新幹線で掠めることはあっても、なかなか下車することはなかった岐阜。親孝行を兼ねて母と妹と3人で、飛騨高山・白川郷を旅しました。
『木曽路はすべて山の中にある』といわれた中山道。江戸から80里を歩いてきた旅人も、まだまだ京都まで52里。それでも、木曽路を越してこの馬込宿でほっと一息ついたことでしょう。
今は道路も整備されていますが、一部石ころの狭い道が往時の名残をとどめていました。島崎藤村の生誕地もここです。
黒い格子戸の家ごとに昔の宿の名前が書いてあり、中山道の旅人に思いを馳せて散策しました。道路の両側を、勢いよく走り流れる雪解け水は、飲めそうなほどに澄んでいました。「美しい国日本」がここにはありました。
お泊りは下呂温泉。林羅山に日本三名泉の一つにあげられたそうです。源泉そのままのせいかお肌つるつる!でもちょっと湯温が高かった…。
翌日は終日雨。それでも飛騨高山と白川郷は、雨の不快を寄せ付けない興味と魅力がありました。
特に小京都・高山は、城下町らしく四角く区切られた道路と端正な造りの家が続き、気品のある街並みです。今回の旅の印象が深かったところでした。和菓子の林盛堂で買った赤かぶや山ごぼうの納豆が珍しく、お抹茶にも合いそう。
国指定の「高山陣屋」は、徳川幕府の天領で、役所と郡代役の住居と御蔵をあわせた名称です。幕末に60数か所あった郡代・代官所の中で、唯一現存する陣屋だそうです。
陣屋専属のガイドさんの解説を聞きながら各部屋を回り、役人の仕事、御白州、寺院や町年寄りの詰所、郡代の生活の様子など行政、裁判などが具体的にイメージできました。3人の評価も一致しました。
世界遺産の白川郷は岐阜県の一番北にあります。村内には120の合掌家屋があるそうです。合掌造りの家は、景観的にも機能的にも、日本人の心の故郷として遠い日を呼び覚まさせてくれ、心に響くものがありました。妹は冬にも訪れており、雪の白川郷はもっと美しい景観だそうです。
生活しながらその一部を開放している「和田家」を見学。築後400年の風格と威厳に圧倒されました。屋根や柱を支えるために、工芸品のように見事に締められた縄。その技術を継ぐ人も、今ではほんの数名とか…。
合掌造りの家は、今から70年ほど前、ブルーノ・タウト氏により、「論理的、合理的で日本には珍しい庶民の家」だと評価されています。「日本美の再発見」として、京都の桂離宮とともに有名になっています。
厳しい地形、近代的な生活様式のギャップ、屋根の葺き替えなど膨大な維持費。世界遺産はいつまで世界遺産でいられるのでしょうか。このたたずまいを見ながら、いつまで保存できるのかしらと不安になりました。
お泊りは奥飛騨温泉郷。深山幽谷の中の静かな宿で、丁寧な心づくしの料理をいただきました。闇の中の露天風呂は最高!奥飛騨は、川床から湧き出す露天風呂天国。氷壁の舞台にもなりました。
2つのロープウェイを乗り継いで全長3200m、乗車11分。標高2156mの展望台に向かって、穂高の山々を堪能するようにゆっくりと登ります。自分たちの位置と、眼下の木々の緑と、山頂の白い雪に、みな合唱のような嬉しい歓声をあげました。
九州ではおよそお目にかかれない3000m級の雪を冠った山々。360度が展望できます。どっしりと、神々しく、威厳と神秘さを秘めた近寄りがたい存在でした。もう来ることはないかも・・・としっかりと心と目に収めてきました。
「母親と娘たちの旅」に気持ちよく送り出してくれた夫殿二人に感謝しているのに、さらに二人して和食の店で私たちの帰りを待っていてくれました。空港から直行して、おいしい夕食をいただきながら旅の話でひとしきり。お互いに人を思いやることの大切さをしみじみ思いました。起承転結、すべて感謝! 感謝!