萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第53話 夏衣act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2012-08-21 23:47:07 | 陽はまた昇るanother,side story
衣、記憶、過去と瞬間



第53話 夏衣act.2―another,side story「陽はまた昇る」

アスファルトの照り返しが眩しい。
一昨日までの雨に空は洗われて、光線はダイレクトに新宿の街へふる。
真直ぐな陽射しに気温は上がっていく、ほっと暑さに溜息ついたとき安本が言ってくれた。

「周太くん、上着を脱ぐと良いよ?遠慮しないで、熱中症とか困るだろ、」

人好い笑顔の提案に周太は微笑んだ。
この笑顔に会うのは8か月ぶりになるけれど、前と変わらず温かい。
こんな実直に明るい笑顔を父も好きだったろうな?そんな想いと周太は素直に返事した。

「すみません、ありがとうございます、」
「こちらこそ、ありがとう。俺に気を遣って、ちゃんと着てくれてるんだろ?でも遠慮しないで貰うほうが嬉しいよ、」

笑いながら安本は、自身も腕に掛けたジャケットを示してくれる。
本当に裏表が無さそうな笑顔と態度に、周太は素直にスーツのジャケットを脱いだ。
その隣から英二が鞄を持ってくれる、いつもながら優しい婚約者に周太は笑いかけた。

「ありがとう、英二、」
「どういたしまして。安本さん、言っていただく前から俺、脱いじゃって済みません、」

率直に謝って英二は綺麗に笑いかける。
そんな笑顔に安本は、楽しげに笑ってくれた。

「いや、構わないよ。それにしても宮田くんは、本当に良い笑顔だな。周太くんも、」
「ありがとうございます、安本さんの笑顔も良いですよ、」

さらっと答えて英二は、和風ダイニングの扉を開いた。
まだ10時過ぎなのに週末らしく、もう早いランチタイムの客が入っている。
きっと人気がある店なんだろうな?そう眺めながら案内された個室の席に着いた。

「良い店だな、宮田くんは何度か来てるんだ?」
「はい。父と一緒だと、昼はここが多いんです、」

きれいに笑いかけて英二はメニューを差し出してくれる。
受けとりながら安本は楽しげに言ってくれた。

「今日はご馳走させて貰うよ、好きなものを好きなだけ頼んでくれ、」

人の好い笑顔が気さくに提案してくれる。
けれど周太は申し訳なくて、つい遠慮を口にした。

「ありがとうございます、でも、悪いです…俺、前もご馳走になりましたし、」
「いや、良いんだよ。ご馳走させてほしいんだ、」

答えながら安本は温かに目を笑ませた。
そして懐かしそうに微笑んで、父の旧友は教えてくれた。

「湯原と約束したんだよ、いつか息子さんと呑ませてくれってね。まあ今日も酒抜きだけどな、俺にとって大事な約束なんだ。
息子と飯を食うの憧れなんだけど、俺は娘ばっかりでさ。だから湯原に約束させたんだ、息子がいる幸せを俺にも分けろってな、」

そんな約束を父は、してくれていた?

―…俺はね、湯原くん?君のお父さんと約束していたんだ。息子さんが大きくなったらな、ここで一緒に飲ませろよ、ってね。
 だから俺は驚いたんだよ。だってなあ、宮田が君を連れてきたんだから。しかも同じ警察官だ、驚いて、懐かしかった

いま告げられた約束に1月の記憶が、後藤副隊長が話してくれた「約束」が重なりこむ。
こんなふうに父は親しい友人たちに「息子と呑む」約束を幾つもしてくれていた、その想いが温かい。
この約束の存在が示してくれる父の真実と本音、そして父の友人たちの温もり。
この全てが温かい、眼の底にじむ熱に微笑んで周太は素直に頷いた。

「ありがとうございます、じゃあ遠慮なくご馳走になりますね?」
「ああ、そうしてくれたら嬉しいよ。宮田くんも好きなだけ頼んでくれ、」

楽しそうに笑って英二にも奨めてくれる。
それに端正な笑顔を見せて、綺麗な低い声は可笑しそうに笑ってくれた。

「俺の好きなだけは相当ですよ?」
「お、ガタイが良いだけあるんだな?いいぞ、今、覚悟したからな。存分に食ってくれ、」

人の好い笑顔が頼もしいトーンでメニューを示してくれる。
それに英二も笑って「じゃあ遠慮なく、」とオーダーを選び始めた。
こんな2人の姿を見ていると「もしも」の考えが心に映り出してしまう。

