The spirit of pleasure 想いの幸福

第71話 渡翳act.3-side story「陽はまた昇る」
せっかく命令してくれたけど「ココア」なことが当て外れだ。
「…そういう命令のつもりじゃなかったのにな?」
ガスコンロの前、ゆっくり混ぜてゆく小鍋から湯気は甘くほろ苦く温かい。
久しぶりに立つ台所は午前の陽射し明るくて、けれど独り立つ初めてに英二は首傾げた。
『周太には恋の奴隷なんだから命令してよ、俺の女王さま?』
そう告げた相手の手伝いで台所に立って来た。
そして告げた相手は今、ソファで熱怠い体を横たえて待ってくれている。
こんな時間も悪くない、けれど「当て外れ」の気持につい落胆が拗ねかける。
―周太は俺とセックスしたいって想ってくれないのかな?でも葉山の夜は俺を抱いてくれたのに、
あれこれ考えながら小鍋に砂糖を入れて味をみる。
ココアだと周太は幾らか甘めを好む、いま熱があるなら少し甘くした方が良い?
そんな思案と砂糖を足しながら「甘め」になって欲しいなど考えている自分に笑いたくなる。
―何度も俺の中でイってくれたのにな、それとも俺の願望の夢だったのかな?同じ齢なのに奥手すぎの初心だし、
ストレートな想い廻ってしまうまま英二は小鍋の火を止めた。
いつものマグカップ2つ丁寧に注いでゆく湯気から香は甘い。
けれど甘くない恋人の発想に拗ねて、それすら幸せが温かい。
―周太とバカップルしたいな、俺そういうの嫌いなのに周太だと色々したいんだけど、
普段の周太なら恥ずかしがって駄目だろう、けれど熱がある今はチャンスかもしれない?
こんな発想をする自分に呆れながら希望を見てしまう、発熱すら幸せに想うなら「いつか」は現実になれる。
いつか、毎日を一緒に過ごせる日々が始まったとき自分は、周太となら全てに幸せを見つけて笑えるかもしれない。
―病気まで幸せだなんて俺も相当におめでたいよな、
心ひとり笑ってトレイにマグカップ2つ載せて携える。
ふわり甘い湯気と運んでフローリングの足元が絨毯へ変り、広やかな窓の木洩陽あふれだす。
透明な午前の陽射しはカーテン艶めかせて天鵞絨の深緑が森になる、その静かなソファーに少年が微睡む。
―綺麗だ、
そっと鼓動ゆらされて見つめる向う、やわらかな癖っ毛に光が遊ぶ。
きらきらガラス窓を透らす木洩陽は黒髪を緑なす、その白い浴衣もあわく碧い。
熱の気怠さに微睡みかける長い睫は翳に蒼くて、微笑んだ黒目がちの瞳あざやかに縁どらす。
いま家のリビングで絹張り古風なソファへ横たわる、けれど深い森の佇まいが約束のブナを見せた。
―あのブナに逢わせてあげたいな、周太?
あの場所は初めて名前を呼んでくれた場所、そして今は馨の最期の想いも眠っている。
あの大樹の根元、馨の血痕を染みぬいた脱脂綿の灰を埋めてから周太を連れて行っていない。
もう馨の灰は今頃あの大樹の一部になったろう、そんな今のブナに周太を逢せたら笑ってくれる。
―周太、今あそこはもうお父さんの森なんだ、だから連れて行きたいよ?
家のリビングふる森の光と色彩に、懐かしい森が映って願う。
今すぐ本当は連れて行ってあげたい、けれど叶わない今だから約束を呑みこんで温める。
そんな想いに約束した幸福たちが共鳴するよう温かくて、この温もりごと英二は恋人に笑いかけた。
「お待たせ周太、ココア出来たよ、」
笑いかけてトレイ置きながら見つめた瞳に鼓動が弾む。
長い睫ゆるやかに見上げてくれる、それだけで見惚れてしまう。
そんな自分に困りながらも幸せに笑って英二はマグカップを差し出した。
「はい周太、熱くしすぎないようにしたけど気を付けてな、」
「…ん、ありがとう、」
穏やかな声が微笑んで掌ふたつこちらに向けてくれる。
その手すら少し華奢に白くなった、それが切ないと同時にまた時めく。
―なんかほんと美少年の手って感じだよな、あ、
ひとり肚で気がついて英二はマグカップを自分の口もとへ近寄せた。
このままだと周太には熱いかもしれない、それなら自分が冷ましてあげたい。
そんな気遣いすらしたくなる自分に微笑んで息吹いた湯気が、唇に甘くふれて撃たれる。
―キスしたくなる、ココアの後にするキスみたいで、
火傷させたくない、そんな気遣いに冷ます息吹ひとつで妄想が始まってしまう。
こんな自分に困らされる、いま2週間ぶりだからって禁断症状みたいになっている?
