Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

主要な欠点とは何か、主要な欠点を特定する方法と、それに対して戦う方法

2022年12月23日 | お説教・霊的講話

主要な欠点についての説教

2022年12月11日 ドモルネ神父

はじめに

今日の福音の中で、洗者聖ヨハネは、自分について、こう言っています。「『主の道を正しくせよ』と荒れ野に叫ぶ者の声とは、私のことである」(ヨハネ1章23節)。「主の道を正しくする」とは、私たちの主が、私たちの内に来られて留まることができるように、私たちが心を改めることを意味します。私たちの霊魂に、キリストが住まわれ働かれることへの主な障害物は、私たちの「主要な欠点」です。今日、私は、この主要な欠点についてお話ししようと思います。いったい、それは何でしょうか。それをどのようにして特定するのでしょうか。それとどのようにして戦えばいいのでしょうか。

1.主要な欠点

主要な欠点とは、私たちの欠点のうち、どの欠点よりも優勢になる傾向のあるものです。その欠点は、私たちの感情や、私たちの思い、私たちの好き嫌いに影響を与えるため、私たちの選択と行動にも影響を与えるという傾向があります。主要な欠点は、私たちを自己中心的にさせます。この主要な欠点は、私たちの気質と、密接な関係があります。例えば、高慢や怒りに傾く気質、怠惰や無責任に傾く気質、妬みや他人への批判に傾く気質、大食や情欲に傾く気質があります。主要な欠点は、私たちの最も深刻な精神的弱点です。これは、壁にできた深いひび割れのようなもので、このひび割れを直さなければ、どんどん大きくなり、最後には、壁を崩壊させてしまいます。同じように、私たちが、自分の主要な欠点を改めることに注意を払わないなら、私たちの内の恩寵の発展は、台無しになるでしょう。別の例えをしましょう。私たちの霊魂は、城壁に守られた城塞のようなものです。主要な欠点は、この壁の弱い部分、敵がやすやすと城塞に入り込むことができる部分です。私たちの主要な欠点は、悪魔が私たちをやすやすと罪に陥らせることができる、私たちの中心となる弱点なのです。すると、自分の主要な欠点に、特別な注意を払い、それを直すために、真剣に取り組むことが、いかに重要であるかが、お分かりになるでしょう。

2.主要な欠点を特定する方法

さて問題は、どのようにすれば、自分の主要な欠点を特定できるか、ということです。第一に、私たちを照らしてくださるよう、聖霊に祈る必要があります。私たちは通常、自分自身について、ほとんどよく分かっていないため、自分の主要な欠点が何なのかを、理解するためには、聖霊の御助けが必要なのです。

次に、自分に質問をいくつか投げかけ、正直に答えてみるべきです。朝起きたとき、あるいは日中一人でいるとき、私の心の中に、いつもどんな思いが浮かんでいるでしょうか? 自分がどう見られているのか、他人が私をどう思っているのかをいつも考えているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、虚栄心でしょう。別の質問です。いつも私を喜ばせたり、悲しませたりするのは何でしょうか? 例えば、他人に良いことが起こると、いつも私を悲しませるとすれば、おそらく私の主要な欠点は、嫉妬でしょう。別の質問です。私の決断や行動の動機は、いつもは何でしょうか? 例えば、私がいつも、家事や仕事から逃れようとしているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、怠け心でしょう。別の質問です。私が最も頻繁に犯す罪や、最も頻繁に戦わなければならない誘惑は何でしょうか? 例えば、私がいつも情欲の誘惑に襲われているとすれば、おそらく私の主要な欠点は、情欲でしょう。別の質問です。他人がいつも指摘する私の欠点は何でしょうか? 実際、他人は、私たちの欠点が何であるかを、もっと早く、もっと正しく見抜きます。ですから、特に子どものころ、両親やクラスメートから指摘された自分の欠点は何でしょうか? 最後の質問です。祈りのときや聖体拝領の後、私たちは、特にどの聖徳を素晴らしいと思って、実践することに魅力を感じるでしょうか? 特に、どの犠牲や霊的な努力をするように求められていると感じるでしょうか? 聖霊が私たちに求めておられるその聖徳や犠牲は、まさに私たちの主要な欠点が出るのを防いでくれるものなのです。

