萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第71話 渡翳act.4-side story「陽はまた昇る」

2013-11-08 18:00:19 | 陽はまた昇るside story
When in the blessd time 今ひと時に祝福を



第71話 渡翳act.4-side story「陽はまた昇る」

ふわり、肩から温もりふれて微睡が脱がされる。

いま抱きしめている鼓動も寝息もオレンジの香から静かに温かい。
それ以外の気配ふれて掛けられるブランケットの感覚を自分は知っている。
そして頬ふれる香水の深い豊潤に誰なのか解かって、ゆるやかに瞳ひらいて英二は微笑んだ。

「おかえりなさい、お祖母さん、」

ソファから見上げる先、切長い瞳が可笑しそうに笑ってくれる。
2ヶ月ぶりに会う笑顔は相変わらず端整に明るんで、落着いた声が低く微笑んだ。

「こっちこそお帰りなさいだわ、英二…このソファで添い寝は狭そうね?」

まだ買物から帰ったばかり、そんな雰囲気のスラックス姿は笑ってダイニングへ踵返した。
すぐ冷蔵庫の開かれる音がたつ、ひさしぶりな生活の音も懐かしいまま宝物に頬寄せた。

「ね、周太…狭くて丁度いいよな、くっつけて…すぐキスできる、」

そっと囁いて見つめる寝顔はあわい紅潮やわらかに微睡む。
眠れる長い睫は蒼く翳こぼすまま穏やかで、優しい鼓動ひそやかに静謐を刻む。
いま深い眠りに落着いている、そんな唇に微笑んでキス重ねて、そっと離れてソファから降りた。

…ぎっ、

かすかにスプリング鳴って絨毯へ脚を下ろす、けれど目覚めない寝顔は安らかな吐息で眠りこむ。
これなら熱も楽になっているのだろう、その安堵に微笑んで英二はダイニングへと顔を出した。

「お祖母さん、独りでも家事出来るんですね?」
「いちおうは出来ますよ、ここは初めてのお台所じゃないしね、」

可笑しそうに笑いながら祖母は慣れたふうキッチンを動いてゆく。
スパイス棚からシナモンをとりバニラエッセンスの小瓶も迷わず出す。
どこに何があるか把握しきっている、そんな雰囲気に英二は訊いてみた。

「斗貴子さんとここで料理してたんですね、」
「ええ、週一は一緒にお菓子焼いたりしてたわよ?お義母さまからもお招き頂いてね、啓輔も何度か連れて来たわ、」

答えてくれる笑顔は懐かしいトーンに温かい。
もう半世紀を経てしまった時間が今も祖母を温める、その笑顔に微笑んで英二は問いかけた。

「お祖母さん、斗貴子さんと従姉妹だってこと、周太に話しましたね?」

血縁関係を今は隠しておいてほしい、

そう夏の葉山で願った約束に祖母は肯ってくれた。
けれど一昨日に反故となっている、その事実に切長い瞳が微笑んだ。

「なぜ英二はそう想うの?」
「家族には優しい嘘なんて要らない、家族で秘密は残酷だから、」

さらり応えた台詞に涼やかな瞳が大きくなる。
長い睫ゆっくり瞬いて祖母は静かに問いかけた。

「…英二、あなた盗聴を?」

微笑んで低めた声、その慎重な眼差しは見徹さす。
聡明な祖母らしい尋問に英二は綺麗に笑いかけた。

「検事の妻は守秘義務をご存知でしたよね、お祖母さん?」
「まあ、」

呆れたよう首傾げ祖母は林檎を俎板に置いた。
午前の光に紅は艶やかで、その果実を横から掌にとり微笑んだ。

「周太に泣きながら訊かれたんじゃ、白状したのも仕方ないですね、」

あの瞳に涙と訊かれたら自分だって危ういだろう?
そんな本音と微笑んでスラックスのポケットからアーミーナイフを取りだした。
溝へ爪掛けて刃を引き出す、そのまま紅の実を剥き始めると深いアルトヴォイスが笑ってくれた。