けれど再会してからキスひとつまだしていない、そんな焦らしすら幸せで英二は微笑んだ。
「これで熱すぎないと思うけど、久しぶりに作ったから美味くなかったらごめんな?」
「あ…はい、」
途惑いながら受けとってくれる、その声も瞳も微笑んで羞む。
こんな恥ずかしがりが可愛いと思わされて、その衿元から昇らす薄紅がときめかす。
―浴衣の中も赤いんだろな、花が咲くみたいな肌で…見たいな、脱がせたら嫌われるかな、平手ばちんって…それも可愛いんだよな、
うなじの紅潮につい不謹慎なことを考えてしまう。
考えながらココア啜って味を確かめて、けれど視線は恋人の仕草一つ見逃せない。
そんな想いと見つめる真中でマグカップ口づけ微笑んでくれる、その笑顔が嬉しくて英二は笑いかけた。
「可愛い周太、この笑顔に逢いたくて俺、帰って来たくなるんだ。ココアの味どう?」
その笑顔ほんと可愛い、だから不謹慎なこと考えちゃうんだけど?
そんな自分の思考すら幸せで笑った英二に薄紅の頬が微笑んでくれた。
「ん…おいしいよ、ありがとう英二…英二は朝ごはん食べて来たの?」
「朝飯なら食って来たけど、」
笑って応えてながら、本音がマグカップをトレイに置かせる。
周太の手からもマグカップ取り上げトレイに置いて、英二は想ったまま笑いかけた。
「周太を食べたいな、俺、」
いま自分が飢えているのは、君です。
そんな本音から笑いかけながら意図が冷静に思案を運ぶ。
本当は周太の体調を確かめたい、けれど診ることは拒絶されてしまった。
『しんたいけんさなんかだめっ…っちがくてもだめっ、』
最初は悪戯目的の身体検査だと周太は想ったろう。
それが勘違いだと解かっても拒絶されてしまった、そんな態度に解かってしまう。
もう祖母の差配でホームドクターの診断は受けたはず、その結果を祖母から周太は聴いている。
―きっと喘息の再発だって言われたんだろうな、だから余計に俺には診せたがらないんだ、ばれたくなくて、
もし不調が解かったら黙って見過ごすなどしてくれない、そう自分に対して周太は想っている。
同じ警察官なら職場環境を知らないはずがない、そして治療の為に退職させようとするのが普通だろう。
だから隠したがっている周太のプライドも気遣いも解かって、それが愛しくて英二は本音と意図から笑いかけた。
「周太、Yesって言って?その浴衣姿は俺、ほんと弱いって知ってるだろ?ね、周太…このまま好きにさせて?」
自分で言ってしまって、しまったと気づかされる。
今の台詞で自分で自分のスイッチを半押ししてしまった。
―このまま好きにしちゃいたいな、目的とか無しで、
好きにさせて?だなんて台詞は周太を誘うときの常套文句。
それを言ってしまって自動的にスイッチが入る、こんな習性が自分で可笑しい。
可笑しいと思うだけ未だ冷静を残したまま英二は静かにソファへ乗り上げ、ブランケットごと恋人を抑えこんだ。
「可愛い、周太…目が大きくなってるのに潤んでる、そういう目って困るよ、命令されたくなる…俺に命令して、」
困っているのはこっちなのに?
