風に聴く、

第51話 風伯act.5―another,side story「陽はまた昇る」
2週間ぶりのキャンパスは緑が濃くなっている。
足元ゆれる木洩陽も陰翳が濃くて、午過ぎの光がきらきら眩い。
ふわり吹きぬけていく緑の風が心地いい、目を細めながら歩いている隣で美代が嬉しげに微笑んだ。
「ね、7月のフィールドワーク。奥多摩じゃなくって良かったね?」
歩きながら持っているプリントを眺めて、美代は楽しげでいる。
奥多摩が地元の美代にとって、折角の大学のフィールドワークなら別の場所に行ってみたいだろうな?
そんな納得と足早に歩きながら、周太は友達に微笑んだ。
「ん、どうせなら行ったことが無い場所に、行ってみたいよね?」
「でしょ?ね、湯原くんは丹沢って行ったことある?」
「小さい頃、お父さんに連れて行ってもらったらしいよ?でも、あまり覚えていないんだ、」
なにげなく言って笑いかけると、きれいな明るい目がすこし瞠られてしまう。
すぐ理由に気がついて周太は、すこし慌てて付け足した。
「行ったことある場所だったら、俺、思い出せるかもしれないよね?だから楽しみなんだ、」
美代には周太の記憶喪失の事情を、すこしだけ話してある。
だから今も余計な気を遣わせてしまったかな?そう心配して見た向こう、美代は明るく笑ってくれた。
「きっと思い出せるね?それに立ち会える私は、光栄です」
「ん、ありがとう。立会うと、光栄なの?」
笑って貰えて嬉しい、良かった。
ほっとした隣で美代は楽しげに続けてくれた。
「友達の大切な場所と瞬間に立ち会えるのだもの、光栄よ?ね、丹沢って今、ヤマビルが多いらしいの、」
ヤマビルは山に生息する蛭で、吸血性が強い。
これに襲われると腫れあがり辛い事になる、けれどそれ以上の問題がヤマビルにはある。そのことに周太は口を開いた。
「ヤマビル、ってブナ林衰退の原因かもしれない、って言われてるよね?」
「そうなのよね。それで今回のフィールドワークに選んだのかな、青木先生?」
きっと美代のいう通りだろう。
青木准教授の著書は水源林を多くとりあげている、だからブナ林の衰退問題は取り上げたいテーマだろう。
そしてブナの木は、周太にとって特別な木でもある。
…英二が大切にしてる、あのブナの木を護りたいな
雲取山麓にひろがるブナ林、その深奥に佇む一本の巨樹。
そこは英二にとって大切な憩いの場所、そして昔は後藤副隊長が妻と過ごした場所だった。
恩人で父の友人である後藤の大切な記憶と想いをも、あのブナの巨樹は今も静かに抱いている。
そして、この先は英二の哀しみ喜びを抱いてくれる。そうあってほしいと願って自分は巨樹に祈りを捧げてきた。
たとえ自分が消えたとしても英二が憩い安らげるように、そして、もし願って良いのなら2人一緒に過ごせる場所であるように。
だから護りたい、そのために必要な知識と技術を今すこしでも教わって、あの木を護るために役立てたい。
その為にも大切なことをフィールドワークでは教われるだろうな?微笑んで周太は友達に頷いた。
「ん、そうだね?…来週、お昼の時に質問してみる?」
「そうね、さっき訊いてみれば良かったな、私。つい、別の話しちゃった、」
笑って話しながら急いで地下鉄の駅に降りていく。
たぶん内山との約束の時間には間に合うだろうな、考えながら改札を潜るとちょうど車両が入線してきた。
乗車してシートに座ると、周太はクライマーウォッチを見た。
「ね、待ち合わせの時間、大丈夫そう?つい先生と話しこんじゃったけど、ごめんね?」
「ん、大丈夫だよ、俺も先生と話したかったから…こっちこそ、気を遣わせてごめんね、」
互いに謝って、顔見合わせて笑い合った。
なんだかこういうのは可笑しい、楽しくて笑った周太に美代も笑いながら尋ねてくれた。
「内山くんって、宮田くんとは仲良しなの?」
「ん…普通には話すけれど、関根たちほどでは無いかな?でも内山と話すのは、好きみたいだけど…?」
