書店で「髙田郁」に惹かれて手にしました。タイトルを見て心は動かなかったものの、カバーの裏側の説明を見て直ぐ購入しました。何と「あい」は「関寛斎」の妻の名前だったからです。
幕末から明治維新の時代を蘭学という視点から描いた司馬遼太郎『胡蝶の夢』を読んだときに、3人の主人公の中の1人が関寛斎で、強い印象を残していました。その妻「あい」を主人公にした本が髙田郁『あい 永遠に在り』でした。
各章の「あい」をストーリーに沿って漢字に置き換えています。女性作家のきめの細かさを感じます。
第1章「逢」 :上総の「8000石の蕪かじり」と言われるほどの寒村に生まれた「あい」はまっすぐ前を向いて生き、思慮深い周りの大人たちの温かさに包まれて成長し、いとこで蘭方医「寛斎」と結ばれます。
第2章「藍」:親子3人で銚子に移り住みます。ここで生涯の恩人濱口梧陵に出会います。梧陵は醤油醸造業(現ヤマサ醤油)の当主であり、『稲むらの火』のモデルでもある開明的な文化人です。
寛斎に医療器具や医学書まで届けてくれ、長崎留学をサポートします。その感謝の印に、あいは糸から紡いだ美しい藍色の縞木綿を織り着物に仕立てて届けます。梧陵の存在は、寛斎とあいの生き方に死ぬまで大きく影響します。
第3章「哀」:阿波徳島藩主・蜂須賀斉裕の国詰め侍医に抜擢されて士分になり四国に移り住みます。周りから出自をとやかく言われながらもその生き方と技量で名声を得て、暮らし向きも病院を備えた屋敷を構えるほどになります。
寛斎と一緒になって12人の子の母親になったはずが、次々と半分を失い、その哀しみの中でもあいはキッと前を向いて生きます。
第4章「愛」:戊辰戦争で野戦病院で活躍した寛斎は新政府の信頼を得て厚遇されたにも関わらず徳島に戻り町医者となります。
しかし恩人·梧陵の「人たる者の本分は眼前にあらずして永遠にあり」の言葉を思い起こし、安逸な老後を送るのでなく命あるかぎり本分を精一杯に果たす····そういう生き方を選びます。財産をすべて清算して北海道の開拓に望む決心をした夫をあいは誇らしく愛おしく思い従います。
札幌では息子の又一が農学校で学び農地を取得して実践していましたが、更に奥地の「陸別」の開拓地に移る直前に、過酷な環境の中で体調を壊し、あいは亡くなってしまいます。
夫と連れ添い共に夢に向かって生きてきた、そうすることで自分は生かされたのだと、人としての本分を永遠の中に見つけ、最後まで寛斎に愛を捧げた人生でした。
この本はあいの死で終わりますが、気難しい寛斎はその後壮絶な人生を送ることになります。
「あとがき」によれば、あいが病床で夢見た開拓の地は寛斎の手で拓かれ、あいの遺言どおり、開拓地をを見渡せる陸別の丘に夫婦一緒に眠っているそうです。