう。
まず、マリア様は、「元后、女王様」であります。これはどういう意味でしょうか?「女王様」というのは一体何なのでしょうか?一体マリア様はなぜ女王様になったのでしょうか?マリア様がそんなに偉いのは、そんなに高貴なのは、一体何故なのでしょうか?
つい最近、5月1日には新しい天皇陛下を迎えて、皇后様を日本が頂きましたけれども、では天の元后であるマリア様の地位というのは、一体どのようなものなのでしょうか?
ピオ十一世教皇様は、「イエズス・キリストが、真の天主、真の人である、私たちの贖い主であるという事から、私たちの王である。キリスト、王」という、王たるキリストの祝日を定めました。ピオ十一世教皇様です。
「イエズス様はまず天主であるから、その天主の威厳によって王である。またイエズス様はダヴィドの王家の血統によっても王である。それのみならず、イエズス様は真の天主として、御自分の御血を流して私たちを贖ったから、私たちの霊魂を悪魔の手から奪い返したから、征服したから、私たちはイエズス様の下にあるしもべだから、王である」と宣言しました。
それと全く同じ意味で、その後継者であるピオ十二世教皇様は、1948年10月11日、天主の御母であるマリア様の祝日に、「マリア様は元后であって、私たちはその祝日を5月の終わりに祝わなければならない」と宣言しました。
「なぜかというと、マリア様は天主の御母であって、ただ天主の御母という地位を得た、イエズス様をお生みになったお母様のみならず、無原罪の御宿りであって、罪の汚れを全く知らない者であって、そしてイエズス様と共に、イエズス様の十字架の下に佇んで、共に贖いの苦しみを捧げたから、私たちの霊魂をイエズス様と共に悪魔の手から奪い取った、征服の王の伴侶であるから、マリア様は女王だ」と宣言しました。
今日アレルヤ誦では、その事が非常に美しく説明されています、歌われています。
「あぁ、マリア様、あなたは何と幸せな事でしょうか。なぜかというと、あなたはイエズス様と、十字架に付けられたイエズス様の足元に佇んでおられたので、今はイエズス様と共に、天国を支配しておられる、天で君臨しておられるから。」
マリア様の高貴さ、生まれの素晴らしさ、天主の御母であるという地位もさる事ながら、その地位によってマリア様は、「イエズス様と共に、罪無くして私たちの為に苦しまれた」「イエズス様と共に、全ての苦しみを御父に愛を以て御捧げした」そこにこそ、マリア様の偉大な王冠の基があります、源があります。
マリア様が、「私は主の婢女です。私は主の女奴隷です」と言って、そのそれを実行したが故に、天での女王となる事ができました。天で最も高い地位を占める事ができました。
全ての天使たち、そして聖人たちは、マリア様の下に、支配に、君臨の下にあるのです。たった一人の天使でも、人間をはるかに超えた素晴らしい存在です。何千何億何百兆という数々の天使が、マリア様を讃美して、マリア様を天使諸聖人、全ての天使諸聖人の元后として、女王様として、全ての人類の選ばれた諸聖人たちが、マリア様を女王様として誉め讃えています。
なぜかというと、マリア様がイエズス様とそのように、ぴったりと緊密に苦しまれたからです。イエズス様と共に、私たちの霊魂の贖いの為に、苦しみの涙を流されたからです。
ですからピオ十二世教皇様は、5月、マリア様の聖なる月の終わりに、特に世界中で、この子供たちが、あるいは大人も子供も老人も、5月のきれいな花をマリア様に御捧げする、そしてその最後の日には、教会で、世界中の教会で花冠をマリア様に御捧げする、この5月の最後の日を、「マリア様は本当に私たちの女王であって、元后であって、私たちはそのマリア様のその素晴らしい地位を讃美するのが相応しい」と定められたのでした。
では私たちは一体今日何を、遷善の決心で取ったら良いでしょうか?
