萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第51話 風伯act.7―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-04 23:02:23 | 陽はまた昇るanother,side story
風、還るところは



第51話 風伯act.7―another,side story「陽はまた昇る」

遅い午後の光あふれて、白い部屋の表情がやわらかい。
やわらかな空気に微笑んで扉を閉めると、デスクの夏椿が朝のままに瑞々しい。
すぐジャージに着替ると椅子に腰降ろして、周太は花に微笑んだ。

「留守番、ありがとう、」

笑いかけた先、白い花の蕾が開きかけている。
ふと見ると花活の足元には、ひとつ花が落ちていた。
そっと拾いあげ掌に載せると、やわらかな花びらの艶が優しい。

「…ん、きれいだね?」

花に微笑んで、ふと昨日の夕方が心映りこんだ。
この花を分けた女の子は、どんなふうに活けてくれたのだろう?
本当に花が好きそうだったな?そんな記憶に周太は微笑んだ。

「きっと、可愛がってもらってるよね?」

ひとりごとに見た花へと、もうひとり俤が浮びだす。
この花を抱えた向こう、廊下の角から見つめてくれた瞳。
すこし不安げで寂しげで、どこか縋るようで。そんな表情でも英二は、綺麗だった。

「…光一が好きになるのも、仕方ないよね、」

掌の花に微笑んで、幼馴染の泣顔を想い出す。
きっと光一にとって英二は、誰より一緒にいてほしい相手だろう。
それなのに今日も光一は、ここまで周太を送り届けて笑ってくれた。

「あいつの前で、たくさん笑ってやってね?周太が笑うと、あいつは最高に良い貌するから、」

そう言ってくれた光一の貌は、明るい寂しさが透明にまばゆくて。
あの貌には想いの真実が、大らかな恋への優しい想いが輝くようだった。
立場も、性別も、どんなことも遮れない真直ぐな想いが、無垢の瞳に明るかった。
あんなふうに光一は周太を見つめない。だから英二への想いとの違いが、周太には解ってしまう。

…あんなに英二を想ってくれる、だから大丈夫だね?

あんなに想うのなら、きっと英二のことも護ってくれる。
大切な「山」を護りたいと願うように、英二のことも護り大切にしてくれる。
そんな確信に微笑んだとき、遠い足音が廊下を叩いた。

かつ、かつ、かつ、…

小気味よいリズムを刻む、革靴のソール。
この歩き方はよく知っている、掌に花を包んだまま済ます耳に、音は近づいてくる。

かつ、かつん、

ほら、すぐ隣の前で音が止まる。
きっと鍵が開く音が聞こえるはず、そんな期待の扉向うで開錠音が響いた。

かちり、…かつ、かつん…かちり

開錠音に続く革靴の音、また鍵の閉まる音。
そして壁の向こう側に、懐かしい気配が動き始めた。

「…ん、帰ってきた、」

待っていた人が、帰ってきた。
嬉しく掌の花に微笑んで、そっと机の上に花を戻す。
その掌に携帯電話と鍵を持って、立ち上がると周太は静かに扉を開いた。

こん、こん…

いつものよう、隣の扉をノックする。
その扉むこうで気配が少しだけ動く、けれど扉は開かない。
でも、もう戻ってきているはず。そんな確信と周太はまたノックした。

こん、こん…

手の甲に響いた音に、足音が重なり近づいてくる。
かちり、開錠音が鳴って扉が開かれて、ワイシャツ姿の長身が現われた。

「英二、やっぱり戻ってた、」

笑いかけた先、切長い目が大きくなっている。
いま自分は何を見ているのだろう?そう驚いた貌が可愛らしい。
やっぱり驚かせちゃったかな?微笑んで周太は、婚約者に声をかけた。

「昨夜は、本当にお疲れさま、」

声をかけながら長身の横を通って、部屋に入っていく。
けれど英二は扉を開いたまま、ぼんやり周太を見つめて佇んでいる。
よほど驚かせてしまったらしい、そんな呆然に佇んだ貌へと周太は微笑んだ。

「どうしたの?英二…扉閉めて、こっちに来て?」

声に応えるよう、切長い目がひとつ瞬いた。
ぼんやりと白皙の手はドアノブを押して、静かに扉を閉じると鍵を掛けてくれる。
ひとつ分の呼吸、そして広やかな背中がスローモーションのよう振向いて、綺麗な低い声がこぼれた。

「…どうして周太が、ここにいるんだ?」

いま夢でも見ている?

