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ローマと聖ピオ十世会の関係について(前半) 2016年5月22日 聖ピオ十世会レネー神父様による講話

2016年06月11日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

5月22日(主)三位一体の大祝日の御ミサの後の霊的講話の時間に、
レネー神父様がなされた講話「ローマと聖ピオ十世会の関係について」をご紹介いたします。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

レネー神父様御講話
同時通訳:東京の信徒会長


先程話ました、最近フェレー司教様がアメリカの新聞とインタビューされた件について、ちょっとお話させて頂きたいと思います。

【信仰も典礼も道徳も1つのもの、これを分けることはできない】


「聖ピオ十世会が一体どういう事をやっているのか」という事で、日本語で何といいましょうか、忠実ですか。信仰に関しても、それから道徳に関しても、典礼に関しても、教会に関しても、聖ピオ十世会は「いつも忠実である」というのが原則です。この全ては当然教会の中にあるものですけれども、分かれているものではありません。全部、信仰も、道徳も、典礼も、教会も、全部1つのもので教会の中にあります。ですから、この3つのどれかが欠けても、「教会の中にいる」という事は言えません。当然1つのものです。例えば「教会の外なのに信仰を持っている」というのは、それは矛盾していますから、そういう事は起こり得ません。

ですからこの「忠実」という事、単純なようなのですけれども、世の中にはこの私たちが「忠実であろう」とする事を、「忠実でないようにしてくる力」があります。それでこの私たちが「忠実でありたい」と思っているのですけれども、それをさせないようにする力は、教会の外からも内からも来る事です。例えば「外から」来るというのは、例えば共産主義国に住んでいたらそうかもしれません。ムスリムの国に住んでいたらそうかもしれません。しかし、教会の「中から」もそういう力がかかってきます。これが聖ピオ十世会始まった時からの立場で、ずっとそうでしたし、今日もそうですし、これからも変わる事はありません。


【近代主義との闘い:ルフェーブル大司教の生涯を見る】

歴史をまず見てみたいと思います。ルフェーブル大司教が生まれたのが1905年です。1929年に司祭に叙階されました。それで1932年からミッションに行かれます。1945年に上長になられて、1947年に司教になられます叙階されます。1948年にローマ教皇の使節となりました。1959年にアフリカのダカールという所の大司教になられます。1962年にはフランスのチュールという所の大司教に任命されて、その後「聖霊修道会」という所の総長になられます。1968年にその聖霊修道会という所を辞められました。1968年に辞められた後に、1969年になって、神学生がルフェーブル大司教の所に来て、「あの、すいません。あの、司祭になりたいのですけれども」という事を言って、1970年に聖ピオ十世会が修道会として出来ました。

1905年に生まれて、大変良い家族で8人兄弟の1人なのですけれども、複数司祭が出て、それから修道女も何人も出た兄弟でした。そして23歳の非常に若い時に叙階されまして、1929年ですね。そして1932年にガボンのミッションに行かれて、それから1945年からは哲学の教授をされていました。1947年に司教に叙階されたという事です。

私は、このさっきの聖霊修道会の神父様が書かれた本を読んでいるのですけれども、それが面白い事に、ルフェーブル大司教に非常に反対した方で、1963年に、ルフェーブル大司教のやってらっしゃる事に反対で、その聖霊修道会を辞めてしまった、という方の書かれた本なのです。いわばルフェーブル大司教の敵のような方なのですけれども、この人の書いた本なので非常に面白い。

何が面白いかと言いますと、例えばルフェーブル大司教が自分で仰っていたのですけれども、「子供の頃から非常に、生まれたフランスの北の方の町ですけれども、リベラル(自由主義)なアイデアがあって、学校に行ってもそれが普通の事で、特に、教会と国家の関係だとか、そういう事に関してはリベラルな考え方が周りで普通で、それを吸収していた。」「ところがローマに行く時に、この非常に良い神父様と会った」と。


【ローマのフランス神学校とル・フロック神父様:近代主義との戦いはすでに始まっていた】

これでローマの神学校の先生だったのですけども、ル・フロック神父様という方がいらっしゃって、その方は神学生に教えてらっしゃったのは、「“現代の問題”というのを、現代の考え方じゃなくて、歴代の教皇様たちが、聖ピオ10世とかピオ9世とかグレゴリオ16世とかレオ13世とか、歴代の教皇様たちがどう見てきたか、という見方で考える事を教えてくれた」と。その中でさっきの例えば、「教会と国家の関係」に関しては、教皇様の書かれたものを見てみると、どういう事を言っている事かというと、「国家というのが、まずその教会というものを認めなくてはいけない」と。国家と教会がただ分離するのではなくて、一緒に、それは霊魂と体が一緒になって人間になるように、一緒に活動しなければいけない」というような事を教わって、で、ルフェーブル大司教は、「自分の間違いにここで気づいた」という風に仰っています。

1907年に聖ピオ10世が、近代主義者を批判する文書を出されました。これで1907年に聖ピオ10世教皇が近代主義者を批判する書類を出されたのですけれども、(教会の中の)近代主義者の方は、これで聖ピオ10世と違う事を考えていたので、いわば「仕返しをしよう」と思って、1926年に、「アクション・フランセーズを批判する」という文書を出しました。

「アクション・フランセーズ」というのは、これはフランスの問題で、日本の方には関係ないかもしれないですけれども、ちょうど歴史の話なのでお教えしますと、このフランスの運動に関しては良い所と悪い所が混ざっています。良い所というのは例えば先ほどの話で、「教会と国家が一緒に働かなくてはいけない、共同してやらなきゃいけない」というのを支持していたのは良い事です。それに関して例えば「フランスの王家」というのを支持していました。これは良い事です。ところがこのアクション・フランセーズというのは、始めた人というのは「モーラス」という方で、元カトリックなのですが辞めてしまって、無神論者になったという方なので、その影響で悪い事も混ざっていました。

この先程の神学校では当然、聖ピオ10世、他の教皇様の教えに従って、「教会と国家は一緒に働かなくてはいけない」という事を信じていましたので、その内容が書いてあるこのアクション・フランセーズという所の新聞を読んでいる購読者でした。ところが先程言いましたように、このアクション・フランセーズは良くない事もありましたので、近代主義者がやって来て、「これは何という新聞を読んでいるのだこの人たちは!」という風に批判しようとしました。この批判というのはあまりにも酷いものでしたので、ピオ12世が教皇になられて1ヶ月以内に、これ(新聞の購読)を止めるようになさいました。

それでこの時に、近代主義者がやはりこのル・フロック神父という人を神学校からどけようとして、まずバチカンの方から訪問をしてもらって、「この人が良くない人だ」という事を示そうとしました。ところがこのル・フロック神父様という方は、先程言いましたように、このアクション・フランセーズの新聞を「これは良い事を書いてある。」と読んでいたのですが、バチカンの方から「それは読んじゃいけない。」と言われた時に、「もうじゃあ読むのをやめましょう。」という事で、非常に従順に従っておられました。最初に枢機卿の、シュースター枢機卿という人が来たのですけれども、「これは非常に良い方で、このル・フロック神父というのは良い事をやっている。」という良い報告書を出されました。しかし近代主義者は負けずに、もう一度訪問をして結局、ル・フロック神父様をその神学校からどけてしまう、という事をしてしまいます。

ルフェーブル大司教様はこれが起こっている時はもうここには居られませんでした。非常にこれで面白い事が起こったのですけれども、先程言いました通り、ル・フロック神父様というのがこうやって攻撃されていた時には、ルフェーブル大司教はここにはいなかったですし、政治には興味なかった方だったのですけれども、1947年にダカールで司教に叙階されたという時に、司教に叙階されて、「昔、神学校で習った先生のル・フロック神父に感謝して、乾杯しましょう。」と言ったのを見て、近代主義者が、「これは近代主義者の敵である。」という事で、司教になった瞬間から近代主義者の方からは、「この男は×である。近代主義者ではない。」と。「きっと保守的すぎるんだ。」という風にしるしを付けられてしまったと。

質問者:近代主義者というのは、教会の中にいる聖職者の事ですか?それともまた別の人ですか?

レネー神父様: 近代主義者とは、教会の中の聖職者の事です。


【近代主義との闘い:ピオ十二世の元で】

この近代主義とルフェーブル大司教の戦いというか対立が、1970年とかに起こったのではなくて、実は1960年、1950年、1940年、1930年、そして1907年に、聖ピオ10世が既に、その近代主義者を批判する書類を出していらっしゃるという事で、例えば1930年代になると、コンガーというドミニコ会の神父様が明らかな近代主義の神父様が、本を出し始めたりします。それから1940年代、1950年代なると、今度は神学校の先生の中に、近代主義の人が明らかに出てきます。1950年代になるとピオ12世教皇が、「近代的な誤りについて」という 「フマニ・ジェネリス『Humani generis』」という回勅を出されまして、例えば「テイヤール・ド・シャルダンという人が書いているものがいかに間違っているか」というのを出したのですが、その後も1950年代、1960年代、先程のコンガーだとかリュバックだという人が出てきて、この人たちが司祭になって、或いは神学校の先生になる、という事で近代主義がだんだん広まってきます。

ところが一方、1947年にルフェーブル大司教はその司教になられて、1947年に司教になられてもう1年後には、この「アフリカの教皇の代表」と。これは「nuncio(ローマ教皇大使)」のようなものなのですけれども、nuncioと違うのは、アフリカのもう半分ぐらい、数十カ国の代表だと。ルフェーブル大司教の下に40,50人の司教様がいるという事で、ここで非常に良い働きをされて、教区もどんどん増やされて、非常にカトリックが広まるのに貢献されたので、その聖霊修道会の中では、その総長に後なられたのですけども、皆さん「この人が良いだろう」という事で、当然の如く総長になられたという事です。それで先程1948年にアフリカの代表として選ばれたのですけれども、その後アフリカで活躍された時も、ルフェーブル大司教というのは、「非常に人々に人気がない事でも、やらなければいけない事は断行する」という方でしたので、「この人は良い」「この人は悪い」という判断をなされていましたので、敵も作られるという方でした。


【近代主義との闘い:ヨハネ二十三世】

それで1958年にピオ12世が亡くなられて、ヨハネ23世になったのですが、この新しい教皇様は非常に特異な方で、それまで、「こういう神学者は近代主義なので良くない」というコンガーとかリュバックという方とも友達で、後で公会議に呼ばれる、というような方でした。これまで教会ではそういう事がなかったのですけれども、以前「この人は良くない」と言っていた神学者を、この教皇様は、「友達なので呼ぶ」という事をなさいました。

その間にも、1962年にルフェーブル大司教は非常にそのアフリカの教区が広まったので、「アフリカの地元の人が司教になるべきだ」という事でフランスに帰って来られました。

ところが、フランスの司教団はルフェーブル大司教の事が好きではなかったので、他にも空いてる所があったのですけれども、フランスで一番小さい司教区というのを探し出して、チュールという一番小さい司教区に任命しました。任命したのですけども、その6ヶ月後にはこの聖霊修道会の総長に選ばれてしまうのですが、この聖霊修道会の中でも例えば、聖霊修道会のパリの神学校の方というのは近代主義者でしたので、非常にこのルフェーブル大司教が総長になるというのに非常に強く反対されていました。