もちろん今日天使たちと、天国の天使たちと諸聖人たちと共に、マリア様がどれほど素晴らしい、荘厳な地位におられる方か、という事を讃美致しましょう。5月1日の令和の新しい今上天皇陛下、皇后陛下を拝見しようと、多くの人たちが、日本人も外国人も皇居に集まって日の丸を振って祝った、というニュースがありますけれども、天国の天使たち聖人たちと私たちも声を合わせて、この私たちの元后であるマリア様を讃美致します。なぜかというと、マリア様は私たちの元后、憐れみの御母であるからです。
イエズス様と共に十字架で勝ち取った全ての御恵み、祝福、功徳、罪の赦し、奇跡的な超自然の御恵みの数々、私たちの想像を超えるような天主様からの御恵みの無限の功徳、無限の御恵み、祝福、聖寵、それらをマリア様は全て、自分のものとして持っておられるのです。女王様、元后としてお持ちであるからです。マリア様はこれを自由に分配する権利を持っています。御自分のものですから、イエズス様と共に勝ち取ったものですから。
ただマリア様は苦しんだだけではありません。イエズス様と共に、イエズス様の御母として、人類の、贖われた人類の母として、愛を込めて、御自分の苦しみを天主に、イエズス様と共に捧げたからです。
イエズス様は正義の天主ですけれども、そしてその正義の王国を、天主の正義を支配しておられますけれども、神学者たちによると、「イエズス様は、憐れみを全て、御母に任せた。憐れみの母に任せた。」
ですから私たちは、本当ならば、厳格な正義によれば、それほどの御恵みを受けるに値しないものであったとしても、マリア様は憐れみによって、自由に御恵みをばらまいて下さいます。今も、そして将来も、ばらまき続けて下さいます。そして「ばらまき政策だ!何でそんなに浪費するのか!」と文句を言う人は誰もいません。マリア様のものですから。
「憐れみ」と「御恵み」は全て、マリア様を通して私たちに、イエズス様の聖心から来ます。
ですから私たちは、マリア様のその憐れみの元后、憐れみの御母であるマリア様を今日讃美します。それと同時に私たちは、そのマリア様をますますお喜ばせる為に、マリア様の良きしもべとして、マリア様の御下にあるものとして、マリア様に似通った者となりたいと思います。マリア様が天主の御母として、イエズス様と共に苦しみを捧げて、そして功徳を勝ち取ったのであれば、私たちも天主の子して、マリア様の子供として、罪人でありながら御憐れみの力を受けて、私たちの苦しみや祈りを、マリア様を通してイエズス様に御捧げする、贖いの業に協力する、という事が、マリア様は私たちから求めています。これがファチマでの神秘であり、ファチマでマリア様が私たちに要求した事でもあります。
今日、マリア様が元后であるというその神秘を深く讃美して、黙想して、私たちも良きしもべとして、マリア様の道具として、私たちの祈りと苦しみを捧げる御恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
小野田神父 説教
「元后憐れみ深き御母, Salve Regina Mater misericordiae.」
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
愛する兄弟の皆さん、聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年5月31日、元后であるマリア様の祝日を祝っています。
そこで今日、「マリア様が私たちの元后、女王様である」という事の意味を一緒に黙想致しましょう。そして私たちはその元后であるマリア様の神秘を黙想した後に、一体何が求められているのか、私たちは何をするべきなのかを黙想致しましょう。
まず、マリア様は、「元后、女王様」であります。これはどういう意味でしょうか?「女王様」というのは一体何なのでしょうか?一体マリア様はなぜ女王様になったのでしょうか?マリア様がそんなに偉いのは、そんなに高貴なのは、一体何故なのでしょうか?
つい最近、5月1日には新しい天皇陛下を迎えて、皇后様を日本が頂きましたけれども、では天の元后であるマリア様の地位というのは、一体どのようなものなのでしょうか?
ピオ十一世教皇様は、「イエズス・キリストが、真の天主、真の人である、私たちの贖い主であるという事から、私たちの王である。キリスト、王」という、王たるキリストの祝日を定めました。ピオ十一世教皇様です。
「イエズス様はまず天主であるから、その天主の威厳によって王である。またイエズス様はダヴィドの王家の血統によっても王である。それのみならず、イエズス様は真の天主として、御自分の御血を流して私たちを贖ったから、私たちの霊魂を悪魔の手から奪い返したから、征服したから、私たちはイエズス様の下にあるしもべだから、王である」と宣言しました。
それと全く同じ意味で、その後継者であるピオ十二世教皇様は、1948年10月11日、天主の御母であるマリア様の祝日に、「マリア様は元后であって、私たちはその祝日を5月の終わりに祝わなければならない」と宣言しました。
