日経新聞小説『陥穽(かんせい)』は陸奥宗光を主人公にしたもの。辻原登氏の小説は初めからワクワクする流れです。もう46回です。
宗光が明治3年欧州視察に出かけたときに英国の新聞のコラムに「気が利いた愉快な話題」を見つけます。
和風に餡かけです。とんろとろです。
スープやベーコンと煮込みます。コトコト煮すれば何にでも仕上げられます。
帰国後その話を、山形の獄舎の中で同じ国事犯の三浦介雄に問いかけます。『君がある日、あるものを86400個受け取るとする。君はこれを1日のうちに使ってしまわなければならない。8万個以上のものを、どうやって1日で消費するか、という問題だ。さて、どうする?』
三浦は自分の頭ではとても・・と降参します。
『それは"時間"なんだ。1日を秒単位で数えると、86400秒になる。来し方行く末を思い煩うより、今日の86400秒をどう使うかが大事だという主旨のコラムだ。その通りだと思うが、さて実際総ての時間を有効に使えるかというと・・・』
イギリスのエスプリでしょうか、私の心にも残りました。
妻には「長きうちにはいろいろのことあるべきなれど、今この一日を満ち足りて過ごすべき、何事もすべて辛抱と神ながら守りたまえ清みたまえと念じて、我らが共に獄中にあることとを思いなせば、何事なりと辛抱できざることあるべからず。すべての事物にしのびてかんにんすることは世を渡り候儀の第一の心得に候なり」と文を送りました。
今、宗光は明治政府転覆に加担して禁獄5年。家族を江戸に残し、肺を病みながら北国の山形獄に繋がれています。
「すべての時間を有効に」使えなかったその姿は、紀州藩の賢職にあった父·伊達宗広に重なります。
父·宗広は「威権 飛ぶ鳥も 落ちる勢い」と言われたほどで、その才幹は政界ばかりでなく学問の世界においても発揮されます。
しかし国元と江戸表の陰湿な確執の中、藩の政争に巻き込まれて流罪、9年間の幽閉の身になります。宗光が9歳の時で家禄は没収、家族は追放という理不尽で過酷な処断にあいます。
宗光も宗広も、反体制の立場に立たされて同じような過酷な道をたどるのです。その後、宗光は明治の初めに政府で働きますが、その10年後には獄舎に。宗光が本当に活躍するのは、今しばらく時間がかかりそうです。
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春野菜の筆頭が新玉ねぎ。小ぶりの新玉ねぎには即反応してしまいます。コトコト柔らかく煮るのも今のうちです。
和風に餡かけです。とんろとろです。
スープやベーコンと煮込みます。コトコト煮すれば何にでも仕上げられます。