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2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

【参考資料】デヴィッド・ウェムホフ(David Wemhoff):第二バチカン公会議と米国のディープ・ステート

2022年12月14日 | カトリック・ニュースなど

第二バチカン公会議と米国のディープ・ステート

Vatican II and the American Deep State

第二バチカン公会議から60年

デヴィッド・ウェムホフ(David Wemhoff) 2022年11月14日

第二バチカン公会議のときタイム誌の記者だったロバート・ブレア・カイザーは生前、記者たちは「(第二バチカン公会議の)草案(schema)に影響を及ぼす参加者兼観察者」だったと話していた。これは、カトリックの教理に対する世界的な攻撃の一部だったのであり、何年も前から知られていたことだった。また、米国の「ディープ・ステート」と「グローバリスト」にとって、第二バチカン公会議は、カトリック教会を彼らに奉仕させる立場に置く機会を提供した。この公会議は、歴史上最も血を流した戦争の終結からほぼ17年以内に開催されたため、多くの参加者の心の中には、その戦争が鮮明に残っていた。同時に、世界は冷戦状態に固定されており、一方はソ連共産主義、もう一方は米国という二つの異なる世界観の間で激しい闘争をしていた。前者は暗く不吉なもの、後者は明るく豊かなものとして描かれていた。米国のメディアは、そのような絵を描くのを助けていたのである。

タイム誌は、ヘンリー・ロビンソン・ルースが創刊したものだ。ルースは長老派の牧師の息子で、その血筋は米独立戦争までさかのぼることができた。彼はタイム誌を創刊することで、ニュース雑誌を発明したのである。ルースは、ウォルター・リップマンの指導の下、新しく生まれ出た心理操作の科学かつ体系化を実践して、画像【写真や絵】、言葉、感情を用い、米国内や海外の見解、思想、認識を、多面的に形成し、それらに影響を与えた。ルースの何点かの雑誌は、彼を米国、ひいては世界で最も強力で影響力のある人物の一人にした。ルースは、合衆国憲法――米国社会を組織する原理を政治的に表明し代表するようになった米国憲法――について、言い換えれば、米国のイデオロギーについて語らない日はなかったと言われている。このイデオロギーの中心にあったのが、憲法修正第1条【国教の樹立を禁止と信教の自由】の教義である。

ルースは長い間、教会と国家に関する教理を持つカトリック教会に注目していた。教会は、米国や世界を支配するという富豪たちの利益計画に対する障害物であると同時に、さらに大きな権力と支配という目的を推し進める好機でもあったのである。ルースは、反カトリック・リベラル派のバイブルとなった「米国の自由とカトリックの力」という著書を持つポール・ブランシャードと同じ感情を抱いていた。ブランシャードの観察によれば、司祭は「ローマの霊的かつ政治的な財産の代理人(エージェント)」であり、「位階階級に従属している」[1]。司祭は、どんな思想に対しても信頼性を与えるため、神学者である司祭は、より一層の権威者となるのであった。ブランシャードは、教会が権力を維持するのを助ける点で、神学の果たす役割を理解していた。ブランシャードによれば、

「教会と国家に関する教会の哲学は、独自の切手や旗を持つ小さな土地が存在し続けることよりもはるかに重要である。実際、バチカンが支持している教会と国家に関する哲学は、カトリックのシステム全体の中で最も重要なものであり、それは司教や司祭が世界中で追求する政治的かつ社会的な政策を決定するものだからである」[2]。

そのため、ルースと、彼が推し進める利益を所有する社会経済的エリートたちは、米国の社会組織のシステムの承認を支持する一人の神学者を必要としていた。社会の法の基礎となるいかなる宗教も設立しない【国教を設立しない】と定め、また、言論の自由と報道の自由の条項をもって私的利害関係者に実権を与えるという「国教条項」(Establishment Clause)のある憲法修正第1条を、米国のエリートたちは教会に承認してほしかったのだ。ウッドストック大学教授で、「神学研究」(Theological Studies)の編集者であるジョン・コートニー・マレー(イエズス会)(John Courtney Murray, SJ)が、その神学者となるのであった。