3.主要な欠点と戦う方法

さて、問題は、私たちは、どのようにして自分の主要な欠点と戦えばよいのか、ということです。第一の行うべきことは、そのような大きな仕事ができるように、天主に祈ることです。そうすることは、私たちの生来の力を超えたものであり、私たちは、恩寵によって強められる必要があるのです。例えば、聖ニコラ・ド・フリューの祈りというものがあります。「主よ、私があなたのもとに行くのを妨げるものを、すべて私から取り除き給え。私をあなたのもとに導くものを、すべて与え給え。私自身を私から連れ去って、あなたに委ねさせ給え」。

第二の行うべきことは、良心の自己吟味です。聖イグナチオは、お金について利益と損失を記録するように、自分の主要な欠点について、勝ち負けを記録するように勧めています。ですから、夕の祈りのときに2分ほど時間をとって、一日を簡単に振り返り、自分の主要な欠点を、ほしいままにしてしまったかどうかについて、チェックすることをお勧めします。

第三の行うべきことは、自分の主要な欠点が出るたびに、償いのわざをすることです。それは祈りであったり、食べ物や飲み物を控えることであったり、隣人を何らかの形で助けることであったりします。このような償いのわざは、罪に対する償いであるとともに、また将来に向けて、私たちをもっと慎重にさせてくれるものなのです。

第四の行うべきことは、私たちの生来の善の傾きを、私たちの主イエズス・キリストに正しく奉仕することに向けることです。福音から引用した例で説明します。聖ヨハネとその兄弟である聖ヤコボは、私たちの主イエズスから、「ボアネルジェス」というあだ名を付けられました。このあだ名は「雷の子」という意味です。このあだ名によって、私たちの主イエズスは、この二人の兄弟が、強くて活発な気質であることを示されました。彼らには生来、熱心であるという傾きがあり、それは、彼らの生来の善の傾きでした。しかし、彼らには、怒りと恨みの傾きがあり、これが、彼らの主要な欠点でした。実際、ある日、町の人々が、イエズスを歓迎することを拒みました(ルカ9章54節参照)。そのため、彼らは腹を立て、この町を滅ぼそうとしました。しかし、私たちの主イエズスは、彼らをこうお叱りになりました。「人の子は、魂を滅ぼすためではなく、救うために来たのだ」。言い換えれば、イエズスは、彼らにこう言われたのです。「あなたたちが持っている力や熱意は、あなたたちの勝手な考えや、個人的な願いを満たすために使うのではなく、私の意志に従って、人々を救うために使いなさい」。使徒たちは、この教えを理解し、十分に心を改めたため、聖ヨハネは愛で非常に有名になりました。私たちのすべきこととは、これです。自分の生来の善の傾きがどのように損なわれて、自分の主要な欠点となったかを見て、その後、自分の生来の善の傾きを、私たちの主イエズスに正しく奉仕するように向けることによって、自分の主要な欠点と戦うべきなのです。

結論

親愛なる信者の皆さん、私たちの霊魂において、主の道を正しくしましょう。私たちの主要な欠点をはっきりと特定し、この待降節の間、寛大に、その欠点に取り組みましょう。祝されし御母、私たちの守護聖人、守護天使が、このことにおいて、私たちを助け、導いてくださいますように。


無原罪の御宿りの祝日は、私たちの霊的生活を向上させるために役立つ、五つのポイントを思い起こさせてくれます。

2022年12月23日 | お説教・霊的講話

無原罪の御宿りについての説教

2022年12月4日 ドモルネ神父

はじめに

次の木曜日は、至聖なる童貞マリアの、無原罪の御宿りの祝日をお祝いします。何人かの聖人は、生まれる前に、原罪から清められました。預言者エレミア(エレミア1章5節)、洗者聖ヨハネ、そしておそらく聖ヨゼフがそうでした。このような生まれる前の清めは、偉大な聖人たちのためだけに定められた特別な恩寵です。しかし天主は、童貞聖マリアに対して、さらにそれ以上のことをなさいました。天主は、マリアを原罪から清められたのではなく、原罪から完全に保護なさったのです。マリアは、原罪の汚れなしに宿られたのです。これが、私たちが無原罪の御宿りの特権と呼ぶものです。マリアは、その存在の最初の瞬間から、完全に清らかなお方、聖なるお方、天主の御心にかなうお方だったです。

