萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第71話 杜翳act.2―another,side story「陽はまた昇る」

2013-11-01 08:05:58 | 陽はまた昇るanother,side story
When in the blessd time of early love 瞬間ごと今、



第71話 杜翳act.2―another,side story「陽はまた昇る」

凭れたクッションの向こう、キッチンから甘い香が温かい。
光ふるリビングのソファへ窓から風が吹く、その涼やかに秋なのだと告げてくる。
いま9月下旬、もうじき忘れられない日が訪れて、その翌日に自分は近くて遠い場所に立つ。

―それでも今は傍にいるんだもの、

今は傍にいる、そんな想い見つめた安楽椅子の向こうへ周太は微笑んだ。
微笑んだ先、リビングとキッチンを区切らす窓から白皙の横顔まばゆい。
まだ9時すぎの陽光は東から出窓に明るんで長身のシャツ姿を映えさす。
こんなふうに台所姿の見えるリビングのソファが幼い頃から好きだった。

―傍にいられる今だから一つでも多く英二の笑顔を見てたい、幸せに笑わせてあげたい、

今傍にいられる幸せと願いを抱きしめながら、そっとブランケット引寄せる。
このブランケットも英二が部屋から運んでくれた、そして自分の我儘どおりにリビングで寝かせてくれる。
こうしてリビングで寝る我儘は幼い日からずっとない、そんな時すら超えて叶えてくれた人がダイニングから現れた。

「お待たせ周太、ココア出来たよ、」

綺麗な低い声が笑ってマグカップ2つ、あまい湯気をトレイに載せて来てくれる。
見あげるシャツとスラックスの長身は相変わらず端正で、陽に透けるダークブラウンの髪が上品に美しい。
まだ二十日も経っていない、けれどそれ以上を離れていたよう笑顔に声に鼓動ひとつずつ弾んで気恥ずかしくなる。

―だって英二なんだかカッコよくなって…照れちゃう、

卒業配置から最初の再会したときも同じように感じた。
そして9月に第七機動隊山岳救助レンジャーに異動して、また男の陰翳に富んだ。
まだ出逢って1年半、あの初対面から英二は別人のよう瞳から深み豊かになってゆく。
そんな変化が眩しくて羞んでしまう前に甘い湯気ごとマグカップ差し出し笑ってくれた。

「はい周太、熱くしすぎないようにしたけど気を付けてな、」
「ん、ありがとう、」

微笑んで受けとろうとして、けれど白皙の手はマグカップごと引っ込めた。
どうしたのだろう、解らなくて首傾げこんだ向こう綺麗な笑顔がマグカップに口付けた。

「…え、」

予想外に声こぼれた真中で、端正な唇そっと息吹いてくれる。
ふっと唇の吹くごと湯気あまく香らせて午前の光かすかに揺らす。
静かなリビングに昇らす香と息吹だけ聞えて、穏やかなまま笑顔はマグカップ渡してくれた。

「これで熱すぎないと思うけど、久しぶりに作ったから美味くなかったらごめんな?」
「あ…はい、」

途惑いながら受けとって浴衣の衿元が熱くなる。
こんなふうに冷ましてもらうことは何年ぶりだろう?
この久しぶりにも途惑って、それ以上に冷ましてくれた唇に気恥ずかしい。

―だってふーってしてくれるくちびるきすするみたいで、あ、だめっへんなことかんがえちゃねつあがっちゃう、

心裡ひとり自答しながらマグカップ掌に抱えこむ。
ココアの一杯を渡してもらった、それだけで想像する自分に困らされる。
こんな思考の廻りは熱の所為だろうか、それとも恥ずかしがり過ぎの変なのだろうか?
そんな想いごと唇つけて啜りこんで、ふわり香らす甘さに微笑んだ向こう端正な貌が幸せほころんだ。

「可愛い周太、この笑顔に逢いたくて俺、帰って来たくなるんだ。ココアの味どう?」

そんなこと言われるとよけいに熱あがっちゃうんですけど?