1948年4月26日、ニューヨークのビルトモア・ホテルで、「全米キリスト教徒およびユダヤ教徒会議」が主催する秘密会合が開かれた[3]。出席者は、プロテスタント、ユダヤ教、カトリックの代表者だった。主要議題は、教会と国家の関係だった。マレーは、一つの解決すべき問題があることに同意した。教会と国家の関係については、米国ではなく、カトリックの方が問題だった。すなわち、後に彼が言っているように、「教会と国家の問題は、非常に特殊かつ独特な意味で、カトリックの問題、つまりローマ・カトリックの問題である」[4]。教会と国家の関係に関するカトリックの教理の「もっと自由な解釈」を提供することに同意することによって、マレーは、カトリック信仰の最も重要な教理の一つを、多くのカトリック指導者の心において、最終的に弱めるという事業に着手したのである。

それから間もなく、米政府は、米国カトリック大学の裕福なカトリック信者で教授であったエドワード・リリー博士の指導の下、教理戦のプログラムを考案した。教理戦は、「心理戦の中核。思想戦あるいは教理戦」と考えられており、「自国システムの基本的思想を積極的に支持すると同時に行われる、基本的な敵対システムに対する計画的な攻撃」[5]を含むものだった。教理戦とは、言い換えれば、社会の秩序を再編する方法だったのである。教理戦は、「大衆の行動に影響を与えること、実際、それは直ちに大衆を対象とするのではないが、意思決定者とそのスタッフを対象とする」[6]ものだった。教理戦が標的にしていたのは、「発展した心。概念と合理化を発展させることに従事し、同じことを他者に投影することができるこの心は、明確にし、分析し、総合する能力を持っている」のであり、「自分たちが受け入れているイデオロギーに満足しなく」なる心だった[7]。

1953年までに、この計画は発展して、PSB D-33として知られる機密文書に含まれた。この教理戦プログラムは、「恒久的な文献」を提供し、「学者や世論形成団体を含む知識人に訴えかける長期的な知的運動」を育成することを目指すものだった。その目的は、(1)米国と自由世界の目標に敵対する共産主義やその他の教えに知的基盤を提供してきた世界規模の教理的思考パターンを打破する」[8]ためだった。これを行うために、「相手側の体制内の局所的な相違、異端、政策の不一致を利用する」[9]のである。政府の情報機関は、メディアや企業とともに、その努力を調整することになっていた。

これは、やがて、今日私たちがグローバル化として知っている計画を実行するのに役立つものだった。1952年と1954年に産業界、銀行、労働組合、情報機関、国務省などの連邦政府機関の代表者たちがニュージャージー州プリンストンに非公式に集まり、それを実現するための計画について話し合った[10]。米国の文化や思想は、いくつかの社会の中に挿入されなければならなかったが、それは、その社会の経済発展への道、あるいはある人々が言うように経済植民地化への道を開くためだったのである。

1958年10月に教皇ピオ十二世が死去し、後継者のヨハネ二十三世が公会議を招集したことで、米国のエリートたちは、カトリック教会を米国の思想や政策、特に憲法修正第1条の背後にある思想を広める存在にすることで権力を拡大する機会を得たと感じた。ルースとその取り巻きは、それ以前からバチカンで変化が起きていることを知っていた。彼らは、カトリック教会の本部で起きていることに関して諜報活動をしていたからである。例えば、彼と米国のエスタブリッシュメント、さらに米国の情報機関は、プロ・デオ大学とその創立者であるフェリックス・モーリオン神父(ドミニコ会)に資金を提供し、支援していた。この高等教育機関はローマにあって、カトリック世界の若いビジネスマンやその他の専門家に、米国の社会組織のシステムの利点を教えていた。実際、1953年11月、ルースが「The American Proposition」という演説を行ったのは、その大学だった。マレーによって書かれ、ルースが行ったその演説は、社会組織の理想として憲法修正第1条を提唱したものだ。その理想に不可欠なのが、カトリック教会とカトリックの宗教を(あらゆる教会や宗教と同様に)社会から排除する「国教条項」だった。この条項は、言論の自由、報道の自由とともに、社会や文化における、さらには宗教に対する実際の権力を、強力な私的利益、すなわち富豪階級に与えるものだったのである。