今日、私は、この特権についての真理とその偉大さ、そして、私たちに実践的に役立ついくつかの考察について、お話ししようと思います。

1.無原罪の御宿りとの真理と卓越性

無原罪の御宿りの特権は使徒たちに啓示され、使徒たちは、この真理をすべてのキリスト教徒に教えました。この使徒たちの教えは、1854年12月8日に至るまで、代々受け継がれてきました。そしてその日、教皇ピオ九世は、無原罪の御宿りの教義を宣言しました。つまり、この特権が存在することと、すべてのカトリック教徒がこれを告白する義務を持つことを、不可謬的に宣言したのです。聖母は、その4年足らず後、ルルドで、聖ベルナデッタに、「私は無原罪の御宿りです」とお告げになることによって、この教義が真理であることを、御自ら確認されました。

この唯一無二の特権は、原罪の直後、天主がサタンに、「彼女はおまえの頭を踏み砕くであろう」(創世記3章15節)とおっしゃることによって、間接的に、それをお告げになっていました。その後、旧約聖書のさまざまな場面で、この特権のしるしが示されました。例えば、ノアの箱舟は、無原罪の御宿りのかたどりです。箱舟を除いて、すべてのものが洪水によって破壊されたように、童貞聖マリアを除いて、すべての人間は原罪に染まっているのです。雅歌の中で、次の言葉は、教会によって、聖母のことを指すものとされています。「Tota pulchra es, amica mea, et macula non est in te」「私の愛する者よ、あなたは、すべてが美しく、何の汚れもない」(雅歌4章7節)。

無原罪の御宿りの特権は、私たちの主イエズス・キリストの功徳によって、マリアに与えられました。他のすべての人々には、贖いの功徳は、私たち人間の本性にある罪によって生じた傷を癒やし、修復するために、薬として与えられます。しかし、マリアには、私たちの主イエズスの功徳が、罪から保護するものとして、与えられました。マリアの霊魂に罪が入り込んだことは、一度としてありませんでした。マリアは、イエズスのように、本当にこうおっしゃれるのです。「この世のかしらは…私に対して何もできぬ」(ヨハネ14章30節)。

天主がマリアに無原罪の御宿りの特権をお与えになったのは、なぜでしょうか? それは、天主がマリアを、ご托身のみ言葉である私たちの主イエズス・キリストの御母となるように、永遠の昔からお定めになっていたからです。マリアは、御子なる天主をそのご胎内に宿され、地上における神性のご聖櫃となられる定めだったのです。さらに、聖母はイエズスに人間の本性をお与えになり、そしてそのため、聖母と聖三位一体の各ペルソナとの間に、極めて特別な関係が確立される定めだったのです。マリアの美しさが、たとえほんの一瞬であっても、原罪によってその輝きを失うなどということが、どうしてあり得るでしょうか? 聖母が、たとえほんの一瞬であっても、悪魔の支配下に置かれるなどということが、どうしてあり得るでしょうか? それは想像もできないことです。ですから、聖母が、常に天主との友情のうちにあり、常に美しく、常に清らかで、常に聖なるお方、天主をお喜ばせするお方であることは、最もふさわしいことだったのです。聖母が、御子なる天主に伝えることとなるべき肉と血を決して損なわれなかったことは、最もふさわしいことだったのです。

そこで今日、童貞聖マリアにこのような卓越した唯一無二の特権をお与えになった聖三位一体を讃美し、感謝しましょう。天におられるすべての聖人たちとともに、天の御母をたたえ、御母とともに喜びましょう。