そう言いたげな黒目がちの瞳に、またスイッチ押されそうになる。
それでも留まって笑いかけた貌は困惑のまま綺麗で、その唇が喘ぐよう問いかけた。
「…ぁ、あのえいじどうしたの」
「どうしたの、なんて可愛いな周太は…ね、命令して?俺に…周太、」
笑いかけて見つめる問いかけも、その微かな喘ぎも困惑も嬉しくなってしまう。
いま困らせていると解っている、この困惑と緊張で周太はきっと咳き込んでしまうだろう。
その苦しげな貌を想うと哀しい、それでも今こうして見つめられる幸せに微笑んだとき呼吸音が鳴った。
「…ゅっ、」
かすかに、けれど空気斬られるような一瞬の音。
独特な吸音が鼓動ひっぱたいて、すぐ周太が咳き込みだした。
「…っぅ、こほんっごほっこほ…ぅっ、…ぁ」
咳きこみだす口許を華奢な両掌が抑えこみ、白い浴衣の肩が震えだす。
紅潮そまる額で黒髪やわらかに揺れる、顰められた眉あざやかに苦悶を描く。
いま見つめる現実に鼓動を切り裂かれながら英二はブランケットごと大切な人を抱きしめた。
「ごめん周太、驚かせたりして。でも知りたかったんだ、本当のことを教えて周太、」
どうか本当のことを教えてほしい、赦してくれるのなら。
もう君を裏切ってしまった自分、それでも愛して護ることを赦されるなら真実を君から告げてほしい。
この願いごと抱きしめて整ってゆく呼吸を聴きながら英二は、泣いても傍にいたい人へそっと微笑んだ。
「周太、喘息が再発しかけてるんだろ?俺、後藤さんから訊いたんだ、周太は小児喘息を持ってたって、」
告げて、黒目がちの瞳が大きくなって自分を映す。
見つめてくれる瞳の深く落着いて、ゆるやかに長い睫が瞬いてくれる。
なにか記憶を探そうとする、そんな眼差しごと宝物を抱きしめて英二は静かな声で続けた。
「周太が小学校に上がった頃、周太のお父さんから相談されたそうだよ…小児喘息の子供に山登りは治療になるだろうかって。
周太は富士山に登って倒れたんだ、だけど一定の標高を下れば元気になるから気管支の疾患があるんじゃないかって気がついてね、
それで病院で診たら喘息が解かったんだ、それに酸素を吸収する力が普通より低い。だから心肺機能を強くしたくて山を思いついたんだ、」
告げていく言葉たちに願いを幾つも重ねてしまう。
夏富士で後藤から教えられた通り、馨の日記にも周太の発病は記されている。
その綴らす万年筆の筆跡はブルーブラックが時おり滲んで涙の記憶を伝えてくれた。
―それでも馨さんは周太が治ることを諦めていなかった、それなのに今、再発しかけてるだんて、
馨の願いは、叶わない?
そう想いかけて心が嫌だと叫びだす。
何をしても自分だって諦めない、必ず周太を救って生きさせる。
そんな想いごと見つめて抱きしめる人は薄紅の頬なごませて、黒目がちの瞳きれいに微笑んだ。
「そう…それでお父さんは俺のこと、色んな山に連れて行ってくれたんだね、穂高も丹沢も…奥多摩も、富士の森も、」
穂高、丹沢、奥多摩、そして富士山。
どこも馨の大切な想い遺した山だろう、そこへ息子と登った想いが切なく温かい。
それは2週間前にも聴いた聲とも重なる想いだろう、あのとき見つめた哀惜ごと抱きしめる懐で周太が呟いた。
「…おとうさん、」
想いが呼んで声になる、そんな声ごと抱きしめて離せない。
このまま懐くるんで遠くへ攫ってしまえたら?そんな願いに駈けだしたい。
今なら誰も家にいない、今なら乗ってきた四駆がある、この状況に熾きる衝動ごと抱きしめて英二は微笑んだ。
「周太、喘息の再発を隠してるのは病気が理由で免職されるのが嫌だからだろ?お父さんのこと知る為に今は辞めたくないんだろ?」
微笑んで問いかける真中で、黒目がちの瞳が静かに肯定する。
その眼差しに覚悟は穏やかに坐りこんで自分を見つめ、困りながらも微笑む。
だから動けない、こんな瞳の人に自分が何をしてもきっと意志は貫く、だから英二も覚悟に笑いかけた。
「でも俺にまで嘘吐かないでくれ、秘密だって一緒に背負いたいんだ。それが規則違反でも俺は構わない、周太と一緒に生きていたいから、」
規則違反でも何をしても構わない、ただ君と一緒に生きたい。
ただ君の傍にいたい、どんなに離されても自分は君を探して離れない。
たとえ嘘を吐かれても自分には通用なんてさせない、何をしても君を見失わない。
こんなにも想ってしまう癖に一度もう裏切った自分だから、だからこそ今度はもう離れない。
―もう後悔なんか嫌だ、だから俺は手段なんか選ばない、周太の願い全てを叶えるなら、
君を裏切った、その後悔に生涯を傷ませながら君の傍から離れない。
そのために自分は全てを懸けて何をしても君の願い全てを叶えてみせる。
そうして君に必要とされていたい、そんな祈りへと綺麗な瞳が微笑んだ。
「ありがとう英二、教えてくれて…やっぱり英二は天使みたい」
君こそ自分にとっては天使なのに?