いつも英二は、内山と周太が話していると必ず入ってくる。
だから内山とも英二は話したいのかなと思うけれど、1人で英二から話しかけることは少ない。
どうしてなのかな?そう考え込みかけた周太に、美代も考えながら訊いてくれた。
「ね、内山くんって東大出身って言ってたでしょ?だから受験のことも相談出来たら良いな、って思ったんだけど。
でもね、宮田くんと仲が良いんだと秘密を背負わせちゃうの、なんか悪いじゃない?だから、どうかな、って思ったの、」
美代は家族に内緒で大学受験をする、婚期が遅れると反対されることが解かっているから。
もちろん美代は幼馴染の光一にも内緒にしているから、光一と親しい英二にも受験のことを知られたくはない。
けれど希望校の出身者には相談したいだろうな?すこし考えて周太は思ったままを口にした。
「秘密にして、って言ったら大丈夫だと思うよ?内山は受験とか試験のことは、すごく真剣だし…気持ちは解かると思うから、」
「そう?じゃあ相談してみようかな、学校の雰囲気とか訊いてみたくて、」
嬉しそうに笑いながら美代はプリントを鞄に仕舞い込んだ。
そして周太の方を見て、可愛い声が質問してくれた。
「さっき宮田くんのこと、内山くんと話すのは好きみたいだけど?って言ったけど、どうして疑問形なの?」
「あ、…そのこと?」
美代は周太の「?」に気付いてくれたらしい。
この聡明な友達に訊いてみたくなって、周太は口を開いた。
「いつも英二、内山と俺が話していると会話に入ってくるんだ。だから内山と話したいのかな、って思うんだけどね?
でも、英二から内山に話しかけることは少ないんだ…だから、なんでかな?って思ったんだけど。美代さんは、どう思う?」
美代は何て答えてくれるかな?
そう見た先で明るい実直な目は周太を見つめて、すこし考えると笑ってくれた。
「ね、内山くんって、結構カッコいいんでしょ?」
「ん?…そうだね、かっこいいかな?背も高いし…英二とはタイプが違うけど、」
内山は初任教養の時に、同期の女子との恋愛で騒ぎを起こしたことがある。
男らしい風貌で頭も良いから、女の子には人気があるのかもしれない。
そんな事を考えて答えた周太に、可笑しそうに美代は微笑んだ。
「あのね?宮田くん、内山くんに嫉妬してるのかもね?」
「え?」
思わず訊き返した周太に、きれいな明るい目が愉しげに笑ってくれる。
そして美代は見解を話してくれた。
「だって、湯原くんが内山くんと話していると、必ず来るのでしょ?それって、2人きりで話すのが嫌だからかな、って思ったの、」
「そうなの?…でも、男同士だし、友達だよ?」
答えてから周太は、すこし気恥ずかしくなった。
だって光一に自分も嫉妬していたことがある、だから自分を棚上げした発言だったかもしれない?
そんな恥ずかしさに首筋が熱くなりそうで掌を当てると、美代が温かに笑んで言ってくれた。
「宮田くんが恋をするのは、男とか女とかは関係なくて、そのひと自身を好きになるでしょう?だから、他の人も同じって思うかも?
それに湯原くんの恋人としての魅力を一番知ってるの、きっと宮田くんよね?だから、他の人が恋しちゃうかもって思うの、仕方ないね?」
こんなふうに言われるのは、気恥ずかしい。
けれど英二がそう思ってくれるのは、嬉しいとも思ってしまう。
それでもやっぱり恥ずかしくて、ほら、もう首筋から頬まで熱くなってしまった。
…恋人としての、魅力?
そんなふうに周太のことを、英二が感じてくれている?
どんなふうに英二は見て、想ってくれているのだろう?
英二に聴いてみたい、そんなことを思ってしまう。
けれど、こんなことを英二に質問するのは図々しい気もしてしまう。
だってこんな事を訊いたらまるで、自分のことを英二が大好きだって自信満々みたい?
でも、聴いてみたい。いったい英二は周太のどこに「恋人」を見つめてくれるのだろう?