それで先程の、例えば聖霊修道会のフランスの神学校の人たちが、「ルフェーブル大司教が良くない」と言っていた例を例えば挙げるのですけれども、彼らの批判は、「フランスの司教団がやっている事と反している」と。「ルフェーブル大司教は、フランスの司教団の方針と反した事をやっている」と。フランスの司教団は例えば何をやっていたかといいますと、「司祭はもうスータンを着なくていい」という方針を出しました。そういう事をやると、だんだんだんだん酷くなるのは分っているので、「これは、聖霊修道会ではスータンは必ず着なくてはいけません。」これが、先ほど最初に言いました「忠実」という事ですけれども、「それまでのやってきた事、教会に忠実に、スータンは着たままにしましょう。」という事を、ルフェーブル大司教は決められました。

これに対して近代主義者であった神学校の人たちは、「これは良くないのだ。」と。「1人だけ反対するな。」と言っていました。

もう一つの例は例えば「テレビ」です。ルフェーブル大司教がどなたかの所に行ってお話をされようとすると、そこの神父様とか他の方が皆、「夜8時になったらテレビを見に行ってしまう」「夕べの祈りもしない」と。「これは良くない。」と。ルフェーブル大司教が仰ったのは、「これは、それまでと同じ、忠実に、テレビを見ないようにして、ちゃんと生活を保っていきましょう。」と仰いましたが、近代主義者にとっては、「これは新しい傾向に反している」という批判に繋がりました。


【教会のミッション:昔の教えと近代主義の考えの違い】

それで、このルフェーブル大司教と近代主義者の間であと1つ大きく差が出たのは、「ミッション」でした。宣教のミッションというのは、一体何をするものであるかを見てみます。

ルフェーブル大司教は、昔からの事に忠実、教会の教えに忠実であって、これは「精神的なものを教える」例えば「教義を教える」。「精神的なものが第1であって、その他のものは第2、第3である。」と言ったのですけれども、近代主義者の神父様たちの方は、「いや、そうではなくて、もっと社会的なもの。家であるとか、井戸を掘るのであるとか、労働者の権利であるとか、この社会的なものが第1なんだ。これこそがミッションなんだ。」という風に考えていました。

こういう事が起こったのは、1950年代ぐらいになりますと、社会の中では教会が非常に良い社会での活動をしていました。例えば「教育機関」ですとか、「病院」ですとか、これは愛徳に基づいたものでしたけれども、非常に素晴らしい教育機関があって、小学校も中学校も高校も大学もあって、貧しい人たちの為の学校もあって、病院もあって、非常に社会的にも良い事をしていました。そうだったので、近代主義者の人たちにとっては、「これこそが教会がすべき事だ」と思ってしまいました。「これこそが教会がすべき事なのであって、『教会の教え』だとか、『霊的な事』ではないのだ。」という風に考えてしまいました。

でも事実は、「教会の霊的な事があって、祈りがあって、それの愛徳からこういう社会的な実態が出てくる」という事になります。

例えば、第2バチカン公会議の後を見て頂くと分かると思いますけども、私はニュージーランドにいたのですが、例えばニュージーランドの近所の所に4つ小学校が、カトリックの小学校があるのですけれども、神父様はもう誰もいません。中学校が1つあったのですけれども、これも男女一緒にしてしまって、神父様がただ1人いるだけだ、という事で分かる通り、元々霊的な事がなくなってしまうと、それから流れ出る社会的な善もなくなってしまいます。

ルフェーブル大司教は、「この霊的なものが大事だ。」と。「霊的なものがあるからこそ、社会的な成功があって、社会的な善が行えて、そこに正義があったり、平和があったり」という事だったのですけれども、近代主義者はそれを逆転させてしまって、「こっちが主だ」と思ってしまった、という事です。

その後、ルフェーブル大司教が聖霊修道会の総長になられたのですけども、そこでもルフェーブル大司教は「忠実に」こう実行しようとされたのですが、すでに聖霊修道会の中でも、ルフェーブル大司教の考えを持った方が少数派になっていて、多数派の方は、近代主義の考えを持った方が多数派になってしまっていて、下に良い方がいなくて、そのやりたい事が実現できない風になってきてしまいました。


【地に落ちて死ぬ麦:ルフェーブル大司教】

ルフェーブル大司教の生涯を見てみますと、最初良い家庭に生まれて、司祭に叙階されて、で、その後アフリカに行って非常に良い働きをして良かったのですけれども、1962年にフランスに帰って来てから、その後聖霊修道会に行ったのですけれども、何もできなくて、一旦全部失ってしまったという事になりました。聖書の「麦の話」があって、「一度死なないと良い実を得られない」という事がありますが、ルフェーブル大司教も同じで、他の聖人の事もありますけれども、1968年には、天主がルフェーブル大司教の持っているものを全部奪われて、何も無くなってしまう。その為にその後もう一度、高みに達するという事になりました。

1968年になった時には、その自らの自分の聖霊修道会からも拒絶されてしまって、ある意味ではバチカンからも拒絶されてしまって、その「アフリカの為のカテキズムの秘書をやって下さい」と言われて、全然に似合わない職を頼まれて、実質的にはもう「無視されてしまった」という事になりました。

しかしこのルフェーブル大司教の事を知っている方がいらっしゃいまして、その何も全部無くしてしまったルフェーブル大司教の所に来て、若者がやって来きて、「良い神父になりたいのですけれども、是非助けて下さい。」という人が来ました。それでルフェーブル大司教は63歳だったのですけれども、その若者が何人か来た時に、「いや、もう私は年を取り過ぎているので、今更始めるという事はないでしょう。」と言っていたのですが、説得されて、スイスのフリブールという所で神学校の、近くの神学校に行っている神学生にお話をしたり、夕方にお話をする、と。9人の神学生に夕方に話をするという事をされていました。


【エコンの神学校の始まり】

それで、1970年にこのエコンの神学校を始められて、1973年にはローマの近くのアルバノという所に小さな地を構えました。これ両方とも、先程のフリブールもエコンもアルバノも、「その現地の司教の許可を得て始められた」のですけれども、この5年間の間に、その神学生が最初9人だったのですが、90人になりました。

これでフランスの司教様たちが心配をし始めました。何故かというと、フランスでは召命がすごく少なくて、神学校を閉めなきゃいけないのに、何故かルフェーブル大司教の所に神学生が9人が90人になって、「ひょっとしたら神学生を取られてしまうのではないか」という風に思いだしました。

1975年、76年にその後の事件が起こるのですけれども、1975年にフリブールの新しい司教様が「聖ピオ十世会を廃止するんだ」と言い出します。ところが教会法によると、『その教区の司教は、新しい修道会を始められるのですけれども、一旦設立した場合は、その司教が辞めさせる事はできません。』『ローマしかできません。』ところがそれに反して、「これは廃止するんだ。」と言ってしまいます。

1976年に「実際に新しい神父様を叙階しよう」という時に、普通の手続きとしては、その元の神学生が属していた元の司教区の司教様から、「この人を叙階してよろしい」という手紙をもらうのですけども、その手紙がないまま叙階するという事になってしまいます。ここでルフェーブル大司教様は非常に「ジレンマに打ち当たる」という事になってしまいます。

何故かといいますと、教会が司教には、「『こういう事をしなさい。』と何千年2000年教えていた事をただ繰り返していて」で、「新しいその近代主義者のやっている事に反対していただけ」なのですけれども、このように正式の、ローマのその現地の司教からは「『やってはいけない』と言われていた」というジレンマに当たってしまいます。

例えば、私の生まれた教区ですけれども、1930年代には神学校が満員でもう足りなくて、「増設しなきゃいけない」というような状況でした。ところが1970年になると、その神学校がもう閉鎖されてしまいます。「誰も神学生がいない」と。

このように神学生がいなくなって、神父も辞める人が出るというのは、1975年、76年までには、もう明らかに世の中には見えていました。その近代主義の実は見えていたのですけれども、近代主義者である現地の司教様たちは、ルフェーブル大司教に対して「この若者を叙階してよろしい」という手紙を与えるのを拒否する、という事で、そのシステムが悪用されて、「どうしようか」という事になりました。


【「どちらを選ぶか」】

今、こういうお話をしているのは、1976年この「聖ピオ十世会が廃止されるんだ」という時、そして1988年に「司教の叙階」をした時、それから「現在、今日」ですけれども、「2016年」ですけども、基本的に同じ事、同じ選択をしなければいけない。

一方では信者さんがいて、「良い神父様を下さい」と言っている信者さん。もう一方では上長の人がいて、「いや、その若者を叙階してはいけない」と。「何故かというと、その若者を叙階すると、彼は伝統的な神父になって、昔からやっている事をやって、今の新しい傾向に反対するからである。」と。「そういうのを叙階してはいけない。」と。

これは、この「そういう人を叙階してはいけない」と言う人は、ちゃんとそれを言える権威を持ったポジションにいる方です。司教様です。あるいは教皇様かもしれません。しかし、その権威のある立場にいるのですけれども、その権威を、「天主様から頂いたその権威の目的に反した」使い方をしています。

この時に「どちらを選ぶか」という事で、ルフェーブル大司教は、「じゃあ、私は信徒の皆様をお手伝いしましょう。」というそちらを選びました。もしそうでなければ、「いや、63歳でもう年寄りなので、私は自分の昔からのミサを立てて、静かにしてて、うるさくしないで下さい。」と言う事もできたのですけれども、誰かが、「助けて下さい」と言われたので、「じゃあお助けしましょう。」その代わり、自分が罰せられたり、誰かの怒りを買ったり、教皇様に怒られたりするかもしれないけれども、「私が助けましょう。」という方を選ばれました。

私の生まれた教区でも同じような事がありました。近くの教会に私が少年の時に行っていたミサがあって、ドミニコ会の神父様だったのですけれども、古いミサを立てていらっしゃったのですが、その為に上長から、「日曜日にミサを立ててはいけない。」「信者を呼んではいけない。」と言われたと。ところがそこの香部屋に行くと、「なぜか仏教の仏像が置いてあって、みんなそれに挨拶をしている」という状況でした。そっちの方は何も言われないのに、このちょっと年老いた神父様、古いミサを立てている神父様の方が、「それはいかん」と言われた、という事です。

そうするとその(ドミニコ会の)神父様も同じように、「いや、どっちを選ぼうか」、少年の私が来て「ミサに与りたいです。」と言う方を選ぶのか、上長が、「いや、それはいかん。」と言うのを選ぶのか。それは、「元々のその権威がどうやって与えられたか」という正しい方を選ぶのだ、と。

1988年にルフェーブル大司教が選ばれたのも、「良い神父を作っていく為には司教が必要で、自分が死んだ後にも司教が必要なので、司教を作らなくてはいけない。」という事で同じジレンマにぶつかられて、同じように「信者を助ける方」を選ばれた、と。

ですから、ローマとのその正式な立場、聖ピオ十世会が正式な立場にして頂けるという事も、ずっと否定してきたわけではなくて、あればもちろんそれに越した事はないですけれども、それが目的の為に聖ピオ十世会をやっているのではないので、「信者の霊魂を救う為」にやっているので、もしどちらかのジレンマに面したら、ルフェーブル大司教の選ばれた方を選ぶ、という事です。


【信仰も典礼も道徳も、全てを守る】

ですから最初に申しましたように、「信仰」も「典礼」も「道徳」も1つに固まっているので、これを分けるという訳にはいきません。ですから例えば、新しいその傾向を持った人たちが何をしているかというと、「信仰」も新しいものにしようとしています。同時に「典礼」も新しいものにしようとしてしまって、で、同時に「道徳」も新しいものにしようとしています。これをバラバラにする訳にはいきません。

