テレビ番組中に「スイゼンノマト」と発音した「垂涎の的」が出てきました。以前にもテレビでは「スイゼン」と発音していたので、この『垂涎』の読みが以前から気になっていました。
私はずっと「スイエン」と読んでいたので、夫に聞いてみるとやはり「スイエン」。辞書によると「スイエン」の読み方は、「 『スイゼン』の百姓読みに基づく 」と書いてあります。
初めて目にした百姓読みの文字に意表を突かれて調べてみると、『主として形成による漢字を音符からの誤った類推で別音によむこと』で、ここでは「涎」の「延」の部分を「エン」と読んだためだとわかりました。百姓読みは「誤読による慣用読み」ということです。
その[百姓読み]が意外に身近に使われており、「撹乱」は本来「こうらん」→「かくらん」と読むし、「消耗」は「しょうこう」→「しょうもう」に、「損耗」は「そんこう」→「そんもう」に。しかし「心神耗弱」は、今でも「しんしんこうじゃく」と正しく読むし日本語は複雑です。言葉は時代とともに変化していくのを感じました。それにしても当然のことながら「百姓」は新聞用字用語では差別語、不快用語になっています。
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ブーゲンビリアが三度目の正直でやっと根が付いたようです。ただひたすらに1mにも伸びています。綿の実も楚々とした薄ピンクの花を付け、いつの間にか固い実になっていました。
綿の実の中の種は、表面に綿の繊維が糸状にびっしり取り巻いていてなかなか取り除けません。だからそのまま種を埋めておいたら、ちゃんと殻を破って5個の芽が出て優しい花が咲きました。指の力よりも、種の中の生命力の方が強かったということで、とてもいとおしく感じます。
ピーマンも虫に食べられて抜いてしまおうかと思っていたら、その声が届いたかのように次々に艶やかな実をつけるようになりました。