1962年の夏、公会議の開始の数週間前に、ルースは首席補佐官のチャールズ・ダグラス・ジャクソン(「CDジャクソン」)をローマに派遣し、調査させた。ジャクソンは、メディア、情報機関、産業界で働いてきた経歴の持ち主だ。彼は、この三つのグループの活動と利害が合流する中心人物であり、ドワイト・アイゼンハワー大統領のスピーチライターも務めた。ジャクソンは、位階階級の内部事情に通じており、「世界中にある、あの途方もない機構」[11]である教会が、いかに現代に適応するために変化しなければならないかと発言した。

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【注】拙著「ジョン・コートニー・マレー、タイム/ライフ、米国の命題」(John Courtney Murray, Time/Life and the American Proposition)は、冷戦の初期に、カトリックの教理、特に教会と国家の適切な関係に関する教理を変えようと、カトリックの指導者に対して行われた心理的かつ教理的な戦いについて説明している。カトリックの教理は変わらなかったが、「第二バチカン公会議の精神」として知られる修辞学的かつイデオロギー的な武器が作られて、第二バチカン公会議を歪め、カトリックの教理を破壊し、多くの人々に混乱と苦しみをもたらすために利用された。7年以上をかけて、多くの資料から数百の脚注が作成されたこの二巻の新版は、ジョン・C・ラオ博士の前書きが付いており、amazon.comでペーパーバック版あるいは電子版を購入することができる。

[1] Paul Blanshard, American Freedom and Catholic Power, (Boston: Beacon Press, 1949), 34.

[2] Ibid., 44.

[3] David Wemhoff, John Courtney Murray, Time/Life and the American Proposition (South Bend, IN: Wagon Wheel Press, 2022), Vol. I, 93-97.

[4] Untitled text of talk by John Courtney Murray that begins with “Mr. Chairman, Ladies and Gentlemen,” John Courtney Murray Papers, Box 6 File 445, Georgetown University Library, Special Collections Division, Washington, DC.

[5] “Terms of Reference, Ideological Warfare Panel,” OCB Secretariat Series Box 2 Folder “Doctrinal Warfare (Official) (File # 1) (4),” Dwight D. Eisenhower Library, Abilene, Kansas.

[6] “Statement on Doctrinal Warfare Targets,” dated February 6, 1953, OCB Secretariat Series Box 2 Folder “Doctrinal Warfare (Official) (File # 2) (2),” Dwight D. Eisenhower Library, Abilene, Kansas.

[7] Ibid.

[8] PSB D-33 June 29, 1953, “U.S. Doctrinal Program”, Psychological Strategy Board, Dwight D. Eisenhower Library, Abilene, Kansas.

[9] Ibid.

[10] Wemhoff, John Courtney Murray, Time/Life, and the American Proposition, Vol. I, 469-480.

[11] C.D. Jackson, “Overseas Report (Confidential) # 4 from CD Jackson,” dated August 7, 1962, CD Jackson Papers, Box 109, “World Trip, Transcripts, Italy, 1962,” Dwight D. Eisenhower Library, Abilene, Kansas.

デヴィッド・ウェムホフは、カウンセラーにして作家である。ノートルダム大学で行政学のABを、太平洋大学マクジョージ・スクール・オブ・ローで法学博士(JD)を取得。ウェムホフ氏は、2019年5月、インディアナ大学で国際法・比較法の法学修士(LLM)を修了した。

ウェムホフ氏は、二つの大学で大学レベルのコースを教えていた。これらのコースには、ビジネス法、米政府、憲法、州・地方政府などが含まれていた。カトリック社会科学者協会のメンバーである。

ウェムホフ氏は、「米国の命題」(The American Proposition)を編集・寄稿しており、それはwww.theamericanproposition.comで見ることができる。この出版物は、米国という社会の社会経済的・法的組織のシステムと、世界におけるその役割に焦点を当てている。また、「Redeeming a Father's Heart」を編集。Men Share Powerful Stories of Abortion Loss and Recovery (AuthorHouse 2007), Just Be Catholic (AuthorHouse 2011)のほか、From the Hillside (Wagon Wheel Press, 2019)という詩集を執筆している。

ウェムホフ氏は、高い評価を得ている2巻の著作「ジョン・コートニー・マレー、タイム/ライフ、米国の命題」(John Courtney Murray, Time/Life, and the American Proposition)を執筆した。この作品は第2版において、Wagon Wheel Pressから出版されており、Amazon.comで購入できる。これらの巻では、米国政府が民間メディアと共同で開発した「教理戦プログラム」と、冷戦時代にカトリック教会に対して成功裏に行われたその手法が説明されている。

ウェムホフ氏は、米国の本質とそれが世界に与える影響に関する本を執筆中。インディアナ州グレンジャー在住。

【参考情報】The Fundamental Right to the Catholic Confessional State: An Outline of the Case According to Key Post Vatican II Documents – The American Proposition


【参考情報】ヴィガノ大司教:二千年の信仰によって私たちにまで受け継がれた聖なる言葉で祈りたいと望むことの何がそんなに耐え難く、そんなに嘆かわしいことなのでしょうか?

