雲隠、見え初めるのは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/2f/2c4cfcd13073ece9d6cad10c87c6b4c5.jpg)
第53話 夏至act.3―side story「陽はまた昇る」
11時15分、周太の携帯が振動する。
隣に座るスラックスのポケットからバイブレーションが伝わりだす。
予定通りに動いてくれたな?微笑んで英二は周太に声をかけた。
「周太、電話みたいだよ?」
笑いかけると、黒目がちの瞳が遠慮がちに安本を見た。
向かいに座る人好い顔は気さくに笑って、周太に言ってくれた。
「周太くん。遠慮しないでいい、電話しておいで?」
「でも、中座は失礼ですし…」
遠慮して周太は、ポケットに触れもしない。
けれど安本は温かに笑って提案してくれた。
「なにか大事な用かもしれないよ?少なくとも今、周太くんと話したい人なんだ、ちゃんと話しておいで?遠慮されると俺が哀しいよ、」
遠慮されると哀しい、こんなフレーズを言われると周太は弱い。
安本は面と向かって周太と話すのは、14年前を入れても3回目でしかない。
それでも周太の性格を把握していることが、この言い回しから解ってしまう。
―さすが、事情聴取の指導員だ
心裡に素直な賞賛がこぼれて、英二は微笑んだ。
安本は30年間を刑事として、射撃と事情聴取の指導員として現場に向き合っている。
それだけの経験と人柄が垣間見えてくる、そう思うと11月の時はよくも安本を落とせたものだと思う。
―吉村先生のお蔭だった、安本さんの先生への信頼があったからだ
あのときは吉村医師が一緒に行ってくれた、あれが先制攻撃になって安本を動揺させること出来た。
しかも吉村医師は何気ない会話から巧みに誘導して、安本から周太のことを自然と引き出し英二に繋いでくれた。
あの助勢が無かったら難しかっただろうな?記憶と感謝に微笑んだ隣で周太は、素直に安本へと笑いかけた。
「ありがとうございます、じゃあ、すみません、」
素直に頭を下げて周太は「行ってくるね?」と目で英二に笑いかけると、席を立って行った。
微笑んで応えながらテーブルの下、クライマーウォッチの時間計測をセットする。
そして扉が閉じると、英二は安本に頭を下げた。
「安本さん、11月のときは色々と失礼を申し上げました、すみません」
「どうしたんだ?急に改まって、照れるじゃないか、」
すこし驚いたよう言ってくれる声は、相変わらず温かい。
ゆっくり頭を上げると人の好い顔が笑ってくれる、その笑顔へ率直に英二は言った。
「いつも射撃場ではお会いしていますが、改めてお詫びを伝えたかったんです。本当に生意気なことを失礼いたしました、」
「いや、あのときは俺こそ本当にすまない。宮田くんに言われなかったら俺は、気づけなかった、」
すこし寂しげに、けれど温かな笑顔で安本は英二を見た。
そして、そのまま安本は頭を下げた。
「本当にありがとう、周太くんを止めてくれて、救けてくれてありがとう…俺の軽率の為に、すまなかった、」
『止めてくれて、救けてくれて』
この言葉に、あのとき周太が何をしようとしたか、安本も気づいていると解かる。
あのとき周太は父親の殺害犯に会いに行くつもりだった、射撃訓練の帰りがけに「拳銃」を手にして。
けれど何とか水際で止めることが出来た、あのときも光一の助力が無ければ間に合えなかったろう。
あれは11月だった、あれから安本は自責に8ヶ月間を過ごしてきたのだろうか?
そんな想いと見つめる下げられた頭は、思った以上に白い。
―悩んできたんだ、このひとも…もっと早く、この時間を持つべきだった、
目の前の白髪まじりに、馨の旧友の心労が見えてしまう。
もっと早く安本と話す時間を持つべきだった、そして少しでも早く心労を除いてやればよかった。
いくら忙しくても優先するべきだった。この謝罪と1つの意図に微笑んで、英二はお願いをした。
「まず頭を上げて下さい、俺は相手の目を見ないと話せないんです、」
「ふっ、」
小さく笑う声がこぼれて、安本は顔を上げてくれた。
その貌は困ったようでも嬉しそうで、そのままに安本は微笑んだ。
「宮田くんは巧いな?そう言われたら俺は、頭を上げざるを得ないよ、」
言われる言葉に安本の本音が見え隠れする。たぶん安本は本当に謝罪するつもりだったろう、けれど意図もある。
その聴取の名手らしい意図に対して、英二は思ったままを口にした。
「目の動きが解からないと、心理が読み難いでしょう?それでは信頼して話すのは、最初っから無理です、」
「ははっ、やっぱりバレたか?」
可笑しそうに笑って安本は、おしぼりで顔を一拭きした。
そんな仕草が率直で、本質的には嘘が苦手なお人好しだなと思わせる。笑って英二は素直に言った。
「今、頭を下げられたのは目を隠す意図と、本当のお気持ちと両方ですよね?俺は今日、安本さんの本音と話しに来ました。
だから本当のお気持ちに対して答えます。あの店のオヤジさんは、周太を常連客とだけ思っています。だからもう気にしないで下さい、」
安本は、周太が「復讐」に行ったことを心配している。
けれど、あの店へと周太が拳銃を持って向かおうとしたことは、言うことは出来ない。
本当は安本は明確な答えが欲しいだろう、けれど言うつもりは自分にはない。どこで綻びが出るか解らないから。
―言えるのは、ここまで
そんな穏やかな拒絶と笑いかけた先、人の好い顔が安堵に微笑んだ。
ほぐれた笑顔はそのまま可笑しそうに笑って、楽しげにノンアルコールビールを英二のグラスに注いでくれた。
「ありがとう、答えてくれて。しかしなあ、本当に君には降参だな?あのときも凄い迫力だったよ、俺は全く敵わなかった、」
「いえ、あのときは吉村先生のお蔭です。そうでしょう、安本さん?」
注がれたグラスを受けて、英二は微笑んだ。
あのとき自分は卒業配置2ヶ月目の新人だった、まだ経験も貫禄も何もなかった。
そんな自分が1人だけでは、あそこまで話を引き出すことは出来なかったと自分が一番知っている。
今度は英二が瓶を安本のグラスに傾ける、その手元を見ながら安本は可笑しそうに頷いてくれた。
「ああ、本当にあのときは意表を突かれたよ?まさか吉村先生が出てくるとは思わなかった、しかも巧いこと誘導尋問されてな、」
きっと安本としては意外だったろう。
けれど英二は青梅署での日常から知っている、少し誇らしい想いと英二は微笑んだ。
「はい、先生は警察医としても一流ですから、」
本当に最高の警察医で、山ヤの医師だと思う。
吉村医師は普段から、留置所でも診察室でも「聴き取り」が巧い。
いつもの穏やかなトーンで相手を寛がせながら、ゆったり訊き出してしまう。
あの聴取の巧さは見習いたいと、手伝いながら英二は観察して吉村の手腕を学ばせて貰う。
本当に多くを吉村医師には学ばせて貰っている、救急法に法医学、山岳遭難について、聴取のコツ、そして人間について。
吉村医師は英二に必要なことの多くを教えてくれた、もし吉村と出会えなかったら今頃どうなっていのだろう?