そんな想い微笑んで抱きしめて、綺麗な瞳が笑ってくれる。
長い睫ゆるやかに瞬かせて少し眠たそうで、それでも優しい眼差しは告げてくれた。
「だってね、英二?…泣いても幸せだなんて他の誰にも想えないんだ、どんなときも声を聴きたいなんて…あいたいなんてひとりだけ…で」
自分こそ、他の誰にも想えない。
アイガーの北壁で自分は君を裏切った、だからこそ思い知っている。
他の誰と夢を追っても、他の美しい体を抱いて愛しんでも、君以外の誰にも想えない。
どんなに泣いても苦しんでも、嘘を吐いても罪すら犯しても、君を護れるのなら全て幸せでしかない。
だから想ってしまう、飢えるほど君の愛に卑しい自分ですら天使と見てくれる、そんな君こそが天使だ。
「周太こそ俺の天使だよ、こんな俺を天使にしてくれるなんて…愛してる、周太、」
愛してる、そう自分の幸せへ告げて抱きしめて唇そっと重ねさす。
ふれるオレンジの香あまやかに吐息へ通う、その呼吸すこしずつ深くなる。
きっと眠りに墜ちてゆく、そんな天使の微睡に微笑んでキスやわらかに解いて、そっと囁いた。
「…おやすみ周太、夢でも俺にキスして?」
(to be gcontinued)
【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI[Spots of Time] 」】
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第71話 渡翳act.3-side story「陽はまた昇る」
せっかく命令してくれたけど「ココア」なことが当て外れだ。
「…そういう命令のつもりじゃなかったのにな?」
ガスコンロの前、ゆっくり混ぜてゆく小鍋から湯気は甘くほろ苦く温かい。
久しぶりに立つ台所は午前の陽射し明るくて、けれど独り立つ初めてに英二は首傾げた。
『周太には恋の奴隷なんだから命令してよ、俺の女王さま?』
そう告げた相手の手伝いで台所に立って来た。
そして告げた相手は今、ソファで熱怠い体を横たえて待ってくれている。
こんな時間も悪くない、けれど「当て外れ」の気持につい落胆が拗ねかける。
―周太は俺とセックスしたいって想ってくれないのかな?でも葉山の夜は俺を抱いてくれたのに、
あれこれ考えながら小鍋に砂糖を入れて味をみる。
ココアだと周太は幾らか甘めを好む、いま熱があるなら少し甘くした方が良い?
そんな思案と砂糖を足しながら「甘め」になって欲しいなど考えている自分に笑いたくなる。
―何度も俺の中でイってくれたのにな、それとも俺の願望の夢だったのかな?同じ齢なのに奥手すぎの初心だし、
ストレートな想い廻ってしまうまま英二は小鍋の火を止めた。
いつものマグカップ2つ丁寧に注いでゆく湯気から香は甘い。
けれど甘くない恋人の発想に拗ねて、それすら幸せが温かい。
―周太とバカップルしたいな、俺そういうの嫌いなのに周太だと色々したいんだけど、
普段の周太なら恥ずかしがって駄目だろう、けれど熱がある今はチャンスかもしれない?