もしも父が生きていたら、こんなふうに英二と食事をしてくれたのだろうか?
こんなふうに父も明るく笑い合って、大切な人と楽しい時を過ごしてくれた?
そんな想いに父の真実がそっと響いて、あの雨の夜に告げられた言葉が浮んでくる。

―…お父さんは愛する人の時間を捨てたかった訳じゃない、だから優しい嘘を吐きたかったんだ
 本当は愛する家族と離れたくなかった…だから自殺だと思われたくなくて『殉職』で嘘を吐いたんだよ

きっと英二が言ってくれた通りだった、父は約束を守る人だったから。
それも大切な友人との約束なら、きっと父は叶えたかったに違いない。
だから、いま聴かされた安本の約束にも教えて貰える、そして心から断言できる。

…お父さん?本当は死にたくなかったね、生きていたかったんだね?

いま確信に心が温かい、温もりが瞳の奥に昇ってしまう。
けれど瞳ひとつ瞬いて納めると食事を決めて、英二にオーダーを任せた。
そしてオーダーを受けた店員が扉を閉めると、周太は安本の目を真直ぐ見て尋ねた。

「安本さん、教えてください。父は、あのときボディーアーマーを着ていましたか?」

あの雨の夜から考え続けた「真相」は、いま目の前に座るひとが一番知っている。
このひとこそ14年前の夜を全て見ていたはず、父と最後の任務にパートナーを組み、父の最期を看取った人だから。
そして自分と母を検案所で迎えたのは、遺品を渡したのは、全てが安本だった。

…お父さんの警察官としての顔を、いちばん長く見ていたのも安本さんなんだ

父と安本は警察学校の同期で、同じ教場だった。
卒業配置も共に新宿署に配されて、機動隊にも一緒に配属されたと前に教えてくれた。
そのあと父は警備部へ安本は新宿署刑事課へと分れてしまった、この分岐が14年前の「殉職」を生み出した?
もし同じように園遊会の警邏に就いたとしても、警備部SATではなく新宿署所属だったら父は、死なずに済んだのに?
そんな想いに見つめる向う側で、人の好い笑顔は穏やかに口を開いた。

「ああ、もちろん着ていたよ、活動服の中にね。あの日、湯原は御苑の園遊会で警護に当ってくれた。だから当然、着ていたよ」

答えに、肩から力が一息に消えた。
そして瞳の奥から閉じこめた熱が、ゆっくり解かれていく。

「…ほんとですね?…撃たれた時も父は、ボディーアーマーを着ていたんですね?」
「もちろんだ。真面目なやつだからね、君のお父さんは。でも、それでも銃弾は防げなかったんだ、」

穏やかでも明確なトーンが、肯定してくれる。
真直ぐで実直な眼差しが「本当だよ」と見つめてくれる、その目に周太は真実を見た。
その真実を周太は、父の最期を見つめた目へと問いかけた。

「それなら、父は、あの夜も生きたいと、家に帰りたいと思っていた。そう考えても良いのでしょうか?」

いちばん父の近くにいる友人で警察官、そのひとから聴かせてほしい。
どうか父の最期を見た、あなたの口から父の真実を教えてほしい。
そんな想いと見つめる安本の目は、温かに笑んだ。

「もちろんだ。あの夜も湯原、俺に周太くんの写真を見せてくれたよ。それでな、桜の花びらを2枚、手帳に挟んでいた、」

…桜の花びらを、2枚?