ですから、これを守ろうとする時にも、3ついっぺんに守らないと、例えば「教会の中ではないのだけれども、信仰だけ守る」という事とか、そういう事はできません。これが1つなので、1番問題になるのは今回もそうですけれども、いつもそうですけれども、「自分の上の権威の方が、その権威を乱用して、正しくない事を言っている時に、一体じゃあ私はどうしたら良いのか。」


【教会の権威とは】

教会の中には「権威」というものがありますけれども、聖ペトロから始まって聖書に明らかに書かれていますが、「教会の中の権威」というものがありますけれども、権威の中には、「権威を持っている、所有している」という事と、「権威を使う」という事を、はっきり区別して考えなくてはいけません。

まず「権威を持っている」という人に関しては、それを「尊敬、尊重」しなくてはいけません。それは何故かというと、「天主様から権威をもらっている方であるから」です。これははっきりしています。権威を持っている方は、権威を「使う方」と「使わない方」があります。使わないというのは変ですけれども、使わなくてもその人を尊重しなければなりません。

権威を実際に使われる時に、「良い使い方をされている方」と、「良くない使い方、乱用をされる方」があります。「良い使い方」をされた時には、当然従わなくてはいけません、「従順」が必要です。しかしそれを「乱用」された場合、「悪い事に使われた」場合は、私たちはそれを「拒否」しなくてはいけません。

トマス・アクィナスによると、「従順の徳」というのは道徳的な徳でありますので、色々な段階があります。例えば「全然従わない」と。「不従順である」と。これは良くない事です。しかし逆の方の反対にいきますと「従いすぎる」と。これも良くない事です。

例えば、今職場に皆さんがいるとして、職場の上司が「こういう事をやってくれ。」と。「それは詐欺じゃないですか。」「いや、大丈夫、大丈夫。誤魔化しとくから大丈夫。」

これはやってはいけません。これに従うという事は、「従順しすぎる」という罪になります。

聖書にもこの例があります。聖書の中には「従順」というのがたくさんあるので分かりやすいのですけれども、この「従順でありすぎて」という例があります。それは、アブサロムが自分の兄弟を殺そうとする時に、宴会を開いてこの手を伸ばして、自分の奴隷に対して、自分の兄弟「アムノンを殺して来い。」と言って、その奴隷がそれに応じてしまう、という事があります。

これは「いや、いくらそのアブサロム様とはいえ、私はできません。」と言うべきだった所を「応じてしまう」という事は、これは罪になります。


【従順の模範:ルフェーブル大司教】

今、現代の教会の危機の中では、「ルフェーブル大司教は不従順だ」と思われているかもしれませんが、よく見ると、「従順さのモデルであった」という事が分かります。何故かというと、先程の「間違った命令に従いすぎる」という事を明確に拒否されたからです。「何が本当の従順であるか」という事を示されたからです。

このような事をする勇気というのは、当然その人にあるのではなくて主から来ます。私たちの主から来るので、そのお言葉は「天主に従うか、目の前の人に従うか」という言葉ですから、その勇気は「天主から来る」と言わなくてはなりません。自分の目の前の人の言う事を「何であっても全部聞いてしまう」という事は、「天主について、天主の事を忘れてしまっている」という事になります。

あと1つ注意しなくてはいけないのは、その「間違った、乱用した権力者に対して拒否する」というのと、その「権威を持っている方を尊敬しない」というのを混ぜてはいけません。

ルフェーブル大司教はいつも、「これはいけない。」と言って拒否されても、その「権威を持った方に対して、敬意を表する」という事は忘れませんでした。

教会の中にはヒエラルキーがあって、「叙階の秘蹟」と言われています。これは英語では「Holy Order」と言って、「聖なる秩序」と言うのですけれども、秩序があるからです。何故なら、秩序というのは良いものだからです。その秩序というものが良いものだという事を言いましたが、「不秩序を愛する」というのはおかしいです。いつも秩序というのは良いものです。例えば聖ピオ十世会が、この「信者さんを助ける」「どこかの教区に行く」という事があります。その時に「そこの教区の司教様の許可を取らないで行く」という事がよくあります。それは良きサマリア人がやったような事で、「助けて下さい」と言う人の所に助けに行く、という事なのですけれども、これで大事な事は、そのもし許可が出たのであれば、それは別に良いのですけども、大事な事は、「私たちが助けに行く」という事です。


【ローマと聖ピオ十世会】

今のこのローマとの話をします、「ローマとの聖ピオ十世会の正式な立場をどうするか」という事なのですが、もちろんそれは先程申しましたように、「あったらあったで、非常に良い」という事です。ただ「それがないと、私たちがしなくてはいけない事ができない」という事ではありません。ただ1988年に司教様の叙階があった時に、ルフェーブル大司教が仰っていたのは、「もう私が死にそうなのでこういう事をするのだけれども、数年の内にはローマと話がまとまって戻れるのではないか。」という事を仰っていました。

その後、時代が十何年過ぎてしまうのですけれども、2000年の8月になって、聖ピオ十世会が、ちょうど聖年の時でしたので8月にローマで巡礼、ローマの巡礼に行って、ローマの市内を5,000人から6,000人の信者が行列するという事がありました。これは一応ローマの許可を取って行列したのですけれども、その時にローマの人はバチカンの人は驚いて、「この5,000人、6,000人は一体どこから来たのだ」と。その中には「神父もたくさんいるし、何か修道女もたくさんいるし、若い人もたくさんいるし、一体この人たちは誰なんだ。」。覚えているのですけれども、その次の日の朝のローマの新聞の一面にそれが出まして、「5,000人の破門された人たちがバチカンにやって来た」という風に一面に出ました。それを見て驚いたホヨス枢機卿という人が、ちょうどその日にはいらっしゃらなかったのですが、次の日に戻って来て、「これはこんな人がいるんだったら是非会わなくてはいけない。」と。「問題はすぐ解決できるだろう。」と思って、聖ピオ十世会の司教様たちを呼んで会議をされたのですけれども、で、その次に12月になって、フェレー司教様が当時のヨハネ・パウロ2世教皇様に会われたという事があったのですが、話が進み出しました。

2001年の1月になって、聖ピオ十世会の全体の会議があって、この「ローマとのこの話を一体どうしようか」という事で、私もその一員でしたので、そこで皆で議論して、で、その中で2つ条件がありました。1つは「ミサを自由化して下さい」この「自由化」というのは、「昔の伝統的なミサを、誰でも捧げられるようにまずしてもらわないといけない」で、もう1つは、「その『破門した』と言っているのを、これをやめて下さい。」と。この2つを条件として出す事に決定しました。

それでその後、その2つの条件を出したのですけれども、2001年3月に枢機卿様たちの会議があって、「この聖ピオ十世会の言っている2つの事はどうなんだ」と。「ミサの自由化」というのと、「その『破門』をと言うのをやめるというのはどうなんだ」という事だったのですが、この「ミサの自由化をする」という、「古いミサを自由化する」という事に関しては、「およそ80%の人が反対した」と言われています。それを受けてホヨス枢機卿はフェレー司教様の所に戻って来て、「これはできません。」と言われて、ヨハネ・パウロ2世の頃は結局何も進みませんでした。

ところがベネディクト教皇様になった時に、このベネディクト教皇様というのはおそらく、そのさっきの「古いミサを自由化して良いんじゃないか」と言った少数派の20%の中の1人であったのは確実です。と言いますのは、昔その1988年の問題があった時にも、実は聖ピオ十世会との交渉を担当された事がある方でした。それはラッツィンガー枢機卿として担当された事がある方です。このラッツィンガー枢機卿、ベネディクト教皇ですが、彼は非常に古いミサを好まれた方で、1950年代、60年代には近代主義的な考えを持っていらっしゃったのですけれども、1970年にドイツのミュンヘンの司教様になられた時に、その「新しいミサでいかに酷い事になっているか」というのを目にされて、考えをちょっと変えられたようです。ローマに行ってからも、「その古いミサというのは、教会の2000年の宝なのに、これをやめてしまうというのは絶対おかしい。」という風に主張されていました。

例えば1984年に「インダルト」というものがあって、「非常に厳しい条件の下では、古いミサをして良い」という制度が出来たのですが、これに関しても、当時のラッツィンガー枢機卿が非常に貢献された、という事が分かっています。それから1988年に、結局うまくいかなかったのですが、その時の「プロトコル」と言われる合意書を用意されたのもラッツィンガー枢機卿でした。その時に失敗したのを、今度教皇になったら「何とかしよう。」という風に考えられたと思われます。

2007年に「スンモールム・ポンティフィクム『Summorum Pontificum』」という書類を出されまして、で、この文書によって、「古いミサを基本的に自由化された」というか、「元々禁止されていませんでした」という宣言をされて、2009年に、「その1988年の“破門”というのは、それは取り除きます」という宣言をされました。

2009年から12年まで、聖ピオ十世会と「教義についての話をされる」という事をされました。ところがもう引退される寸前になってきて、非常に年を取ってこられて、「とにかくこの問題を解決したい。」と思われたので、「色々条件を付けないで、この聖ピオ十世会というのを認めたらどうか。」という風な考えを持っておられたのです。ところが、バチカンの近代主義者の人たちがこれに反対をして、「いや、条件を付けないとダメだ。」という事で、“聖ピオ十世会が参与できないであろう”合意書を作られまして、それでまたダメになってしまった。

今度は2013年になって、新しい教皇様、フランシスコ教皇様がなられた時に、このこの方は非常に不思議な方で、「教理があんまり好きではない」と。本当は良い事ではないのですけども、「教理よりも実践のほうに興味がある」いう方で、「実際的な事を解決すれば良いのだ」と。「聖ピオ十世会というのは、見たら良い事をしてるじゃないか。この人たちは良い人たちじゃないか。」という事で、言ってみれば、その天主様が悪の中から善を取り出すというのか、本当はその教皇様の良くない性質なのですけれども、そこから何故か、その教皇様から「聖ピオ十世会を正式に認めれば良いのではないか」という言葉が出てきたという事です。

フェレー司教様が最近仰っているのですけれども、「非常に、教区の状態を見ていると、どんどんどんどん教会の中の物事が悪くなっている。」と。例えば、最近バチカンでも議論がありましたけれども、「離婚して、いわゆる再婚をしたような人たちまでにも、御聖体を渡すのかどうか」という議論があったと。それでローマで話を解決しなきゃいけないのは、例えば「司教様の中にも、もう信仰を持っていないような人がいる」と。或いは「異端の司教様がいる。」と。「こういう問題をしなきゃいけないのに、ここの聖ピオ十世会というのは信仰を持っているし、異端でも何でもないじゃないか。」と。「こういう人たちは、」まぁ変な意味で言うと、「そんな大きな問題じゃない。」と。「もっと大きな問題が起こっている」という事に気が付きました、と。「この聖ピオ十世会というのは、ずっと昔から信じていた事を、今も信じているだけなのであって、カトリックというのに何も問題がないのだから、これで良いじゃないか」という、これが非常に大きな最近の変化です。

ベネディクト教皇の場合は、第二バチカン公会議に実際に出て貢献された方でしたから、自分でそれに未練もありましたし、周りの近代主義者の人が、「それはいかん。」と言ったら、それは反対する事はできない方でしたけれども、新しいフランシスコ教皇というのは、さっきの新しい見方で、「この人たちに問題はないんじゃないか。」という見方をされたというのが、非常に新しい点です。