2022年12月14日 | カトリック・ニュースなど

ヴィガノ大司教のノヴァラ教区司教への公開書簡:聖伝のミサの停止について

  • 信者は、聖伝のミサを奪われるに値する、いったいどんな憎むべき罪を犯したというのでしょうか? このミサは、ベネディクト十六世によって「決して廃止されていない」と認められましたが、今日では第二バチカン公会議の教会論に反するために分裂を招くものとして取り消されています。
  • シノダリティーに関するシノドスで多くの司教が語る、天主の民への配慮と耳を傾けることは、どこに行ってしまったのでしょうか?
  • 信者たちが自分の司教に求めているものは、何世紀にもわたって教会の祈りの声となってきた典礼の使用を自由に享受したいということだけです。
  • 昨日まで教会が教え、推奨していたことが、今日では、教会で統治の役割を持つ人々によって軽蔑され、禁止されている一方で、以前はキリストの教えに反すると考えられていたことが、今では、従うべき模範とされているのです…。
  • 二千年の信仰によって私たちにまで受け継がれた聖なる言葉で祈りたいと望むことの何がそんなに耐え難く、そんなに嘆かわしいことなのでしょうか?

【解説】カルロ・マリア・ヴィガノ大司教は、前在米国教皇大使でした。それ以前にはバチカン市国行政庁次官(教皇に次ぐ第二の管理者 Secretary General of the Vatican City Governatorate)というバチカンの高位聖職者でした。ヴィガノ大司教は聖ピオ十世会の会員ではなく、聖ピオ十世会とは直接の関係はありません。

聖ピオ十世会はマルセル・ルフェーブル大司教によって創立されました。ルフェーブル大司教は、聖霊修道会の元総長であり、ピオ十二世のもとでの教皇使節【教皇大使】でしたが、教会法に従って聖ピオ十世会を創立し、新しい典礼がカトリックの信仰から離れていることを50年以上も前からすでに警告していました。新しい典礼について、ヴィガノ大司教が今、警告しているので参考情報としてご紹介いたします。

聖ピオ十世会は、カトリック教会が、二千年の間、信仰し続けてきたことを信仰し、やり続けてきたことをやり続けているという理由だけで、疎外されています。信じられないような現実が今、目の前で繰り広げられています。

Viganò’s OPEN LETTER to Bishop of Novara for suspending Traditional Mass

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の公開書簡

司教閣下、

司教様が最近、オッソラ渓谷(イタリア・ピエモンテ州)のヴォコーニョ教会とサン・ビアージョ礼拝堂におけるトリエント典礼の挙行を停止するという決定をなさったことは、何千人もの信者と聖伝の典礼(こちら)に結びついている司祭たちの間に大きな苦渋を引き起こしました。何年にもわたって自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)が適用されてきた後、司教様が冷淡にも「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)の規定を実行なさったことで、深い怒りを覚えました。教会法の条項が教区長に与えている権能によって、司教様がそれをしないでいることがおできになるという事実にもかかわらず、です。

司教および使徒の後継者としての司教様の役割が、ローマが行使する明白な権威主義の圧力によって試されていることは理解できます。ローマの絶対的命令(diktats)への従順と、信者の神聖な権利の保護との間で選択を迫られ、最も人間的に単純な選択が、他の時代であればドン・アボンディオ神父を、領主ドン・ロドリゴと「名前を隠した男」(Innominato)【いずれもマンゾーニの小説「いいなづけ」の登場人物】による弾圧に加担するようにさせた選択であることも、同様に理解します。このミサは、行う必要はない、権力者がそう望んでいるのだから、と。