そんな貌が周太を見つめて、長い脚がこちらに向かってくれる。
じっと切長い目は視線外さずぬまま、その眼差しへ笑いかけると周太は答えた。

「外泊申請を今朝、外出許可に切替えたんだ。だから大学に行って、美代さんと内山とお茶してから、戻ってきたよ、」
「どうして?お母さん、待っていたんだろ?」

問いかけながら長い腕を伸ばして、そっと周太を抱き寄せてくれる。
ほろ苦いよう甘い、深い森と似た香がやわらかに体を包んでいく。この大好きな香に周太は笑いかけた。

「言ってくれたでしょ?土曜日には帰ってくる、って…だから、待っていたかった、英二のこと、」
「約束の為に、待っていてくれたの?俺が、川崎に帰れなくなったから、」

どうかYesを訊かせて?
そんな想いを告げる切長い目の、眼差しが熱い。
見つめられる想いが気恥ずかしいけれど幸せで、穏やかに周太は微笑んだ。

「ん、約束してくれたから、待ってた。だって、俺の隣が英二の帰る場所なのでしょう?だから、待ってたよ?
ここだと、ごはん作ってあげられないけど、でも一緒には食べられるし…いっしょにおふろはいってねむることならできるし」

最後の言葉は恥ずかしい。けれど今は伝えたくて、思い切って言ってしまった。
きっと英二は水曜日のことを気にしている、だから少しでも多く想いを伝えて、安心させてあげたい。

“あなたが好き、だから一緒にいさせて?”

この想いを今、たくさん伝えたい。
そして水曜日に見た英二の、離れてしまう不安と苦しみを少しでも和らげたい。
それから今、きっと英二の心に蹲る昨夜の事件と、光一への想いを受けとめて安らがせたい。
だから今夜は帰りを迎えてあげたかった。この想い微笑んだ真中で、幸せな笑顔がほころんだ。

「うん、俺の帰る場所は周太だよ?俺、ほんとうに逢いたかったんだ、だから今、すげえ幸せだよ、」
「ほんと?幸せなの、英二?」

嬉しく見上げて広やかな背中へと手を回す。
そっと抱きしめる掌ふれる温もりがワイシャツを透かして優しい、ほっと微笑んだ周太に英二は綺麗に笑ってくれた。

「幸せだよ。泣きそうに俺、周太に逢いたかった…ずっと一緒にいてよ、」

綺麗な笑顔で幸せ告げて、その唇が周太の唇へと重ねられる。
ふれるだけのキスは優しい温もりあふれて、幸せな想いが心を満たしていく。
掌ふれるシャツと体温、抱きしめられた樹木の香とかすかな汗、どれにも愛しい記憶と想いがある。
この今もまた記憶になって、いつか宝物に見つめる瞬間となっていく?そんな想い微笑んで唇が離れた。

「周太、話したいことが沢山あるんだ…聴いてくれる?」

少し泣きそうに微笑んだ切長い目が、真直ぐ見つめてくれる。
この話したい事が何なのか、たぶん自分は解かっているだろう。小さな覚悟と微笑んで周太は頷いた、

「ん、聴かせて?英二の話…時間はあるから、」
「ありがとう、周太、」

微笑んで英二は周太を抱きしめたまま、ベッドへと座りこんだ。
長い腕に包まれて見上げると、優しい眼差しが笑ってくれる。そして白皙の貌はすこし寂しげに微笑んだ。

「周太、俺は昨夜、人に向けて発砲したんだ。逃げようとした犯人を威嚇するために、」

告げて、切長い目に微かな怯えが微笑んだ。
その微笑みに心が大きく安堵の吐息こぼして、静かな感謝を周太は祈った。

…よかった、英二は怖いって、ちゃんと想ってくれる…ありがとうございます、

人間へと、命ある者へと発砲することは、怖い。
それは銃火器の意味を知っているほどに感じる、まともで人間らしい、真実の感想だろう。
それが麻痺してしまったら本当は、拳銃など持つべきではない。それは拳銃の意味を理解していないことだから。

拳銃は、生命を奪う道具。
そのことを父の死に向き合う日々に、幾度と見つめたことだろう?