それから最新のフェレー司教様のインタビューにありますけれども、ローマの方からもう既に、「実際的なこういう合意をしましょう」というドラフトが何か草案が来ている、と。

6月の叙階式のあった後に、聖ピオ十世会の方の会議が行われて、「そこでこれを議論する」と。おそらくそこではどういう事が起こるかというと、「ローマの方から保証を取り付ける」という話になるでしょう、と。例えば「今ある、」これは当然ですけれども、「今ある修道院ですとか、ここのような場所ですとか、そういうところを認可してもらう」という事と、他に「おかしな、私たちの既に批判している事はこういう事で、それに関しておかしな圧力を受けない」というような保証を取り付ける、という議論をすると思います。

ただ1つ言っておきたいのは、そういうのは「すぐに普通は決まらないであろう」という事です。思い出して頂きたいのは、すでにローマと話が始まってから16年経っていますし、先ほど歴史でお話ししましたように、その前に40年、50年歴史がありますから、これがすぐ決まると、いう事は多分ないと思います。教会というのはそんなに早く動かないものなので、フェレー司教様も慌てて合意をされる、という事はないでしょうから、時間がかかっても驚いてはいけない、という風に思います。

後はおそらくは、今の聖ピオ十世会の司祭等のメンバーと、それから信者も新しい「属人区」に、そこに入る事になるでしょうし、フランシスコ会とか、ベネディクト会とか、色々聖ピオ十世会に関連しているそういう修道会も入る事になるだろうと思います。
(後半に続く)


(※1)レネー神父著 『偽りの反リベラル主義者の錯覚』The pseudo-anti-liberal illusion
(※2)トマス小野田神父のお薦めの良書

2016年6月の聖伝のミサの報告(その1):聖ピオ十世会 SSPX JAPAN

2016年06月08日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 天主様に感謝! 6月は、私にとって、大阪の新しい聖堂での初ミサをすることができました!美しい聖堂が与えられたことを天主様に感謝します。またこれができるために多くの愛する兄弟姉妹の皆様から受けた協力を感謝します!


 大阪と東京での公教要理には、「一粒の白米が地に落ちて死ぬなら --- 福者中浦ジュリアン」という題で、日本の地に落ちた「一つの白米」である百八十八福殉教者の一人である中浦ジュリアンに焦点を絞って、お話をしました。
何故、「一粒の麦」ではなく「一つの白米」なのか? 
福者中浦ジュリアンは、ヨーロッパに行ってどんなことを思っただろうか?
私が福者中浦ジュリアンだったら、何を思い、何をしただろか?
殉教者の心を理解することを求めました。


 ハーバード大学のリチャード・ライト(Richard Light)教授によると、効果的な学習のために「一分間ペーパー(one-minute paper)」を最後に実施することを提案しています。これは、授業の最後に、一枚の白紙に、名前を書かずに、二つの質問を学生に書いてもらうことです。

最初の質問は、今日の授業であなたが学んだ重大な観念、これだ!と分かった核心的なアイデアは何でしたか?今日の授業であなたが学んだ一番重要なことは何ですか? What was the big idea you learned in class today? What was the most important thing you learned during this session?」です。

第2の質問は、今日の授業でよく分からない点、明確ではなかったところは何ですか?回答を得なかった疑問は何ですか? What is the unclear point in class today? What important question remains unanswered?」

教室を出るときにこの紙を指定の段ボール箱に入れていきます。

学生は、この二つの質問に答えるために、授業を一生懸命に聞きますし、何を理解したか、何が理解できなかったのかを頭を使って考えます。

教授は、この回答を五分以内に全て読むことができ、この授業の「でき」のフィードバックを得ることができます。次の授業は、この回答を基礎にして始めることができます。

そこで、私も公教要理や聖伝のミサに与った方々に、もしもよろしかったら、より効果的な黙想や、信仰の知識が私たちの実際の生活へより良く転移するために、ハーバード大学式にこの小さな「報告」をメールに書いて下さることを提案しています。更にこの報告を、このブログで分かち合うことによって、報告をより有益なものに書こうと努力して下さることが期待できます。

これは、ミサ聖祭に与ることが単なる受け身のことではなく、あるいはカトリック信仰の知識が断片的な情報としてとどまるだけではなく、21世紀に生きる私たちの生活を照らす光とするための一つの手段です。ライト(Light)教授の提案が、私たちの信仰生活を照らす助けの一つとなると思うからです。

「カトリック信仰について学ぶ」ことと、「カトリック信者となることを学ぶ」と言うことには違いがあるからです。頭の中だけの公教要理の知識だけではなく、公教要理の知識を使って生活することを狙っているからです。

是非、今まで報告を書いたことがなかった方々も、次の聖伝のミサに与って、「ああ、そうか! これか!! と分かったこと、これだ!と思った核心的な内容は何だったか、そうだったのか!と感じた一番重要なこと、などを教えて下されば幸いです。それを書こうと努力すること、それだけでミサ聖祭に能動的に集中するようになります。

また、よく分からない点、明確ではなかったところ、回答を得なかった疑問は何だったのか、またまだ未解決に残っている点について、も書こうとすることによって、自分はいったい何を理解しているのかが分かってきます。

ロヨラの聖イグナチオも、黙想の終わりに似たようなことをさせています。

多くの愛する兄弟姉妹の皆様が、聖伝のミサに与ってますます多くの霊的な実りを得ることを祈っております。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

6月の初金、初土の大阪での御ミサの報告をお送りいたします。

6月3日(初金) 至聖なるイエズスの聖心の祝日 には14名が、
6月4日(初土) 聖母の汚れなき御心の随意ミサ には15名が御ミサに与るお恵みを頂きました。 デオグラチアス!

大阪に新聖堂が出来て初めての小野田神父様の御ミサが、イエズス様の聖心の大祝日のミサである事に、天主様の御摂理を感じます。
小さな聖堂ではありますが、ここから多くの御恵みが発信されることを予期せずにはいられませんでした。

金曜日のお説教をうかがって、イエズス様がどれ程私達を愛したい、また私達に愛してもらいたいと思っていらっしゃるかを強く感じました。
「美門」というエッセイを書いたイスラム教徒の青年の回心の話をしていただきました。全く私自身も足なえで、そのうえライ病にかかっていたのに、イエズス様の御恵みで聖伝の御ミサと、ほんとうのカトリックの信仰を知る事が出来たことがどれ程大きな御恵みであったかと思うと涙が出てきました。
そのあまりにも大きな愛ゆえに聖心は破裂して憐みと御恵みを流れださせる傷を作ったに違いないというお話にはイエズス様の深い大きすぎる愛に感動という言葉では物足らない何か、心に火が付くというか、ほんとうに何かが燃えているかのような感じがしました。
この日の御聖体拝領、ミサの後の御聖体降福式と聖時間までその火が続きました。

初土曜日のお説教ではイエズス様の聖心を知り、お愛しするためには全く同じ御心を持たれるマリア様に依り頼むことを確信させてくださいました。
自分がどれ程今までイエズス様とマリア様の御心を悲しませたかを考えて、今後は全身全霊でその御心をお慰めしなければならないとおもいました。

公教要理の時間の福者中浦ジュリアンについてのお話の中で「一粒の『米』が落ちて百倍もの多くの実を結ぶ」とのお話に、日本のカトリックの将来への大きな希望をもちました。
「一粒の米」として、天主様への愛のために、日本のためにご自分を殺して働いて下さる小野田神父様に天主様の大きな御恵みとお助けと、マリア様の特別の御保護がありますように!!!

昼食後、聖堂で聖歌練習がありました。この日は「Christus Vincit」を4声で練習しました。 感動して涙する方もいらっしゃったくらい うまくいったので次の御ミサの入堂の聖歌で歌う事になりました。
ちゃんとそれまで各パートを覚えていられるかどうかちょっと不安ではありますが・・・・。 

【お返事】
よい黙想ができて大変うれしく思います。

昼食後、聖堂で聖歌練習をして下さってうれしく思います。
是非、私も「Christus Vincit」を聞いてみたいと思います。
この頃、年を取ったせいか涙腺が弱くなっているので、私の時には退場の聖歌として歌って下さいね。ミサができなくなってしまうと困りますから。(^^;)

日本の開国後の最初の教会が、横浜の山手の「イエズスの聖心教会」でした。
日本で、聖ピオ十世会の名義による最初の聖堂で、私が6月の初金にイエズスの聖心の大祝日のミサを捧げることができたという御摂理を深い意味があることだと私も思いました。この日に聖伝のミサと、御聖体降福式による聖時間とを捧げることができて、ただただ天主の憐れみに感謝するばかりでした。

福者中浦ジュリアンを含む百八十八の福殉教者たちは、百倍もの多くの実を結ぶべく日本の地に落ちた「一粒の白米」、「一白米」だとこの列福の話を聞いたときにピーンと思いました。
これは東京では、スライドショーとホワイトボードがあってうまく説明できたのですが、何故なら、百八十八の福殉教者は、






なので、





だからです。(^_^)v


【ご報告】大阪の御復活の御ミサでの感想
+Ave Maria! Immculata!

私たちの大切な小野田神父様、大阪のミッションをありがとうございました。
終わることのないミッションで、どんなにかお疲れでしょうか。
神父様は、どんどんお痩せになっておられるように思います。

御聖体を安置くださり、その隣りの部屋でお目覚めになった朝に、どんなにか神父様がお喜びになられたかをお聞きして、天主様に、大阪の御聖堂をお与えくださったことを、改めて感謝いたしました。

小野田神父様が大阪の新御御堂で、初めてお捧げくださった御ミサが、至聖なるイエズス様の聖心の大祝日であったことに、天主様の特別な御摂理を感じ、感謝いたしました。
お説教では、イエズス様がどれほど、私たち人類を愛しておられ、無でしかない私たちからの愛を渇望されていらっしゃるかを、ひしひしと感じ、心に染み入りました。私は初金曜日の信心を初めて、来月で9回目となります。初金、初土の御ミサの恩恵を感謝しきれません。

初土曜日のお説教では、マリア様が天主に帰した栄光は、諸天使、諸聖人、全人類を合わせても、大海と一滴の水よりもかけ離れている。というお言葉が心に残りました。
また、飛行機の中でご覧になったニュースの話(ゴミ処理場であさっている子供たち、ゴミを奪いあって争っている姿に、韓国の大統領や女優さんが涙していた。)から、神父様は、その悲惨な状況は「罪の中にいる人類」であると連想されました。滅びの場所にいて、自分に害としかならない、滅ぶものに執着し、争っている状況だと。そしてその続きには永遠の滅びがあると。

お説教の後も、その話が心から離れませんでした。普通の人である韓国の女優さんでさえ涙するのなら、私たちでさえ、お風呂にいれてあげたい、清潔な服を着せて、栄養のある食べ物、飲みものをたくさん与えたい。そこから救ってあげたい。どうにかしてあげたい。と思うのならば、憐れみの御母は、どのように思われるか?何をなさろうとされるだろか?と黙想しました。そしてマリア様は憐れみの業を行い続けてくださっていることを痛感いたしました。

インマクラータを通してお与えくださる天主の恩恵、永遠の幸福を拒んだり、少しだけで良いです、と限定することの愚かさを、今ではとても良くわかります。願わくは、私の心が、清潔で、余計なものが入っていない、天主の恩恵をたっぷり受け止めることができる「器」となりますように。

初土曜日は、小野田神父様のご希望のとおり、神父様が出発された後、お昼ご飯のあとに聖堂に戻って、信徒で初土曜日の15分間の黙想をお捧げし、聖歌練習をいたしました。”Christus Vincit”を4声で歌う練習をいたしました。練習の最後には、心をこめて「祈り」として”Christus Vincit”を歌い、天主イエズス様の君臨を讃え、また地上で全ての人に讃えられますように、と願いました。

神父様、くれぐれもご無理なさいませんように。

至聖なるイエズス様の聖心よ、我らをあわれみたまえ。
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈りたまえ。
いとも尊き聖ヨゼフ、我らのために祈りたまえ。

【お返事】
大阪では、お説教の時に韓国で見た高速バスでちらりと見た映像の話を、黙想に提案しました。

本当にその通りですね。韓国の方々が「国民の妹」と呼ぶ人気女優さんでさえ涙するのなら、私たちの憐れみの御母は、どれほど私たちのことを思って涙されていることでしょうか!私たちを悲惨な状態から救いたいと願っていることでしょうか!


