Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「起きよ。床を取って、家に帰りなさい。主の家に行きなさい。」「主の家に行こう」と言われて私たちは喜んだ!

2021年10月01日 | お説教・霊的講話

2021年9月26日(主日)聖霊降臨後第18主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(名古屋)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日の主日の福音を黙想する前に、お知らせがあります。

来たる9月29日は大天使聖ミカエルの大祝日で、これは日本の主要な保護者です。何故かというと、こんなことがあったからです。

聖フランシスコ・ザベリオは1549年8月15日に鹿児島に到着しましたが、大天使聖ミカエルの日に、その当時島津のお殿様に面会をする約束がありました。その面会をすると、「自由にやってもいいし、宣教してもらいたい。そしてもしも領民がカトリックになりたいのならば、自由になってもいい。全面的に協力する」と、とても良い返事を頂きました。そこで聖フランシスコ・ザベリオは日本の守護者として、大天使聖ミカエルを選びました。

ですからこの大天使聖ミカエルは、日本にとってとても重要な守護者です。聖ピオ十世会日本も今年創立したばかりですけれども、大天使聖ミカエルに私たちの信徒の方々、そのミッション、全てを、保護に委ねたいと、奉献したいと思っています。皆さんもお祈り下さい。

今日私たちの主は、福音の中で奇跡を行ないました。その奇跡を一緒に黙想致しましょう。

イエズス様がカファルナウムにいる時に、半身不随の中風の男が運ばれて来ました。中風、半身不随というは脳の病気で、手足が麻痺して、体を動かす事できない、誰かが助けてくれないと食べる事も、着替える事も、寝返りを打つ事も不自由だ、という人です。もう何年もこの病気で苦しんでいました。「イエズス様ならきっと治す事ができる」と周りの人が思って、運ばれて来ました。

イエズス様は彼を見ると、最初に仰ったのは、「子供よ、我が子よ、安心せよ。お前の罪は赦された。」

すると、周りにいた人が、「あ、何だこの人は。何でそんな事を言えるのか。罪を赦すのは天主しかする事ができない。なぜこんな事を言う事ができるのか。」

するとイエズス様は、御自分が天主としての罪を赦す事ができる力をお持ちになっている、とははっきり言いませんでした。御謙遜の為に。しかし、「実はそうだ」という事を別の形で示そうとされました。それは天主でしかできない、ただ言葉を以って、この病の者をあっという間に治癒してみせる事です。悪魔にはできません。

彼に、中風の男に言います、「起きよ。床を取って家に帰りなさい。」
すると男は、いきなりむくりと起き上がって、今まで寝ていた床を取って家に帰りました。

これは本当にあった事です。これを以ってイエズス様は、御自分が罪を赦す事ができるし、たった一言を以って病気を治す事もできる、という「天主のみの力を持っている」という事を表します。

これは事実ですけれども、一体何で教会は今日、この話を私たちに聞かせようとしたのでしょうか?一体何の意味があったのでしょうか?私たちはこれを聞いて何を考えれば良いのでしょうか?

それは、実は私たちも今日、イエズス様の前にある意味で運ばれて来ました。そして実は、体が健康なようには見えても、実はこの中風の半身不随の男のように、実はこの地上の事で寝たきりで、自分で天に向かって歩く事もできずに、そしてこの地上の事にうずくまって、愛着して、罪の中にもがいていて、何の身動きもできない状態で、知らないうちに私たちはそうである、という事を教えたいのだ。

そしてイエズス様が私たちに、「子供よ、安心せよ」と優しい言葉をかけて下さっている、という事をお知らせしたいのだ、と。

そして同時にイエズス様は、天主としての力を以て、私たちを癒そうとしています、「さぁ、起き上がって、家に帰りなさい。」

「家に帰りなさい」というのは、実は「天主の家に行きなさい。主の家に行きなさい。」でもあります。「主の家に行こう」と言われて、私たちの心はどれほど喜んだことでしょうか。

これはミサの中に、入祭誦に書いてあります。
“Lætátus sum in his, quæ dicta sunt mihi : in domum Dómini íbimus.”

それのみならず、「さぁ、主の家に行こう」というのは実は、「ミサに行きなさい。起き上がってミサに行って、そして今までの日常の犠牲や、日常の苦しい事を捧げなさい。主日を聖化しなさい。主日にイエズス様に、私たちの全てを捧げなさい」という事だ、という事を教会は私たちに教えようとしています。

イエズス様は教会を通して私たちに、「さぁ、今日は主日だから、日曜日だから、イエズス様の元に行って、起き上がって、そして祈りを捧げなさい。ミサを捧げなさい。いけにえを捧げなさい。そして天国に行きなさい」と仰っています。

これは、私たちにとって非常に大切な言葉です。何故かというと、イエズス様は私たちに、単なるこの地上での健康を与えるのみならず、永遠の幸せを、永遠の喜びを与えようと思っているからです。