「林檎の皮なんて剥けるようになったのね、ずいぶん慣れた手つきだわ、」
「山では自分でやるしかありませんから、」

微笑んで手を動かしてゆく隣、祖母がおろし金とボールを用意してくれる。
多分いつものを作るのだろう、そんな予想と手許を動かしながら英二は問いかけた。

「父さんは湯原の家と親戚なこと忘れてますよね、姉ちゃんは知っていますか?」
「英理は何も知らないわ、啓輔も何も言ってはこないけど、」

応えてくれながら白皙の手は生姜ひとかけ擦りおろしてゆく。
蜂蜜を加える匙加減も慣れあざやかな仕草に微笑んで尋ねた。

「美幸さんに話した時、どんな貌をしていましたか?」
「それもお見通しなのね、大したもんだわ?」

呆れながらも切長い瞳は感心してくれる。
その眼差しにただ微笑んで剥いた林檎を手渡すと、祖母は口を開いた。

「美幸さんにも先に訊かれたのよ、もしかして馨さんのご親戚ではありませんか、ってね。一昨日、美幸さんが仕事から帰ってすぐにね。
周太くんが熱出したって聴いて飛んできた私の顔、馨くんそっくりで他人の空似と思えなかった、淹れた紅茶の味も同じだって言われたわ?
英二も馨くんと同じ貌する時がある、祖母と孫がそろって似ているなんて血縁関係があるのでしょう?って訊かれちゃったの、あの笑顔でね?」

あの笑顔でね?そんな表現で切長い瞳が笑いだす。
笑う理由は古いアルバムの写真にあるだろう、そんな推測に祖母が回答をくれた。

「美幸さんってね、お義母さまと似てるのよ?晉さんのお母さまで馨くんのお祖母さま、紫乃さんとは目の感じがそっくりなのよ、
周太くんの長い睫と黒目がちの目、お義母さまと似てるって想ってたけど美幸さん譲りだったのね。あの目にお願いされると私、弱いのよ、」

長い睫に縁どられた黒目がちの瞳、あの瞳には自分だって弱い。
あの母と息子には自分こそ逆らえなくなる、この本音のまま笑いかけた。

「俺も弱いですよ、美幸さんと周太の涙とお願いには降参です、」
「いい弱点ね?」

可笑しそうに笑って祖母はおろした林檎と蜂蜜生姜を小鍋に混ぜ合わす。
沸騰しないよう混ぜながらバニラエッセンスを垂らす横顔に英二は問いかけた。

「周太、一年後に警察を辞めるって約束した時、どんな貌でしたか?」

おばあさま、僕、一年以内に警察官を辞めます。

そんな約束を周太は祖母にしてくれた、そのあと美幸にも約束している。
どちらも盗聴器のレコーディングから声は聴いた、けれど表情を知りたい。
声から貌は解かっていると想う、けれど確信したい想いに祖母は笑って答えた。

「泣いて、笑ってたわ、」

泣きながら笑った、そう告げられてリビングを英二は見遣った。
仕切り窓のガラスの向こう、木洩陽ゆれる絹張りソファは若草色の懐で白い浴衣姿を眠らせる。
まだ深い眠りの空気は目覚めが遠い、今ゆっくり休ませてあげたい願い微笑んだ隣で祖母が微笑んだ。

「斗貴子さんそっくりの綺麗な泣顔で笑って約束してくれたのよ、一年以内に警察官を辞めて大学院に進むって笑ってくれたわ。
僕には父と祖父の誇りを護る責任があります、それが僕のプライドです、いま夢の中で祖父にも約束したんです、って笑ったの、」

盗聴器でも聴いた言葉が今、表情を伴って繰り返される。
そして想いだしてしまう会話の内容と今朝の表情に英二は微笑んだ。

「お祖母さん、帰ってきたばかりで申し訳ないけど昼飯まで出掛けてもらえますか?俺、周太の疑いを解かないといけないんです、」
「疑い?」

訊き返しながら祖母は小鍋の火を止めた。
あまい爽やかな湯気とマグカップへ注いで小匙を添えてくれる。
そのトレイに水のコップも載せてエプロン外し、冷蔵庫のメモを見て切長い瞳が笑った。

「私、本屋ともうひとつ忘れてたわ?留守番お願いね、これ周太くんに食べさせたらお薬飲ませておいて?夕飯は食べていくのかしら、」
「はい、お願いします、」

素直に笑って携えたトレイから林檎の香があまずっぱい。
こんな香と林檎を詠った恋愛の詩は沢山ある、そして林檎は艶っぽい物語を持つ。
そんな連想にも「留守番」が楽しみになって、けれど切長の瞳が悪戯っぽくに微笑んだ。

「ねえ、英二?表彰されるほど立派なレスキューの方は、熱のある人にセックスなんかしたら駄目ってご存知よね?」

いま、なんておっしゃいました?