【報告】
​アヴェ・マリア・インマクラータ!

6月3日の至聖なるイエズスの聖心の大祝日の御ミサ、そして御聖体降伏式、そして初土の御ミサなど色々ありがとうございました!!

日本で最初の聖ピオ十世会の常設の御聖堂ができて、主任司祭である小野田神父様が立てられる最初の御ミサが、この至聖なるイエズスの聖心の大祝日の御ミサになったということで、本当にマリア様のお取りはからいに感激致しました!!

その後の御聖体降福式でも、与った方々と一緒にイエズス様の聖心への奉献のお祈りができてとても嬉しかったです。

そして初土の御ミサのために御聖体がそのまま御聖櫃に安置されて、小野田神父様が司祭室にお泊まりになられて、その夜、御聖体と神父様が今大阪の御聖堂にいらっしゃる、という事を思うと幸せな気持ちになりました(*^^*)

日本に神父様の常駐の御恵みが与えられますように、M・Iの祈りの十字軍の意向の1つにさせて頂こうと思います!p(^^)q

初土の御ミサが終わって、皆さん昼食が終わった後に、小野田神父様が仰ってくださいましたので、数人で聖歌の練習をしました!♪長崎秋田巡礼でよく歌った「Christus Vincit」をポリフォニーで歌えるように練習しました!マリアさんがオルガンを弾いて下さり、会長様がBassを歌って下さり、とても良い感じになりましたので、来週の主日のレネー神父様の御ミサの入堂で歌う予定だそうです!(*^▽^*)とても楽しい一時でした♪
このように、御ミサの後に信者の方皆で聖歌の練習ができるというのも、常設の御聖堂ができたからこその御恵みで、そのように仰って下さった小野田神父様に感謝致します!

デオ・グラチアス!

【お返事】
新しい常設の御聖堂が新大阪の新御堂にできたことを、天主様に感謝します!
願わくは、天にあるごとく、極東にも御国の来たらんことを!
Christus Vincit! Christus Regnat! Christus Imperat!

【報告】
Dear Fr Onoda:

今日の東京でのミサの参列者数は下記の通りです。

ミサの参列者数
男: 15人(内、子供0人)
女: 26人(内、子供1人)
計: 41人(内、子供1人)

【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!

トマス小野田神父様

ミサ聖祭後の小野田神父様による福者中浦ジュリアンの講話に関する報告
以下のとおり報告させていただきます。

1.これだ!と分かった点
「天正遣欧使節」なる歴史上の存在意義が、学生時代には、ピンとこなかったのですが、実にカトリック教皇様に最初にお会いできた日本人たちであり、教皇様に直接お会いすることの困難さを知る今からすると、その歴史的な意義は、単に東洋文化と西洋文化の出会いというにとどまらず、摂理的に大きな意味を有す るものであったということが理解できました。
ある意味で、摂理という点では、聖フランシスコ・ザビエルの来日と同じような意味を有する重要なイベントであったというようにも言えると思います。

2.今回そうだったのかと分かった一番重要な点
「天正遣欧使節」が4名おられたということは知っておりましたが、その行く末が(当然ながら)それぞれ違っており、殉教された方が福者中浦ジュリアンのみであり、中には、千々石ミゲルのように棄教するものもいたということは驚きました。

3.今回でもよくわからない点
殉教された福者中浦ジュリアンと棄教した千々石ミゲルの 行く末を分からしめたもの(こと)は一体、何だったのかという点がよくわかりません。
ともに天主様に選ばれて、同じ道を歩んでいたはずですが、天国と地獄(あるいは煉獄)とその歩みには大きな隔たりが生まれました。
その点、もう少し、知りたいと思いました。

以上、甚だ簡単ではありますが、ご報告とさせていただきます。

デオ・グラシアス!

【お返事】
ご報告をありがとうございます。
天正遣欧使節の副使節であった福者中浦ジュリアンと天正遣欧使節の正使節の千々石ミゲル、この二人はほぼ同じ出身であり、同じ選びを受けたにもかかわらず、その終わりは違っていました。
イエズス・キリストから選ばれた十二使徒たちも、同じ選びを受けたのですが、その末は違っています。
堅忍のためには、人間的な才能や能力ではなく、主の特別の憐れみが必要だと言うことを思い知らされます。
聖母マリアさまに、この御恵みをひたすらに乞い求めましょう。


【報告】
アヴェ・マリア・インマクラータ!
トマス小野田神父様

御ミサのレポートをお送りいたします。

今回の御ミサを通して、お説教を拝聴して理解したことは
天主様がイエズス様が、どれほど私たちを愛し、霊魂を救い天国へ導きたいとお考えか、ということです。
この私たちの霊魂に対する深い愛、イエズス様の御心の愛熱、今現在この瞬間も
私たちへのその愛のために深く燃え続け、燃え尽きることなくるイエズス様の御心の愛への理解を深めることができました。
地獄の炎が霊魂達の罪を燃料に燃え続けて、硫黄の匂いと罵声と悲鳴を生み続けるのとは全く対象的に
イエズス様の聖心は私たちを助けたい、天主御父の御旨を果たしたい、という純粋な愛のために燃え続け
香しい聖徳の香りと多くの清い霊魂達の喜びと讃美の歌声を生んでいるのだ、と思いました。
全く対象的で私たちが死後行くべき道は、どちらか2つに1つであることを思うと
どちらを選ばねばならいか、またどちらを選ぶことが人間自然の判断か、といことは一目瞭然だと思いました。
また、そのお考え・ご計画に忠実であるということが私たちの義務であるということ
そのお考えを実行なさるために天主様はどれほど多くの助けを私たちにくださったのか、ということ
そして、その助けをいただくために私たちは自らを無であると認め、謙遜にならねばならないこと理解致しました。

優しい羊飼いが、1匹の羊を探すために夜の暗い森の中に入っていって、暗いので足を怪我したり
手を傷付けてしまって血を流しながら、獰猛な動物もいる中を大きな声で羊を呼んで夜通し歩き
声も枯れ果て、夜も明けてくる頃にやっと羊を見つけると、羊は木の枝に体が挟まって動けなくなっていて
白い毛はひどく汚れて怪我もしています。羊飼いは羊よりもっと大きな怪我をして、夜通し歩いているので疲れ果てているのに
羊を連れ帰るために手を更に傷つけて枝を折って、毛に枝や泥を付けて重く汚くなった羊を抱き抱えて、
でも羊が助かったのだから良かった!と言って森を出て行く姿を想像しました。
そんな姿を想像したら涙が出てきました。
しかし、これよりもっともっと大きな十字架の苦しみとその他にも数え切れない多くの無数の鞭打ちや嘲りや断食や、もっと多くの多くの犠牲を払ってイエズス様が私たちを愛し、探し求めて、罪から解放し、天国へ連れて行こうと思っていらっしゃるのだ・・・それがこの世に起こっている現実なのだ、と思うと涙が出てきました。

そして、いつもイエズス様が迎えにきて下さっているにも関わらず
それに対し、冷淡を持って応じる自分自身を深く反省致しました。
イエズス様の呼びかけと、送ってくださる様々な助けを借りることで、大きな慰めを受けることができるにも関わらず、
この世に死に切っておらず、この世の慰めを受けたがる惨めな罪人の私ですが
イエズス様!マリア様!憐れな罪人の私はここにおります、憐れんでください、
このイエズス様の聖心からあふれる憐れみと、その御血と、マリア様の汚れなき御心によって、マリア様のご謙遜に倣って罪から清めて、また聖寵を蒙らせてください!!とお願いすることができますように。

疑問に思った点は、①なぜ御心に対する信心はイエズス様とマリア様だけに限定されているか、②その私達のために美しい優しい愛熱に燃える御心とは何なのだろうか、ということです。
天主や天主なる聖霊や、他の聖人の方々も愛に燃える御心をお持ちだと思います。
天主と聖霊は完全なる霊でいらっしゃるので、御心をもたないのでしょうか...?
しかし、持たないという事はないので
霊=御心となるのでしょうか...?
とすると、イエズス様とマリア様お二人の御心に対する信心が特に私達に示され勧められているのは、イエズス様とマリア様が特別に際立って私達の救霊のために御心=霊魂を砕いて尽くしてくださったからなのでしょうか?

レポートではないのですが、
聖福音の例の中で、よい羊飼いがイエズス様ならば
ドラクマ銀貨を探す女性はマリア様のことではないかと思いました。
マリア様に依り頼めば、声も出せない小さな命を持たない銀貨でも
高い確率で見つけてくださるのではないかと思いました。

19日の御ミサにも与ることができる予定です。!!!
多くのお恵みを与えてくださる天主様に感謝致します。
マリア様をますます深く愛することができますように!

