妹とはしばしば会う機会がありますが、姉とは2年ぶり。3人でラインでやり取りしているので空白感はありません。しかし実家がなくなると腰を据える場所がなくて落ち着きません。いかに母の存在が大きかったか痛感しています。
もちろん父母の納骨堂にもお参りしました。
結婚前に数年間中学で教鞭をとっていた姉が担任したクラスの同窓会に参加するために帰福したのです。20名足らずのこじんまりした集まりらしく、昭和40年代の初めは「先生と生徒」の関係はとても良好だったのです。集まる生徒さんがもう60代だそう。そんな関係がいまだに続いていると思うと羨ましい限りです。
結婚前に数年間中学で教鞭をとっていた姉が担任したクラスの同窓会に参加するために帰福したのです。20名足らずのこじんまりした集まりらしく、昭和40年代の初めは「先生と生徒」の関係はとても良好だったのです。集まる生徒さんがもう60代だそう。そんな関係がいまだに続いていると思うと羨ましい限りです。
久しぶりの3姉妹は矢部川の清流の見えるいつもの船小屋老舗旅館でランチ。季節の食材を生かした和洋風で、毎回違うメニューが新鮮です。
ここには新幹線が止まりますが、乗り降りは少なく、広大な県立公園はもったいないくらい。視界良好でも、ここ数年の水害続きで対岸の川中島はどっぷり水につかり名物の木製「ガタガタ橋」は再建されていませんでした。
ランチの後、水田天満宮にお参りを。ここは太宰府天満宮と縁が深く菅原道真公を祀り、太宰府天満宮の重要な荘園「水田の荘」の守護神でした。「太宰府に続く九州第2天満宮」とは幕末の清河八郎の言葉です。
水田天満宮の本殿の創建は鎌倉時代にさかのぼり、福岡県指定文化財です。
写真はネットからお借りしました。石の鳥居と楼門、その奥に本殿があります。
それぞれが孫の受験のお守りをもらいました。「太宰府に比べて競争率が低いから、ここのお守りはよく効く」とは亡き母の言葉です。
本殿の裏手に、近年有名になったパワースポットの「恋木神社」があります。
以前韓国からのカップル客が多かったとタクシーのドライバーさんが言っていました。言葉はわからなくても、スマホで提示されたところへ行けばいいので楽だとか。昨今の軋轢で、今は沈みこんでいることでしょう。
母が元気な時は4人であちこち旅行をして、「4人姉妹ですか?」と問われたことも・・・。それぞれに歳を重ね、もうあの楽しかった時代に逆戻りすることはできません。三人が三人の家のカラーを作りました。そのカラーの中には父母のカラーも混じっています。
後のための思い出づくりと思っていた旅行ですが、今はその思い出にキュンと胸が締め付けられます。
次の法事の時は、3組6人が元気に出会えますように。「元気で一人も欠けることなく」が母の希望でしたから。
追記:
折角「いいね」ボタンを押してくださったのに、スマホのブログが極小に表示され手直しした際に無くなってしまいました。お心を無駄にしてごめんなさい(-.-)y