あの日、父は桜の園遊会の警護だった、そのとき咲いていた桜だろうか?
それを「2枚」手帳に挟んでいたのは、その理由は自分が想う通りだろうか?
この推測に祈るよう見つめる先、実直な目は真直ぐ周太を見つめて、言葉を続けた。

「あの夜もね、湯原と新宿署のベンチに座って休憩していたんだよ。俺はコーヒー、あいつはココア。いつもの定番だった。
あのときも手帳を開いてな、君の写真と、桜の花びらを3枚見せてくれたよ。花吹雪があって3枚、ちょうど掌に乗ったって言ってた。
湯原、きれいだろって笑ってな、1枚を俺にくれたんだ。きっと2枚は周太くんと、お母さんへの土産にするつもりだったよ、あいつ」

話しながら懐かしそうな眼差しが、周太を見つめてくれる。
その目は真直ぐ温かに誠実で、すこしだけ父と似ていて、寂しげで優しい。
その目に懐かしさを見つめる向うから、安本は教えてくれた。

「あの日も湯原、大切な息子と奥さんのことを想いながら任務に就いていたんだ。本当はあの夜、君に話すべきだった。
でも、言えなかったんだ。その手帳も、写真も、花びらも、遺品として渡せなかった。でも今日、受けとって貰えるだろうか?」

ワイシャツの胸ポケットから安本は、白い封筒を取りだした。
受けとった封筒はすこし古びて、けれど丁寧に保管されていたことが解かる。
そっと開けてみた中には、焦げた穴の開いた手帳が納められていた。

「それは銃弾の痕なんだ、中に写真と花びらもある、」

安本の言葉がほろ苦くが香る、それは14年間の涙の潮だろうか?
その苦さに覚悟して、周太はひとつ呼吸すると手帳を開いた。

…お父さん、

写真には弾痕の穴と、血痕。
桜の花びらにも黒い染みがある、けれど綺麗に押花になって。

「この血は、父のものですね?」

落着いた声が自分の唇から出てくれる、けれど瞳の奥は熱い。
それでも熱を堪えて見つめた先、父の友人は正直に答えてくれた。

「ああ、湯原の血だ。あいつ、手帳ごと胸を撃たれてな。惨くて渡せなかったんだ、あいつの気持ちも伝えられなかった。
あいつの帰りたい気持ちが銃弾に壊されたみたいで、悔しくて哀しくて。だから俺が預らせて貰ったんだ、いつか君に渡そうって、」

いま、告白される14年前の真実に、心が納得へ温められる。

生きていたい、けれど命を懸けても尊厳と誇りを貫きたい。
この矛盾の狭間に佇んだ父は14年前、一瞬で信念に殉じ逍遥と死に赴いた。
大切にしていた息子の写真ごと胸を撃たれて、家族への想いと一緒に逝ってしまった。

「写真、いつも持ってくれていたんですね、父は、」

いま見つめる古く壊れた写真と押花に、父の真実が微笑んでくれる。
その微笑に重なるよう、穏やかに微笑んだ父の友人は言ってくれた。

「そうだよ、いつも持ってた。しょっちゅう俺に自慢してたよ、可愛くて優秀で、すごく良い子だって。奥さんのお蔭だってね、」

…ね、お父さん?俺のこと、お母さんのこと、愛してるね?

そっと心裡に、確信が温かい。
いま聴かされる父の素顔に、あの夜の真実の想いが温かい。

もし罪が無かったなら父は、きっと生きることを選び、大切な約束たちを叶えたかったろう。
あの夜も妻と息子と約束したよう庭の桜を眺めたかった、奥多摩に行く約束も叶えたかったはず。
いつも安本や後藤に約束していた通りに、大人になった息子を連れて友人たちと酒を酌みたかった。

あの瞬間まで父が遺した約束は全て、父の真実の願いと、真心だった。

きっとそうなのだと思える、父の願いと選択の矛盾を、その信念の強靭が見える。
この最期を見つめた人の言葉から、あのとき「殉職」を選んだ父の真実が自分を見つめて微笑んでいる。
まるで父が友人の姿を借りて、笑ってくれているように。

「教えて下さって、ありがとうございます、」

素直に微笑んで周太は手帳を閉じ、頭を下げた。
そして俯けた瞳から熱はこぼれ、心の奥から涙あふれだす。

…おとうさん、生きていたかったね?

想いに涙こぼれて、スーツの膝に跡を刻みこむ。
あとから後から温もりは落ちて止まらない、顔が上げられない。
こんなに泣いてしまうと思わなかった、けれど、この涙に本心を気づかされていく。

自分が知りたいと一番に願った父の真相は何か?
自分は何を見つけたくて父の軌跡に立ったのか、それを今、自覚する。

“父の笑顔は真実だったのか?” 自分たち母子と、家族と共に生きて父は幸せだったのか?