2.私たちに実践的に役立ついくつかの考察

無原罪の御宿りの祝日は、私たちの霊的生活を向上させるために役立つ、五つのポイントを思い起こさせてくれます。

第一のポイントは、原罪とその結果という現実を思い起こさせてくれることです。原罪のせいで、私たちは皆、地獄行きを宣告され、霊的に弱くなっています。なぜなら、原罪によって、私たちは過ちを犯しやすく、悪意ある行動をとりやすく、情欲に流されやすく、困難に直面したときに臆病になりやすくなったからです。このことを思い起こせば、私たちが謙遜の徳を身につける助けになるはずです。

第二のポイントは、私たちの洗礼を思い起こすことです。天主は、私たちが原罪なくして宿るようにされたのではなく、洗礼を通して、私たちの霊魂をこの罪から清め、悪魔の奴隷状態から解放してくださるのです。この清めは、永遠の命を私たちへと開くものであるため、天主からの最も重要な賜物です。この賜物を受けたことのない人は何百万人もいますが、私たちはそれを受けたのです…。ですから、私たちに対する天主の御あわれみを思い起こし、私たちに洗礼の恩寵をくださったことを、私たちの主イエズスに感謝しましょう。

考察すべき第三のポイントは、童貞聖マリアが、無原罪の御宿りの恩寵に忠実だったことです。マリアは、生涯を通じて、その恩寵をいささかも汚されなかったのです。私たちはどうでしょうか? 私たちは、自分の洗礼の約束に忠実だったでしょうか? そうではありませんでした。私たちの人生のすべての罪を償うことを忘れないようにし、これからは、自分の洗礼の約束に忠実であろうという決心を新たにしましょう。

考察すべき第四のポイントは、童貞聖マリアが、無原罪の御宿りの恩寵を守るために、いかに気をつけておられたかということです。マリアは、原罪とその結果の影響を受けておられませんでした。それにもかかわらず、聖母は、私たちの主イエズスの教えを黙想され、絶えず祈っておられました。私たちの方は、原罪の結果の影響を受けています。私たちは悪に傾きやすく、常に天主のお怒りを招く危険にさらされています。ですから、私たちの主イエズスのご生涯を頻繁に黙想し、一日中、主とともに祈り続けることに、さらにどれほど多くの努力をすべきでしょうか。このことは、私たちが洗礼の恩寵のうちに耐え忍ぶための必要条件なのです。

最後に、マリアは、天主の御母になるように定められていたという理由から、原罪なくして受胎なさったということを考察しましょう。マリアの完全な清らかさは、そのご胎内に私たちの主イエズスを受け入れるための準備でした。このことは、聖体拝領の前に、良い告解によって、自分の心を大罪から清め、心からの痛悔によって、自分の心を小罪から清めることの必要性を、私たちに思い起こさせてくれます。

結論

この一週間は特に、無原罪の御宿りである聖母に、次のようにお願いしましょう。私たちが常に、私たちの主イエズス・キリストにふさわしい生活ができるよう、また私たちが、永遠に主を見て、愛することができるように、天国の聖母のもとに行けるよう、私たちを助けてくださいますように。


ヴィガノ大司教:もしもこのままキリストに立ち返らないならば、悪や嘘や自己崇拝と共存できると思い続けるならば、この世はどれほど悲惨になってしまうでしょうか。

2022年12月23日 | カトリック・ニュースなど

【参考文献】ヴィガノ大司教から「新型コロナ倫理国際医師団」へ。「パンデミックは最初の一歩に過ぎない」

Viganò to Medical Doctors for Covid Ethics International. Pandemic is Only the First Step.

2022年11月22日

マルコ・トサッティ
親愛なるStilum Curiaeの友人と敵の皆さん、「新型コロナ倫理国際医師団」が主催するイベントでカルロ・マリア・ヴィガノ大司教が行ったこの重要な講話に、皆さんが注目していただければと思います。お読みいただいて、広めてください。