そんな自分が愛するひとも、発砲したことを「怖い」と想ってくれている。それが嬉しい。
もし英二が拳銃の怖さを解ってくれないのなら、それは周太の苦しみを理解されない事だから、哀しい。
なにより、父が抱いていた苦しみを理解されない事は辛い、哀しい。これを解ってもらえなければ、信頼は崩れてしまうから。
この理解と「怖い」が嬉しくて温かい、その温もりに微笑んだ隣で英二は言葉を続けてくれた。

「光一が、犯人の手首を警棒で撃ったんだ。でも犯人は逃げようとした、それで足元の地面を狙撃して…足止めは出来たよ。
でね、周太…俺、本当のこと言うと発砲したこと以上に…光一のこと、すこし怖いって思ったんだ。こんなことは、初めてだけどね、」

―…もう、あいつに怖がられたかも…嫌われたかもしれない…ほんとうはどう想ってるのかな?ねえ、嫌われるの怖いよ

さっき光一が告げた言葉たちと、英二の言葉が重なってしまう。
この「怖い」の意味を聴かせてほしい、英二の本音を知りたい。そう見つめた先で端正な唇は微笑んだ。

「犯人を見る光一の目は、初めて見る表情だったよ。無慈悲の慈悲、って言うのかな…雪崩みたいに強くて冷たくて、逆らえない。
そういう男のザイルパートナーに俺が相応しいか、迷ったよ…なんだか光一が神さまみたいに見えて、でも俺は唯の人間だから。
でも光一、昨夜も俺のとこに来てくれて、一緒に寝たんだ。いつもみたいにキスして抱きしめて…俺、一緒にいたいって自然に想えた、」

率直に想いを話してくれる、それは残酷にも傷んでしまう。
ふたりが寄りそってくれる事は周太自身が望んだこと、それでも心軋むことは偽れない。
そして、昼間に光一が泣いていた通りに英二が恐れている、そのことが切なくて哀しくて、傷む。
けれど英二の正直さは周太と光一への誠実な想い、その事を解っているから聴いていたい。この想いに周太は口を開いた。

「光一はね、英二のこと本当に好きで、大切だよ…それに、ふたりは最高峰に行くためにも、お互いに唯一人のパートナーでしょ?
だから一緒にいなくちゃいけないし、好きだから一緒にいたいでしょう?…夢を叶える為にも、お互いの気持ちの為にも、一緒にいて、」

どうか2人が今回の事から、また絆を固めてくれますように。
そんな想いと見つめる真中で、美しい婚約者は言ってくれた。

「周太、また俺、思い知らされるな?俺が恋するのは、周太だけだ…周太の隣だけが、俺の安らげる場所だよ、」

想い告げながら抱きしめて、唇キスふれていく。
まだ夕方、けれど触れられる想いはもう、2人きりの瞬間を求めている。

「…周太、好きだ…離れないで、」

長い指が髪を抱いて、額に額つけてキスふれていく。
抱きしめられる腰を長い腕は離さない、唇から熱が偲びこんで甘くて。
これから夕食も風呂もある、点呼だってあるのに?拒めないキスのはざまから周太は、問いかけた。

「…ん、はなれないから……安心して?…ね、ご飯行かないと、」
「うん…でも、あと少しだけ、」

微笑んでまた唇重ねてくれる。
そんな際限ないキスが重なる時を、窓ふる光はオレンジ色に照らしだす。
ゆるやかな黄昏ふくんだ金色があざやいで、抱きしめてくれる肩に光降りそそぐ。
頬ふれるワイシャツが光に染まっていく、光色したシャツが包んだ腕は力強くて、今、離れられない。



風呂から上がると、携帯電話の受信ランプが瞬いていた。
洗面道具を片づけ開いた画面には、今日も呼んだ名前が表示される。この名前に微笑んで周太はメールを開封した。

From :国村光一
Subject:うまかった
本 文 :チョコクロワッサンと茄子のピザはビンゴだね、俺の好み解ってくれて嬉しいよ。ありがとね。
     あと、あいつからの電話が嬉しかった。