いつものブックカフェに落ち着くと、オーダーを終えて美代は早速テキストを開いた。
その紙面を見た内山は、驚いたよう目を大きくして首を傾げこんだ。
「小嶌さん?このテキストって、大学受験用だよね、」
「はい、そうです、」
訊かれて美代は、すこし気恥ずかしげに微笑んだ。
周太の方を見て、それから美代は率直に口を開いた。
「私、今度の冬に大学を受験する予定なの。でも家に内緒で受けるのよ、だから誰にも言わないで、秘密にしてね?」
「うん、言わないよ。でも、どうして内緒で?」
私服姿で内山は首を傾げこんだ。
警察学校から実家へと一旦帰った内山は、着替えてきている。
そういえば内山の私服姿はスーツ以外は初めて見るな?そんなことを考えながらテキストに目を通す隣で、美代が笑った。
「結婚が遅れるからダメ、って言われちゃうからよ。それでね、宮田くんの救助隊でのパートナーは私の幼馴染なの。
だから宮田くんにも内緒にしてね?きっとね、宮田くんが知ってしまうと、幼馴染が誘導尋問して訊き出しちゃうから、困るの、」
たしかに光一なら誘導尋問するだろうな?
そういうことが光一は巧い、英二でも引っ掛かってしまいかねない。
そう納得している向かいから、精悍な笑顔で内山は頷いてくれた。
「そういうことなんだ。絶対に言わないよ、誰にも。藤岡に知られても、拙いってことだろ?」
「あ、絶対にダメ。藤岡くんも光ちゃんの尋問、きっと引っ掛かっちゃうもの、」
可笑しそうに笑いながら美代はペンを手に取った。
その様子を見てとって、周太は内山に笑いかけた。
「内山、これから少し勉強していいかな?…良かったら本、読んでて?
「おう、そうさせてもらうな?ここ、色んな本があるみたいだし、」
気軽に笑って内山は席を立って行った。
その背中を見送って美代は、綺麗な明るい目を周太に向けると微笑んだ。
「ね、やっぱり内山くん、もてそうな人ね?すこしだけど、宮田くんとも似ている雰囲気がある、ね?」
「ん?…そうなの?」
どんなふうに美代は見たのだろう?
聴いてみたいなと思って訊き返した周太に、美代は答えてくれた。
「物堅い雰囲気と、ちょっと壁を作るみたいな感じが、宮田くんと似ているかな?って…どう思う?」
“壁を作るみたいな感じ” それは確かに2人に共通する面だろう。
一見、英二は明るく華やかだけれど本質は内省的で、深い沈思の底から見つめる視点を持っている。
こういう思慮深さが周囲への壁になる所が確かにあって、それが間違うと出逢った頃のよう「冷酷な仮面」になってしまう。
そして内山もキャリアを目指していたエリート志向が高くて、それが時として周りへの線引きになってしまう所がある。
この2人が似ているとは考えたことが無かったけれど頷けてしまう、美代の観察眼に感心して周太は素直に褒めた。
「そうだね、確かに似ているね?…だから内山は、英二と話してみたいのかな?」
「ね?それに宮田くんって皆より先に本採用になったのでしょ?だから内山くんはライバル心もあるかも?なんかエリートな感じだから」
それは美代の言う通りだろう。
確かに初任教養の時よりも内山は、よく英二に話しかけるようになった。
それはライバルと認めたからこそ親しくなりたい、そんな想いがあるのかもしれない。感心しながら周太は頷いた。
「ん、確かにそうかも…前よりも内山、よく英二に話しかけているから。ライバルだって認めるくらい、好きってことかな?」
「やっぱりそうなのね、きっと内山くんの方は宮田くんのこと好きよ?そうすると内山くん、関根くんとも仲良いでしょ?」
どうして美代は解かるのだろう?
