

2022年10月14日(金)大阪での説教
トマス小野田神父
聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン 。
愛する兄妹姉妹の皆様、今日は聖カリスト教皇殉教者の祝日です。
(1) この教皇様はどういう人だったのでしょうか。
元々はローマの人で、一世紀に生まれた方です。教皇カリストは222年にローマで殉教しました。5年間教皇職を務めました。
この5年間という間になさったことというのは、まず重要なことは、四季の斎日を全教会に義務として定めたということです。これは使徒の時代から、聖ペトロ聖パウロの時代から伝えられた習慣でしたけれども、それを義務として1年に4回大小斎を捧げることと定めました。
またトランス・チベルの、つまりチベル川を越えたところにある聖マリア聖堂を作りました。迫害中でしたので、公の教会としてではなかったと思います。しかしその基礎を作りました。また殉教者や死者を葬るためにアッピア街道にあった墓地を拡張しました。そのために今ではその地下の墓地は「カリストのカタコンベ」と言われています。
特に有名だったのは、司祭殉教者であったカレポドスの遺体を、チベル河で投げ捨てられたその遺体を探し出して、そしてそれを荘厳に埋葬して祝った、その記念を祝った、ということです。
また有名なことはパリマリウスという執政官(コンスルとよばれた共和政ローマ時代の最高の地位)、あるいはシンピチウスという元老院議員、あるいはその当時指導的立場にあったフェリックスあるいはドランダという指導的な人々を、カトリックに改宗させて洗礼を授けたことで有名です。
知恵のある政界をリードするあの人がカトリックの洗礼を受けたのか、迫害の最中にあるにも関わらずそのような人々がカトリックに続々となっていたということは、反キリストの勢力にとって大きな脅威でした。そのためにカリスト教皇様は捕らえられて拷問を受けて、ついには井戸に捨てられて殉教しました。
この最初はカレポドス司祭殉教者が葬られた墓地に葬られたのですが、後にカリスト教皇殉教者が建てたトランス・チベリの聖マリア大聖堂の主祭壇に荘厳に葬られて、今でもそこにあります。聖カリストに対する典礼あるいは尊敬があり、教会で祝っていたことがすでに教会が平和になったその直後からその記録が残っています。
この聖カリストが最初に埋葬された墓地も、1960年に再発見されました。もちろん聖カリストという教皇殉教者が本当に実在して、その記録をその行事を全てなさったということは全く確実な歴史的な出来事です。
(2) 聖カリストは私たちに何を教えているのでしょうか?
これは私たちに何を教えているかというと、私たちが今聖伝の典礼で聖伝のミサで行なっているほぼ全てが、既に一世紀からこの時代からずっと行われてきたことであるということです。
四季の斎日であったり、あるいは私たちが捧げられているこのミサ聖祭であったり、あるいは司祭、助祭、副助祭、のみならず、下級品級、七つの品級がすでにあったということです。そして私たちはそれを続けているに過ぎないということです。
私たちは、後の教皇様が「二千年間やってきたけれども現代要らないからやめる」、「ああそうですか」ということはできない、ということです。
教皇様達が命がけで伝えてきたこのこれを私たちも今実行していると言うということです。
(3) 遷善の決心
是非教皇カリスト殉教者にお祈りいたしましょう。私達も同じ信仰、同じ信心、同じ愛を保ち続けることができますように。マリア様にお祈りしましょう。マリア様の御取り次ぎでこれを後世に、未来の世代に伝えることができますように。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
2022年10月22日(土)修道院での説教
トマス小野田神父
聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。
今日は土曜日の聖母のミサを行っております。
最近のニュースによると、元教理聖省のミュラー枢機卿がアメリカでのインタビューに答えて 、今シノドス性のためのシノドスが行われているけれどもこれは教会に対する敵対的な乗っ取り行為である、教会を新しいものに変えようとしている、教会は天主の御言葉を聞かなければならない、人間の声に耳をすますのではない、シノドスは特にこれは同性愛を認めさせるためのそれを目的としたものだ、と強く警告しています。
この世界は、イエズス・キリストを失いつつあります。イエズス・キリストの教会の敵は、2033年のイエズス様の贖いの業の二千年を祝うことをどうしても阻止したいかのような印象を受けます。その前に教会を何とかして弱体化させて、別の物にさせようとしているかのようです。その時、私たちはイエズス様を失うということがどれほど苦しいことかを私たちは体験することでしょう。
しかし、カトリック教会は天主の建てた教会ですから、人間の手によって滅ぼされることはありえません。聖伝のミサは必ず勝利します。どのようなことがあっても生き延びます。
教会も全く同じです。苦しむことはあっても、必ず特別の保護があります。これからもしかすると一見この地上から姿を消してしまったかのように見える時があるかもしれませんが、しかし必ず復活があります。
今、そのために私たちは何をしなければならないでしょうか。ロザリオをお祈りいたしましょう。ロザリオの祈りは私たちに主の神秘を深く教えてくれるからです。
喜びの玄義の第一は、天主が謙遜になって、マリア様の御胎内に宿られるほど謙遜になられたことを教えています。そしてそれは十字架の上で苦しみを受けて私たちの代わりに贖いを果たすためでした。マリア様もその天主のご謙遜にならって全てを協力する、どのような苦しみも全てみ旨のままに受け入れる、ということを答えました。
マリア様がその答えをした瞬間天主の御言葉は人となって私たちの内に住み給いました。永遠が時のうちに、全能の力がかよわさの小さなご胎内に、お留まりになりました。
喜びの玄義の第二は、マリア様はこのイエズス様を、すぐに聖エリザベトのもとにお運びになったことを教えています。
マリア様の挨拶の声を聞くと、聖エリザベトはすぐにマリア様がどんな方かを、お分かりになりました。天主の御母、真(まこと)の主の契約の櫃、旧約時代に預言されてきた現実が、今この目の前にあるとわかりました。
そのマリア様の声を聞くと、胎内の御子・胎内の子ども・洗者聖ヨハネも喜び踊りました。
喜びの玄義の第三は、マリア様はイエズス様をお産みになりますが、その時には第二のエヴァとして 第二のアダムをお産みになったことを教えています。
第一のエヴァは、原罪の汚れなき第一のアダムの脇腹から、原罪の汚れもなく痛みもなく生まれてきました。第二のアダムは、今度は、原罪の汚れなき第二のエヴァの胎内から痛みもなく産まれてきます。
イエズス様はマリア様の初子(ういご)でしたが、しかしマリア様が霊的に生むイエズス・キリストの兄弟たちは、つまり私たちは、十字架のもとの痛みのうちに霊的に生まなければなりません。
イエズス様は、マリア様のもとにまったく全てを与えになりました、委ねました。私たちにもそれを真似るように教えています。
喜びの玄義の第四は、マリア様は、受けたイエズスさまも全て天主にお返しになったことを教えています。神殿でイエズス様を奉献されます。マリア様は、私たちをもイエズス様とともに奉献してくださいます。
喜びの玄義の第五は、マリア様は罪のない方でしたが、しかしイエズス様を失うということがどれほど苦しいことかを、ご体験になりました。ですから罪びとの、イエズス様を失ってしまった罪びとの気持ちがよく理解できます。私たちがイエズス様を見出すことができるように祈ってくださる方です。この世界が、イエズス様を失った世界が、イエズス様を見出すことができるように祈りましょう。
2033年にはイエズス様の贖いの二千年を祝うことができますように。教会の敵にマリア様の御保護のもとに私たちが信仰を守り続けるように、お祈りいたしましょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。