それを一番に知りたかった。
知らない父の姿を見つけたいのも本当、父の苦しみを受けとめたいことも本当。
けれど本当に一番に探していた答えは「父は幸せだったのか?」それを知りたかった。
自分と母が愛した父の、美しいあの笑顔は真実だったのかを知りたくて、だから父の軌跡を追う道を選んだ。

ね、お父さん?
お父さんの笑顔は、本当の笑顔だったんだよね?
あの笑顔は本当に幸せで、俺のこと、お母さんのこと、愛して幸せだったよね?

そんな呟きが心を廻って、温かい。
そして父の想いが覚悟が、肚の底から熱くなる。

幸せだから生きる道を選びたくて、けれど、信じた道のために選べなかった。
人間としての尊厳の為に父は贖罪を選んだ、男の誇りを示すために命を懸けて、父は死んだ。

そんな父の立っていた道を、やっぱり自分は見に行きたい。
父の真実が「生きることに幸せな笑顔」だったなら、尚更に自分は知りたいから。
だから今、ここで流れる涙に懸けてこの瞬間、自分も覚悟に微笑みたい。
父と同じように男としての誇りを懸けて、尊厳を護るために覚悟したい。

…お父さん、俺、やっぱりSATに志願するね?

そっと心呟いて微笑んだ、その視界に涙こぼれ落ちる。
閉じた手帳を膝の上で封筒に戻す、そこにも涙おちて浸みていく。
ただ静かに零れていく涙に顔があげられない、そんな肩を温もりが包んでくれた。

「周太、おいで?」

綺麗な低い声が微笑んで、体を支えながら立たせてくれる。
長い指の掌に肩が包まれている、ほっと俯いたまま安らいだ隣から、英二は言ってくれた。

「安本さん、中座をすみません。すぐ戻りますから、待っていて下さいますか?」
「もちろん、遠慮しないでくれ、な…、」

穏やかに答えてくれる声が、かすかに詰まっている。
いま安本も泣いているのだろうか?そう気づいて少し動かした瞳に、向かいの席が映りこむ。
そこには組んだ掌に半顔を埋めるようにした安本が、微かに目を潤ませていた。

…このひとも心から、お父さんを想ってくれる

ことん、心におちる呟きに、周太は大切なことを思い出した。

今日は必ず安本に礼を言おう。
父を看取ってくれたこと、父の遺志を護ってくれたことに、きちんと礼を言いたい。
その想いを抱いて周太は婚約者に支えられて、手帳の封筒を胸ポケットに廊下を歩いた。
そして奥の洗面室に着くと、静かに英二は把手に手を掛けてくれた。

かたん、

木造の引戸は開かれて、長い指は閉めてくれる。
そして空間がふたりになった途端、周太は広やかな胸に抱きついた。

「…っえいじ!」

ただ一声、名前を呼んで涙あふれだす。
大好きな名前が引金のよう、涙も嗚咽もあふれでて周太は温もりに泣いた。

「うっ…う、うっ…あ、…っ、」

ほら、こんなふうに泣きじゃくる自分は、泣き虫。
こんなに泣き虫で弱い自分、けれど受けとめてくれる胸は温かい。
この温もりだけが世界の全てのよう想えるほど、すがる胸はひろやかに頼もしい。
この胸にすがりついて泣いてしまう心ごと、温かな腕はしっかり抱きとめて、やさしく背を撫でてくれる。

「泣いて、周太…俺がいるから大丈夫、」

綺麗な低い声が言ってくれる、その声も微かに詰まっている。
この腕のひとも共に今、父を想い泣いてくれる。会ったことが無くても惜しんで想ってくれる。
こんなふうに父を真直ぐ受けとめてくれるひと、その人が自分の伴侶として今、傍にいる。
ずっと孤独だった13年の冷たい時間、けれど超えた今、頼もしい懐に衣のよう包まれ温かい。