§§§

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教の発言

新型コロナ倫理国際医師団 2022年11月20日

「新型コロナ倫理国際医師団」(Medical Doctors for Covid Ethics International、略称MD4CE International)は、カルロ・マリア・ヴィガノ大司教閣下が、現在の世界的危機について私たちと考えを共有してくださったことに感謝申し上げます。この危機は、詐欺的にでっち上げられた新型コロナウイルス感染症のパンデミック緊急事態に始まり、恐怖と恥のプロパガンダを恥じることなく用いた、軍事目的で使えるほどの悪の心理作戦によって支援・維持されています。この緊急事態は、2020年の初めに全世界の疑うことを知らない人々に対して、自国政府によって一斉に放たれ、予想通りの破滅的結果をもたらしました。

同医師団は、世界中の医師、科学者、弁護士、ジャーナリスト、経済学者、歴史家、政治家、哲学者、データ分析家、銀行家、軍事・諜報専門家、その他の人々からなる国際的グループであり、過去3年間に世界中の人々、その家族、地域社会、国に対して起こったことの恐ろしい真実を暴露し、大きな罪を犯した責任者を適切に追及するために、断固たる決意で協力しています。

カルロ・マリア・ヴィガノ大司教閣下は、前駐米教皇大使(2011年10月19日~2016年4月12日)です。

Abp. Viganò: The COVID pandemic farce served as a trial balloon for the New World Order - LifeSite

親愛なる著名な友人の皆さん、

最初に、スティーブン・フロスト博士が、私に講話をするよう招待してくださったことに感謝させてください。フロスト博士と同じく、皆さんにも感謝申し上げます。サイコパンデミックのプロパガンダと闘う皆さんの献身は賞賛に値するものです。私は、皆さんが自分の理念を貫くために直面した困難についてよく承知しております。また、皆さんを差別し、仕事と給料を奪い、危険な反ワクチン運動家というレッテルを貼った人たちによって、皆さんが受けた損害が十分に修復されるように望んでおります。

現在の世界的危機について、私の考えをお話しし、皆さんと共有できることをうれしく思います。この危機は、パンデミックの緊急事態から始まったと考えることができますが、非常に具体的な目的を持って、何十年にもわたって有名な人々によって計画されてきたことが分かっています。このパンデミックだけにとどまって考えてしまうのは、重大な間違いです。なぜなら、そうしてしまうと私たちは、このような事件を完全に首尾一貫して、また相互に関連させて考えることができないため、これらの事件を理解することができず、とりわけその背後にある犯罪的意図を特定することができなくなるからです。皆さんも、医学、科学、法律、その他の分野でそれぞれの専門性をお持ちだと思いますが、極めて特殊な自分の専門分野に限定してしまうと、政府、国際機関、製薬会社が行った特定の選択の根拠を十分に説明できない場合があることに同意していただけると思います。例えば、実験用血清の接種を受けた人の血液から「グラフェンのような」物質が見つかったとしても、ウイルス学者にとっては意味がありません。しかし、グラフェンの用途を理解しているナノマテリアルとナノテクノロジーの専門家にとっては意味があります。また、医療特許の専門家であれば、発明の内容を即座に把握し、他の類似特許との関連付けを行うことも可能です。また、強化人間 enhanced man(英国防省の文書では、トランスヒューマン用語で「拡張人間 augmented man」)の研究を知っている戦争技術の専門家にとっても意味のあることであり、そのため、グラフェン・ナノ構造体に軍人の戦闘能力を増強する技術を認識することができるのです。そして、遠隔医療の専門家は、このナノ構造体の中に、生体パラメーターを患者管理サーバーに送信したり、さらにそのサーバーから特定の信号を受信したりするのに不可欠なデバイスを認識することができるでしょう。

もう一度申し上げますが、医学的見地から事象を評価するには、ある種の選択をしたことの法的な意味を考慮する必要があります。たとえば、市民の基本的権利を侵害する形で行われたマスクの押しつけや、さらに悪いことには集団「ワクチン接種」といったものです。また、健康管理の分野では、病気や治療法の分類コードの操作も出てくることでしょう。これは、新型コロナウイルス感染症用の措置による有害な影響を追跡できないように設計されたものであって、集中治療室で人工呼吸器をつけさせることから待機観察プロトコル(watchful waiting protocol)にまで至るものであります。また言うまでもないことですが、欧州委員会(European Commission)によるスキャンダラスな規則違反も同じです。同委員会は、ご存じのように、健康分野では欧州議会から委任を受けておらず、また、公的機関ではなく、むしろ民間の企業連合なのですから。