短い文面だけれど、光一の笑顔が伝えられる。
うれしい想い微笑んで返信メールを作っていく、そして送信したとき扉がノックされて周太は鍵を開けた。

「お待たせ、周太、」

おだやかに綺麗な笑顔が見つめて、扉を閉めてくれる。
その笑顔の明るさに、嬉しい予想を見ながら周太は尋ねた。

「藤岡の具合、大丈夫そう?」
「うん、裂傷は塞がってきてるし、腫れも順調に退いてる。代謝が良い所為かな、回復が早そうだよ、」
「そう、よかった、」

ほっと微笑んで周太は、缶コーヒーと紙袋をデスクに置いた。
それを見た英二は嬉しそうに笑うと、やわらかく抱きしめてくれた。

「いつものパン屋、行ってきてくれたんだ?ありがとう、周太、」

こんな貌で喜んでくれると嬉しいな?
嬉しいけれど気恥ずかしいまま、周太は微笑んだ。

「ん。ご飯、作ってあげられないからね…こんなので、ごめんね、」
「こういうの、嬉しいよ?周太、」

笑って頬にキスすると、紙袋を開いてくれる。
長い指が缶コーヒーのプルリングを引くと、ほろ苦く甘い香が湯気と昇った。
本当は家でコーヒーを淹れてあげたかったな?そんなこと想い見つめる先で、クロワッサンを手に取りながら英二が笑いかけた。

「周太、明日は外出許可を取ってくれる?」

意外な提案に驚いて、周太は婚約者の顔を見た。

「出掛けるの?…藤岡に付添わないの?」
「藤岡に買物を頼まれたんだよ。経過も良いし、朝晩の包帯を変える時に手伝えば、大丈夫、」

さくり、芳ばしい香を立てながら英二は微笑んだ。
もし一緒に出掛けられるのなら嬉しい、素直な想いに周太は笑いかけた。

「それだったら、朝一で申請出すね…なにを買うの?」
「登山図だよ、だから新宿のいつもの本屋に行こうかと思って。その後で、あのベンチに行こうか?」

あのベンチは、想い出が多い。
もう暫く英二とは行っていない、また一緒に座れたら嬉しい。微笑んで周太は頷いた。

「ん、あのベンチ行きたいな?」

あのベンチは、初めての外泊日にふたり座った場所。
あのとき初めて一緒に外出して、本屋に行って、あのラーメン屋で食事した。
そして今も着ているシャツを買ってくれたのは、あのときだった。

…あのときと同じ所、歩きたいな

ふっと想うことに幸せが温かい。
けれど温かい分だけ心が、軋むよう切なくなってしまう。
この切なさの意味を自分は知っている、けれど今は、この切なさを見つめたくはない。
もうじき離れてしまう日が近づいてくる、だから今の幸せの温もりを抱きしめていたい。

もう本配属まで1ヶ月を切った、そのとき運命の風は、どこへ?







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one scene 或日、学校にてact.5―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-04 04:46:44 | 陽はまた昇るanother,side story
言ってくれたけれど、



one scene 或日、学校にてact.5―another,side story「陽はまた昇る」

…きれい、英二

見つめている目の前で、英二の右腕が関根の右手をねじ伏せた。
その力はじけるよう動いた瞬間が、コマ割りのよう記憶でリフレインされていく。
瞬間の腕、肩、胸の動きはTシャツ透かして逞しい、しなやかに動く流線が美しくて見惚れてしまう。
出逢った頃と今とは別人、人は鍛え方や生活で体から変化するのだと知らされる。
そんな感想とぼんやり見惚れる真中で、綺麗な笑顔がほころんだ。

「お待たせ、周太。もう、部屋に戻らないとな?」
「…あ、はい、」

大好きな笑顔に誘われるよう微笑んで、周太は英二の隣に行った。
まだ談話室には今の腕相撲で熱気が濃い、それなのに勝者が出て行ってしまっていいのかな?
そんな遠慮を想いながら並んで談話室を出ると、長い腕が浚いこんで周太は横抱きに抱え込まれた。

「搬送トレーニング、協力してくれるよね、周太?」

綺麗な幸せそうな笑顔がねだってくれる。
こんな貌をされたら断り方なんて解からない、けれど気恥ずかしい。

…だって今、みんな見てるのに…

ほら、談話室から視線が集中する。
たとえ腕相撲とは言え、勝者のことを注目するのは当たり前。
それなのに英二は堂々と周太を抱えてしまう、こういうことは嬉しいけれど、やっぱり気恥ずかしい。
そんな考え廻らしながら首筋が熱くなってくる、困ってしまう。けれど切長い目は嬉しそうに瞳をのぞきこんだ。