いつもながらの聡明な視点に驚きながら、周太は訊いてみた。
「すごい、美代さんって、よく解かるね?」
「すごくはないのよ?でもタイプ的にそうかな、って…あ、なんかこういうの、恥ずかしいね?勉強しよう、」
気恥ずかしげに笑って美代は、きれいな明るい目をテキストへ落とした。
周太も一緒にテキストをのぞきこんで、美代のチェックしてきた箇所の解説を始めた。
美代の質問ポイントは回を重ねるごと少なくなっていく、それだけ勉強が進んでいる事がよく解かる。
この調子なら美代は来春、きっと無事に大学生になっているだろうな?嬉しい確信に微笑んだとき、ちょうど飲み物が運ばれてきた。
「あ、良いタイミングね?これ飲んでひと息入れたら、問題集に取り組みます、」
「ひと息の時に、内山に大学のこと訊いてみたら?」
「そうね?あ、ちょうど戻ってきてくれた、」
書架の方から戻ってきた内山は、手に大きな冊子を持っている。
なにを選んできたのかな?そう見た周太の目が思わず大きくなった。
…これって、
心の中つぶやきがこぼれて、首筋が熱くなってくる。
どうかこれ以上は熱が昇りませんように?そう困っている隣から美代が、前に座った内山に笑いかけた。
「この写真集、素敵よね?私、買って持ってるの、」
「あ、小嶌さんも見たんだ?俺はこういうの見たこと、あまりないんだけど、」
すこし照れ臭げに笑って内山は、コーヒーに口付けている。
その左手が持っている写真集が気になってしまう、これを内山が持ってくるなんて?
ココアのカップを両手に抱えながら困っていると、美代が楽しげに内山へと尋ねた。
「その写真集、お花もきれいでしょ?それで湯原くんと撮影場所を見に行ったりして。内山くんは、どうして気に入ったの?」
「気に入った理由?ちょっと恥ずかしいな、」
精悍な笑顔を気恥ずかしげにさせてしまう。
どんな理由なのかな?そう見た先で内山は口を開いた。
「ほんと単純だけど、このモデルさんが綺麗だから、なんだけどね、」
そのモデル、内山も良く知っている人ですけど?
そんな心のつぶやきに見た先、シックな装丁の豪華な写真集がある。
この写真集を周太だって本当は持っていて、家の屋根裏部屋に大切に保管してある。
それも宝箱のトランクに仕舞いこんで。
『CHLORIS―Chronicle of Princess Nadesiko』
花の女神、大和撫子の姫君の年代記。
美しい花々と写された黒髪の美少女は、この写真集を作ったカメラマンが最も愛した『媛』という名の専属モデル。
もう彼女は3年前に引退してしまった、その彼女を偲ぶよう彼は、この写真集を出版した。
この『媛』の正体は、英二。これを知っているのは周太と光一しかいない。
…きっと2人とも、本当のことを知ったら驚くよね?
まだ中学生だった英二が偶然から人助けをした、それがモデル『媛』の始まりだった。
男なのに美少女となったのも、モデルを務めることも、全て英二は人助けだと思って承諾したことばかりでいる。
この事実は所属していたモデル事務所でも一部の人間しか知らない、そしてカメラマンにも知らされていない。
イギリス出身の彼は『媛』を東洋で出逢ったマドンナ「大和撫子」だと信じて愛して、写真を取り続けていた。
だから秘密を守ることが、カメラマンの名誉を守ることにも繋がる。だから言えない。
…内山、なんかごめんね?
「きれいだから」と顔を赤くした相手が誰なのか?
それを知ったら内山は多分ショックを受けるだろう。
根が生真面目で融通の効き難そうな内山にとって「同性に見惚れた」なんて衝撃かも知れない?
しかもそれが自分の同期で、それもライバル心を持つ相手だなんて、さぞ驚くだろうな?
そんな心配をしながら周太は、マグカップに隠れるようココアを啜りこんだ。
その隣では美代が大学についての質問を始めている。
「俺みたいに資格とか一種受験が中心の人間も多いけど、本当に研究しようってタイプもいるよ、」
「あ、よかった。私、自分の研究分野の資格は取るだろうけれど、官僚とかはちょっと…あ、ごめんね?」
「いや、気にしないでくれ。俺も前ほどは、そう思わなくなったから、」
話題が移って、なんだかほっとしてしまう。
けれど、あの写真集をもし瀬尾が見たら、どんな反応をするだろう?
そんな心配と、とりあえず今の状況への安心を廻らしていると携帯が振動した。
ポケットから出して携帯を開くと、着信の名前に周太は首を傾げこんだ。
「…光一?」
今の時間、光一は業務時間内だろう。
仕事中に光一が架けてくるなんて、何かあったのだろうか?