―青梅に戻ったら、たくさん手伝わせて貰おう。異動まで、出来るだけ
感謝に微笑んだ心に、白衣姿のロマンスグレーが佇んでくれる。
あの誠実な医師が向けてくれる、亡くした息子の分までも懸けた愛情がこんなときも温かい。
ふっと素直な心で微笑んだ顔に、いま前に座る馨の旧友は懐かしげに笑ってくれた。
「なんだろう?宮田くんの目は湯原と似ているんだ、他人の空似だろうけどな。でも、よく似ている瞬間があるよ」
「後藤副隊長にも、よく言われます。そんなに似ていますか?」
「やっぱり、後藤さんもそう仰るんだな?よく似てるよ、湯原の奥さんも言うだろう?」
ときおり救助現場で思うのだと後藤は言っていた。
それは遺体を前にした時の表情を見て、感じるのだろう。陰鬱な想いの顔は自分でも似ている自覚があるから。
この自分の顔に利用価値があるのは幸運だ、そんな想いとただ微笑んでいる前で、安本は扉を見遣って低く言った。
「今朝、射撃指導員の会合が本庁であったんだ。そこで新宿署のやつに訊かれた、湯原に親戚は居ないのかとね。これで2度目だ、」
ほら、やっぱり「亡霊」を探している。
思っていた通りの質問に、英二は黙って微笑んだ。
たぶん安本は今日、これを聴きたくて時間を作ってくれたのだろう。今「2度目」と言ったから。
ただ微笑んだ目だけで「それで?」と問いかける、その問いに安本は口を開いてくれた。
「前に訊かれたのは4月だ。俺は、湯原の命日には新宿署で、あのベンチでコーヒーを飲むことにしている。そこに署長が来たんだ。
休憩に来たと言って、俺に話しかけてきたよ。あの署長は卒配も新宿でな、そのころ俺達は機動隊で応援先は新宿が多かったんだ。
それで顔は知っている、湯原は何度か交番の応援要員で一緒になっていた。だから話が湯原のことになっても不思議とは思わなかった、」
一息ついて安本はグラスに口をつけた。
また扉の気配を見遣り、そちらに意識を残したままで安本は再び口を開いた。
「だが、あいつは変な質問をした『湯原さんには息子さんが何人いるんですか』ってな。こんなこと新宿署長が訊くのは変だろう?
新宿署には湯原の息子の周太くんがいる、署長なら署員の履歴書を閲覧することは出来るはずだ、それで解かるはずなのに訊いてきた。
だから俺は訊き返してやったよ、『湯原に似たヤツでも見たのか?』ってな。そうしたら署長の目は一瞬だが泳いで、変に竦んだんだよ」
『湯原に似たヤツでも見たのか?』
この問いに、新宿署長の答えは「Yes」だと自分は知っている。
あの日は周太に内緒で新宿署に行き、あのベンチに座ってココアを飲んだ。
それを署長は見に来た、「連鎖」の仲間と一緒に自分を見つめて「おまえは何者だ?」と怯えた目で問いかけてきた。
あの後に安本へと探りを入れてきた、馨の親友だったら何かを知っていると考えて当然だろう。
―箱庭の住人達が俺を探してる、お父さんの息子だと思って、
いずれ自分は周太と結婚するのだから、確かに「息子」は正解かも知れない?