「あわれみの教会」は、その権力を、強制力をもって行使しているのです。その強制力は、逆に、もっと深刻な状況、つまり神学的逸脱、道徳的異常、典礼の領域での冒涜と不敬を癒やすために使われるべき時には、行使されていません。天主の民に与えられた位階階級のイメージは、〈弱者に強く、強者に弱い〉という格言に要約されます。これは、言わせていただけるなら、司教様が司教としてお誓いになったこととは正反対のものです。

パレーシア(parrhesia)【包み隠さずはっきりさせること】とシノダリティーへの多くのアピールは、言葉ではしばしば嘆いている例の聖職者主義が原因の権威主義的な決定によって日々否定されています。ヴォコーニョとサンビアジオの信者は、聖伝のミサを奪われるに値する、いったいどんな憎むべき罪を犯したというのでしょうか? このミサは、ベネディクト十六世によって「決して廃止されていない」と認められましたが、今日では第二バチカン公会議の教会論に反するために分裂を招くものとして取り消されています。有名な〈連続性の解釈法〉は、どこに行ってしまったのでしょうか? シノダリティーに関するシノドスで多くの司教が語る、天主の民への配慮と耳を傾けることは、どこに行ってしまったのでしょうか?

ニケーア・コンスタンティノポリス信経において、私たちは、教会が一(いつ)、聖、公(カトリック)、使徒継承であることを告白します。教会は、全世界への広がりにおいてだけでなく、時間の経過においても出来事の展開においても〈一つ〉です。忠実なカトリック教徒は、自分の時代の教会と交わるだけでなく、必然的に全時代の教会と交わらなければなりません。カタコンベの教会、コンスタンティヌスの教会、聖ベルナルドの教会、聖ピオ五世の教会、福者ピオ九世の教会と交わらなければなりません。信仰の法(lex credendi)とそれを表現する祈りの法(lex orandi)は、最新の流行や偶発的な出来事によって決定された不純物の影響を受けてしまうことはあり得ません。しかし、もしアンニバレ・ブニーニの近代主義の心から生まれた祈りの法(lex orandi)が、「公会議の教会」の唯一の礼拝の表現として認められるとすれば、このことは、それが表現する教理が、数世紀にわたって伝えられ、カトリック教会によって忠実に守られてきた、私たちの主の使徒たちへの教えではないもの、つまり主の教えに反するものだということを意味します。もしこの聖伝との断絶が「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes)の起草者【教皇フランシスコ】自身によって認識され、認められるとすれば、このことは、「公会議の教会」をカトリックの聖伝の外に置いてしまい、それによって、主がその権威を制定なさった目的に反して法を公布する正当な権威を排除するのです。

司教様がこの考え方を共有なさり、トリエント・ミサを「共に歩む(synodal)教会」にとって融通の利かない、余計なものと考えておられるかどうか、私は承知しておりません。私には、司教様のご決断が、信仰の遺産(depositum fidei)を守る義務から外れたやり方で司教の権威を行使していることを示している以上に、教会から憂慮すべき距離を置いていることを示している、つまり、その決定がもたらしうる結果について全く心配せずに、自らのイデオロギー的プログラムに従う位階階級の不一貫性や特異性による犠牲者であることを示しているように思われます。

その結果は、教会の不変の教導権、司祭の正当な権利、そして信者の霊的必要性を平気で踏みにじる〈新し物好き〉(rerum novarum cupiditas)という、非常に悪い印象を与える牧者のイメージになっています。ご存じのように、信者たちが自分の司教に求めているものは、何世紀にもわたって教会の祈りの声となってきた典礼の使用を自由に享受したいということだけです。60年にわたる【第二バチカン公会議の】失敗と異常が――古い典礼が新しい典礼の欺瞞と偽りを明るみに出すからという理由だけで――違法とすることはできない聖伝の典礼に与る自由です。

ノヴァラ教区の信者、そして、世界中の何百万という聖伝の信者は、権力がその正当性を引き出す目的そのものに反するこの権威主義的な権力の行使から、どんな教えを引き出すのだろうかと私は思います。彼らが不当と考える命令に従おうとも、あるいは、人ではなく天主への従順の名の下にその命令に反対しようとも、牧者の権威は全く信用されません。なぜなら、昨日まで教会が教え、推奨していたことが、今日では、教会で統治の役割を持つ人々によって軽蔑され、禁止されている一方で、以前はキリストの教えに反すると考えられていたことが、今では、従うべき模範とされているのですから。