こんな発想をする自分に呆れながら希望を見てしまう、発熱すら幸せに想うなら「いつか」は現実になれる。
いつか、毎日を一緒に過ごせる日々が始まったとき自分は、周太となら全てに幸せを見つけて笑えるかもしれない。
―病気まで幸せだなんて俺も相当におめでたいよな、
心ひとり笑ってトレイにマグカップ2つ載せて携える。
ふわり甘い湯気と運んでフローリングの足元が絨毯へ変り、広やかな窓の木洩陽あふれだす。
透明な午前の陽射しはカーテン艶めかせて天鵞絨の深緑が森になる、その静かなソファーに少年が微睡む。
―綺麗だ、
そっと鼓動ゆらされて見つめる向う、やわらかな癖っ毛に光が遊ぶ。
きらきらガラス窓を透らす木洩陽は黒髪を緑なす、その白い浴衣もあわく碧い。
熱の気怠さに微睡みかける長い睫は翳に蒼くて、微笑んだ黒目がちの瞳あざやかに縁どらす。
いま家のリビングで絹張り古風なソファへ横たわる、けれど深い森の佇まいが約束のブナを見せた。
―あのブナに逢わせてあげたいな、周太?
あの場所は初めて名前を呼んでくれた場所、そして今は馨の最期の想いも眠っている。
あの大樹の根元、馨の血痕を染みぬいた脱脂綿の灰を埋めてから周太を連れて行っていない。
もう馨の灰は今頃あの大樹の一部になったろう、そんな今のブナに周太を逢せたら笑ってくれる。
―周太、今あそこはもうお父さんの森なんだ、だから連れて行きたいよ?
家のリビングふる森の光と色彩に、懐かしい森が映って願う。
今すぐ本当は連れて行ってあげたい、けれど叶わない今だから約束を呑みこんで温める。
そんな想いに約束した幸福たちが共鳴するよう温かくて、この温もりごと英二は恋人に笑いかけた。
「お待たせ周太、ココア出来たよ、」
笑いかけてトレイ置きながら見つめた瞳に鼓動が弾む。
長い睫ゆるやかに見上げてくれる、それだけで見惚れてしまう。
そんな自分に困りながらも幸せに笑って英二はマグカップを差し出した。
「はい周太、熱くしすぎないようにしたけど気を付けてな、」
「…ん、ありがとう、」
穏やかな声が微笑んで掌ふたつこちらに向けてくれる。
その手すら少し華奢に白くなった、それが切ないと同時にまた時めく。
―なんかほんと美少年の手って感じだよな、あ、
ひとり肚で気がついて英二はマグカップを自分の口もとへ近寄せた。
このままだと周太には熱いかもしれない、それなら自分が冷ましてあげたい。
そんな気遣いすらしたくなる自分に微笑んで息吹いた湯気が、唇に甘くふれて撃たれる。
―キスしたくなる、ココアの後にするキスみたいで、
火傷させたくない、そんな気遣いに冷ます息吹ひとつで妄想が始まってしまう。
こんな自分に困らされる、いま2週間ぶりだからって禁断症状みたいになっている?
けれど再会してからキスひとつまだしていない、そんな焦らしすら幸せで英二は微笑んだ。
「これで熱すぎないと思うけど、久しぶりに作ったから美味くなかったらごめんな?」
「あ…はい、」
途惑いながら受けとってくれる、その声も瞳も微笑んで羞む。
こんな恥ずかしがりが可愛いと思わされて、その衿元から昇らす薄紅がときめかす。
―浴衣の中も赤いんだろな、花が咲くみたいな肌で…見たいな、脱がせたら嫌われるかな、平手ばちんって…それも可愛いんだよな、
うなじの紅潮につい不謹慎なことを考えてしまう。
考えながらココア啜って味を確かめて、けれど視線は恋人の仕草一つ見逃せない。
そんな想いと見つめる真中でマグカップ口づけ微笑んでくれる、その笑顔が嬉しくて英二は笑いかけた。
「可愛い周太、この笑顔に逢いたくて俺、帰って来たくなるんだ。ココアの味どう?」
その笑顔ほんと可愛い、だから不謹慎なこと考えちゃうんだけど?