【お返事】
レポートをありがとうございます。
御ミサに与りながら、福音を黙想して私たちの実際の状況に当てはめて考え、それを生活に生かそうとしていることを見て、とてもうれしく思います。

疑問に思った点を教えて下さって感謝します。
以前も、別の方からですが、いったい何故聖ヨゼフはマリア様のようにイエズス・キリストの受難を共にしなかったのか?という質問を受けました。無原罪の聖母と聖ヨゼフ、イエズス・キリストが、いわば地上の三位一体として共に苦しむこともあり得たのに、何故そうならなかったのか? そうしたら聖ヨゼフの功徳はますます高まったのではないか?という疑問を教えていただきました。そのように黙想しておられることを知り大変うれしく思います。

次は、私の理解で、それについて教父たちはすでにこう言っていますよということをご指摘はできずに、ただ私の思うのはこうだと言うだけですが、黙想の助けになれば幸いです。

ご指摘の通り、天主御父と聖霊とは、完全なる霊でいらっしゃるので、肉の御心をもちません。ですから御父と聖霊の「聖心」の信心は、特別にありません。だからといって、御父と聖霊とは愛を持たないと言うことではありません。
天主三位一体が私たちに対して持つ愛の結果としてそのシンボルが、イエズス・キリストの聖心であるということです。天主三位一体が、被造物に働きかけるとき、その働きには三位一体の全てのペルソナが関わっているからです。

たとえば、天主が被造物を創造し給うのは三位一体の聖父と聖子と聖霊との全ての御業です。聖ピオ十世の公教要理にも、

【問】世界は「御父」だけの創造になるものですか。
【答】世界は三位一体の三つのペルソナによって造られました。三位一体の一つのペルソナが被造物に対してお働きかけになるときは、他の二つのペルソナもひとしく同じ働きをなさるのです。
【問】しかし、なぜ天地の創造が特に「御父」に帰せられるのですか。
【答】天主の三つのペルソナはいずれも全能、全知、全善ですが、全能は御父の、全知は御子の、そして全善は聖霊の特性とされていますから、天主の全能の顕われである創造は特に「御父」に帰せられています。

とあります。また、御托身も三位一体の聖父と聖子と聖霊との全ての御業です。聖ピオ十世の公教要理にも、

【問】御父と御子もイエズス・キリストの御体の形成と御霊魂の創造に参与されましたか。
【答】イエズス・キリストの御体の形成と御霊魂の創造には、天主の三つのペルソナが一緒に参与されました。
【問】なぜ「聖霊によりて宿り」とだけ言いますか。
【答】天主の御子の御託身は、善性と愛の働きの結果ですが、これは聖霊に帰せられますから、「聖霊によりて」とだけ言うのです。

とあります。

そこで、イエズス・キリストの至聖なる聖心、つまりイエズス様の御心臓の形成には、三位一体の全てのペルソナが参与されました。つまり、天主の愛の結晶が、イエズスの聖心というです。

イエズス・キリストが成した救いの玄義は、三位一体の全てのペルソナが関わっています。御托身も、御降誕も、御受難も、御復活も、御昇天も、聖霊降臨も、実はそうです。そこで、カトリック教会の典礼では、たとえば御降誕を祝いつつ、これは三位一体の全てのペルソナの御業を祝います。ですから、カトリック典礼には、「御父の祝日」というように、ただ一つのペルソナだけの祝日というのはあり得ません。たとえ「聖霊降臨」であっても、聖霊の一つのペルソナだけの祝日ではないのです。

第二に、イエズスの聖心と聖母マリア様の汚れなき御心だけに限定されているのは、マリア様の御心が、他の聖人の方々の燃える御心を遙かに超える「汚れなき御心」、協贖者としての御心だからです。



2016年8月の【聖母黙想会】について

2016年06月02日 | 聖ピオ十世会関連のニュースなど
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今年の8月には、聖ピオ十世会日本として初めて、シュテーリン神父様のご指導の下に「聖母黙想会」を行う予定です。
来年2017年のファチマ100周年準備のために、この黙想会はとても大切です。ファチマの聖母の100周年をふさわしく迎えるためにも、黙想会に参加されることを強く推薦します。
特に、世界中から要望を受けているシュテーリン神父様が黙想会を指導して下さるのは特別の機会です。最初で最後の機会かもしれません。改めて強く聖母黙想会に参加されることをお願いいたします。

黙想会形式: 聖母の黙想会

指導司祭: アジア管区長シュテーリン神父様(日本語通訳 小野田神父)

日時: 8月10日(水) 夕方 現地集合 ~ 8月15日(月) お昼頃まで。全日程の参加をお願いします。

  8月11日(木)【山の日】朝7:00AMのミサから黙想会が始まります。
  8月15日(月)午前9時30分から始まる歌ミサと聖体降福式をもって、黙想会が終了します。

黙想会の場所: ホテルコスモスクエア国際交流センター 大阪市住之江区南港北1-7-50 http://www.kensyu-center.jp/ 

交通: 
  10日、15日は新大阪駅←→ホテルをバスが送迎してくれます(無料サービス)。
  
  8/10(水) 新大阪→ホテルコスモスクエア
  出発時間:15:00 (ホテルまでまでおよそ40分)
  集合場所:JR新大阪駅正面口1階
  (いつも利用している改札は3階なので、2階層降りることになります。)

  8/15(月) ホテルコスモスクエア→新大阪
  出発時間:15:00 (新大阪までおよそ40分)
  集合場所:ホテルコスモスクエア正面玄関

  詳しくはアクセスのサイトをご覧下さい。
  http://www.kensyu-center.jp/access/

宿泊費: シングル ひとり 61,000円
  ◇ツインをご希望の方々は、55,500円です。
   もしツインご希望の方がおられる場合はなるべく早く連絡すれば変更できます。ツインをご希望の方々は、その旨ご連絡ください。
  ◇部屋の数の都合により、必ずしもご希望に添えない場合もあるかもしれません。どうぞご容赦くださいますようお願いします。

御ミサは、会議室を仮の聖堂として使います。また、同じ場所で講話を行います。

持ち物: 祈祷書、ミサ典書、キリストに倣いて、新約聖書、ミサ用ベール(女性)、筆記用具やノート類。個人で使用する衣服など。
   男性の方も女性の方も、慎み深い服装でお願いします。

お申し込み方法:参加ご希望の方は、このブログからメールを送られるか、

聖ピオ十世会

あるいは、聖ピオ十世会日本 秋田巡礼 SSPXJAPAN PILGRIMAGE TO AKITA
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天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

レネー神父様のお母様が亡くなられました。お祈りください。

2016年06月02日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様

レネー神父様のご母堂様が霊魂を天主様にお返しになりました。

霊魂の永遠の安息のためにお祈りください。RIP

トマス小野田圭志神父

長崎巡礼-お説教-2016年5月1日 シュテーリン神父様「聖ヨゼフは義人であった。義人とはどういうことか。」

2016年06月02日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

長崎巡礼で5月1日の勤労者聖ヨゼフの祝日に、シュテーリン神父様がなさった御説教をご紹介いたします。
どうぞお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

2016年5月1日 長崎巡礼 証聖者、童貞聖マリアの浄配、勤労者聖ヨゼフのミサ
シュテーリン神父様御説教

同時通訳:小野田圭志神父


今日、5月、聖母の聖なる月が始まります。マリア様の月が始まります。聖マキシミリアノ・コルベ神父様は、「5月の1日、1日には、マリア様がその日、その日に、特別のお恵みを準備して下さっている。」と仰っていました。

私たちがしなければならない事は、この5月の1日、1日に、マリア様に特別のやり方で近付く、という事です。そして一番、この5月の1日にするべき、一番マリア様に近付く一番良い方法は、巡礼をする事です。マリア様に近付くという事は、たくさんたくさんのお祈りしなければならない、という事ではなくて、マリア様の聖なるお望みを果たす、という事です。マリア様に近付くという事は、私たちがマリア様のより良い子供である、という事であって、マリア様が私の母であるという事を許す、許可するという事です。良い子供はその両親にとても従順です。ですから、私たちの御母マリア様に従順でありたいと思います。

では、マリア様にどうやったら従順である事ができるでしょうか?マリア様は一体、私たちに何を求めていらっしゃるのでしょうか?

マリア様は、私たちの置かれている状況、或いは長上を通して、ご自分の御旨をお知らせ下さいます。この巡礼で皆さんを導く司祭たちは、マリア様がこれらを通して、皆さんを導きたいと思っている道具に過ぎません。霊的な講話の時間になると、マリア様は皆さんに、「あぁ、我が子よ、いらっしゃい。今から私の霊的な講話が始まりますよ。私の言葉を聞いて下さい。」と、皆さんを招待しています。もしも私たちが今日、色々な巡礼の教会、巡礼の所に歩いて行かなければならない時には、それはマリア様が、「さぁ、我が子よ、我が娘よ、いらっしゃい。一緒に歩いて行きましょう。」と招いて下さるのです。ですから足がちょっと痛くても、マリア様の声に聞いて下さい。もしも神父様が、「さぁ、何時から夕食ですよ。」と言ったら、マリア様がこの司祭の声を通して、道具として、「さぁ、我が子よ、娘よ、ご飯を食べなさい。夕食を食べなさい。」と招いているのです。もしもおいしい食べ物がこの目の前に出されたら、マリア様を愛する為にこれを食べて下さい。

良きマリア様の良き子供であり、従順な子供である、という事は、複雑な事ではありません。5月の聖母の月の、その最初の日に、マリア様は特別の保護者を私たちに与えようと思っています。それは「聖ヨゼフ」、マリア様の聖なる淨配です。

ヨゼフ様について私たちは、たくさんの事を知っているわけでありません。ただ聖書に書かれているヨゼフ様の事については、「ヨゼフは正しい人であった。義人であった。“Justus”であった。」という事であります。マリア様の次に最も偉大な聖人が、聖ヨゼフです。

でも、聖ヨゼフ様はどのような方かというと、労働者でした。日々小さな仕事を、小さな手での仕事をした方に過ぎません。聖ヨゼフ様を見ると、天主様は、私たちが一体何をしたのか、という事はあまり重要でない、どれほど偉大な技を成し遂げたかとか、どれほど素晴らしい事業を成し遂げたか、という事は関係ない、という事が分かります。それよりももっと大切なのは、私たちが、私たちの仕事をどうやって、どれほどの愛を込めて、どの意向でやったか、が大切です。ですから「義人」、この“Justus”という言葉が重要になるのです、よく理解しなければなりません。

義人、「義」という事は、「各人が受けなければならないものを与える」という事です。聖ヨゼフは、天主様に与えなければならない事を与えました、全て与えました。マリア様に与えなければならない事を与えて、イエズス様に与えなければならない事を与えて、その義を証明しました。

聖ヨゼフにとって、天主の御旨を果たす事が全てでした。「天主様に与えなければならない事を与えた」という事はつまり、聖ヨゼフが、「自分を全て、全く天主様の御旨に服従させた」という事です。

聖ヨゼフ様がマリア様を選んだのでありません。聖ヨゼフ様の淨配としてマリア様が与えられて、両親のその意向に従っただけです。天主の御旨を果たす事によって、ヨゼフ様はこの世で最も幸せな男になりました。マリア様とのご結婚の後に、どれほどの美しい、御謙遜な、素晴らしい生活があった事でしょうか。

ところが天主様の御旨は、甘いものではなくて、突然のように、「さぁ、ヨゼフや。起きて、ベトレヘムに行け。」という命令でした。聖ヨゼフは、「あぁ、このベトレヘム行かなければならないという事は、この醜い異教の皇帝の、ローマの皇帝の話だ。俺とは関係ない、俺はユダヤ人だ。だから家にいる。」と言う事はできませんでした。聖ヨゼフは、「いや、これは正当な上からの命令であって、法律であって、私はこの正当な法律に従う、天主の愛の為に従う。」と言いました。

皆さん、私たちは、ただこの上からの命令が、美味しい物や、楽しいものや、嬉しいものの時だけ従うのだけではなくて、どのようなものでも全て従います。

聖ヨゼフはまた突然、天使から、「さぁ、起きてエジプトに行け。」と命令を受けました。聖ヨゼフは天使に、「ちょっと待って下さい天使さん。準備もできてませんし、今、夜中ですよ。」とは言いませんでした。

「まず食べ物も食料も準備しなければならないし、砂漠を行くにはコートも必要だし、あれも買って、これも買わなければ」とは言いませんでした。

聖ヨゼフは天使の言葉を聞いたらすぐに立って起きて、マリア様とイエズス様を連れて、エジプトにすぐに行きました。こうする事によってのみ、イエズス様を救う事ができました。

天主様が御旨をヨゼフに表した時に、ヨゼフ様は天主の御旨と議論しようとはしませんでした。ヨゼフ様はもちろん、正当な何千ものたくさんの反論をする事ができましたかもしれませんが、しませんでした。聖ヨゼフはもちろん、最も正当な色んな疑問や、反論をする事もできました。
しかし「家もないし、一体エジプトで言葉はどうして話したらいいんだ、職業はどうしたらいいんだ、お金はどうしたらいいんだ、どうやって食べていったらいいんだ、どうやって道は探したらいいんだ、GPSもないし」という事は言いませんでした。