けれど自分と周太の場合、英二の独立した戸籍に周太が養子縁組で入籍するから、馨との親子関係は生じない。
それでも「親戚」は正解だろう、今朝、安本に訊いてきた男の言う通りに。
―やっぱり、指導員も、か…
いま聴かされた事実は、予想の範疇どおり。
それでも、新宿署射撃特練の周太に近い存在が「連鎖」包囲の一部なことは嬉しくない。
けれど当然と言えば、当然の包囲網だと納得している。こんな考え廻らす前から、安本は真直ぐ英二に問いかけた。
「俺が知っている『湯原に似たヤツ』は、1人しかいない。そうだろう?」
人の好い顔が真直ぐ英二を見つめてくる。
穏やかな底の鋭利な視線が、馨の旧友の目から注がれる。
この事実確認をしたくて仕方ないのだろうな?そんな感想と微笑んで英二は、静かに口を開いた。
「お父さんの葬儀と通夜の弔問客を、憶えていますか?」
問われて、安本の目がすっと細められた。
すこし考える色がゆれ、けれど笑って安本は教えてくれた。
「ああ、憶えている。俺はどちらでも受付をさせてもらったんだ、湯原には親戚もなかったから、教場の同期が手伝ったんだ、」
「そうでしたか、お世話になりました、」
綺麗に笑って英二は頭を下げた。
そしてジャケットの胸ポケットから手帳とペンを出すと、メモをする体勢で微笑んだ。
「憶えている限りで良いです、弔問客で警察関係者の名前と経歴、今の所属を教えて下さいませんか?」
安本の目が少し大きくなって、英二を見つめた。
何を考えている?そう問いかける眼差しに英二は笑いかけた。
「無理なら結構です、」
「いや、無理じゃない。全員とまではいかないが、憶えているだけで良いなら、」
ひとつ瞬いて安本は、なにか決意したような目で微笑んだ。
その目は真直ぐで過去の哀しみがあっても、どこか明るい。きっと本当に話してくれるのだろう、英二は笑って頷いた。
「はい、お願いします。あと、お母さんや周太に話しかけた人がいたら教えて頂けますか?」
「周太くんに?…」
ふっと止まって、安本は記憶を辿るよう目を細めた。
そして英二の目を真直ぐ見つめたまま、馨の旧友は教えてくれた。
「ああ…周太くんに話しかけていた警察の人間がいた、通夜の時だ、」
その人物が誰なのか?
きっとラテン語表記では幾度も見た名前だろう。
そして漢字での表記は資料やWEBでも見ている、たぶん同じ名前だろうな?
そう見た先で安本の口が動いて、14年前の事実が知らされた。
「当時は80歳位のはずだ、たしか最後は神奈川県警の本部長だったよ。話したことは無いが、射撃大会で何度か見てるんだ。
全国大会と警視庁の大会と、両方でよく臨席していた人だ。だから優勝常連者の湯原を知っていたのは、不思議は無いんだが。
でも、そんなお偉いさんが、なぜ通夜に来たのか不思議だったよ。どうして周太くんに話しかけるのかも不思議でな、印象的だった、」
もう、それだけ聴けば予想通りだと解かる。
心裡ため息を吐きながら英二は、教えられたことを頭脳に記録した。
そして溜息の墜ちた先から、灼熱の感情がゆっくり瞳を啓いて冷徹に微笑んだ。
―赦せない、
まだ9歳と5カ月だった、周太は。
世界で2人しかいない肉親の1人を喪った、深い哀しみに呆然と竦んだ子供だった。
本当は楽しい約束がたくさんある春だった、それなのに一発の銃弾で愛する父親ごと全てが砕かれて。
周太は記憶すら消えていく自失の衝撃にいた、それを狙ったかのよう「暗示」を吹きこんだ男がいる。
「他の参列者は?」
「うん。警備部の男がいた、5年前に捜査一課に異動したやつで、名前は……」
いま手許は、安本が教えてくれる名前と経歴をメモしていく。
けれど心と肚は冷たい灼熱が密やかに起きあがって、脳髄を冷酷なほど醒ましていく。
いま怒りは熱い、けれど意識は冷徹に澄みわたって、語られていく名前と経歴に分析が始まりだす。
「六機の銃器対策、今は射撃の本部特練で指導員だ。それから八機の銃器、現在は……」
このなかで「連鎖」の番人はどれくらい存在する?
この今も番人で居続けている男は誰だ、どんな役割を果たしている?
メモを取りながら考えを纏めていく、そして安本が語り終えたときクライマーウォッチは「15′05」を表示した。
「ありがとうございました、」
手帳とペンをジャケットの胸ポケットにしまい、英二は微笑んだ。
クライマーウォッチの表示を時計モードに戻す手許を見、安本は笑いかけてくれた。
「もしかして周太くんの電話も、宮田くんだろう?時間を計っているなんてな、」
問いかけに、ただ微笑んで英二は呼び鈴を押した。
すぐ来てくれた店員にノンアルコールビールのお替りを頼むと、空き瓶を渡しながら笑いかけた。
「柑橘系のデザートってありますか?」
「はい、夏みかんの寒天など御奨めです、」
答えに、ふっと心が止められて言葉が反芻される。
―夏みかん、
黄金の実と白い花咲く庭の香と、古い写真の俤がふれてくる。
あの家にとって夏蜜柑は特別な想いがあるだろう、その木を今ここで聞くことに意味を想わさす。
きっと夏みかんなら周太も喜ぶだろうな?微笑んで英二は、品の良い着物姿へと笑いかけた。
「それも1つお願いします、」
「はい、かしこまりました、」
すこし頬染めた店員は丁寧な礼をして、静かに扉を閉じてくれた。
見送って安本に向き直り笑いかけると、感心したよう馨の旧友は笑った。
「本当に良い笑顔をするな?今の彼女、ちょっと見惚れていたぞ?」
「そうですか?ありがとうございます、」
さらり笑って英二は、膳の残りに箸をつけ始めた。
安本も箸を動かしながら、可笑しそうに笑って言ってくれた。
「その笑顔を見ると、こんな俺でも信じて口を割ってしまうよ?そして君からは、半分くらいしか引き出せない、」
「すみません。でも俺を信じて下さるのは、吉村先生のお蔭ですよね?」
吉村医師の信頼が英二にある、だから安本も初対面の時に信じて話せた。
そうでなければ卒配2ヶ月目の新人に、あんな話が出来る訳が無いのに?微笑みかけた向こう安本は、ぱっと笑ってくれた。
