With those two dear ones ふたり、
第71話 杜翳act.4―another,side story「陽はまた昇る」
木洩陽あわい光に時間が見えて、すこし嬉しくなる。
きらきら揺れる梢やわらかな陽光ふらす、まだ午前中だと煌めきがガラス越しに告げてくれる。
まだ夕食までの時間は今の時間までよりずっと長い、今日は夕食まで一緒にいると約束してもらえた。
この約束は護ってもらえると解かるから嬉しい、嬉しくて見あげる梢に周太は微笑んで、けれど溜息ひとつ零れた。
―でも英二なにも言ってくれなかった、ね…
優しい嘘なんて吐かないで?
そう自分は願って、けれど願いの答えはまだくれない。
我儘を言わせてくれ、そう言って毎日の電話とメールを願ってくれた。
この約束も嬉しい、でも、もっと結びたい約束はやっぱり頷いてもらえない。
「…これからもなの?英二…」
ひとり声こぼれた窓辺、ふっとガラスにダークブラウンが艶めかす。
その色に振り向いた向こうワイシャツ姿の長身あざやかに陽光へ明るんだ。
―きれい…やっぱり英二かっこよくなってる、
密やかに溜息こぼれる真中で、端整な白皙の貌は穏やかに笑ってくれる。
2週間とすこし前より深くなった落着きが大人びて、眼差しの燈火やわらかな陰翳が惹く。
真直ぐな熱と冷静の瞳は切長に美しい、その笑顔につい見惚れ羞みながら周太は笑いかけた。
「英二、洗物ありがとう…お白湯まで持ってきてくれたの?」
「うん、薬飲まないとな?」
綺麗な瞳が見つめて長い指の手から薬袋と湯呑を差し出す。
素直に受けとって、薬袋ひらいてゆく指先がなんだか緊張する。
―こんな見つめられると照れちゃう…だってかっこいいんだもの、
久しぶりに逢った笑顔に鼓動ひっくり返されて、ひとりごと困りながら喜んでいる。
こんな思案ごと気恥ずかしいまま白湯に薬を飲みこむと、綺麗な低い声が笑いかけた。
「周太、ちょっとベッドで休もうな?本屋に行くって言ってたから祖母もゆっくりして来ると思うんだ、俺たちものんびりしよう?」
べっどでのんびりだなんてちょっといまどうしよう?
―あ、ばかばかおれのばか、なにかんがえてるのちがうでしょぐあいわるいのきづかってくれてるのに?
ひとり勝手に頭で問答して、なんだか朦朧としそうになる。
こんなでは熱がまた出そう?そんな自分に困って貌見られるのも恥ずかしくて周太は踵返した。
「ありがとう…湯呑おいてくるね、」
素直に頷いてダイニングの方へ歩きだして、その背中がつい意識してしまう。
窓辺から見つめてくれる瞳が前より優しい分だけ熱くて、そんな相手に久しぶりの感情が熾きあがる。
―ほんとに俺のことだけ好きでいてくれてるの?前みたいに…光一と出逢う前みたいに俺だけを、
背中に感じる視線の熱は何ヶ月ぶりだろう?
そんな歳月を数えかけて、ことん、何か響いて綺麗な低い声が心で微笑んだ。
『周太こそ俺の天使だよ』
さっき微睡んだ記憶の聲が鼓動くるんで蘇える。
目覚めて忘れていた聲、けれど想いだした声は今も聴いた声と似ているだろうか?
―でも俺の都合のいいデフォルメかも、それに夢だし…でもほんとならうれしいけど、
考えごとしながら流し台に佇んだまま手は習慣で湯呑を洗う。
こんなふうに独り占めで英二を想うことは久しぶり、この久しぶりにまた逆上せてくる。
それでも確かめたいことが今は多くて、この機会を見つめリビングに入ると綺麗な笑顔ふり向いた。
「周太、」
名前を呼んで笑いかけて、ワイシャツ端整な腕に抱き上げられる。
見あげるダークブラウンの髪を木洩陽が黄金に透かす、その光が視界ごと想い奪う。
黄金に白皙なめらかな肌が映え目映くて、深い切長の瞳から陽光のかけらが幸せに微笑んだ。
「周太をお姫さま抱っこするのって俺、ほんと幸せ、」
本当に今が幸せだよ?