…この今が、この瞬間が幸せだ

この今の幸せが温かで嬉しくて、涙は安堵に流れだす。
そして降り積もる父への想いに、今、周太は心から泣いた。



庭の紫陽花は、盛りを迎えていた。
まだ日中の陽射しふる緑は濃く輝いて、花あざやかに色彩を見せている。
群青、紫紺、青、水の色、爽やかなトーンは緑陰に涼やかに揺れていく。
それから薄桃に白の明るい花たちは陽に華やいで、可憐な姿に輝き魅せる。
どれもきれいだな?そう見ながら庭を歩いて、一株の花の前に周太は足を止めた。

「周太、この赤い花も紫陽花?」

綺麗な低い声が隣から訊いてくれる。
この花こそ今日、唯ひとりの恋人に見せてあげたかった。
想ったよう咲いてくれていた花に嬉しくて、周太は綺麗に笑った。

「ん、紅萼紫陽花って言うの…好きな花なんだ、」
「きれいな花だね、周太。きれいな色で、姿もすっきりしていて良いな、」

綺麗な笑顔を見せながら、白い指が紅い花にふれてくれる。
ほら、やっぱりこの掌には似合う花だったな?この花は父も好きだった、それが英二に似合うことが嬉しい。
嬉しく眺めて周太は花鋏を手渡した。

「好きなのを選んで?床の間に活けるのに、ちょうど良い感じの…あと、書斎にも」
「これなんかどうかな、周太?」

笑いかけて訊いてくれる花枝は、自分も良いかなと思うものだった。
こんなところも一緒だと嬉しくて気恥ずかしい、すこし首筋が熱くなるのを感じながら周太は頷いた。

「ん、良いと思うよ?」
「ありがとう、周太、」

綺麗に笑って英二は、そっと鋏を枝に入れた。
ぱきん、潔い音が空響いて紅の花は白皙の手に納められる。
そんな様子も美しくて見惚れてしまう、ほっと微笑んだ周太に、ふと英二は尋ねた。

「周太、さっき区役所で戸籍と除籍を取ったよな、全部事項で。何に使うんだ?」

とくん、鼓動がひとつ心轟かす。

さっき家への帰路を区役所に寄り道した、そのときの事を英二は言っている。
証明書申請を出したとき英二は、ちょうど電話をしていた。それでも書類に気づいたらしい。
この証明書を取得した目的を言うのは、何となく気が引けてしまう。けれど言わないわけにはいかない。

『秘密も一緒に背負って』

低体温症に斃れた夜、そう自分は約束をした。
だから今も話すべきだろう、周太は隣を見上げて真直ぐに告げた。

「お祖父さん達のこと、知りたいんだ。それで戸籍とか見たら何か解かるかもって…俺、名前しか知らないから、」

自分の戸籍全部事項証明には両親と、両親が出生した時の戸籍筆頭者が記されている。
同じように祖父の除籍謄本には配偶者である妻の記載と、祖父の両親として曾祖父母も記されている。
そして曾祖父の書類なら川崎に移る以前の住所が書いてあるはず、辿れば家のルーツが少し見えるだろう。
この書類たちがあれば祖父達や家の事が少し解かるかもしれない?そんな一縷の望みに今日は区役所に寄った。

こんなふうに調べることを英二は、なんて思うのだろう?

「俺、親戚も無いし、きょうだいもいないでしょ?…だから、せめてお祖父さん達のことくらい知りたいって思って。
まだ今なら時間もとれるから、異動の前に調べようって考えたんだ…今日は第4土曜だから区役所も12時半まで受付てくれるし」

正直に告げて、周太は婚約者を見つめた。
そしてこの告白に周太は、おねだりを重ねて微笑んだ。

「英二は法学部だよね、だったら戸籍や除籍の詳しい見方知ってるよね?…お願い、協力して?」

この協力のためにも今日、区役所に行きたかった。
今日を逃したら次はいつ英二と書類を見られるか、解からないから。
このお願いを聴き入れてくれるかな?そう見上げた先で英二は穏やかに微笑んだ。

「うん、お願い聴くよ?周太、」

穏やかな笑顔で答えて、紅の花枝を持つ手を伸ばしてくれる。
その花ごと抱きよせ額をつけて、切長い目が瞳のぞきこんだ。

「ちゃんと約束通り、話してくれたね。ありがとう、周太…」

綺麗な微笑を瞳うつして英二は、唇をキスに重ねた。
やさしい触れるだけのキスに瞳を閉じて、そっと離れる温もりに睫を披く。
そうして見つめる想いの真中で、きれいな笑顔は不思議な色に笑いかけた。

