<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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十年ほど前、得意先の営業マンと移動していた自動車の中で大阪万博の話から学生運動の話になった。
当時、得意先の営業マンは高校3年生。
私は小学1年生。
学生が大学を占拠し、機動隊と衝突した話に及ぶと,そのデモに参加したという得意先の営業マンは愉快そうにこう言った。

「あれは祭やったからな。面白かった。」

「人が大勢死んだのに『祭』か」
と私は思ったが口には出さなかった。

いわゆる全共闘世代というのは困った人たちの集団だと私は考え続けてきた。
学生時代は大学自治の名のもとにロクに勉強もせず暴力を行使し、長じてからはバブル経済を引き起こし、世界一優れた製造業を3Kと呼んで蔑んで技術力を落とした。
効率的な社会保障番号制度には文句をつけて年金制度を混乱させ、プライバシーは重要とばかりに政治家の不正も暴けぬ個人情報保護法を作り上げ、外交では共産主義の国家を尊敬し自らの国を「遅れている」とウソをついた。

言いたいことは例え内容が間違っていても主張するけれど、その責任は決してとらないという「無責任世代」というのが全共闘世代に持っていた私の印象だ。

産経新聞社から発行された「総括せよ!さらば革命世代」は全共闘世代の今と昔をレポートしたドキュメンタリー。
彼らの40年を新聞記者が代わって総括した内容だ。

この本を読んで、初めて自分と同じ世代の人たちが自分と同じように全共闘世代に不快感を持っていることを知った。
自分たちのとった行動を直視せず、責任もとらない。
人が大勢亡くなったのにも関わらず「祭」と呼ぶそのお下劣さは、現国会におけるその世代に該当する先生方の無責任で幼稚な発言や行動に繋がっている。

本書で目から鱗だったのは全共闘で暴れた連中はほんの一握りのエリートだったこと。
他の多くの同世代人たちは、かなりクールにあの一連の騒動を見つめていたということだった。
そういえば沢木耕太郎も何かのエッセイでキャンパスでピケを張る連中を冷静な目で見つめていたことを書いていた。
東大安田講堂たてこもり、連合赤軍リンチ死事件、よど号事件、浅間山荘。

ともすれば忘れてしまいそうになる「決しては忘れてはならない」1970年前後混乱を呼び起こしてくれる一冊だ。

~「総括せよ!さらば革命的世代 40年前、キャンパスで何があったか」産経新聞社編集~

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