そんな自分の思考すら幸せで笑った英二に薄紅の頬が微笑んでくれた。
「ん…おいしいよ、ありがとう英二…英二は朝ごはん食べて来たの?」
「朝飯なら食って来たけど、」
笑って応えてながら、本音がマグカップをトレイに置かせる。
周太の手からもマグカップ取り上げトレイに置いて、英二は想ったまま笑いかけた。
「周太を食べたいな、俺、」
いま自分が飢えているのは、君です。
そんな本音から笑いかけながら意図が冷静に思案を運ぶ。
本当は周太の体調を確かめたい、けれど診ることは拒絶されてしまった。
『しんたいけんさなんかだめっ…っちがくてもだめっ、』
最初は悪戯目的の身体検査だと周太は想ったろう。
それが勘違いだと解かっても拒絶されてしまった、そんな態度に解かってしまう。
もう祖母の差配でホームドクターの診断は受けたはず、その結果を祖母から周太は聴いている。
―きっと喘息の再発だって言われたんだろうな、だから余計に俺には診せたがらないんだ、ばれたくなくて、
もし不調が解かったら黙って見過ごすなどしてくれない、そう自分に対して周太は想っている。
同じ警察官なら職場環境を知らないはずがない、そして治療の為に退職させようとするのが普通だろう。
だから隠したがっている周太のプライドも気遣いも解かって、それが愛しくて英二は本音と意図から笑いかけた。
「周太、Yesって言って?その浴衣姿は俺、ほんと弱いって知ってるだろ?ね、周太…このまま好きにさせて?」
自分で言ってしまって、しまったと気づかされる。
今の台詞で自分で自分のスイッチを半押ししてしまった。
―このまま好きにしちゃいたいな、目的とか無しで、
好きにさせて?だなんて台詞は周太を誘うときの常套文句。
それを言ってしまって自動的にスイッチが入る、こんな習性が自分で可笑しい。
可笑しいと思うだけ未だ冷静を残したまま英二は静かにソファへ乗り上げ、ブランケットごと恋人を抑えこんだ。
「可愛い、周太…目が大きくなってるのに潤んでる、そういう目って困るよ、命令されたくなる…俺に命令して、」
困っているのはこっちなのに?
そう言いたげな黒目がちの瞳に、またスイッチ押されそうになる。
それでも留まって笑いかけた貌は困惑のまま綺麗で、その唇が喘ぐよう問いかけた。
「…ぁ、あのえいじどうしたの」
「どうしたの、なんて可愛いな周太は…ね、命令して?俺に…周太、」
笑いかけて見つめる問いかけも、その微かな喘ぎも困惑も嬉しくなってしまう。
いま困らせていると解っている、この困惑と緊張で周太はきっと咳き込んでしまうだろう。
その苦しげな貌を想うと哀しい、それでも今こうして見つめられる幸せに微笑んだとき呼吸音が鳴った。
「…ゅっ、」
かすかに、けれど空気斬られるような一瞬の音。
独特な吸音が鼓動ひっぱたいて、すぐ周太が咳き込みだした。
「…っぅ、こほんっごほっこほ…ぅっ、…ぁ」
咳きこみだす口許を華奢な両掌が抑えこみ、白い浴衣の肩が震えだす。
紅潮そまる額で黒髪やわらかに揺れる、顰められた眉あざやかに苦悶を描く。
いま見つめる現実に鼓動を切り裂かれながら英二はブランケットごと大切な人を抱きしめた。
「ごめん周太、驚かせたりして。でも知りたかったんだ、本当のことを教えて周太、」
どうか本当のことを教えてほしい、赦してくれるのなら。
もう君を裏切ってしまった自分、それでも愛して護ることを赦されるなら真実を君から告げてほしい。
この願いごと抱きしめて整ってゆく呼吸を聴きながら英二は、泣いても傍にいたい人へそっと微笑んだ。
「周太、喘息が再発しかけてるんだろ?俺、後藤さんから訊いたんだ、周太は小児喘息を持ってたって、」
告げて、黒目がちの瞳が大きくなって自分を映す。
見つめてくれる瞳の深く落着いて、ゆるやかに長い睫が瞬いてくれる。
なにか記憶を探そうとする、そんな眼差しごと宝物を抱きしめて英二は静かな声で続けた。
「周太が小学校に上がった頃、周太のお父さんから相談されたそうだよ…小児喘息の子供に山登りは治療になるだろうかって。
周太は富士山に登って倒れたんだ、だけど一定の標高を下れば元気になるから気管支の疾患があるんじゃないかって気がついてね、
それで病院で診たら喘息が解かったんだ、それに酸素を吸収する力が普通より低い。だから心肺機能を強くしたくて山を思いついたんだ、」
告げていく言葉たちに願いを幾つも重ねてしまう。
夏富士で後藤から教えられた通り、馨の日記にも周太の発病は記されている。
その綴らす万年筆の筆跡はブルーブラックが時おり滲んで涙の記憶を伝えてくれた。
―それでも馨さんは周太が治ることを諦めていなかった、それなのに今、再発しかけてるだんて、
馨の願いは、叶わない?