「なぜかというと、マリア様は天主の御母であって、ただ天主の御母という地位を得た、イエズス様をお生みになったお母様のみならず、無原罪の御宿りであって、罪の汚れを全く知らない者であって、そしてイエズス様と共に、イエズス様の十字架の下に佇んで、共に贖いの苦しみを捧げたから、私たちの霊魂をイエズス様と共に悪魔の手から奪い取った、征服の王の伴侶であるから、マリア様は女王だ」と宣言しました。
今日アレルヤ誦では、その事が非常に美しく説明されています、歌われています。
「あぁ、マリア様、あなたは何と幸せな事でしょうか。なぜかというと、あなたはイエズス様と、十字架に付けられたイエズス様の足元に佇んでおられたので、今はイエズス様と共に、天国を支配しておられる、天で君臨しておられるから。」
マリア様の高貴さ、生まれの素晴らしさ、天主の御母であるという地位もさる事ながら、その地位によってマリア様は、「イエズス様と共に、罪無くして私たちの為に苦しまれた」「イエズス様と共に、全ての苦しみを御父に愛を以て御捧げした」そこにこそ、マリア様の偉大な王冠の基があります、源があります。
マリア様が、「私は主の婢女です。私は主の女奴隷です」と言って、そのそれを実行したが故に、天での女王となる事ができました。天で最も高い地位を占める事ができました。
全ての天使たち、そして聖人たちは、マリア様の下に、支配に、君臨の下にあるのです。たった一人の天使でも、人間をはるかに超えた素晴らしい存在です。何千何億何百兆という数々の天使が、マリア様を讃美して、マリア様を天使諸聖人、全ての天使諸聖人の元后として、女王様として、全ての人類の選ばれた諸聖人たちが、マリア様を女王様として誉め讃えています。
なぜかというと、マリア様がイエズス様とそのように、ぴったりと緊密に苦しまれたからです。イエズス様と共に、私たちの霊魂の贖いの為に、苦しみの涙を流されたからです。
ですからピオ十二世教皇様は、5月、マリア様の聖なる月の終わりに、特に世界中で、この子供たちが、あるいは大人も子供も老人も、5月のきれいな花をマリア様に御捧げする、そしてその最後の日には、教会で、世界中の教会で花冠をマリア様に御捧げする、この5月の最後の日を、「マリア様は本当に私たちの女王であって、元后であって、私たちはそのマリア様のその素晴らしい地位を讃美するのが相応しい」と定められたのでした。
では私たちは一体今日何を、遷善の決心で取ったら良いでしょうか?
もちろん今日天使たちと、天国の天使たちと諸聖人たちと共に、マリア様がどれほど素晴らしい、荘厳な地位におられる方か、という事を讃美致しましょう。5月1日の令和の新しい今上天皇陛下、皇后陛下を拝見しようと、多くの人たちが、日本人も外国人も皇居に集まって日の丸を振って祝った、というニュースがありますけれども、天国の天使たち聖人たちと私たちも声を合わせて、この私たちの元后であるマリア様を讃美致します。なぜかというと、マリア様は私たちの元后、憐れみの御母であるからです。
イエズス様と共に十字架で勝ち取った全ての御恵み、祝福、功徳、罪の赦し、奇跡的な超自然の御恵みの数々、私たちの想像を超えるような天主様からの御恵みの無限の功徳、無限の御恵み、祝福、聖寵、それらをマリア様は全て、自分のものとして持っておられるのです。女王様、元后としてお持ちであるからです。マリア様はこれを自由に分配する権利を持っています。御自分のものですから、イエズス様と共に勝ち取ったものですから。
ただマリア様は苦しんだだけではありません。イエズス様と共に、イエズス様の御母として、人類の、贖われた人類の母として、愛を込めて、御自分の苦しみを天主に、イエズス様と共に捧げたからです。
イエズス様は正義の天主ですけれども、そしてその正義の王国を、天主の正義を支配しておられますけれども、神学者たちによると、「イエズス様は、憐れみを全て、御母に任せた。憐れみの母に任せた。」
ですから私たちは、本当ならば、厳格な正義によれば、それほどの御恵みを受けるに値しないものであったとしても、マリア様は憐れみによって、自由に御恵みをばらまいて下さいます。今も、そして将来も、ばらまき続けて下さいます。そして「ばらまき政策だ!何でそんなに浪費するのか!」と文句を言う人は誰もいません。マリア様のものですから。
「憐れみ」と「御恵み」は全て、マリア様を通して私たちに、イエズス様の聖心から来ます。
ですから私たちは、マリア様のその憐れみの元后、憐れみの御母であるマリア様を今日讃美します。それと同時に私たちは、そのマリア様をますますお喜ばせる為に、マリア様の良きしもべとして、マリア様の御下にあるものとして、マリア様に似通った者となりたいと思います。マリア様が天主の御母として、イエズス様と共に苦しみを捧げて、そして功徳を勝ち取ったのであれば、私たちも天主の子して、マリア様の子供として、罪人でありながら御憐れみの力を受けて、私たちの苦しみや祈りを、マリア様を通してイエズス様に御捧げする、贖いの業に協力する、という事が、マリア様は私たちから求めています。これがファチマでの神秘であり、ファチマでマリア様が私たちに要求した事でもあります。
今日、マリア様が元后であるというその神秘を深く讃美して、黙想して、私たちも良きしもべとして、マリア様の道具として、私たちの祈りと苦しみを捧げる御恵みを乞い求めましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。