つい数日前、G20バリ・サミットで、クラウス・シュワブは各国首脳(ほとんどが世界経済フォーラムの「ヤング・グローバル・リーダー」プログラム出身者)に、世界政府の樹立を考慮した将来へのステップについて指示しました。巨大な経済力を持つ非常に強力な民間組織の会長が、世界各国の政府に対して不当な権力を行使し、政治指導者からの服従を得ているのですが、これらの指導者たちは自分の国をエリートの権力妄想に従わせるなどという委託は国民から受けていません。

この事実は、前例のない重大さです。クラウス・シュワブはこう言っています。「第四次産業革命では、勝者がすべてを手に入れます。ですから、もし皆さんが世界経済フォーラムの先発者であれば、皆さんが勝者なのです」(こちら)。

この極めて重大な発言には二つの意味があります。一つ目は、「勝者がすべてを手に入れます」、「勝者」になるということですが、どのような立場で、誰の許可を得てかは不明です。二つ目は、この「第四次産業革命」に適応しない者は、気がつけば追い落とされ、失う――自分の自由を含めて、すべてを失うことになる、ということです。要するに、クラウス・シュワブは、世界の先進20カ国の政府首脳に対して、「グレート・リセット」のプログラム上のポイントを自国内で実行するように脅しているのです。これは、パンデミックの域をはるかに超えています。世界的なクーデターであり、これに対して人々が立ち上がり、まだ健全な国家機関が国際的な法的プロセスを開始することが不可欠です。世界経済フォーラムは破壊転覆的なプロジェクトを実行することができ、国々を統治する人々は皆、この国際マフィアの奴隷になってしまったかあるいは脅迫されているかのどちらかですから、この脅威は差し迫った深刻なものなのです。

これらの発言、そしてシュワブのアドバイザーであるユヴァル・ノア・ハラリに劣らず妄想的な他の人々の発言に照らせば、パンデミックの茶番劇が、統制や強制的な措置、個人の自由の縮小、失業や貧困の増加のための観測気球としていかに機能したかが理解できるでしょう。次のステップは、経済危機とエネルギー危機によって実行されなければなりません。これらの危機は、グローバリスト・エリートの手中にある統率された政府の確立のための道具なのです。

親愛なる友人の皆さん、ここで、私は司教としてお話しさせていただきます。なぜなら、私たちが目撃し、これからも目撃し続けるこの一連の出来事において、その本質的な霊的性質を見ることができていないという事実によって、皆さんの取り組みが妨げられたり、制限されたりする危険性があるからです。

私は、2世紀にわたる啓蒙思想、革命、無神論的唯物論、反宗教的自由主義によって、信仰を個人の問題とみなすこと、あるいは、私たち全員が適合しなければならない客観的真理が存在しないと考えることに慣らされてきたことを知っています。しかし、これは、今日起こっていることのずっと前に起こった、準備としての教え込みの結果であり、18世紀の秘密結社やメーソンなどのグループを動かしていた反キリスト教的イデオロギーが、今日のクラウス・シュワブ、ジョージ・ソロス、ビル・ゲイツのような人々を動かしている反キリスト教的イデオロギーと何の関係もないと信じるのは愚かなことです。動かしている原則は同じです。天主への反逆、教会と人類への憎悪、そして被造物、特に天主の像と似姿として創造されたがゆえの人間に対する破壊的な怒りです。

この明白な証拠から出発すれば、私たちの目の前で起こっていることが、利益追求や権力欲だけの結果であるかのように装うことは不可能であることが理解できるはずです。確かに、世界経済フォーラムにどれだけ多くの人が協力してきたかを考えれば、経済的な部分を無視することはできません。しかし、利益以上に、言及できない目的があるのです。それは、「神学的」な考え方(さかさまになったものですが、それでも確かに神学的な考え方)、つまり、キリストの側と反キリストの側という二つの対立する側を認めるという考え方に由来する目的なのです。

中立はあり得ません。二つの軍隊の間に衝突があるとき、戦わないことを選択する者もまた、戦いの結果に影響を与える選択をすることになるからです。一方、創造主が自然の中に置かれた見事な秩序(星座から原子の粒子に至るまで)を皆さんの高貴で高尚な医療業に認めながら、人間もまた、その道徳観、法律、文化、発見物とともにこの秩序の一部であるということを否定することが、どうしてできるでしょうか? 天主の被造物である人間が、永遠で完全な法に従わないでいると思い込むことが、どうしてできるでしょうか?