古いミサの使用(usus antiquior)に結びついた司祭と信者は、そのほとんど全員が、確信を持たずに単に迎合主義からノブス・オルド(Novus Ordo)の押しつけを甘んじて受け入れた人々ですが、彼らに対してどんな非難ができるでしょうか? 彼らが天主の礼拝を望んでいるという事実でしょうか? 典礼挙行の際の記念と礼儀正しさでしょうか? 改革された儀式の意図的に曖昧な空虚さに比較したときの、聖伝の典礼文の比類なき豊かさでしょうか? ここ地上で期待する天の宮廷の栄光を見ることへの憧れでしょうか? 騒々しい兄弟的なアガペー――そこにおいて主は、人間自身を祝うための言い訳に過ぎない――の代わりに、キリストのご受難を敬虔に観想することでしょうか? 二千年の信仰によって私たちにまで受け継がれた聖なる言葉で祈りたいと望むことの何がそんなに耐え難く、そんなに嘆かわしいことなのでしょうか?

ヴォコーニョの信者と司祭は、世界中の教区に散らばるすべてのカトリック教徒と同様に、アリウス派の異端の時、偽りの宗教改革の時、英国国教会の離教の時に起こったように、これらの絶対的命令(diktats)から逃れる方法を見つけるでしょう。不可侵の権利を奪われることによる彼らの苦しみは、天主をお喜ばせする忠実さが試されているのであり、ちょうどフランスの恐怖政治の時代に屈服しなかった聖職者が行ったようなものです。しかし、司教様が、彼らを新しい儀式に引き入れたり、父祖の宗教に忠実であり続けようとする彼らの決意を曲げらたりできるとは思わないでください。せいぜい、彼らが毎日のミサの慰めを受けたり、主日や聖日の典礼行事にあずかったりするのを妨げることができる程度でしょうが、こうしたことはすべて、信者間の調和や、教会の権威に対する信者の尊敬の念のどちらにも有利には働かないでしょう。

時が彼らの正しさを証明することになるでしょう。ちょうど、誤った権威や隷属した権威によって押し付けられた異端の逸脱に対して、素朴な者が告白したカトリックの正統信仰を対比させる出来事で常に起こったように、です。天主の御裁きもまた、彼らの正しさを証明することになるでしょうし、この裁きに対して、司教様は司教としての自分の仕事を弁明しなければならなくなるでしょう。ベルゴリオの最高法院(サンヘドリン)が司教様を裁くのではありません。司祭評議会も、今や信用を失った公会議の物語(ナラティブ)をつなぎとめるために、すでに失われたこの戦いで司教様を自己中心的に支持する偽りの友人たちも、司教様を裁くのではありません。ですから、私は、司教様の年齢と公正な裁判官【キリスト】との出会いが避けられないことを考慮し、最後のこと【四終】と司教様の永遠の運命について健全な考察をしていただくことが最も適切であると信じています。もし司教様が天主のみ旨に従って行動してきたと、また今も行動していると信じておられるなら、何も恐れることはありません。司教様はオッソラ渓谷の信者と司祭を反逆者とみなし続けてもいいですし、聖伝のミサを禁止し、現在ある権力に無条件に服従することをすべて示してもいいのです。しかし、この世の権力者は過ぎ去り、彼らを支持し彼らに従う者たちは、忘却の彼方か全員一致の断罪を受ける運命にあることを忘れないでください。

永遠の栄光を受けるに値するために司教様に残された時間を意識することで、ご自身の足跡を振り返っていただき、司教様に世話をするよう託された信者に対して真の慈愛の行為を行ってくださるという希望をもって、私は司教様を(当然、聖ピオ五世の【聖伝の】)ミサの聖なる犠牲において記念することを保証し、慰め主なる聖霊が賢慮の賜物で司教様を照らしてくださるよう懇願するつもりです。

キリストにおいて最も忠実なる、

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

追伸

この公開書簡は、兄弟である司教の方々、つまり、ブランビリア司教と、自発教令「スンモールム・ポンティフィクム」の有益な効果を無効にするように、ローマ教皇庁から圧力を受けていることが明らかになったすべての司教の方々にも宛てられております。

英語版

Viganò’s OPEN LETTER to Bishop of Novara for suspending Traditional Mass

イタリア語版

Lettera Aperta di mons. Viganò al Vescovo di Novara sulla Messa Vetus Ordo.


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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