言葉

2010年02月25日 | よもやま話
わたしは、

無理をしてボロボロになった患者さんを診たとき

『そうせざるを得ない事情があったのかもしれないな。。。』

と考えます。

自分がそうだった時もあったので…


しかし、かける言葉は

「無理は続かないから無理って言うんですね。

 これからはもう少しだけ、自分を大切にしてみませんか。」

といった内容です。



言葉には何か「力」があるように思います。

ある時にはその言葉に励まされ

またあるときにはその言葉に縛られ

私たちの行動に大きな影響を及ぼすことが

しばしばあるように思います。


私は思うのです。

言葉は

薬にもなれば

毒にだってなる。

と。



以前、ある先輩から

「いい仕事するって人気の料理屋さんがあったんだけど、

こないだ行って見たら、店お休みだったんだよね。 

 後で聞いたらそこの大将、過労死しちゃったんだって。

 いくら人気があったって、

 人間死んだらなにもならんからね。

 君も気をつけたほうがいいよ。」

という言葉をいただいた。

わたしの身体を気遣っての言葉であったのだろうと思います。


しかし、胸に何かが引っかかる。



その先輩の言うとおり、

主人亡き後の残された家族を考えると

その頑張りも結果的には

「なにもならない」

のかもしれない。

でも、きっとその大将は

「今を頑張って乗り切ろう。

 後もう少しだ。

 歯を食いしばって、家族に楽させてやろう。

 安心させてやろう。」

って、必死だったんではないだろうか。



わたしの近くにも、そうして死んでいった人がいました。

その経験から、

そういった生き方は、時に悲しい結末をたどる事は嫌と言うほど知っている。

そのせいか、先輩から投げかけられた一言は、

「世間からの見た目」と、「内から見た実情」を知ってしまっているだけに、

わたしには冷淡に感じられたのです。

知らぬが仏と申しますが、

こういった裏側を知らないということは

幸せなことだと思います。

いささか先輩を羨ましくも思います。





でも、人には外見からは計り知れない

内に秘めた「事情」があったりするものです。

傍からは

『何をシャカリキになってるんだか…』

『バカなことしてるなぁ~』

と見えても、聞けば『なるほど』という

何か納得のゆく理由があったりするものです。






冒頭のわたしの言葉は患者さんに、いったいどう聞こえただろうか。


わたしが感じた「よそよそしさ」を感じさせはしなかっただろうか。


人間はじめて35年

「言葉」って、難しい。

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