「周太、家に入ろう?水切りをしたら、書類、見せて?」

提案してくれながら掌を繋いで、玄関へと英二は歩き出した。




(to be continued)

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one scene 某日、学校にてact.12 ―side story「陽はまた昇る」

2012-08-21 04:43:07 | 陽はまた昇るside story
言っておくけれど、



one scene 某日、学校にてact.12 ―side story「陽はまた昇る」

汗の匂いと明るい喧騒、それから機械音。

トレーニングルームは今日も人が多くて、誰もが真剣でも楽しげに体を動かしている。
こんなふうに器具を使ってのトレーニングは7ヶ月していない、いつも山の現場で訓練しているから。
だから機材は勿論のこと、ふれる熱気と匂いも何となく懐かしい。この懐かしさに自分の居場所は「山」になったと気付かされる。

―こういうトレーニング、初総が終ったら次は、いつやるんだろ?

ふと浮かんだ思いに首傾げながら、ランニングマシーンを走っていく。
いつもなら山道のアップダウンと凸凹を駆けるけれど、今は平坦を走るから楽だ。
こんなとき既に日常になっている山岳訓練のキツさが懐かしくなって、もう山の世界が心映りだす。

久しぶりに山に行きたい、雪山の世界に触れたい。
来月は北岳と谷川岳で練習をして、それからマッターホルンへ訓練に行く。
その他にも海外の遠征訓練に参加する予定になっている、但し山岳救助隊の状況次第では変更になるだろう。
なにより英二自身の所属が青梅署のままなのか?いつ異動になるのかは解からないのだから。

―それでも訓練の予定は、あまり変わらないだろうな?

そんな独りごと心に呟いて、ランニングマシーンが時間と告げる。
測定値をチェックしてからセッティングをクリアにすると、英二は隣に笑いかけた。

「周太、腹筋やりたいから協力してくれる?」
「ん、いいよ、」

気軽に微笑んで素直に付いて来てくれる。
ほら、こんなふう素直に微笑んでくれる、それが嬉しくて仕方ない。
一年前の周太は笑わないで、殻に籠ったような雰囲気が切なくてならなかった。
それが今はもう、こんなふう笑ってくれるのが嬉しい。嬉しくて英二は笑いかけた。

「周太ってさ、ほんと笑顔が可愛いね、」
「…こういうとこでいわれてもはずかしいからやめて…でもありがとう」

恥ずかしげに俯いて、けれど赤い頬で微笑んでくれる。
こんな表情が可愛くて見ていたい、こんなにも自分は目が離せない。
こんなに見てばかりいる今に、ふと来月からの日常が不安になりかけてしまう。
もう今月で初任総合は終わり、来月には青梅署と新宿署に分かれてしまうから。

―それでも、電車で1時間で逢えるんだ、

心に思って、自分に笑ってみる。
だって初任科教養の卒業式はもっと辛かった、だから今は笑えてしまう。
もう今は婚約者の立場がある、逢いたければ逢いに行く権利を、この最愛の恋人から与えられたのだから。
そんな想い微笑んで英二はフロアへと膝立てに座り、腹筋の体勢で周太と足を合わせあった。
ふたり絡ませ合い抑えこみ合う足に、嬉しくて英二は恋人へ微笑んだ。

「なあ、周太?こうして足を合わせるのとか、なんかいいよな?」

言って、我ながら可笑しい。
こんなことで「合わせる」だけでも自分は嬉しいんだ?そんなふう笑っていると周太は頬まで赤くした。

「…いまはくちよりからだをうごかすときですから、」

なんだか可愛いトーンで言って、さっさと腹筋運動を始めだす。
こんな照れ屋のところが可愛くて、つい言っておきたくなる。

合わせたいのは、全てだよ?

この体も君と合わせていたい、心も重ねて合わせたい。
そして人生も合わせて君と共に歩きたい、どうか離れず傍にいて。
ずっと傍にいて見つめていたいから、君と視線を合わせて見つめて、幸せな笑顔を見たい。

そしてどうか願うなら、ずっと君の幸せに合わせられるように。




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