すこし不安になりながら周太は、ふたりに声をかけて席を立った。
(to be continued)
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第51話 風伯act.5―another,side story「陽はまた昇る」
2週間ぶりのキャンパスは緑が濃くなっている。
足元ゆれる木洩陽も陰翳が濃くて、午過ぎの光がきらきら眩い。
ふわり吹きぬけていく緑の風が心地いい、目を細めながら歩いている隣で美代が嬉しげに微笑んだ。
「ね、7月のフィールドワーク。奥多摩じゃなくって良かったね?」
歩きながら持っているプリントを眺めて、美代は楽しげでいる。
奥多摩が地元の美代にとって、折角の大学のフィールドワークなら別の場所に行ってみたいだろうな?
そんな納得と足早に歩きながら、周太は友達に微笑んだ。
「ん、どうせなら行ったことが無い場所に、行ってみたいよね?」
「でしょ?ね、湯原くんは丹沢って行ったことある?」
「小さい頃、お父さんに連れて行ってもらったらしいよ?でも、あまり覚えていないんだ、」
なにげなく言って笑いかけると、きれいな明るい目がすこし瞠られてしまう。
すぐ理由に気がついて周太は、すこし慌てて付け足した。
「行ったことある場所だったら、俺、思い出せるかもしれないよね?だから楽しみなんだ、」
美代には周太の記憶喪失の事情を、すこしだけ話してある。
だから今も余計な気を遣わせてしまったかな?そう心配して見た向こう、美代は明るく笑ってくれた。
「きっと思い出せるね?それに立ち会える私は、光栄です」
「ん、ありがとう。立会うと、光栄なの?」
笑って貰えて嬉しい、良かった。
ほっとした隣で美代は楽しげに続けてくれた。
「友達の大切な場所と瞬間に立ち会えるのだもの、光栄よ?ね、丹沢って今、ヤマビルが多いらしいの、」
ヤマビルは山に生息する蛭で、吸血性が強い。
これに襲われると腫れあがり辛い事になる、けれどそれ以上の問題がヤマビルにはある。そのことに周太は口を開いた。
「ヤマビル、ってブナ林衰退の原因かもしれない、って言われてるよね?」
「そうなのよね。それで今回のフィールドワークに選んだのかな、青木先生?」
きっと美代のいう通りだろう。
青木准教授の著書は水源林を多くとりあげている、だからブナ林の衰退問題は取り上げたいテーマだろう。
そしてブナの木は、周太にとって特別な木でもある。
…英二が大切にしてる、あのブナの木を護りたいな
雲取山麓にひろがるブナ林、その深奥に佇む一本の巨樹。
そこは英二にとって大切な憩いの場所、そして昔は後藤副隊長が妻と過ごした場所だった。
恩人で父の友人である後藤の大切な記憶と想いをも、あのブナの巨樹は今も静かに抱いている。
そして、この先は英二の哀しみ喜びを抱いてくれる。そうあってほしいと願って自分は巨樹に祈りを捧げてきた。
たとえ自分が消えたとしても英二が憩い安らげるように、そして、もし願って良いのなら2人一緒に過ごせる場所であるように。
だから護りたい、そのために必要な知識と技術を今すこしでも教わって、あの木を護るために役立てたい。
その為にも大切なことをフィールドワークでは教われるだろうな?微笑んで周太は友達に頷いた。
「ん、そうだね?…来週、お昼の時に質問してみる?」
「そうね、さっき訊いてみれば良かったな、私。つい、別の話しちゃった、」
笑って話しながら急いで地下鉄の駅に降りていく。
たぶん内山との約束の時間には間に合うだろうな、考えながら改札を潜るとちょうど車両が入線してきた。
乗車してシートに座ると、周太はクライマーウォッチを見た。
「ね、待ち合わせの時間、大丈夫そう?つい先生と話しこんじゃったけど、ごめんね?」
「ん、大丈夫だよ、俺も先生と話したかったから…こっちこそ、気を遣わせてごめんね、」
互いに謝って、顔見合わせて笑い合った。
なんだかこういうのは可笑しい、楽しくて笑った周太に美代も笑いながら尋ねてくれた。