けれどこんな熱は幸せだと素直に想えてしまう。
この幸せも2週間前に自分から隔てた、その自責は痛むのに本音は裏切れない。
こんな素直も熱のお蔭だというなら再発も悪くなく想えて、そんな自分に困りながら微笑んだ。

「ん…おいしいよ、ありがとう英二…英二は朝ごはん食べて来たの?」
「朝飯なら食って来たけど、」

笑って応えてくれながら英二はマグカップをトレイに置いた。
そして周太の手からもマグカップを取り上げて、幸せいっぱい微笑んだ。

「周太を食べたいな、俺、」

このひと朝から何言ってるの?

それとも自分の聞き間違いかもしれない?
いま熱があるから変なふう聞えるのだろうか、それとも自分の想像?

「周太、Yesって言って?その浴衣姿は俺、ほんと弱いって知ってるだろ?ね、周太…このまま好きにさせて?」

このまま「好きに」ってなに?

もし前にも言っていた通りなら困ってしまう、だって自分は熱があるのに?
それに顕子がもうじき買物から帰るだろう、それなのに「好きに」だなんてどうなるの?
それとも顕子が来ている事をまだ言っていなかったろうか、だから英二は「好きに」なんて言うの?
よく解らないまま途惑って熱うかされるよう考え纏まらなくて、けれど端正なシャツ姿がソファに乗りあげた。

…ぎしっ、

かすかな軋み音にソファが沈んで、ブランケットの上から切長い瞳が嬉しく見おろす。
真直ぐに瞳を覗きこんでくる眼差しは穏やかなままで、けれど誘惑が笑いかける。
その笑顔も音も遠いようで瞳を瞠った真中で白皙の貌は艶麗に微笑んだ。

「可愛い、周太…目が大きくなってるのに潤んでる、そういう目って困るよ、命令されたくなる…俺に命令して、」

なんで困るの、むしろ困っているのはこっちなのに?
それに命令って何を命令するの、あなたこそ命令しろっていう命令してるよね?
そう訊き返したいのに鼓動だけ響いて途惑って、緊張が脈打つまま声を押し出した。

「…ぁ、あのえいじどうしたの」
「どうしたの、なんて可愛いな周太は…ね、命令して?俺に…周太、」

嬉しそうに名前を呼んで白皙の笑顔が近づいてくる。
視線から捉えてくる笑顔は綺麗で、惹きこまれてしまう誘惑が鼓動を敲く。
とくん、心臓の声やたら響いて胸せりあげて周太は両掌とっさに口許を押えた。

「…っぅ、こほんっごほっこほ…ぅっ、…ぁ」

咳きこみだす喉、それでもまだ抑えられる。
これなら発作じゃない、すこし驚いて噎せただけ、風邪なのかもしれない?
そんなふう自分に言い聞かせながら呼吸を整えていく体をブランケットごと抱きしめられた。

「ごめん周太、驚かせたりして。でも知りたかったんだ、本当のことを教えて周太、」

抱きしめて、綺麗な低い声は謝りながら告げてくれる。
知りたかった、本当のことを教えて、そう告げて何を知りたがるのか?
その解答に気づかされて見つめた至近距離の真中、切長い瞳が泣きそうに微笑んだ。

「周太、喘息が再発しかけてるんだろ?俺、後藤さんから訊いたんだ、周太は小児喘息を持ってたって、」

ことん、

心の底なにか落着いて、小さな扉が開く。
もう7月から開きかけていた扉、それが今また動いて事実を告げだす。
そして蘇える記憶ごと抱きしめてくれる腕のなか綺麗な低い声は教えてくれた。

「周太が小学校に上がった頃、周太のお父さんから相談されたそうだよ…小児喘息の子供に山登りは治療になるだろうかって。
周太は富士山に登って倒れたんだ、だけど一定の標高を下れば元気になるから気管支の疾患があるんじゃないかって気がついてね、
それで病院で診たら喘息が解かったんだ、それに酸素を吸収する力が普通より低い。だから心肺機能を強くしたくて山を思いついたんだ、」