「本当に君には参ったな、よく解かってる。その通りだよ、でも今は君自身を信じてる。今日、周太くんと一緒のところを見たしな、」
水茄子の漬物を口に放り込んで、安本が微笑んだ。
飲みこんで水をひとくち飲むと、馨の旧友は楽しそうに話してくれた。
「前に君が言っていた通り、周太くんは聡明で、素直だけれど気難しい。そういう所は湯原とよく似てるよ、だから俺にも解かるんだ。
きっと簡単には、相手を信じて頼ることが出来ないタイプだろう?でも周太くんは、君を心から信頼している。だから俺も信じるよ、」
実直な目が英二を真直ぐ見つめて笑っている。
そして安本は率直に言ってくれた。
「今、俺から訊き出した事を、何に使うのかは訊かない。君が何をしているのか、詮索もしない。でも、俺に協力できることは言ってくれ、」
「ありがとうございます、」
心から礼を述べた英二に、安本は嬉しそうに微笑んだ。
そして扉を見遣ってから低い声で言った。
「これは俺の独り言だ、友達のことを俺は少し、調べてるよ。子供の進路が作られたように異様で、気になる。これは俺の勝手だがな、」
低く言って微笑んだ目から、隠した鋭利の眼差しが英二を見つめている。
その眼差しを真直ぐ受けながら、英二は穏やかに微笑んだ。
「手出しはしないで下さいと、前に申し上げました。本当にご友人を想うのなら、あれは警告だと考えて下さい、」
言葉に、馨の友人の目が細められる。
その目は扉を見遣って、低い声のまま明るく笑った。
「あの夜から俺は、その友達との約束が全てだ。昇任試験も受けず前線に残ったのも、その為だ。こんな馬鹿には警告など解からんよ、」
安本は、馨のために出世を絶って新宿署に残っていた。
馨が最期に願った「殺害犯の更生」を見届ける為に、犯人が釈放され就職する日まで新宿署に居続けた。
そして今、馨の息子が歩んでいる警察組織での進路に疑問を持ち、もう1つの馨の願い「周太」を守ろうとしている。
ただ約束の為に、14年前に逝った男との友情の為に、安本は動こうとしている。
―お父さん?こういう人なんですね、お父さんの親友は…それでも、頼れませんでしたか?
もし馨が安本を頼っていたなら?
いまは違う結果になっていたのだろうか?馨は死なないで済んだのだろうか?
けれど馨には頼ることなど出来なかったろう。この警察組織に於いて、馨にとって友人は「人質」でもあったのだから。
それでも違う未来を馨には探してほしかったのに?想いの底から見つめて英二は、馨の友人に綺麗に笑った。
「秘密であることが、ご友人の子供さんを護る唯一の手段です。けれど、あなたは友人であることを組織で知られ過ぎている。
あなたが動けば秘密は自然と壊れます。だから手出しはしないで下さいと、申し上げました。これは、あなただけの危険ではありません、」
秘密、秘匿、隠されたツール。
それが今は一番の攻撃になる、それが安本には出来ない。
安本が馨の友人であることは周知の事実だから、下手に動けば秘密はこぼれてしまう。
そうすれば危険は周太に及ぶだろう、それだけは防ぎたいことを安本に解からせておきたい。
「それなら、君はどうなんだ?」
刑事の目が英二を見透かす視線を送る。
その視線を受けとめながら意識の片隅、さっき見た「15′05」からの計測が5分を告げる。
時間感覚を知らす時砂が落ちきっていく、砂を心に見つめて英二は綺麗に微笑んだ。
「まだ2年目の新人に、なにが出来るんでしょう?」
こん、…こん、
扉叩く音は、聴き慣れたトーンで響く。
からり扉は開かれて、黒目がちの瞳が微笑んだ。
「随分と中座して、すみませんでした、」
ジャスト20分、光一は予告通りに動いてくれた。
頼りになる自分のアンザイレンパートナーに感謝しながら英二は、愛する人へ微笑んだ。
「おかえり、周太。もうじきデザートが来るよ?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/6a/eef5b9add9fbca15ab2e3405cd90dff0.jpg)
川崎駅に降りたのは12時20分だった。
もうじき駅に入線するとき、左手首の時計を見ながら周太は訊いてくれた。
「あの、区役所に行っていいかな?…12時半までに入らないといけないから、走るけど、」
「いいよ、行こう?」
区役所に行く用事は何だろう?
そう思ったけれど英二は、別のことを尋ねた。
「周太、さっきの電話ってなんだった?」
11時15分の電話。
あのとき光一は、何を話して20分間を作ったのだろう?
訊いてみたくて笑いかけた先、楽しそうに周太は口を開いてくれた。
「光一からだったよ、おばあさんのお店を手伝える人、探してるらしくて…お祭りで屋台をするんだって、だから誘ってくれて、」
「周太、なんて答えたの?」
「シフト出ないと返事は出来ないけど、楽しそう、って答えたらね?詳しいこと教えてくれて…それで時間かかったんだ、」
それなら長めの電話でも不思議は無いだろう。
巧い口実を光一は考えてくれた、感心して微笑んだとき停車して、扉が開いた。
「ごめんね、英二、急いで?」
足早に周太が歩きだし、英二も付いていく。
まだ人混みに呑まれる前の階段を駆け上がり、走りかけながら改札を出た。
そのまま駅から大通りにでる、駆け出した周太に英二は足幅を合わせた。
―周太、区役所に何の用だろ?
考えながら走って5分もかからず庁舎に着くと、1階のカウンターへ周太は歩いて行った。
そのときポケットの携帯が振動して、直ぐに取りだし開くと英二は微笑んだ。
「ありがとう、光一。さっきは助かったよ、」
「あんなんで良かったみたいだね?で、今はどこ?」
からりテノールの声が笑ってくれる。
その質問に英二はそのままを答えた。
「いま区役所だよ、周太の用事でね、」
「区役所?ふうん、書類が欲しいってコトだよね、」
テノールの声が言う「書類」に英二は周太の行方を目で追った。
その視線の先に映ったカウンターの名前に、莞爾と英二は微笑んだ。
「光一、もしかしたら、見たかった物が見られるかもしれない。リスクも高いけどな、」
いま周太は「区民課」に立っている、おそらく請求する書類は?