「内山くんって、宮田くんとは仲良しなの?」
「ん…普通には話すけれど、関根たちほどでは無いかな?でも内山と話すのは、好きみたいだけど…?」
いつも英二は、内山と周太が話していると必ず入ってくる。
だから内山とも英二は話したいのかなと思うけれど、1人で英二から話しかけることは少ない。
どうしてなのかな?そう考え込みかけた周太に、美代も考えながら訊いてくれた。
「ね、内山くんって東大出身って言ってたでしょ?だから受験のことも相談出来たら良いな、って思ったんだけど。
でもね、宮田くんと仲が良いんだと秘密を背負わせちゃうの、なんか悪いじゃない?だから、どうかな、って思ったの、」
美代は家族に内緒で大学受験をする、婚期が遅れると反対されることが解かっているから。
もちろん美代は幼馴染の光一にも内緒にしているから、光一と親しい英二にも受験のことを知られたくはない。
けれど希望校の出身者には相談したいだろうな?すこし考えて周太は思ったままを口にした。
「秘密にして、って言ったら大丈夫だと思うよ?内山は受験とか試験のことは、すごく真剣だし…気持ちは解かると思うから、」
「そう?じゃあ相談してみようかな、学校の雰囲気とか訊いてみたくて、」
嬉しそうに笑いながら美代はプリントを鞄に仕舞い込んだ。
そして周太の方を見て、可愛い声が質問してくれた。
「さっき宮田くんのこと、内山くんと話すのは好きみたいだけど?って言ったけど、どうして疑問形なの?」
「あ、…そのこと?」
美代は周太の「?」に気付いてくれたらしい。
この聡明な友達に訊いてみたくなって、周太は口を開いた。
「いつも英二、内山と俺が話していると会話に入ってくるんだ。だから内山と話したいのかな、って思うんだけどね?
でも、英二から内山に話しかけることは少ないんだ…だから、なんでかな?って思ったんだけど。美代さんは、どう思う?」
美代は何て答えてくれるかな?
そう見た先で明るい実直な目は周太を見つめて、すこし考えると笑ってくれた。
「ね、内山くんって、結構カッコいいんでしょ?」
「ん?…そうだね、かっこいいかな?背も高いし…英二とはタイプが違うけど、」
内山は初任教養の時に、同期の女子との恋愛で騒ぎを起こしたことがある。
男らしい風貌で頭も良いから、女の子には人気があるのかもしれない。
そんな事を考えて答えた周太に、可笑しそうに美代は微笑んだ。
「あのね?宮田くん、内山くんに嫉妬してるのかもね?」
「え?」
思わず訊き返した周太に、きれいな明るい目が愉しげに笑ってくれる。
そして美代は見解を話してくれた。
「だって、湯原くんが内山くんと話していると、必ず来るのでしょ?それって、2人きりで話すのが嫌だからかな、って思ったの、」
「そうなの?…でも、男同士だし、友達だよ?」
答えてから周太は、すこし気恥ずかしくなった。
だって光一に自分も嫉妬していたことがある、だから自分を棚上げした発言だったかもしれない?
そんな恥ずかしさに首筋が熱くなりそうで掌を当てると、美代が温かに笑んで言ってくれた。
「宮田くんが恋をするのは、男とか女とかは関係なくて、そのひと自身を好きになるでしょう?だから、他の人も同じって思うかも?
それに湯原くんの恋人としての魅力を一番知ってるの、きっと宮田くんよね?だから、他の人が恋しちゃうかもって思うの、仕方ないね?」
こんなふうに言われるのは、気恥ずかしい。
けれど英二がそう思ってくれるのは、嬉しいとも思ってしまう。
それでもやっぱり恥ずかしくて、ほら、もう首筋から頬まで熱くなってしまった。
…恋人としての、魅力?
そんなふうに周太のことを、英二が感じてくれている?
どんなふうに英二は見て、想ってくれているのだろう?
英二に聴いてみたい、そんなことを思ってしまう。
けれど、こんなことを英二に質問するのは図々しい気もしてしまう。
だってこんな事を訊いたらまるで、自分のことを英二が大好きだって自信満々みたい?
でも、聴いてみたい。いったい英二は周太のどこに「恋人」を見つめてくれるのだろう?