皆さんがこの人生において、「もしかしたらこうかもしれない、こんな恐ろしい事があるかもしれない」「こういう不安がある」という事は全て、天主様の御旨に任せて、「主よ、御身は私が何をする事をお望みですか?」と聞いて下さい。

もしも聖ヨゼフのように、義人“Justus”となって、天主様の御旨に全て自分を服従させたなら、全て従わせたならば、これこそがマリア様の良き子供となります。

「義人」 というのは、天主様とのみならず、私たちの隣人にも、彼らに相応しいものを、彼らが受けなければならないものを与えなければなりません。ですから聖ヨゼフは、自分の身分上の義務をよく理解していました。身分上の義務というのは、もしも父親であれば父親である事、母親であれば母親である事、子供であれば子供である事を果たさなければなりません。これが聖ヨゼフ様の模範です。聖ヨゼフ様は、全くマリア様への奉仕の為に、イエズス様への奉仕の為に、自分を献身的に捧げていました。自分の仕事にも献身的になっていました。

聖ヨゼフが仕事場で働いた、という時には、こう材木にこう手をヤスリでかけて、「あぁ~、天主よ、御身を愛し奉る」という夢を見ていて、天主様の愛の事をこう言っていたのではありません。
聖ヨゼフが仕事をするという事は、素晴らしい出来る限りのこの椅子を、素晴らしい椅子を作ったり、机を作ったり、材木で働いて一生懸命働きました。

「天主様の御旨を果たす」という事は、もしも皆さんが奥さんで、家で料理を作らなければならない時には、天主様への愛の為にこの脱魂してしまって、料理も、料理中に脱魂してしまって、本当はお塩を入れなければならないところを、砂糖をたくさん入れて、味をまったく台無しにしてしまう、という事ではありません。

聖マキシミリアのコルベ神父様は、修道士たちに、「自分の今やっている事をしなさい。“Age quod agis”」と言っていました。

皆さんが今なさっている事は、天主様の御旨ですから、それに今全集中、心を集中させて、これを素晴らしくなさって下さい。

皆さん、皆さんの中にはもしかしたら、お祈りをして、同時に音楽を聴いて、映画も見て、それから手紙も書いて、子供の面倒を見る事を同時にできる方がいるかもしれません。でもその5つを同時にやろうとすると、それは全てうまくやる事ができないはずです。

聖ヨゼフは今日私たちに、私たちの身分上の義務を、務めを、完璧に果たすようにと教えています。“Age quod agis”「やっている事をやりなさい。」これが、“Justus”「義人」という事で、そうする事によって私たちは聖人になります。何故というと、こうする事によって天主様に与えるべき全てを与えて、私たちの隣人に与えるべきものを与える事になるからです。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


長崎巡礼-霊的講話-2016年4月30日 シュテーリン神父様「なぜ殉教者たちは拷問を堪え忍ぶ事ができたのか」

2016年06月01日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

長崎巡礼でシュテーリン神父様がなさった霊的講話【その1】をご紹介いたします。どうぞお読み下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


2016年4月30日 長崎巡礼 シュテーリン神父様霊的講話【その1】
同時通訳:小野田圭志神父様


私たちの主イエズス・キリスト様から多くのお恵みを受けたこの国で、10回目の巡礼をするのはとても嬉しい事です。

巡礼というのは、それに参加する人々1人1人にとって、多くの恵みの源です。皆さんはここに観光の為にいらしたのではなくて、光と力を、人生における光と力を受ける為にいらっしゃいました。ですからここで、皆さん心の準備、霊魂の準備が必要です。皆さんの心がもっとお恵みに開かれて、受ける準備があればあるほど、多くのお恵みを受けます。ですから、この巡礼をどのようにプログラムするか、という事が、巡礼のお恵みをどれほど受けるか、という事のキーポイントになります。このプログラムを見ると色々な、様々なお恵みが、皆様の中に入ろう入ろう、浸透しようとしている事が分かります。

まずお祈りをします。お祈りというのは、霊魂の呼吸です。お祈りは色々な形でなされます、例えばロザリオとか、或いは歌を歌ったり、或いは黙想をしたり、でもそれをする時に、皆さんの心で強い意志を持って、「私はお祈りをしたい、祈るんだ。」という固い意志を持って下さい。もしも小野田神父が「さあ今から50回目の歌を歌いましょう。」とか、「100回目の歌を歌いましょう。」1日の、「1日の 今日は200回目です。」と言ったとしても「またかぁ~。」と思わずに、「はい、歌います!」と考えて下さい。

何でこんな事を言わなければならないのでしょうか?何故かというと、巡礼の時の悪魔の誘惑、悪魔の攻撃の1つは、この指導司祭が、「じゃあ今からこれをします。」というと、「あぁ、またかぁ~。」と文句を言わせるテクニックがあるからです。

また別の巡礼のお恵みの入り方というのは、この霊的講話です。この霊的な講話というのは、私たちがお恵みを受ける為の畑を、この土台を、土壌を耕して準備する、という大きな役割があります。ですからこの講話の時は、「私はこの巡礼の間にたくさんの事を学びたい、学ばなければならない」いう思いを込めて下さい。皆さん巡礼に来て、「あぁ、こんな話知ってる、また聞かなくても大丈夫。」とは思わないで下さい、「私は学校の先生ですし、校長ですし」「私は会社の社長だから知っています。」と言わないで下さい。ですから「霊的講話の間では、お部屋で寝台の上に横になるのが良い。」と思わないで下さい。この人生の間で、今まで理解も、考えもなかった事を、イエズス様が特別に、この特別のお恵みで光を与えて下さる事があります。

もちろん巡礼には色々な所があります。世界中色々な巡礼地がありますが、私たちは今回、具体的に「日本」という、日本の殉教のこの聖地にやって来ました。イエズス様はこういう事によって、今日、現在、この2016年の今、私たちのこの今生きているこの霊魂に、この地を訪れている、この聖地に関わる特別のお恵みを与えようとしています。天主様の愛と真理が私たちの心に響いて、それが私たちを感動を呼び起こしますが、それはこの今ここで生きていた、ここで血を流した聖人たちが、これを私たちに示して下さるからです。

今回のこの巡礼の最初のステップは、日本の殉教者たちが私たちにそれを示してくれます。昨日私たちの訪問した所では、それほどもあまりにも多くの人々の、多くの殉教者の、多くの聖人たちの血が、たくさんたくさん流されたものである、という事に私はもう驚いて、本当にもう信じられない思いがしました。皆さん、その殉教者がどれほど恐ろしい拷問と、どれほど恐ろしい取り扱いを受けていたか、という事を知って、皆さんショックを受けた事だと思います。その同じ事を今日、1日中色々な所を見て、想いを重ねる事でしょう。

私たちは何故このような、これほどの物凄い拷問を、殉教者たちが堪え忍ぶ事ができたか、というその理由を今日聞きました。それは愛です。では今日この巡礼をしながら、この事を考えて下さい。一体何が、殉教者たちにそれほどの強い力を与えて下さったのか、剛毅を与えてくれたのか、これを考えて下さい。

一体何故、この殉教者たちがそれほどの英雄になる事ができたのでしょうか?これは個人的な力強さとか、個人的な性格、性質に依ったのではありません。それはその例は、この福者聖ジュリアン中浦の事で分かります。福者ジュリアンの一番のこの殉教での苦しみは、自分の長上が、敬愛する神父様が管区長が、信仰を否んだ、それを聞いた時です。このイエズス会の管区長は、日本に特別に選ばれて送られて、日本の回心の為に非常によく働いて、頭も良くて、その日本の宣教を組織して、多くの貢献をした人でした。この素晴らしい管区長でさえも、6時間の逆さ吊りでギブアップしました。皆さん、皆さんがもしもそのような逆さ吊りになったら、1人も残らず10分でギブアップするでしょう。例え皆さんが、日本で、世界で一番力強い、忍耐強い人であったとしても、10分でギブアップします。

カトリックの教えによれば、「天主様の恵みによってだけのみ、私たちはそのような苦しみに堪え忍ぶ事ができる」とあります。皆さん、この子供たち、殉教した子供たちがスーパーマンだと思わないで下さい。皆さん言うかもしれません、「あぁ、この子たちは殉教者で、私たちはそのそれよりもはるかに遠くにいる者です。」と。もしも皆さんが針の、小さな針をちょっとこう刺されただけで、「あぁぁー!」と言って、もう耐える事ができないかもしれません。でもよく考えて下さい。私たちが本当に「素晴らしい」と考えるこの殉教者たちは、私たちと同じ人間です。彼らをこのままこうやって堪え忍ばさせたのは、天主様のお恵みでした。

では更にもっと話を進めます。一体どこからこのお恵みが来たのでしょうか?これもカトリックの教えで、全てのお恵みと、全ての光はイエズス様の聖心から来ます。でもイエズス様の至聖なる聖心は、そのお恵みを流す運河があります、流す水道管があります、流す道があります。イエズス様は、十字架の上で勝ち取った全てのお恵み、全ての聖寵を全て、マリア様に与えました。私たちはこの結果として、お恵みの結果として見た、この殉教者たちのこの素晴らしい、この殉教のお恵みの第1の源は、イエズス様の至聖なる聖心です、しかし第2の副次的な源は、マリア様です。

殉教というのは、私たちの人生の最高の最後の、最終の実です。この殉教を果たした方々のそのそれまでの人生というのは、殉教を準備させる恵みの蓄積がありました。殉教者のほとんどの方々は、元々は異教徒でした、信仰を持っていませんでした。多くの人々は罪の中に生きていました。この人たちは、昔は間違った神々を拝んでいました。宣教師たちがやって来た時に、最初のお恵みを頂きました。でもこの宣教師たちは、単なる手段に過ぎません、道具に過ぎません。聖フランシスコ・ザビエル、またイエズス会の神父様たちが日本に来た時に、福音を聞きましたけれども、全てが全て、福音を受け入れて信じたわけではありません。宣教師たちが、宣教師たちは耳に福音を告げ知らせましたが、耳から心まで、誰か別の方が、それを浸透させなければなりません。この耳から心に伝わされるのが、天にまします私たちの御母、マリア様の特別の役割です。

マリア様がこの国に宣教師を送りました。マリア様が、まだ異教の暗闇の中に住んで、間違った神々を拝んでいるような人たちの心を準備しました。マリア様から送られた宣教師が宣教して、マリア様が準備した霊魂がそれを聞いて、その2つが合わさった時に、1つになった時に回心が起こります。

例えばこの26聖人の内の1人は、他の殉教者たちが、殉教の為にこう旅をしているのを見て、そのまだ洗礼を受けて数ヶ月にも経たない者が、その模範を見て、「あっ、僕もこれに一緒になりたい!」と言って殉教しました。なぜ天主様の御摂理が、この人を選んで、この人じゃなかったのか、それは本当に神秘の中にあります。

私たちが本当に素晴らしいと感嘆しなければならないのは、天主様はその時に、この人に、こういうお恵みを与えると、その人はそれに、「はい!」と答えて、それを実行した、という事です。天主様の御摂理は、日本にいる、或いは世界中にいる他の人々ではなくて、今ここで、皆さんにこうやって語りかけている、というのも御摂理です。天主様は今ここで、皆さんに直接にこうやって、宣教師を使って話かけているので、今日、皆さんは、天主様の御旨に答えなければなりません。

殉教者の数名は私たちの非常に近くにやって来ます。私たちと同じように、ちょっと前までは異教徒だった、ちょっと前までは罪人だった、罪ばかり犯していた、という人が殉教者です。お父さん、お母さん、子供たち、老人、男、女、皆が殉教しています。皆さんが今そうなさっていると同じように、この人たちも殉教者たちも、天主様の御摂理のお恵みに触れたのです。宣教師が話すこの裏側で、マリア様が皆さんの心に語りかけています、「我が子よ、我が娘よ。今度はあなたの番ですよ。」

昨日黙想しましたし、今日も黙想しますが、殉教者たちはそのようなマリア様のお恵み、働きかけ、或いは天主様のお恵みを受けて、どうやって答えたかを私たちは見ました。パウロ三木とそのお友達、殉教しなかった一緒に住んでいたようなお友達との違いは何でしょうか?パウロ三木は殉教まで行って、その別の一緒に住んでいた友達は、そのまま信仰を受けずに、そのまま亡くなりました。その違いはどこにあったのでしょうか?