(to be continued)
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第53話 夏至act.3―side story「陽はまた昇る」
11時15分、周太の携帯が振動する。
隣に座るスラックスのポケットからバイブレーションが伝わりだす。
予定通りに動いてくれたな?微笑んで英二は周太に声をかけた。
「周太、電話みたいだよ?」
笑いかけると、黒目がちの瞳が遠慮がちに安本を見た。
向かいに座る人好い顔は気さくに笑って、周太に言ってくれた。
「周太くん。遠慮しないでいい、電話しておいで?」
「でも、中座は失礼ですし…」
遠慮して周太は、ポケットに触れもしない。
けれど安本は温かに笑って提案してくれた。
「なにか大事な用かもしれないよ?少なくとも今、周太くんと話したい人なんだ、ちゃんと話しておいで?遠慮されると俺が哀しいよ、」
遠慮されると哀しい、こんなフレーズを言われると周太は弱い。
安本は面と向かって周太と話すのは、14年前を入れても3回目でしかない。
それでも周太の性格を把握していることが、この言い回しから解ってしまう。
―さすが、事情聴取の指導員だ
心裡に素直な賞賛がこぼれて、英二は微笑んだ。
安本は30年間を刑事として、射撃と事情聴取の指導員として現場に向き合っている。
それだけの経験と人柄が垣間見えてくる、そう思うと11月の時はよくも安本を落とせたものだと思う。
―吉村先生のお蔭だった、安本さんの先生への信頼があったからだ
あのときは吉村医師が一緒に行ってくれた、あれが先制攻撃になって安本を動揺させること出来た。
しかも吉村医師は何気ない会話から巧みに誘導して、安本から周太のことを自然と引き出し英二に繋いでくれた。
あの助勢が無かったら難しかっただろうな?記憶と感謝に微笑んだ隣で周太は、素直に安本へと笑いかけた。
「ありがとうございます、じゃあ、すみません、」
素直に頭を下げて周太は「行ってくるね?」と目で英二に笑いかけると、席を立って行った。
微笑んで応えながらテーブルの下、クライマーウォッチの時間計測をセットする。
そして扉が閉じると、英二は安本に頭を下げた。
「安本さん、11月のときは色々と失礼を申し上げました、すみません」
「どうしたんだ?急に改まって、照れるじゃないか、」
すこし驚いたよう言ってくれる声は、相変わらず温かい。
ゆっくり頭を上げると人の好い顔が笑ってくれる、その笑顔へ率直に英二は言った。
「いつも射撃場ではお会いしていますが、改めてお詫びを伝えたかったんです。本当に生意気なことを失礼いたしました、」
「いや、あのときは俺こそ本当にすまない。宮田くんに言われなかったら俺は、気づけなかった、」
すこし寂しげに、けれど温かな笑顔で安本は英二を見た。
そして、そのまま安本は頭を下げた。
「本当にありがとう、周太くんを止めてくれて、救けてくれてありがとう…俺の軽率の為に、すまなかった、」
『止めてくれて、救けてくれて』
この言葉に、あのとき周太が何をしようとしたか、安本も気づいていると解かる。
あのとき周太は父親の殺害犯に会いに行くつもりだった、射撃訓練の帰りがけに「拳銃」を手にして。
けれど何とか水際で止めることが出来た、あのときも光一の助力が無ければ間に合えなかったろう。
あれは11月だった、あれから安本は自責に8ヶ月間を過ごしてきたのだろうか?
そんな想いと見つめる下げられた頭は、思った以上に白い。
―悩んできたんだ、このひとも…もっと早く、この時間を持つべきだった、
目の前の白髪まじりに、馨の旧友の心労が見えてしまう。
もっと早く安本と話す時間を持つべきだった、そして少しでも早く心労を除いてやればよかった。
いくら忙しくても優先するべきだった。この謝罪と1つの意図に微笑んで、英二はお願いをした。
「まず頭を上げて下さい、俺は相手の目を見ないと話せないんです、」
「ふっ、」
小さく笑う声がこぼれて、安本は顔を上げてくれた。
その貌は困ったようでも嬉しそうで、そのままに安本は微笑んだ。
「宮田くんは巧いな?そう言われたら俺は、頭を上げざるを得ないよ、」
言われる言葉に安本の本音が見え隠れする。たぶん安本は本当に謝罪するつもりだったろう、けれど意図もある。
その聴取の名手らしい意図に対して、英二は思ったままを口にした。
「目の動きが解からないと、心理が読み難いでしょう?それでは信頼して話すのは、最初っから無理です、」
「ははっ、やっぱりバレたか?」
可笑しそうに笑って安本は、おしぼりで顔を一拭きした。
そんな仕草が率直で、本質的には嘘が苦手なお人好しだなと思わせる。笑って英二は素直に言った。
「今、頭を下げられたのは目を隠す意図と、本当のお気持ちと両方ですよね?俺は今日、安本さんの本音と話しに来ました。
だから本当のお気持ちに対して答えます。あの店のオヤジさんは、周太を常連客とだけ思っています。だからもう気にしないで下さい、」
安本は、周太が「復讐」に行ったことを心配している。
けれど、あの店へと周太が拳銃を持って向かおうとしたことは、言うことは出来ない。
本当は安本は明確な答えが欲しいだろう、けれど言うつもりは自分にはない。どこで綻びが出るか解らないから。
―言えるのは、ここまで
そんな穏やかな拒絶と笑いかけた先、人の好い顔が安堵に微笑んだ。
ほぐれた笑顔はそのまま可笑しそうに笑って、楽しげにノンアルコールビールを英二のグラスに注いでくれた。
「ありがとう、答えてくれて。しかしなあ、本当に君には降参だな?あのときも凄い迫力だったよ、俺は全く敵わなかった、」
「いえ、あのときは吉村先生のお蔭です。そうでしょう、安本さん?」
注がれたグラスを受けて、英二は微笑んだ。
あのとき自分は卒業配置2ヶ月目の新人だった、まだ経験も貫禄も何もなかった。
そんな自分が1人だけでは、あそこまで話を引き出すことは出来なかったと自分が一番知っている。
今度は英二が瓶を安本のグラスに傾ける、その手元を見ながら安本は可笑しそうに頷いてくれた。
「ああ、本当にあのときは意表を突かれたよ?まさか吉村先生が出てくるとは思わなかった、しかも巧いこと誘導尋問されてな、」
きっと安本としては意外だったろう。
けれど英二は青梅署での日常から知っている、少し誇らしい想いと英二は微笑んだ。
「はい、先生は警察医としても一流ですから、」
本当に最高の警察医で、山ヤの医師だと思う。
吉村医師は普段から、留置所でも診察室でも「聴き取り」が巧い。
いつもの穏やかなトーンで相手を寛がせながら、ゆったり訊き出してしまう。
あの聴取の巧さは見習いたいと、手伝いながら英二は観察して吉村の手腕を学ばせて貰う。
本当に多くを吉村医師には学ばせて貰っている、救急法に法医学、山岳遭難について、聴取のコツ、そして人間について。
吉村医師は英二に必要なことの多くを教えてくれた、もし吉村と出会えなかったら今頃どうなっていのだろう?