「周太、抱っこしていい、って許可出してよ?」
「…ん、」

つい生返事になって、俯いてしまう。
いつも家で英二は「お姫さま抱っこだよ」と言って抱えてくれるから、すこし慣れてはきた。
けれど人前はやっぱり恥ずかしいし、こんなに視線が集中するのは困る。
そんなふうに頭ぐるぐると困っているうちに、気がついたら部屋のベッドに座っていた。

「周太?大丈夫か、顔が赤いな、」
「…あ、部屋?」

いつのまに部屋に着いたのかな?
驚いて切長い目を見つめ返すと、すこし心配そうに微笑んでくれた。

「うん、部屋だよ?ぼんやりしてるね、周太。熱っぽいのかな、」

言いながら長い指の掌が前髪をかきあげてくれる。
すっと白皙の貌が近づいて、額に額をつけくれた。

「すこし熱あるな、やっぱり湯冷めさせたかな。ごめんな、周太、」
「違うよ、英二?俺が談話室に寄りたい、って言ったから…」

本当に英二は悪くないのに?
そんな想いと見た真中で、端正な貌は困ったよう微笑んだ。

「可愛いね、周太は。困るよ、」

そう言って、周太をベッドへと寝かしつけてくれる。
いったい何が困るのかな?素直に布団に包まれながら周太は訊いてみた。

「なにが困るの?」
「今は言えないよ、周太、」

笑って英二は洗面道具を持つと「すぐ戻るよ」と部屋を出て行った。
ぱたんと扉閉じて、すぐ隣の扉開かれる音がする。
そして壁越しに幾つかの音がして、また部屋の扉は開かれた。

「お待たせ、周太。ちゃんと横になってた?」

声かけてくれながら、長い指が携帯電話をデスクに置いた。
かたん、と音が立って置かれてしまう小さな箱に哀しくなって、周太は婚約者に尋ねた。

「英二、光一に電話しないの?」

言った言葉に切長い目がこちらを見てくれる。
すこし困ったよう目を笑ませて、綺麗な低い声が微笑んだ。

「さっきメール送ったとき、今夜は周太のことだけ見てろって、返事くれたんだ、」
「…どうして?」

いつも光一は英二の電話を楽しみにしているはず。
それなのに遠慮しようとしてくれている、どうしてと見つめた先で英二は微笑んだ。

「具合の悪い時くらい余所見しないで付添え、って書いてくれてた。光一にとっても周太は大切だから、って、」
「でも、俺が電話した時はそんなこと、言ってなかったのに…」

言いながら大切な幼馴染の貌が心映りこんでくる。
大らかな優しい光一なら、そんなふうに言ってくれることも想像がつく。
けれど、光一こそ不安で寂しいだろうに?そんな想いに周太は、婚約者にお願いをした。

「英二、いますぐ光一に電話して?お願い、俺のこと好きなら言うこと聴いて、」
「でも周太、光一に言われたのに、」

切長い目が困ったよう微笑んでいる。
それでも周太は「お願い」を繰り返した。

「英二は俺の、恋の奴隷なんでしょ?ちゃんと命令を聴いて、お願い、光一に電話して?…きっと待ってる、」

どうか電話してあげて?
そう見つめた先で端正な貌が、嬉しそうに綻んでくれた。

「ありがとう、周太。じゃあ、ちょっと電話させてもらうな?」

言いながら長い指が携帯電話を掴みこむ。
からり窓を開くと、ベランダへと英二は降りていった。

「…おつかれ、光一。…うん、そうだよ?…なにしてた?…そっか、…」

開けたままの窓から、綺麗な低い声が聴こえてくる。
声運んでくれる夜風がカーテン揺らし、そっと静かに頬を撫でていく。
ふわり、夜の樹木の香が混ざる風は心地いい、心地よさに周太は目を細めた。

「うん、…あ、それだと困ったよな?…ん、言っておく…」

綺麗な低い声、涼やかな夜風、懐かしい樹木の香。
やさしい音と空気に心ゆったりほどけて、深くひとつ呼吸する。
ゆるやかな気配が心充たしていく、そうして眠りの優しい掌が、そっと睫を撫でて瞼が瞑られた。




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