いつものブックカフェに落ち着くと、オーダーを終えて美代は早速テキストを開いた。
その紙面を見た内山は、驚いたよう目を大きくして首を傾げこんだ。
「小嶌さん?このテキストって、大学受験用だよね、」
「はい、そうです、」
訊かれて美代は、すこし気恥ずかしげに微笑んだ。
周太の方を見て、それから美代は率直に口を開いた。
「私、今度の冬に大学を受験する予定なの。でも家に内緒で受けるのよ、だから誰にも言わないで、秘密にしてね?」
「うん、言わないよ。でも、どうして内緒で?」
私服姿で内山は首を傾げこんだ。
警察学校から実家へと一旦帰った内山は、着替えてきている。
そういえば内山の私服姿はスーツ以外は初めて見るな?そんなことを考えながらテキストに目を通す隣で、美代が笑った。
「結婚が遅れるからダメ、って言われちゃうからよ。それでね、宮田くんの救助隊でのパートナーは私の幼馴染なの。
だから宮田くんにも内緒にしてね?きっとね、宮田くんが知ってしまうと、幼馴染が誘導尋問して訊き出しちゃうから、困るの、」
たしかに光一なら誘導尋問するだろうな?
そういうことが光一は巧い、英二でも引っ掛かってしまいかねない。
そう納得している向かいから、精悍な笑顔で内山は頷いてくれた。
「そういうことなんだ。絶対に言わないよ、誰にも。藤岡に知られても、拙いってことだろ?」
「あ、絶対にダメ。藤岡くんも光ちゃんの尋問、きっと引っ掛かっちゃうもの、」
可笑しそうに笑いながら美代はペンを手に取った。
その様子を見てとって、周太は内山に笑いかけた。
「内山、これから少し勉強していいかな?…良かったら本、読んでて?
「おう、そうさせてもらうな?ここ、色んな本があるみたいだし、」
気軽に笑って内山は席を立って行った。
その背中を見送って美代は、綺麗な明るい目を周太に向けると微笑んだ。
「ね、やっぱり内山くん、もてそうな人ね?すこしだけど、宮田くんとも似ている雰囲気がある、ね?」
「ん?…そうなの?」
どんなふうに美代は見たのだろう?
聴いてみたいなと思って訊き返した周太に、美代は答えてくれた。
「物堅い雰囲気と、ちょっと壁を作るみたいな感じが、宮田くんと似ているかな?って…どう思う?」
“壁を作るみたいな感じ” それは確かに2人に共通する面だろう。
一見、英二は明るく華やかだけれど本質は内省的で、深い沈思の底から見つめる視点を持っている。
こういう思慮深さが周囲への壁になる所が確かにあって、それが間違うと出逢った頃のよう「冷酷な仮面」になってしまう。
そして内山もキャリアを目指していたエリート志向が高くて、それが時として周りへの線引きになってしまう所がある。
この2人が似ているとは考えたことが無かったけれど頷けてしまう、美代の観察眼に感心して周太は素直に褒めた。
「そうだね、確かに似ているね?…だから内山は、英二と話してみたいのかな?」
「ね?それに宮田くんって皆より先に本採用になったのでしょ?だから内山くんはライバル心もあるかも?なんかエリートな感じだから」
それは美代の言う通りだろう。
確かに初任教養の時よりも内山は、よく英二に話しかけるようになった。
それはライバルと認めたからこそ親しくなりたい、そんな想いがあるのかもしれない。感心しながら周太は頷いた。
「ん、確かにそうかも…前よりも内山、よく英二に話しかけているから。ライバルだって認めるくらい、好きってことかな?」
「やっぱりそうなのね、きっと内山くんの方は宮田くんのこと好きよ?そうすると内山くん、関根くんとも仲良いでしょ?」
どうして美代は解かるのだろう?