そんな笑顔が額よせて軽くふれて、前髪ごし温もり交わされる。
ふれる吐息はほろ苦く深くすこし甘い、森と似た香り包まれるまま声こぼれた。
「…おれもしあわせ、」
そっと呟いて、けれど静かな廊下に聞えてしまう。
思わずこぼれた声が気恥ずかしい、そんな想いに綺麗な笑顔が訊いてくれた。
「周太、お姫さま抱っこが幸せって言ってくれたの?」
「…ん、」
気恥ずかしさごと頷くまま睫伏せてしまう。
2週間とすこし前あんなふうに別れて離れて、それなのに今は懐で甘やかされている。
こんな自分の本音が同じ男として気恥ずかしくて、それでも幸せな温もりは笑ってくれた。
「お姫さま抱っこ嬉しいって周太、俺こそ嬉しいよ?」
ほら、こんな貌で笑ってくれるから好きになる。
見あげる笑顔は濃やかな睫あざやかで切長い瞳が涼やかに艶めく。
端整で華やかな貌は綺麗で、だからすこし不思議になってしまう。
―こんなにきれいな英二と俺が血が繋がってるってふしぎだよね…でもほんとうで、だからお父さんと似てて、
英二を見つめるごと不思議になる。
父の息子である自分よりも遠縁の英二が父と似てしまう。
こんな現実に思案するまま部屋の扉が開かれて、窓ゆれる木洩陽に周太は微笑んだ。
「風が気持ちよさそう…英二、窓を開けていい?」
きっと梢の風は心地いい、その香も光もふれたい。
そんな願いごと笑いかけた人は綺麗に笑ってくれた。
「周太、窓を開けてって命令してよ?命令なら開けてあげる、」
めいれいしてってめいれいしてるのはそっちだよ?
そう言いたいけど言えない気恥ずかしさに俯きかけて、ふっと森が香らす。
抱えられているワイシャツの懐は温かに寛ぐ、この温もりに綺麗な深い声が尋ねた。
「周太、机の花きれいだな、名前なんだっけ?」
「ん…秋明菊だよ、」
応えて見あげた貌は幸せそうに微笑んでベッドへおろしてくれる。
そのまま額に額つけられて鼓動ひとつ弾ます、その響きに切長い瞳が幸せに笑った。
「周太、熱だいぶ落ち着いた感じだな、気分どうだ?」
「ん、大丈夫…さっきも自分で立って外、見てたでしょ?」
微笑んで見あげて、端整な笑顔が幸せほころばす。
笑顔は綺麗で、きれいな分だけ羞まされてブランケット引寄せた向う英二が口開いた。
「周太、さっきした一年間の約束だけど」
一年だけ喘息を内緒にしてほしい、父を一年だけ追いかけたい。
そう自分が願った約束の一年間を、綺麗な低い声が言いかける。
この声が続ける言葉が切長い瞳に見えるまま周太は約束と微笑んだ。
「ん…来年の夏は一緒にどこか行きたいね?」
来年の夏は一緒に、どこかに。
今は秋、あと9ヶ月で来年の夏は来る。
約束の一年後よりも短い約束の夏、その約束に切長い瞳が自分を映す。
真直ぐ瞳を覗きこんでくる眼差しは自分だけを映して、そして涙ふわり頬に墜ちた。
「周太、来年の夏は北岳に行こう…約束どおりに、」
北岳、
あの山に約束をくれたのは今年の夏だった。
この夏は父の死を共に見つめてくれた、葉山の海に連れて行ってくれた。
そして今年の夏の自分は唯ひとり愛されていると信じて、約束の全てが幸せだった
―幸せだった、北岳の約束の時も葉山も…アイガーの夜までは、
七月の終わり、あの一夜に約束は消えたと想った。
他の相手を抱いたなら自分も約束も忘れ去られる、それを自分は望んだ。
それでも英二は忘れないでいてくれた?この想い見つめるまま英二は涙に微笑んだ。
「北岳草を見せるって約束したろ?来年、6月の終わりに一緒に登ろうな、」
北岳草、世界で唯一ヶ所にしか咲かない純白の花。
あの花に託してくれた約束は、唯ひとり見つめてくれる想いだった。
遥かな太古から咲いて繋がれる小さな花、あの耀く命ごと贈ってくれた約束は幸福。
そう想えて、ただ嬉しくて、嬉しい分だけ愛しくて切なかった夏の想いが今、恋人の声に微笑んだ。
「北岳草はな、周太?北岳の山頂直下で三日間だけ咲くんだ、北岳の空気と土と氷河にしか咲かない花だよ?世界に唯一で一瞬の花なんだ、
だけど周太、氷河の時代から咲き続ける永遠の花でもあるんだよ?だから俺、周太と見たいんだ…ずっと一緒にいたいのは周太だけだから、」
三日間の花、けれど悠久の時から咲き続ける世界で唯ひとつの花。
あの花に想い託して約束を贈ってくれる、その声も瞳も自分だけを映して泣いてしまう。
泣いて微笑んで、約束と見つめてくれる瞳から涙ひとつ自分の瞳へ零して英二は笑った。
「周太だけなんだ、俺が本当に帰りたいって泣きたくなるのは周太だけだよ?この2週間ずっと周太に逢いたくて、帰りたかった、
今夜も周太から離れた瞬間に俺は帰りたくなるよ…きっと50年後の俺も周太に帰りたい、ずっと…想うのは周太が初めてで、唯ひとりだ、」
唯ひとり、その約束を再び自分にしていいの?