告げられる言葉たちに幼い夏の日が現われてゆく。
父と登った広い青空、苦しくなった砂岩の路傍、けれど楽しかった豊穣の森の道。
そして病院で受けた検査の意味が告げられ納得して、父の想いが嬉しくて周太は微笑んだ。

「そう…それでお父さんは俺のこと、色んな山に連れて行ってくれたんだね、穂高も丹沢も…奥多摩も、富士の森も、」

言葉にする山の名前に蒼い森と空が広がりだす。
休暇ごと父は森へ連れて行ってくれた、いつもコッヘルで食事を楽しんだ。
豊かな樹林を歩いて澄んだ空気に笑って川で遊ぶ、冬は白銀の世界も歩かせてくれた。
そんなシーンの全てにあふれていた父の想いが愛しくて、さっき庭で読んだ一節が映りこむ。

When,in a blessed season
With those two dear ones-to my heart so dear-
When in the blessd time of early love,
Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene,
Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
And think ye not with radiance more divine
From these remembrances, and from the power
They left behind?

 祝福された季節に、
 親愛なる人とふたり連れ立った、僕の心深く愛しんで。
 初まりの愛しき時は祝福にあった時間、
 僕が彷徨を廻らした遥かな後 この最愛の風光に日々があるなら、
 枯れた池と荒涼たる岩山と、
 そして切なき山頂の道標に、降り注げ
 歓びの精神と若き黄金の煌きよ。
 そして貴方は神秘まばゆい光に想うだろう
 この刻まれた想い達から、この記憶が残す力から、
 心遺したまま去れるのか?

英国詩人が詠みあげ父が母国語に謳いなおした一節の詩。
あの詩にきっと父は唯ひとりのアンザイレンパートナーを見つめたろう。
そして自分にも父とふたり連れ立った幸せな時間は輝いて、刻まれた想い祈りに響きだす。

「…おとうさん、」

想いが呼んで声になる、その声に父と似た瞳が笑って温もりが抱きしめる。
深い森の香くゆらす懐にくるまれながら穏やかな眼差しに体温に安らいでくる。
こんなふうに幼い日も安らいでいた、そんな想いほどかれる安堵に切長い瞳が微笑んだ。

「周太、喘息の再発を隠してるのは病気が理由で免職されるのが嫌だからだろ?お父さんのこと知る為に今は辞めたくないんだろ?
でも俺にまで嘘吐かないでくれ、秘密だって一緒に背負いたいんだ。それが規則違反でも俺は構わない、周太と一緒に生きていたいから、」

規則違反でも構わない、そう告げることは英二にとって重たい。

本来の英二は生真面目だと自分は知っている、努力を積む地道を英二は好む。
この実直が英二の本質だろう、そして実直だからこそ信念のためなら規則違反も厭わない。
そんな真直ぐな心の笑顔は綺麗で優しくて、安らげて、安堵ほどかれる微睡のまま周太は微笑んだ。

「ありがとう英二、教えてくれて…やっぱり英二は天使みたい」

本当に、自分にとっては天使かもしれない。

出逢って一年半、春も夏も秋も冬も見つめあってきた。
ふたり時間を重ねるごと笑いあって擦違って、そして幾度も泣いている。
それでも見つめていたい笑顔は唯ひとりだけ、それくらい涙すら幸せだと想えてしまう人へ笑いかけた。

「だってね、英二?…泣いても幸せだなんて他の誰にも想えないんだ、どんなときも声を聴きたいなんて…あいたいなんてひとりだけ…で」

自分の声が想いを音にする、その声がすこし遠くなる。
抱きしめてくれる香の温もりに睫が閉じてしまう、けれど見つめていたい。
それでも眠りに惹きこまれてゆく窓ふる光のなか大好きな笑顔まばゆく幸せに咲いた。

「周太こそ俺の天使だよ、こんな俺を天使にしてくれるなんて…愛してる、周太、」

愛してる、そう告げてくれる声も瞳も幸せなまま抱かれてゆく微睡に、優しいキスそっと唇ふれた。








(to be gcontinued)

【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI[Spots of Time] 」】

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