花水木さんのブログで紹介された本で、私は著者の名前もまったく知りませんでした。しかし説明文を数行読んだだけで私のアンテナはピッと受け止め、もう読むことを決めていました。
時は1989年、舞台は東ベルリン。これだけであのベルリンの壁が崩壊する場面が浮かびあがります。
主人公の日本人シュウジは敬愛するバッハが息づく東ドイツでひたすらピアノに向き合いたい、と夢と希望を持って留学したのです。しかしドレスデンでの音楽大学では優秀な友人を前に自分の音の響きを見失ないます。
それに、東ドイツという特異な政治体制の中でシュタージ(秘密警察)、IM(監視員)という見えない恐怖にさらされ、巻き込まれ、シュウジの周りの若者達も命がけで生きて、苦悩し、行動を起こす話です。
『この国の人間関係は二つしかない。密告するか、しないか―――』このギリギリのところで友情、恋愛、裏切りに翻弄されます。
音楽大学という場所柄、作曲家や曲名がふんだんに出てきます。ストーリーの場面に合わせた曲を選び、その音を豊かな感性ですくい上げ、それを繊細な文章に変換する能力の奥の深さに心を動かされます。この、音楽が聞こえてくる様な感じ・・・が陰鬱な東ドイツの暗い空気を和らげています。
ベルリンの壁崩壊に繋がる教会での集会、ピクニック、ショプロン・・・はテレビで報道として見ていましたが、それが市民の生活の中に具体的に詳しく描かれていて、壁崩壊にいたる前哨戦のことがよくわかりました。
ラストシーンのまとめ方も秀逸です。最後の3ページは今までのシュウジの苦悩を解き放つ場面です。
郵送されてきた「ピアノ・オルガンデュオ《革命前夜》ーー我が親愛なる戦友たちへ捧ぐ ラカトシュ・ヴェンツェル」としたためられた楽譜はヴェンツェルの手になるものでした。お互いに理解しあえなかった友からのこの文字に、シュウジはすべてを呑み込み、友の深い思いと本当の心を理解します。
そのときに「たったいま、ベルリンの壁が壊れたわ!」と隣人がドアの外で叫びます。
東ドイツに来てから10か月あまり、嵐のなかで立ち向かい、時には追い風に快く、ある時は身をかがめて嵐をやり過ごし、とそれでもしっかり地に足をつけて歩きました。シュウジは今、すべてから自由になったのです。
(写真の本の横にある色のついた破片は、落書きされたベルリンの壁の本物のかけらです)
この本は半分は音楽、半分は革命。これを上手に紡いで歴史と音楽の小説にしたところが作者の素晴らしい能力だと思います。
ドレスデンもベルリンも統一ドイツになってから訪れたところでもあり、街の地図を広げながら追体験しながら読み進めました。460ページの本ですが中だるみが全くありません。
この半年の中で一番読み応えのある、一番心に残る本でした。情報元の花水木さんに感謝します。
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数年前に観た、やはりシュタージを描いたドイツ映画『善き人のためのソナタ』がとてもいい映画でした。[アカデミー賞外国映画賞受賞]
東ドイツの監視社会の実情が丁寧に描かれています。ここでも盗聴したピアノソナタに心を動かされた監視員が感動の動きをする話です。