―青梅に戻ったら、たくさん手伝わせて貰おう。異動まで、出来るだけ
感謝に微笑んだ心に、白衣姿のロマンスグレーが佇んでくれる。
あの誠実な医師が向けてくれる、亡くした息子の分までも懸けた愛情がこんなときも温かい。
ふっと素直な心で微笑んだ顔に、いま前に座る馨の旧友は懐かしげに笑ってくれた。
「なんだろう?宮田くんの目は湯原と似ているんだ、他人の空似だろうけどな。でも、よく似ている瞬間があるよ」
「後藤副隊長にも、よく言われます。そんなに似ていますか?」
「やっぱり、後藤さんもそう仰るんだな?よく似てるよ、湯原の奥さんも言うだろう?」
ときおり救助現場で思うのだと後藤は言っていた。
それは遺体を前にした時の表情を見て、感じるのだろう。陰鬱な想いの顔は自分でも似ている自覚があるから。
この自分の顔に利用価値があるのは幸運だ、そんな想いとただ微笑んでいる前で、安本は扉を見遣って低く言った。
「今朝、射撃指導員の会合が本庁であったんだ。そこで新宿署のやつに訊かれた、湯原に親戚は居ないのかとね。これで2度目だ、」
ほら、やっぱり「亡霊」を探している。
思っていた通りの質問に、英二は黙って微笑んだ。
たぶん安本は今日、これを聴きたくて時間を作ってくれたのだろう。今「2度目」と言ったから。
ただ微笑んだ目だけで「それで?」と問いかける、その問いに安本は口を開いてくれた。
「前に訊かれたのは4月だ。俺は、湯原の命日には新宿署で、あのベンチでコーヒーを飲むことにしている。そこに署長が来たんだ。
休憩に来たと言って、俺に話しかけてきたよ。あの署長は卒配も新宿でな、そのころ俺達は機動隊で応援先は新宿が多かったんだ。
それで顔は知っている、湯原は何度か交番の応援要員で一緒になっていた。だから話が湯原のことになっても不思議とは思わなかった、」
一息ついて安本はグラスに口をつけた。
また扉の気配を見遣り、そちらに意識を残したままで安本は再び口を開いた。
「だが、あいつは変な質問をした『湯原さんには息子さんが何人いるんですか』ってな。こんなこと新宿署長が訊くのは変だろう?
新宿署には湯原の息子の周太くんがいる、署長なら署員の履歴書を閲覧することは出来るはずだ、それで解かるはずなのに訊いてきた。
だから俺は訊き返してやったよ、『湯原に似たヤツでも見たのか?』ってな。そうしたら署長の目は一瞬だが泳いで、変に竦んだんだよ」
『湯原に似たヤツでも見たのか?』
この問いに、新宿署長の答えは「Yes」だと自分は知っている。
あの日は周太に内緒で新宿署に行き、あのベンチに座ってココアを飲んだ。
それを署長は見に来た、「連鎖」の仲間と一緒に自分を見つめて「おまえは何者だ?」と怯えた目で問いかけてきた。
あの後に安本へと探りを入れてきた、馨の親友だったら何かを知っていると考えて当然だろう。
―箱庭の住人達が俺を探してる、お父さんの息子だと思って、
いずれ自分は周太と結婚するのだから、確かに「息子」は正解かも知れない?