1つしか違いはありません。パウロ三木は、「はい、そうします。」お恵みに、「はい。」と答えたのですけれども、その一緒に住んでいたような別の人々は、「嫌だ。」と答えたのです。

マリア様は、大きな偉大な業を、私たちに於いて、或いは殉教者に於いてする為に、私たちや殉教者を必要としていません。私たちのこれは過失ですけれども、マリア様が私たちに、どれほどたくさんのお恵みを与えようとしているか、という事を私たちは信じていないのです。もしもマリア様がどれほどの事を与える事ができるか、という事を信じる事ができるようになる為には、この殉教者の1人1人の生涯を見て下さい。私たちは今数時間ここに来て、いるばかりです、1日も経っていません。

12歳の子供、この子供トマス小崎。この小さな子供が牢獄でお母さんに書く手紙。マグダレナ、長崎のマグダレナ修道女。この1人で、他の何十人もの神父様たちよりも、もっと長い時間、長い何日も苦しんだ方。そのような1人1人を見ると、一体どうしてこんな事ができたのか。マリア様はこう答えるでしょう、「私にとって問題ではありません、簡単です。」マリア様がこの殉教者を作り上げたのです、お恵みを与えました。マリア様がまずこの殉教者たちの心に、回心の恵みを与えました。それから聖化のお恵みを与えました。

フォルティン神父様が今朝お話しして下さったように、人生の間には色々な難しい困難がありました。私たちと本当に近い存在です。まず彼らが回心してクリスチャンになった時に、日本とは違う、日本の他の宗教とは違うような事を、習慣をし出したので、家族の反対があったかもしれません。近しい友達や友人たちから、「何かおかしい人だ。」と軽蔑されたかもしれません、馬鹿にされたかもしれません。皆さん私たちと同じです。ここにいらっしゃる皆さんは、本当に月から来られたかのように、この地上に生きている他の人たちと違っているようです。「何でこう、この人たちは頭に何かかぶっているし、何でこういう服を着ているんだろう。」「何かカラスのような黒い服を着た人がいるけれども、一体何なのだろうか。」

今から何百年前、キリシタンの時代も、「この人たちは、一体何でこういう風になっているのだろう?」でも、この同じカトリックの信者さんがやった事は何だったのでしょうか?この西坂の丘で亡くなった方を見て下さい。この殉教者たちは確信がありました、「私たちは、この天と地で持てる、最も大切な宝を受けた者だ。」と。

このガイドブックを見て下さい。この殉教者たちが何を考えて、どんな生活を、何を言ったのか見て下さい。彼らは殉教者たちは、この地上の価値が、この地上が何の為にあるのか、よく分かっていました、「この地上というのは、永遠の喜びを受ける為の準備の機会に過ぎないものだ」という事を。この、この地上でたった1つだけしか悪がない、という事を知っていました。これが、「罪を犯す」という事。それ以外は何でもない。もっとよく分かっていたのは、「天主様は彼らの事をどれほど、溢れるばかりに愛していたか」という事をよく分かっていました。

今日私たちが今から行く所は、何千、何万の人たちが、御聖体に対する特別の信心を持っていたという事です。皆さん私たちと全く同じではないでしょうか?何故かというと、今現在、教会の中でさえも、天国の事や、地獄の事や、この地上の価値について話す人はいません。でも皆さんはよく聞いています。この世の人々は、天主様があたかも存在していないかのように住んで生活しています。しかし皆さんは、「天主様は私たちの事をどれほど愛しているか」その溢れるばかりの愛について、何度も聞いた事がありますし、その愛の証拠として、御聖体があるという事も知っています。

この殉教者、何千もの殉教者が受けたと同じお恵みを、皆さんも受けています。これはマリア様のおかげです。

この殉教者たちの別の反応があります。この殉教者たちの何名がカテキスタ、宣教師だったでしょうか?この殉教者たちの心の中に燃えていた、大きな望みというのは、「願わくは、私たちの隣人たちが、友達が、この救いの道を知る事ができるように、救いに辿り着く事ができるように。」その事だけでした。この福者ジュリアン中浦が、ローマのイエズス会の総長の代理に書く、その手紙の内容を見て下さい、読んで下さい。そのジュリアンの命を狙ってそれを逮捕しよう、捕らえようとする多くの人たちが探して、探して探して探して、捜索して、探し回って、ジュリアンはそれに隠れて、隠れて隠れていたのですけれども、そのジュリアンが望んでいた事は、「彼らが救われる事、彼らが幸せになる事」でした。

この殉教者たちは、道すがら、十字架の上にかけられながら、1つした事があります。それは、彼らが真理の道に辿り着くように、イエズス様についての話をした事です。これもマリア様のお恵みです。皆さんがこうやって、「イエズス様の教えを他の人に伝えよう」という宣教師のように、宣教的になるという事は、マリア様がここにいらっしゃる、という事のしるしの1つです。

その数百年のちに、マキシミリアのコルベ神父様がここにやってきます。マリア様から送られてきました。何故かというと、この殉教者たちのこの線の、その線上、延長上にあるからです。

マリア様が私たちの心に入ってくると、その瞬間、マリア様は私たちがご自分の道具になる事をお望みです。レジオ・マリエや無原罪の聖母の騎士が、20世紀の最初にその事をやりました。マリア様の汚れ無き御手の道具として、惨めな罪人たちが、多くの罪人たちがその道具として、マリア様の道具として、多くの人々をイエズス様の方に回心させました。それと全く同じ事を、マリア様はこの日本の地で、殉教者を通してなさいました。

皆さん今日、色々な殉教の地を訪問して、巡礼に行く時に、この特別のポイントをよく考えて黙想して下さい。ここでは100人や1000人ではなくて、何万人もの人々が、殉教のお恵みを得るほどの為に準備をされたからです。皆さん、殉教の準備をするという為には、美しいお説教や、美しいスピーチをするよりも、もっと多くの努力と、もっと多くの年月が必要です。パウロ三木と私たちを比べています。パウロ三木が口を開いて、この見物をしているその群衆に語りかけると、皆はそれを目をカッと開いて、耳を大きく開いて、シーンとして、パウロ三木の言葉を1つ1つ聞いて、その言葉を聞いた後で、「確かにそうだ、うん!」と言って、心は燃え立たせられて、殉教さえもする覚悟ができました。しかし私たちが話をすると、皆沈黙を守って、頷きます。(笑)

私たちはその最高の頂上の所にやって来ました。このトップ頂上は、報いであって完徳です。マリア様の為に、長い年月働く事ができる方もいます。殉教者のほとんどの人々が平信徒でした。皆さんと同じ平信徒でした。中には回心して洗礼を受けて、それから、「私はカトリックだ。」と言った途端に殉教した人もいます。しかしこれらを通してマリア様は、本当に小さな弱々しい罪人を、どれほどの大聖人に変える事ができるか、どれほどの力を持っているか、という事を示しています。

私たちの生活は3つの段階があります。

第1は準備です。これは私たちが回心する時です、天主様の命を生き始める時です。

第2の段階は、私たちが働きはじめる事です。私たちがイエズス様の教えを伝えたり、説教したり、話したり、多くの霊魂をイエズス様の方に引き寄せる事です。皆さんも同じです、今日、この皆さんのこの人生の間に。

第3の段階は苦しみと死です。皆さん誰もかれも行かなければなりません。もしも皆さんの中で、「私だけは死なない。」と言う人がいたら、精神病院に連れて行ってあげます。マリア様はこの人々が普通の死を遂げるのは望まれませんでした。マリア様は、この地上のありとあらゆる悪を、更に大きな善の為に耐え忍ぶ事ができる、という事を教えようとします。マリア様は許可します。何を許可するかというと、天主様の敵が、その憎しみをかき集めるのを許可します。特に悪魔、悪魔的な悪魔の憎しみをたくさん集まるのを許可します。拷問をして、辱めの苦しみで虐殺する。千人、何千人もの人々を虐殺するという事は、霊魂を破壊する為に肉体も破壊する、というそのような物凄い事が起こったのです。

人間的に言えば、もう誰もかれもギブアップしてしまうようなその時に、私の肉体が全てもう、もう破壊し尽くされたその時に、この心から大きな愛が沸き起こってくるのです。

「愛する」というのは、ただきれいな言葉を言うだけではありません。一生懸命働くだけではありません。「友人の為に自分の命を与えるほど大きな愛はない。」これです。これが殉教者によって起こった事です。拷問の中で最も最悪の拷問は、マリア様が受けたもので、それはご自分の子供が十字架に付けられて、亡くなるのを、その十字架の足下で立ち留まってご覧になる事です。

殉教者たちの苦しみと死の瞬間に、何が起こったでしょうか?もう耐える事のできないようなこの苦しみの中に、突然光と力がやってきます。突然眼が現れて、この殉教者たちの目をご覧になります。これはマリア様の母の眼です。マリア様の愛の御心から、皆さんの心に大きな愛の恵みの流れが流れ込むのです。マリア様はこの現存に於いて、マリア様はサタンの頭を踏み砕くのです。殉教者たちは、悪魔の憎しみを、より大きな天主の愛によって打ち勝ったのです。彼らは永遠に生きる為に、この地上の命に於いて亡くなりました。マリア様はその死の瞬間、彼らの霊魂をすぐに天国に運びました。

皆さん、必ず皆さんは一人残らず苦しみます。でも皆さんがこの地上で受ける苦しみは、この殉教者の苦しみの拷問などから比べると、ほんのちょっとしかありません。ですから皆さんがこの地上での戦いに勝利を治める事を望むなら、もしも苦しみに打ち負けてしまう事を望まないなら、殉教者の姿を見て下さい、マリア様を呼びかけて下さい。マリア様は助けて下さいます。この事を皆さんは、もう過去に何度も何度も経験したはずです。マリア様はどれほど皆さんの苦しい時、試練の時に慰めて下さった事でしょうか。殉教者たちは私たちにこう語りかけています、「恐れるな。」

もしもマリア様がこのような小さな可愛い子供を、これほども偉大な英雄に仕立て上げる事ができるなら、皆さんのような本当にもう役立たずの下らないものも、大聖人にさせる事ができます。

もう時間になりましたので、今から巡礼の地に詣でます。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
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