いつもながらの聡明な視点に驚きながら、周太は訊いてみた。
「すごい、美代さんって、よく解かるね?」
「すごくはないのよ?でもタイプ的にそうかな、って…あ、なんかこういうの、恥ずかしいね?勉強しよう、」
気恥ずかしげに笑って美代は、きれいな明るい目をテキストへ落とした。
周太も一緒にテキストをのぞきこんで、美代のチェックしてきた箇所の解説を始めた。
美代の質問ポイントは回を重ねるごと少なくなっていく、それだけ勉強が進んでいる事がよく解かる。
この調子なら美代は来春、きっと無事に大学生になっているだろうな?嬉しい確信に微笑んだとき、ちょうど飲み物が運ばれてきた。
「あ、良いタイミングね?これ飲んでひと息入れたら、問題集に取り組みます、」
「ひと息の時に、内山に大学のこと訊いてみたら?」
「そうね?あ、ちょうど戻ってきてくれた、」
書架の方から戻ってきた内山は、手に大きな冊子を持っている。
なにを選んできたのかな?そう見た周太の目が思わず大きくなった。
…これって、
心の中つぶやきがこぼれて、首筋が熱くなってくる。
どうかこれ以上は熱が昇りませんように?そう困っている隣から美代が、前に座った内山に笑いかけた。
「この写真集、素敵よね?私、買って持ってるの、」
「あ、小嶌さんも見たんだ?俺はこういうの見たこと、あまりないんだけど、」
すこし照れ臭げに笑って内山は、コーヒーに口付けている。
その左手が持っている写真集が気になってしまう、これを内山が持ってくるなんて?
ココアのカップを両手に抱えながら困っていると、美代が楽しげに内山へと尋ねた。
「その写真集、お花もきれいでしょ?それで湯原くんと撮影場所を見に行ったりして。内山くんは、どうして気に入ったの?」
「気に入った理由?ちょっと恥ずかしいな、」
精悍な笑顔を気恥ずかしげにさせてしまう。
どんな理由なのかな?そう見た先で内山は口を開いた。
「ほんと単純だけど、このモデルさんが綺麗だから、なんだけどね、」
そのモデル、内山も良く知っている人ですけど?
そんな心のつぶやきに見た先、シックな装丁の豪華な写真集がある。
この写真集を周太だって本当は持っていて、家の屋根裏部屋に大切に保管してある。
それも宝箱のトランクに仕舞いこんで。
『CHLORIS―Chronicle of Princess Nadesiko』
花の女神、大和撫子の姫君の年代記。
美しい花々と写された黒髪の美少女は、この写真集を作ったカメラマンが最も愛した『媛』という名の専属モデル。
もう彼女は3年前に引退してしまった、その彼女を偲ぶよう彼は、この写真集を出版した。
この『媛』の正体は、英二。これを知っているのは周太と光一しかいない。
…きっと2人とも、本当のことを知ったら驚くよね?
まだ中学生だった英二が偶然から人助けをした、それがモデル『媛』の始まりだった。
男なのに美少女となったのも、モデルを務めることも、全て英二は人助けだと思って承諾したことばかりでいる。
この事実は所属していたモデル事務所でも一部の人間しか知らない、そしてカメラマンにも知らされていない。
イギリス出身の彼は『媛』を東洋で出逢ったマドンナ「大和撫子」だと信じて愛して、写真を取り続けていた。
だから秘密を守ることが、カメラマンの名誉を守ることにも繋がる。だから言えない。
…内山、なんかごめんね?
「きれいだから」と顔を赤くした相手が誰なのか?
それを知ったら内山は多分ショックを受けるだろう。
根が生真面目で融通の効き難そうな内山にとって「同性に見惚れた」なんて衝撃かも知れない?
しかもそれが自分の同期で、それもライバル心を持つ相手だなんて、さぞ驚くだろうな?
そんな心配をしながら周太は、マグカップに隠れるようココアを啜りこんだ。
その隣では美代が大学についての質問を始めている。
「俺みたいに資格とか一種受験が中心の人間も多いけど、本当に研究しようってタイプもいるよ、」
「あ、よかった。私、自分の研究分野の資格は取るだろうけれど、官僚とかはちょっと…あ、ごめんね?」
「いや、気にしないでくれ。俺も前ほどは、そう思わなくなったから、」
話題が移って、なんだかほっとしてしまう。
けれど、あの写真集をもし瀬尾が見たら、どんな反応をするだろう?
そんな心配と、とりあえず今の状況への安心を廻らしていると携帯が振動した。
ポケットから出して携帯を開くと、着信の名前に周太は首を傾げこんだ。
「…光一?」
今の時間、光一は業務時間内だろう。
仕事中に光一が架けてくるなんて、何かあったのだろうか?
すこし不安になりながら周太は、ふたりに声をかけて席を立った。
(to be continued)
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