私たちのこの地上の生活は非常に短いものだからです。ですからイエズス様は私たちを、ぜひ天国の御自分の家に連れて行きたい、と思っています。

その為に、ただ口先で「あぁ、行きなさい」と言っただけではなくて、その私たちの為に、まず御自分が御血を以って、十字架の上で自分の血を流されて、全ての事をして下さいました。このイエズス様の愛を是非知って、このイエズス様の言葉に従って下さい。

もちろん今日の中風の人が、「俺、嫌だ!このまま寝てる!」と言えば、せっかくの奇跡の機会も、そのまま終わり。「あぁ、何であの時、お前起きなかったのか。何でそのまま起き上がって家に帰らなかったのか!」あるいはそのチャンスを逃した為に、「また一生そのまま寝転がっていなければならない。」イエズス様の仰った言葉に協力しなかったが為に、そのせっかくのチャンスを逃してしまう、という事があり得ます。

幸いに今日の男は、ちゃんと起き上がって家に帰りました。私たちもそうしなければなりません。今日から是非、主日にイエズス様の言葉を聞いて、そしてできればミサに、そしてもしもできない場合には霊的にロザリオを以って、あるいは霊的にミサに一致して、イエズス様の言葉に従って、主日を聖化するように致しましょう。

私共も聖ピオ十世会も、このミサを皆さんの主日の聖化の為に、これまで通り主日のこのミッションを続けたいと思っています。どのような事があってもこれを続けたいと思っています。ですから皆さんも是非、この主日の聖化の為に、イエズス様の喜びの為に、どうぞ協力をお願い致します。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


イエズスに信頼して招きに応えなければなりません。私たちも地上での罪への愛着から起き上がって、それをミサで御捧げして、天国へと向かわなければなりません。

2021年10月01日 | お説教・霊的講話

2021年9月26日(主日)聖霊降臨後第18主日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

お知らせがあります。
来たる9月29日は、大天使聖ミカエルの大祝日で、日本の守護者でもあります。これは、聖フランシスコ・ザベリオが最初に、島津のお殿様と面会した日がこの日で、1549年9月29日。その成功に、大天使聖ミカエルに日本を奉献する事を決意したからです。聖ピオ十世会日本もこれに倣って、私たちのミッション、皆さん、全てを、大天使聖ミカエルの保護に委ねようと思っています。どうぞ心を合わせてお祈り下さい。

今日の福音では、私たちの主が奇跡を起こしました。
半身不随の男を、まず罪を赦して、そしてそのイエズス・キリスト御自身が罪を赦す力をお持ちである、という事を証明する為に、この一言で彼の病を治します。
「起き上がれ。起きて、床を取って家に帰れ。」
するとその男は、その通り起き上がって、それまで寝ていた床を取って家に帰りました。

もちろんこれは歴史上あった本当の事で、これはこれだけで私たちに、「イエズス様が天主である」という事実を示しています。

ところで公教会がこの史実を、この歴史上の話を、出来事を、私たちに今ミサの中で聞かせているのは、「実は、これと同じような事が、このミサで起こりつつある」という事を、「この御恵みがミサで与えられる」という事を示しているからです。

この半身不随の男は、実は人類です。イエズス様は、私たちに憐れみの心を持って、この私たちを癒したい、赦したい、私たちを健康にさせたい、私たちを天国に連れて行きたい、という思いで近寄られて仰います。「子よ、信頼せよ。お前の罪は赦された。さぁ、床を取って家に帰れ。起き上がって家に帰れ。」

私たちは一体、何をしなければならないのでしょうか?

イエズス様に信頼して、そして子供として、イエズス様の仰る通りにしなければなりません。イエズス様の命令に、お招きに応えなければなりません。つまり私たちも、今までの地上での罪への愛着から起き上がって、それをまとめてイエズス様に御捧げして、ミサで御捧げして、そして天国へと向かわなければなりません。

イエズス様が、「さぁ、起きて、今までの地上の事はもう取って、家に、天国の方に歩きなさい」と言うのならば、「いや、もっと寝てた方が楽だから。もっとこうしていたい」と決して言ってはいけません。何故かというと、私たちは今こそ、この御恵みを掴むチャンスがあるからです。これを逃してはなりません。

ですからこの時に私たちは、「私は仕えません!」などと悪魔のようなサタンの言ったような事を言うのではなくて、「誰が天主に如(し)く者あるぞ!」「私はイエズス様の招きに応じます。イエズス様の御旨を果たします!」と応えるように致しましょう。

イエズス様の「霊魂を救いたい」というその愛の炎をご覧になって下さい。このこれを見ると、天主の掟の第二の掟、隣人愛についての掟も、私たちは思わざるを得ません。「隣人の霊魂を救いたい。隣人の霊魂を救う為に、これほどまでになっているイエズス様に協力したい」という思いです。

私たちもこのミサに与って、私たちのこの犠牲を捧げる事を、私たちの周りの多くの人々の霊魂の救いの為にも御捧げ致しましょう。家族の為に、同僚の為に、そして日本に住む、あるいは世界の全ての人々の為にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】