そう想いかけて心が嫌だと叫びだす。
何をしても自分だって諦めない、必ず周太を救って生きさせる。
そんな想いごと見つめて抱きしめる人は薄紅の頬なごませて、黒目がちの瞳きれいに微笑んだ。
「そう…それでお父さんは俺のこと、色んな山に連れて行ってくれたんだね、穂高も丹沢も…奥多摩も、富士の森も、」
穂高、丹沢、奥多摩、そして富士山。
どこも馨の大切な想い遺した山だろう、そこへ息子と登った想いが切なく温かい。
それは2週間前にも聴いた聲とも重なる想いだろう、あのとき見つめた哀惜ごと抱きしめる懐で周太が呟いた。
「…おとうさん、」
想いが呼んで声になる、そんな声ごと抱きしめて離せない。
このまま懐くるんで遠くへ攫ってしまえたら?そんな願いに駈けだしたい。
今なら誰も家にいない、今なら乗ってきた四駆がある、この状況に熾きる衝動ごと抱きしめて英二は微笑んだ。
「周太、喘息の再発を隠してるのは病気が理由で免職されるのが嫌だからだろ?お父さんのこと知る為に今は辞めたくないんだろ?」
微笑んで問いかける真中で、黒目がちの瞳が静かに肯定する。
その眼差しに覚悟は穏やかに坐りこんで自分を見つめ、困りながらも微笑む。
だから動けない、こんな瞳の人に自分が何をしてもきっと意志は貫く、だから英二も覚悟に笑いかけた。
「でも俺にまで嘘吐かないでくれ、秘密だって一緒に背負いたいんだ。それが規則違反でも俺は構わない、周太と一緒に生きていたいから、」
規則違反でも何をしても構わない、ただ君と一緒に生きたい。
ただ君の傍にいたい、どんなに離されても自分は君を探して離れない。
たとえ嘘を吐かれても自分には通用なんてさせない、何をしても君を見失わない。
こんなにも想ってしまう癖に一度もう裏切った自分だから、だからこそ今度はもう離れない。
―もう後悔なんか嫌だ、だから俺は手段なんか選ばない、周太の願い全てを叶えるなら、
君を裏切った、その後悔に生涯を傷ませながら君の傍から離れない。
そのために自分は全てを懸けて何をしても君の願い全てを叶えてみせる。
そうして君に必要とされていたい、そんな祈りへと綺麗な瞳が微笑んだ。
「ありがとう英二、教えてくれて…やっぱり英二は天使みたい」
君こそ自分にとっては天使なのに?
そんな想い微笑んで抱きしめて、綺麗な瞳が笑ってくれる。
長い睫ゆるやかに瞬かせて少し眠たそうで、それでも優しい眼差しは告げてくれた。
「だってね、英二?…泣いても幸せだなんて他の誰にも想えないんだ、どんなときも声を聴きたいなんて…あいたいなんてひとりだけ…で」
自分こそ、他の誰にも想えない。
アイガーの北壁で自分は君を裏切った、だからこそ思い知っている。
他の誰と夢を追っても、他の美しい体を抱いて愛しんでも、君以外の誰にも想えない。
どんなに泣いても苦しんでも、嘘を吐いても罪すら犯しても、君を護れるのなら全て幸せでしかない。
だから想ってしまう、飢えるほど君の愛に卑しい自分ですら天使と見てくれる、そんな君こそが天使だ。
「周太こそ俺の天使だよ、こんな俺を天使にしてくれるなんて…愛してる、周太、」
愛してる、そう自分の幸せへ告げて抱きしめて唇そっと重ねさす。
ふれるオレンジの香あまやかに吐息へ通う、その呼吸すこしずつ深くなる。
きっと眠りに墜ちてゆく、そんな天使の微睡に微笑んでキスやわらかに解いて、そっと囁いた。
「…おやすみ周太、夢でも俺にキスして?」
(to be gcontinued)
【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI[Spots of Time] 」】
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