けれど自分と周太の場合、英二の独立した戸籍に周太が養子縁組で入籍するから、馨との親子関係は生じない。
それでも「親戚」は正解だろう、今朝、安本に訊いてきた男の言う通りに。
―やっぱり、指導員も、か…
いま聴かされた事実は、予想の範疇どおり。
それでも、新宿署射撃特練の周太に近い存在が「連鎖」包囲の一部なことは嬉しくない。
けれど当然と言えば、当然の包囲網だと納得している。こんな考え廻らす前から、安本は真直ぐ英二に問いかけた。
「俺が知っている『湯原に似たヤツ』は、1人しかいない。そうだろう?」
人の好い顔が真直ぐ英二を見つめてくる。
穏やかな底の鋭利な視線が、馨の旧友の目から注がれる。
この事実確認をしたくて仕方ないのだろうな?そんな感想と微笑んで英二は、静かに口を開いた。
「お父さんの葬儀と通夜の弔問客を、憶えていますか?」
問われて、安本の目がすっと細められた。
すこし考える色がゆれ、けれど笑って安本は教えてくれた。
「ああ、憶えている。俺はどちらでも受付をさせてもらったんだ、湯原には親戚もなかったから、教場の同期が手伝ったんだ、」
「そうでしたか、お世話になりました、」
綺麗に笑って英二は頭を下げた。
そしてジャケットの胸ポケットから手帳とペンを出すと、メモをする体勢で微笑んだ。
「憶えている限りで良いです、弔問客で警察関係者の名前と経歴、今の所属を教えて下さいませんか?」
安本の目が少し大きくなって、英二を見つめた。
何を考えている?そう問いかける眼差しに英二は笑いかけた。
「無理なら結構です、」
「いや、無理じゃない。全員とまではいかないが、憶えているだけで良いなら、」
ひとつ瞬いて安本は、なにか決意したような目で微笑んだ。
その目は真直ぐで過去の哀しみがあっても、どこか明るい。きっと本当に話してくれるのだろう、英二は笑って頷いた。
「はい、お願いします。あと、お母さんや周太に話しかけた人がいたら教えて頂けますか?」
「周太くんに?…」
ふっと止まって、安本は記憶を辿るよう目を細めた。
そして英二の目を真直ぐ見つめたまま、馨の旧友は教えてくれた。
「ああ…周太くんに話しかけていた警察の人間がいた、通夜の時だ、」
その人物が誰なのか?
きっとラテン語表記では幾度も見た名前だろう。
そして漢字での表記は資料やWEBでも見ている、たぶん同じ名前だろうな?
そう見た先で安本の口が動いて、14年前の事実が知らされた。
「当時は80歳位のはずだ、たしか最後は神奈川県警の本部長だったよ。話したことは無いが、射撃大会で何度か見てるんだ。
全国大会と警視庁の大会と、両方でよく臨席していた人だ。だから優勝常連者の湯原を知っていたのは、不思議は無いんだが。
でも、そんなお偉いさんが、なぜ通夜に来たのか不思議だったよ。どうして周太くんに話しかけるのかも不思議でな、印象的だった、」
もう、それだけ聴けば予想通りだと解かる。
心裡ため息を吐きながら英二は、教えられたことを頭脳に記録した。
そして溜息の墜ちた先から、灼熱の感情がゆっくり瞳を啓いて冷徹に微笑んだ。
―赦せない、
まだ9歳と5カ月だった、周太は。
世界で2人しかいない肉親の1人を喪った、深い哀しみに呆然と竦んだ子供だった。
本当は楽しい約束がたくさんある春だった、それなのに一発の銃弾で愛する父親ごと全てが砕かれて。
周太は記憶すら消えていく自失の衝撃にいた、それを狙ったかのよう「暗示」を吹きこんだ男がいる。
「他の参列者は?」
「うん。警備部の男がいた、5年前に捜査一課に異動したやつで、名前は……」
いま手許は、安本が教えてくれる名前と経歴をメモしていく。
けれど心と肚は冷たい灼熱が密やかに起きあがって、脳髄を冷酷なほど醒ましていく。
いま怒りは熱い、けれど意識は冷徹に澄みわたって、語られていく名前と経歴に分析が始まりだす。
「六機の銃器対策、今は射撃の本部特練で指導員だ。それから八機の銃器、現在は……」
このなかで「連鎖」の番人はどれくらい存在する?
この今も番人で居続けている男は誰だ、どんな役割を果たしている?
メモを取りながら考えを纏めていく、そして安本が語り終えたときクライマーウォッチは「15′05」を表示した。
「ありがとうございました、」
手帳とペンをジャケットの胸ポケットにしまい、英二は微笑んだ。
クライマーウォッチの表示を時計モードに戻す手許を見、安本は笑いかけてくれた。
「もしかして周太くんの電話も、宮田くんだろう?時間を計っているなんてな、」
問いかけに、ただ微笑んで英二は呼び鈴を押した。
すぐ来てくれた店員にノンアルコールビールのお替りを頼むと、空き瓶を渡しながら笑いかけた。
「柑橘系のデザートってありますか?」
「はい、夏みかんの寒天など御奨めです、」
答えに、ふっと心が止められて言葉が反芻される。
―夏みかん、
黄金の実と白い花咲く庭の香と、古い写真の俤がふれてくる。
あの家にとって夏蜜柑は特別な想いがあるだろう、その木を今ここで聞くことに意味を想わさす。
きっと夏みかんなら周太も喜ぶだろうな?微笑んで英二は、品の良い着物姿へと笑いかけた。
「それも1つお願いします、」
「はい、かしこまりました、」
すこし頬染めた店員は丁寧な礼をして、静かに扉を閉じてくれた。
見送って安本に向き直り笑いかけると、感心したよう馨の旧友は笑った。
「本当に良い笑顔をするな?今の彼女、ちょっと見惚れていたぞ?」
「そうですか?ありがとうございます、」
さらり笑って英二は、膳の残りに箸をつけ始めた。
安本も箸を動かしながら、可笑しそうに笑って言ってくれた。
「その笑顔を見ると、こんな俺でも信じて口を割ってしまうよ?そして君からは、半分くらいしか引き出せない、」
「すみません。でも俺を信じて下さるのは、吉村先生のお蔭ですよね?」
吉村医師の信頼が英二にある、だから安本も初対面の時に信じて話せた。
そうでなければ卒配2ヶ月目の新人に、あんな話が出来る訳が無いのに?微笑みかけた向こう安本は、ぱっと笑ってくれた。
「本当に君には参ったな、よく解かってる。その通りだよ、でも今は君自身を信じてる。今日、周太くんと一緒のところを見たしな、」