私たちが戦うのは、血肉でできた被造物ではなく、権勢と能力、この世の闇の支配者、天界の悪霊だからです(エフェゾ6章12節)。

一方には、聖アウグスティヌスが書いているところの「天主の国」(City of God)があり、他方には「悪魔の国」(city of the devil)があります。私たちは、次のように言うことができるでしょう。この時代、悪魔の国とは、新マルサス主義のグローバリズム、新世界秩序、国連、世界経済フォーラム、欧州連合、世界銀行、国際通貨基金、そして死と病気と破壊と専制政治の思想に従ういわゆる「慈善財団」と明確に特定できる、と。また、ディープ・ステートやディープ・チャーチと呼ばれる組織に潜入している勢力とも特定できる、と。

他の面では、「天主の国」を特定することは、もっと困難であることを認識しなければなりません。宗教の権威者たちでさえ、信者を導くという役割を裏切って、権力に奉仕し、嘘を広めることを好んでいるように見えます。霊魂を保護し聖化すべき人々が、善きキリスト教徒を硬直した原理主義者と呼んで、霊魂を散らし、つまずかせているのです。お分かりのように、攻撃はいくつかの面に及んでいるため、肉体と霊魂の両方を攻撃する、人類にとって致命的な脅威となっているのです。

しかし、宗教的な領域でも現世的な領域でも、権威ある基準点を見いだすことが困難な時であるからこそ、事件の展開の背後にある犯罪心理を理解し、目を開き、認識する人々がますます増えているのです。「陰謀論者」と呼ぶ人々を退けるまでもなく、すべてがつながっていることは明らかです。陰謀はすでにそこにあります。私たちは、その陰謀を考え出しているのではなく、ただそれを非難し、人々がこの自殺的な麻薬中毒から目を覚まして、誰かが世界的なクーデターに終止符を打つよう要求するよう願っているだけなのです。

この社会工学と大衆操作の作戦が疑う余地なく証明しているのは、この犯罪が計画的なものであること、またこの犯罪が現在展開されている紛争についての「霊的な」考え方といかに一致しているかということです。天主の属性である真理は、誤謬によって取り消されることはあり得ず、命は死によって打ち負かされることはあり得ません。思い起こしてください。ご自身のことを「私は道であり、真理であり、命である」と言われた主が、すでにサタンを打ち負かしておられることを。また、残りの戦いはただ、正しい選択をする機会、キリストの御旗の下に、善の側に立つ行動をするように選択する機会を私たちに与えるだけある、と思い起こしてください。

皆さんの行っておられるこの偉大な仕事がやがて期待通りの実を結ぶことを私は信じております。もしもこのまま私たちがキリストに立ち返らないならば、もしもこのまま悪や嘘や自己崇拝と共存できると思い続けるならば、この世がどれほど悲惨になってしまうかを私たちは見ることになるでしょう。しかし、そのような試練の時は、皆さんの仕事の実りで終止符を打つだろうと信じます。

結局のところ、天主の国とは、天主への愛において生き、自制し、この世を軽蔑する人々のモデルであり、悪魔の国とは、自己愛に生き、この世に迎合し、天主を侮る人々のモデルなのです。

皆さんのご清聴に感謝するとともに、皆さん全員に祝福をお送りします。

+大司教カルロ・マリア・ヴィガノ

英語版
https://www.marcotosatti.com/2022/11/22/vigano-to-medical-doctors-for-covid-ethics-international-pandemic-is-only-the-first-step/

イタリア語版
https://www.stilumcuriae.com/vigano-ai-medici-di-covid-ethics-international-la-pandemia-e-solo-il-primo-passo


--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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