今だけじゃない、50年後の約束まで今この瞬間に贈ってくれる。
この約束は去年の秋も見つめて、けれど今年の夏に壊れて、それでも今この秋に再び鼓動へ響く。
「周太、俺は周太をおんぶしても北岳草を見に連れて行くよ?だから喘息ちゃんと治してくれな、いまの職場でも無理するなよ?
毎日、飯は何食って何時間ちゃんと寝たって、メールや電話で毎日ちゃんと俺に教えろよ?でないと俺、心配で周太を捉まえに行くよ、」
食事に睡眠時間まで気にしてくれる、そんな約束事に微笑んでしまう。
いま見つめてくれる端整な白皙の貌と黄金透ける髪は異国の騎士を想わす美貌にまばゆい。
そんなひとが日常生活を心配して毎日の連絡を願ってくれる、こんなアンバランスが愛しくて周太は笑いかけた。
「出来るだけするのじゃダメなの?…毎日じゃないと英二、捉まえに来ちゃうの?」
「そうだよ、毎日じゃないと捉まえに行く。どこにいったって俺は周太のこと見つけ出す、絶対だ、」
捉まえると笑ってくれる泣顔は視線が勁い。
いま絶対だと告げてくれるまま約束は護られる?そんな相手は涙と笑いかけた。
「周太、俺は思った通りしか出来ない身勝手なやつだってこと、もう周太は知ってるだろ?いつも俺が自分勝手だから周太を哀しませるんだ、
それでも俺のこと周太が少しでも好きだって想ってくれるなら、俺は絶対に周太を探して捉まえる。だから毎日ずっと構ってよ、今…キスしてよ?」
愛して、約束を信じて、そんな願いが端整な唇に微笑んでくれる。
この約束をもう一度だけ信じてみたい、愛して護りたい、そう願う名前に周太は微笑んだ。
「英二…」
名前を呼んで、繋いだ掌そっと握りしめる。
応えるよう長い指は握り返して、見あげる瞳が微笑んで、その眼差しに掌そっと伸ばす。
ふれる白皙の頬なめらかに温かい、この温もりごと静かに降りてくる唇に瞳を閉じ、接吻けた。
―森の香、…懐かしい、
重ねたキスの香は、懐かしい。
交わす吐息に森の香が深まる、この息吹に懐かしい時間が映りだす。
いま自分の部屋のベッドの上、けれど黄金の落葉松とブナの瞬間が幸福の時を詩に変える。
When,in a blessed season
With those two dear ones-to my heart so dear-
When in the blessd time of early love,
Long afterward I roamed about In daily presence of this very scene,
Upon the naked pool and dreary crags,
And on the melancholy beacon, fell
The spirit of pleasure and youth‘s golden gleam-
祝福された季節に、
愛しい私の想いの人と、ふたり連れだって
愛の始まりの時は祝福の季、
はるか歳月を超えて 同じ季を日々に歩めるなら、
枯れてしまった池に 荒んでしまった岩山に、
そして切なき山頂の道しるべ、その上に
あふれる喜びの心と若き黄金の輝きはふり注ぐ
―英二、あのブナの木に連れて行って?あの秋にもう一度だけ…あなたとかえりたい、
くちづけの想いは幸福の秋、あの時間にもう一度だけ還りたい。
ただ還りたくて薄く披いた瞳に黄金透ける髪ふれる、この輝きに秋の時間が鼓動を響く。
今このまま攫われて時間を戻れるのなら?そんな叶わない願いに吐息ひとつ交わして、そっと離れ微笑んだ。
「英二…お祖父さんの小説、英二も持ってるんでしょう?俺と同じに…読んで、知ってるよね?」
ほら、今キス交わした唇は確かめるべき過去と明日に微笑める。
問いかけて、見つめあう切長い瞳は俤を映したまま自分を映す。
その眼差しに呼吸ゆっくり飲みこんで周太は真実を問いかけた。
「思ったままを言って、英二…お祖父さんの小説から何を読んだの、何を…本当だと、英二は思う?」
いま贈られた幸福の秋は唇に残る、この温もりのままどうか真実の聲を聴かせて?
(to be continued)
【引用詩文:William Wordsworth「The Prelude Books XI[Spots of Time] 」】
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