「…は?」

今ちょっと聴こえた気がする単語を祖母が言うなんて嘘だろう?
きっと自分の連想ゲームが不謹慎で良心と良識が幻聴で戒めようとしている。
そんな納得を身勝手に組み立てて、けれど白皙の笑顔は愉しげに言ってくれた。

「あんなに綺麗で可愛い浴衣姿だものね、だけど男同士でも節度は必要よ?なにより、隙あらばセックスしようなんて嫌われるわよ?」

七十過ぎの上品な美貌が上品らしからぬ言葉に笑う。
こんな貌が祖母にあることが意外で、呆気にとられる視界をダークブラウンの髪が横切る。
そのままジャケットとハンドバッグを手に掛けステンドグラスの扉を開き、颯爽と祖母は出て行った。

「…あんなこと言うんだな?」

独りキッチンでトレイを携えたまま声がこぼれる。
あんなふうに祖母が言うなんて24年間ずっと知らなかった?
そんな呆然と佇んだ向こう玄関扉で音が立って、遠ざかる足音に英二は微笑んだ。

「俺、まだ敵わない相手って沢山いるな?」

参った、

そんな素直な想い笑えることが心地良い。
こんなふうに誰かに「敵わない」と想えることは幸せだろう?
そんな相手が誰一人いなくなったら面白くない、けれど言いつけ全てに従う心算も無い。

―だって俺自身だって歯止めが効かないってコトもあるし、

ひとりごと裡に笑って踏みこんだリビングは微睡の静謐に安らいでいる。
その真中で眠れる傍らへトレイを置いて、愛しい寝顔に英二は微笑んだ。

「…周太、俺が悪い男でも天使だって信じてくれる?」

囁いて、言葉ごと唇重ねて接吻ける。
ふれるオレンジの香すこし熱くて、まだ復調しきらない体が切ない。
それでも重ねられる温もりに微笑んで静かに離れて、ふわり黒目がちの瞳が披いた。

「ん…えいじ?」

ほら、名前を呼んで微笑んでくれた。
もう名字で呼ぶなんて隔てはしないでくれる、嬉しくて英二は綺麗に笑った。

「うん、英二だよ、周太?ちょっとだけ起きて、薬の時間だから、」

笑いかけて浴衣の背を抱き起してクッションひとつ挟みこむ。
こんな世話が出来る幸せが温かい、そして手放すことが怖くなる。

―今は傍でふれられる、でも夜になって帰ったら、次は?

次なんて、あるのだろうか?

そんな疑問が鼓動を撃ってまた衝動が熾きてしまう。
次が解らないなら今このまま攫って続けてしまえば良い?
そんな願いまた蠢きだして、けれど今の幸せに笑いかけた。

「周太、祖母がアップルサイダー作ってくれたから食べような、あーんして?」

ひと匙あまずっぱい香りごと掬って唇へと差出してみる。
けれど黒目がちの瞳が困ったよう見つめて唇はためらい微笑んだ。

「…あの、自分で食べられるからスプーン渡してくれる?」

やっぱり恥ずかしがっちゃうよね?

こんなこと予想通りで、けれど恥ずかしがりごと抱きとめたい。
どうか恥ずかしくても甘えて全部を委ねてほしい、そんな願いごと綺麗に笑いかけた。

「これ、大好きな人に食べさせて貰う方が元気になるんだってさ。だから俺が食べさせたら周太、いっぱい元気になってくれるだろ?はい、」

自分のこと大好きだったら、このスプーンから食べて?
そんな想いごと差し出して笑いかけて、けれど本当は震えている。

―もし拒絶されたら俺、もう立ち直れないよな、

いま拒絶されてしまったら自分は道を踏み外す。
そんな予兆ごと見つめる真中で黒目がちの瞳が見つめてくれる。
この瞳が自分は好きで、愛しくて、この瞳に見つめて微笑んでもらえるなら全て惜しくない。

だからどうか今この一匙を口にして?そんな願いごとに大好きな瞳は恥ずかしげに微笑んだ。

「…ん、はい、」

微笑んだ唇そっと開けてくれる。
そんな「Yes」の幸せごと英二はスプーンを運んだ。





(to be gcontinued)

【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI[Spots of Time] 」】

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