水茄子の漬物を口に放り込んで、安本が微笑んだ。
飲みこんで水をひとくち飲むと、馨の旧友は楽しそうに話してくれた。
「前に君が言っていた通り、周太くんは聡明で、素直だけれど気難しい。そういう所は湯原とよく似てるよ、だから俺にも解かるんだ。
きっと簡単には、相手を信じて頼ることが出来ないタイプだろう?でも周太くんは、君を心から信頼している。だから俺も信じるよ、」
実直な目が英二を真直ぐ見つめて笑っている。
そして安本は率直に言ってくれた。
「今、俺から訊き出した事を、何に使うのかは訊かない。君が何をしているのか、詮索もしない。でも、俺に協力できることは言ってくれ、」
「ありがとうございます、」
心から礼を述べた英二に、安本は嬉しそうに微笑んだ。
そして扉を見遣ってから低い声で言った。
「これは俺の独り言だ、友達のことを俺は少し、調べてるよ。子供の進路が作られたように異様で、気になる。これは俺の勝手だがな、」
低く言って微笑んだ目から、隠した鋭利の眼差しが英二を見つめている。
その眼差しを真直ぐ受けながら、英二は穏やかに微笑んだ。
「手出しはしないで下さいと、前に申し上げました。本当にご友人を想うのなら、あれは警告だと考えて下さい、」
言葉に、馨の友人の目が細められる。
その目は扉を見遣って、低い声のまま明るく笑った。
「あの夜から俺は、その友達との約束が全てだ。昇任試験も受けず前線に残ったのも、その為だ。こんな馬鹿には警告など解からんよ、」
安本は、馨のために出世を絶って新宿署に残っていた。
馨が最期に願った「殺害犯の更生」を見届ける為に、犯人が釈放され就職する日まで新宿署に居続けた。
そして今、馨の息子が歩んでいる警察組織での進路に疑問を持ち、もう1つの馨の願い「周太」を守ろうとしている。
ただ約束の為に、14年前に逝った男との友情の為に、安本は動こうとしている。
―お父さん?こういう人なんですね、お父さんの親友は…それでも、頼れませんでしたか?
もし馨が安本を頼っていたなら?
いまは違う結果になっていたのだろうか?馨は死なないで済んだのだろうか?
けれど馨には頼ることなど出来なかったろう。この警察組織に於いて、馨にとって友人は「人質」でもあったのだから。
それでも違う未来を馨には探してほしかったのに?想いの底から見つめて英二は、馨の友人に綺麗に笑った。
「秘密であることが、ご友人の子供さんを護る唯一の手段です。けれど、あなたは友人であることを組織で知られ過ぎている。
あなたが動けば秘密は自然と壊れます。だから手出しはしないで下さいと、申し上げました。これは、あなただけの危険ではありません、」
秘密、秘匿、隠されたツール。
それが今は一番の攻撃になる、それが安本には出来ない。
安本が馨の友人であることは周知の事実だから、下手に動けば秘密はこぼれてしまう。
そうすれば危険は周太に及ぶだろう、それだけは防ぎたいことを安本に解からせておきたい。
「それなら、君はどうなんだ?」
刑事の目が英二を見透かす視線を送る。
その視線を受けとめながら意識の片隅、さっき見た「15′05」からの計測が5分を告げる。
時間感覚を知らす時砂が落ちきっていく、砂を心に見つめて英二は綺麗に微笑んだ。
「まだ2年目の新人に、なにが出来るんでしょう?」
こん、…こん、
扉叩く音は、聴き慣れたトーンで響く。
からり扉は開かれて、黒目がちの瞳が微笑んだ。
「随分と中座して、すみませんでした、」
ジャスト20分、光一は予告通りに動いてくれた。
頼りになる自分のアンザイレンパートナーに感謝しながら英二は、愛する人へ微笑んだ。
「おかえり、周太。もうじきデザートが来るよ?」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/6a/eef5b9add9fbca15ab2e3405cd90dff0.jpg)
川崎駅に降りたのは12時20分だった。
もうじき駅に入線するとき、左手首の時計を見ながら周太は訊いてくれた。
「あの、区役所に行っていいかな?…12時半までに入らないといけないから、走るけど、」
「いいよ、行こう?」
区役所に行く用事は何だろう?
そう思ったけれど英二は、別のことを尋ねた。
「周太、さっきの電話ってなんだった?」
11時15分の電話。
あのとき光一は、何を話して20分間を作ったのだろう?
訊いてみたくて笑いかけた先、楽しそうに周太は口を開いてくれた。
「光一からだったよ、おばあさんのお店を手伝える人、探してるらしくて…お祭りで屋台をするんだって、だから誘ってくれて、」
「周太、なんて答えたの?」
「シフト出ないと返事は出来ないけど、楽しそう、って答えたらね?詳しいこと教えてくれて…それで時間かかったんだ、」
それなら長めの電話でも不思議は無いだろう。
巧い口実を光一は考えてくれた、感心して微笑んだとき停車して、扉が開いた。
「ごめんね、英二、急いで?」
足早に周太が歩きだし、英二も付いていく。
まだ人混みに呑まれる前の階段を駆け上がり、走りかけながら改札を出た。
そのまま駅から大通りにでる、駆け出した周太に英二は足幅を合わせた。
―周太、区役所に何の用だろ?
考えながら走って5分もかからず庁舎に着くと、1階のカウンターへ周太は歩いて行った。
そのときポケットの携帯が振動して、直ぐに取りだし開くと英二は微笑んだ。
「ありがとう、光一。さっきは助かったよ、」
「あんなんで良かったみたいだね?で、今はどこ?」
からりテノールの声が笑ってくれる。
その質問に英二はそのままを答えた。
「いま区役所だよ、周太の用事でね、」
「区役所?ふうん、書類が欲しいってコトだよね、」
テノールの声が言う「書類」に英二は周太の行方を目で追った。
その視線の先に映ったカウンターの名前に、莞爾と英二は微笑んだ。
「光一、もしかしたら、見たかった物が見られるかもしれない。リスクも高いけどな、」
いま周太は「区民課」に立っている、おそらく請求する書類は?
(to be continued)
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